◆気になる(オールド)ニュース (2008年)
◎表紙ページに随時掲載している「気になるニュース」の2008年分です。

気になるニュース

視覚野の活動から画像を再現(08/12/12)

 国際電気通信基礎技術研究所(ATR)の研究チームは、脳血流量の変化を測定することにより目で見た図形を画像として再現できたと発表した。
 網膜で電気信号に変換された視覚情報は、まず後頭葉視覚野に送られ、そこで段階的に特徴分析が行われる。こうした分析を通じて抽出された特徴は、特定の神経細胞によって連合野に伝達されるため、この神経活動を網羅的に測定できるならば、原理的には視覚情報の内容を読み出せるはずである。しかし、活動電位を調べるために脳のあちこちに微小電極を刺し入れることは、現実には不可能だ。そこで利用されるのが、fMRI 装置によって比較的狭い範囲(数mm程度)での血流量の変化を外部から非侵襲的に測定し、間接的に神経活動を調べる方法である。このような fMRI による脳活動のデコーディング(処理された信号から元のデータを復元すること)は、ブレイン・マシン・インターフェースを開発するための基礎技術として、世界中で研究されている。
 視覚情報をデコードする目的でこれまで行われてきた研究は、主に、被験者にさまざまな図形を見せたときの血流変化のパターンを繰り返し測定し、図形と血流の間に対応関係を与えるというものだった。この対応関係を用いれば、血流パターンを調べることで、逆にどの図形を見ているかを推定できる。ただし、推定が可能になるのは、血流パターンとの対応関係が確立された特定の図形を提示した場合だけであり、脳の活動から何を見ているかが一般的にわかるという訳ではない。
 こうした従来の手法に対して、ATRの研究チームが採用したのは、提示する図形の特徴を少数の要素に分解し、それぞれの要素と血流パターンの間に対応関係をつけるというものである(専門的には、対応関係をつけるためのアルゴリズムが、今回の研究における最大の見所である)。血流パターンを測定すれば、被験者が目にしている図形の特徴がいくつかの要素の集まりとして与えられるので、それをもとに図形が再構成されると期待しても良い訳だ。実際に行われた実験では、アルファベットや丸・四角・十字など画素数が10×10の図形をかなり高い精度で再現できることが示された。また、2 秒ごとに測定したデータを個別に使っても再現性が良いので、動画再生も可能となる。さらに、再現の精度は1次視覚野(網膜からの信号を最初に処理する部位)のデータを使ったときが最も高く、高次の視覚野(1次視覚野からの信号を段階的に処理する部位)になるほど低くなることもわかった。
 今回の実験結果は、脳の活動から一般的な情報が読み出せたという点で興味深い。ただし、ある人の心象風景が再現可能になると期待できるほどの技術ではなく、どのように応用できるかも未知数である。
エチゼンクラゲ、姿消す?(08/11/16)

 2000年以降、秋から冬にかけて日本海沖に大量に出現して甚大な漁業被害をもたらしていたエチゼンクラゲが、今年はほとんど姿を見せていない。漁業情報サービスセンターによると、これまでに数件の報告しかないという。中国沿岸での発生数が減少したためとの見方もあるが、原因ははっきりしていない。
 クラゲの大量発生は、海の富栄養化と密接に関連すると考えられている。通常の海洋生態系は、珪藻などの植物プランクトンに始まり、これをカイアシ類などの動物プランクトンが、動物プランクトンを小型魚が、小型魚を大型魚や海鳥、海棲哺乳類が捕食するという食物連鎖が形成されている。海中全体に栄養が行き渡らずプランクトンの分布に偏りがある場合は、餌の豊富な海域に素早く移動して捕食できる個体が有利になるため、高次捕食者の大部分が脊椎動物(および巨大軸索を持つイカなど)で占められる。ところが、富栄養化が進んで、わざわざ動き回らなくても充分な餌が得られるようになると、無駄に動き回る脊椎動物は逆に生存に不利になってくる。さらに、栄養塩濃度が高まった水中では、カイアシ類の餌にならない小型の植物プランクトンが増殖、捕食されないままバクテリアによって分解されるが、その際に酸素が消費されるため水中の酸素濃度が低下する。こうした一連のプロセスの結果、運動量の多い魚類は減少し、代わって、あまり動き回らずに身の回りの餌を摂取するクラゲやヒトデなどが増加する。これらゼラチン質の生き物は、魚類とは異なる食物連鎖のブランチに属するため、大量発生しても捕食による個体数の調整はほとんど行われない。魚類を高次捕食者とする海洋生態系が崩壊した例は、これまで、チェサピーク湾、バルト海、黒海、瀬戸内海などで報告されてきたが、近年は、経済発展の著しい中国沿岸が問題視されている。
 海の富栄養化は、都市部から窒素やリンを大量に含む汚水が放出されること、および、干潟の干拓などによって汚水浄化能力の高いゴカイや二枚貝などの底生生物が減少することによって引き起こされる。しかし、生態系の崩壊に至るまでの過程はかなり複雑で、必ずしも充分に解明されていない。日本海沖におけるエチゼンクラゲの大量発生と急激な減少は、中国の経済動向と何らかの関係を持っていると推測されるものの、不明な点が多く、来年以降の予想も難しい。
南部・小林・益川3氏にノーベル物理学賞(08/10/07)

 スウェーデン王立科学アカデミーは、今年のノーベル物理学賞を、米シカゴ大名誉教授の南部陽一郎(米国籍)、高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所の元所長・小林誠、京都大名誉教授の益川敏英の3氏に贈ると発表した。受賞理由は、南部が「自発的対称性の破れの発見」、小林・益川が「CP対称性の破れに関する理論的研究」である。
 南部の研究は、自然界に本来備わっているはずの対称性によって質量を持てないはずの素粒子が質量を獲得するメカニズムを解明したもので、ゲルマンのクォーク仮説、グラショウ=サラム=ワインバーグの電磁弱統一理論とともに、素粒子論の分野で1960年代最大の業績と言われる。彼の論文はきわめて難解で、当初は賛同者が必ずしも多くなかったものの、その後、ヒッグスら後続の研究者が並の物理学者にも理解できるモデルを構築したことにより、素粒子論の基礎としての地位を確立した。しかし、クォーク仮説や電磁弱統一理論が加速器実験によって検証され、その提唱者が相次いでノーベル賞を受賞したのに対して、南部のメカニズムが実際に機能していることの実験的証拠がなかなか得られず、ノーベル賞確実と言われてから30年以上が経過した。現在なお実験による検証が行われたわけではないが、ヒッグスのモデルを確認するためのLHC実験が開始されたこともあり、今回の受賞につながったようだ。ちなみに、究極の物理理論と目される「超ひも理論」の出発点となった「ひも理論」を考案したのも南部である。
 小林・益川の研究は、粒子・反粒子の反応に見られる非対称性の起源を明らかにするもので、1970年代有数の成果とされる。ここ数年、常にノーベル賞候補として取りざたされていた。
 南部・小林・益川の業績は、いずれも素粒子の標準模型の基礎となっている。素粒子の標準模型は、言うなれば20世紀物理学の到達点であり、今回の3氏のノーベル賞受賞は、理論物理学における日本人の貢献度の高さを示している。
史上最大の加速器LHCが稼働(08/09/12)

 欧州合同原子核研究所(CERN)が総工費約5000億円をかけて完成した「大型ハドロン衝突型加速器(Large Hadron Collider; LHC)」が、10日から試験的な運転を始めた。本格的にデータが集まり始めるのは数ヶ月後、しばらくの間は粒子ビームの密度が高くならないため、最大の目標であるヒッグス粒子の発見は(できるとしても)2年以上先になる見込み。
 LHCの建設計画が本格的に検討され始めたのは1984年のこと。当時はアメリカで開発中のSSCと競い合っていたが、1993年にSSCが中止されると、これに参加予定だった約2000名の科学者がLHC計画に移る。1995年には、日本がヨーロッパ以外の国として最初に参加協力を表明、50億円の資金提供を申し出る(96年と98年にも資金協力を行い、計138.5億円となった)。さらに、インド(12億円)、ロシア(60億円)、カナダ(25億円)と資金提供が続き、最後にアメリカが250億円相当の建設協力を申し出て、LHCは文字通り世界的なプロジェクトとなった。
 LHCの物理的意義については、すでにいろいろな所で語り尽くされているので、ここではいくつかのトリビアを紹介する。
ペットボトルのリユース実験始まる(08/08/30)

 横浜市と柏市で、環境省によるペットボトルのリユース実証実験が開始された。ミネラルウォーターを充填した専用のペットボトルをデポジット(10〜20円)を上乗せした価格で販売、ボトル回収の際にデポジットを返却する。回収されたボトルは、洗浄後に利ユース品であることを明示した上で再びミネラルウォーターの販売に利用する。回収率・コスト・安全性の検証とともに、消費者がペットボトルのリユースを受け容れるかどうかが実験の課題となる。
 現在、日本では、容器包装リサイクル法に基づいてペットボトルをリサイクルしている。回収率は2006年度実績で66.3%と報告されており(PETボトルリサイクル年次報告書2007年度版)、数字だけ見ると、ヨーロッパの36.8%、アメリカの23.5%を大きく上回って世界最高水準に達している。ただし、リサイクルが成功していると言えるかは疑わしい。推奨されているリサイクルは、回収されたボトルを分別洗浄した後に破砕してフレーク・ペレットに加工、繊維やボトルなどの製品として再商品化するというもので、リサイクル法制定時には指定された再商品化事業者が実施することが想定されていた。ところが、現状では、回収量のほぼ半分が、主に中国に輸出されて繊維などの原料として利用されている(2004年度の推定では、回収量38万7千トンに対して推定輸出量19万5千トン)。これは、実質的に、回収コストを日本国内で(分別回収する市町村またはスーパーなどの事業者が)負担することで価格を引き下げたプラスチック原料を海外に提供することに相当し、循環型社会の実現という目標からははずれている。また、運搬の際の燃料や中国国内の非効率的な生産施設を考えると、環境負荷の低減につながっているとは言い難い。
 ペットボトルをボトルのまま再使用することは、破砕して原材料に戻すマテリアル・リサイクルに比べて、環境負荷が確実に小さい。再使用が可能なのは「リターナブル」と呼ばれるペットボトルで、30回程度の再使用に耐えるように通常のものよりも肉厚で頑丈に作られており、ドイツなどいくつかのヨーロッパ諸国で利用されている。リターナブル・ペットボトルの最大の短所は、傷が付きやすく、使用回数が増えるにつれて表面が目立って傷んでくることである。日本の飲料メーカーの場合、ガラス瓶に関してリユースを実施しているところはあるものの、傷ついたボトルに対する消費者のクレームを恐れてリターナブル・ペットボトルの導入には二の足を踏んでいる。さらに、利用者がボトルに飲料以外のものを入れたケースなどで、安全性が損なわれる懸念もある。ヨーロッパでも、消費者がリターナブル・ボトルを全面的に受け容れている訳ではない。ドイツにおけるノンアルコール飲料容器の場合、2000年には、リターナブルが65.1%(ペット13.0%、ガラス52.1%)、ワンウェイが16.1%(ペット7.1%、ガラス9.0%)、パックや缶などが18.8%だったのに対して、2006年には、リターナブル34.7%(ペット15.9%、ガラス18.8%)、ワンウェイ51.4%(ペット51.0%、ガラス0.4%)となっている(PETボトルリサイクル年次報告書2007年度版)。数字の上では、大半がリターナブルだったガラス瓶がワンウェイのペットボトルに置き換えられたことを意味する。
 日本でペットボトルのリユースが根付くかどうか、今回の実証実験の持つ意味は大きい。
帝王切開死の医師に無罪判決(08/08/21)

 2004年に帝王切開手術を受けた女性が大量出血により死亡した事件で、福島地裁は、業務上過失致死罪に問われていた執刀医に対し無罪判決を言い渡した。判決に当たっては、癒着胎盤だと気がつきながら無理に子宮から剥がそうとして出血を招いたことが死亡原因だと認めたものの、子宮摘出に切り替える判断を現場で下すのは難しく剥離継続は標準的医療行為だとする弁護側の主張を採用した。
 こんにち、日本は世界で最も安全に出産できる国の1つである。1940年には出産10万件当たり200以上もあった妊産婦死亡率は、2006年には4.8にまで低下した。この値はイギリスやフランスを下回り、スウェーデン・カナダ・ドイツなどとともに最優良グループに属する(シエラレオネなどアフリカのいくつかの国では、妊産婦死亡率(出産10万件当たり)は1000を越える)。しかしそれでも、健康な若い女性にとって、妊娠・出産時のトラブルが自殺・事故を除いたときの主要な死亡原因の1つであることに変わりはない(*)。妊娠・出産はそもそも母体に大きな負担を与えるものであり、もはや医療技術の進歩だけで妊産婦死亡率のさらなる低減を実現することは難しい。そこで必要になるのが、トラブルに関する原因究明とリスク情報の共有化を図り、もって再発防止を推進するシステムを作ることである。
 こうした観点からすると、今回の裁判のように悪意のない医療従事者の刑事責任を追及することは、デメリットの方が大きい。医療のように高度に技術的な分野では、誰もが重大なミスを犯し得る立場にあるので、トラブル発生時に責任を問われないように、自分に不利な情報を隠蔽するようになるからである。東京大学医学部の冲中重雄教授が1963年に行った最終講義で「教授在任中の誤診率は14.2%」と発表したことは有名だが、それから半世紀近く経過した現在でも、誤診率がこれより改善されているとは考えにくい。診断技術は進歩しているものの、新たに分類された疾病が増えており、中には判別の困難な境界的な症状を示すものが少なくないためだ。特にプライマリーケア(初期診療)においては、正確な診断を下す方が難しい。医薬品の種類も1桁増え、操作の分かりにくい医療機器もあふれている。2004年には厚生労働省の調査によって、複数の医療機関でコンピュータ制御を行う放射線治療器の初期設定を誤っていたことが判明した。こうした状況下では、常にミスのない医療を期待することはできない。たまたま重大な帰結を招くようなミスがあったときには、ミスを犯した当事者の責任を追及するよりも、なぜミスを犯したかを明らかにし、再びトラブルが起きない方策を考案する方が建設的である。医療トラブルの被害者に対しては、過失の有無で金額が左右される損害賠償よりも、被害の程度に応じて保険金が支給される損害保険で対処すべきだろう。
 最近では、訴訟を恐れて産科医のなり手が見つけにくくなっているという。こうした状況を変えていくためには、医療トラブルに際して、故意が認められず標準的医療からの明らかな逸脱がない場合は免責とし、原因究明と再発防止に重きを置くように方向転換していくのが望ましいだろう。
(*)厚生労働省の人口動態統計(2006年)によると、自殺・事故を除く20代女性の死亡原因の第1位はガン(悪性新生物)で337人、次いで心疾患(116人)となっている。妊娠を原因とする死亡者の年齢別データは見あたらないが、全年齢で死者数63人である。
火星の水を確認(08/08/02)

 米航空宇宙局(NASA)は、火星探査機「フェニックス」により「水の存在が確認された」と発表した。地球以外の天体で水が確認されたのは初めて。
 フェニックスは、バイキング1号・2号、マーズパスファインダー、スピリット、オポチューニティに続いて6番目に火星着陸に成功した探査機で、これまで過半数の火星探査プロジェクトが失敗している中、エアバックではなくパラシュートと逆噴射ロケットを使用するという難しい方式での着陸を敢行した。着陸後は長さ2.4メートルのロボットアームを用いて表面から数センチの土壌を採取、何度もの失敗を経た後に機内の加熱器に運んで成分を分析したところ、水蒸気が確認されたという。過去に液体状の水が火星表面に存在したことは、地形の特徴からほぼ確実と見なされており、その一部が氷となって今なお表面付近に残存している可能性が高いと考えられてきたが、今回の実験により、それが実証されたことになる。
 液体状の水の存在は、生命の誕生に重要な役割を果たす。水分子H2Oはくの字型に折れ曲がって大きな電気モーメントを持っており、これが高分子膜の安定化やタンパク質の構造変化を引き起こすからだ。多くの研究者は、水がなければ生命は発生できないと考えているが、逆に、水が存在した場合にどの程度の確率で生命が発生するかは、ほとんどわかっていない。今後はさらに有機物の探索へと進むが、数十億年前の火星に何が起きていたか、夢は尽きない。
安全性評価の見直し相次ぐ(08/07/13)

 比較的レベルの低いリスクを持つ物質の安全性評価に関して、見直しを促す報告が相次いでいる。
 インフルエンザ治療薬タミフルを巡っては、2007年に服用した患者77人に飛び降りなどの異常行動が見られるとの報告があり、2007年3月から10代への使用が制限されてきた。しかし、18歳未満のインフルエンザ患者1万人を対象とする調査によると、タミフル服用者(7487人)で異常行動が現れたのが11.9%であるのに対し、服用しなかった患者(2228人)では12.8%で、両者の間に差が認められなかった。このため、厚生労働省の研究班は、タミフルの服用と異常行動の間に因果関係はないと報告(7月10日)、これを受けて、10代への投与が解禁される見通しである。専門家の間では、以前からタミフルと異常行動の関係を疑う声が強かったが、今回の報告は、それを裏付けるものと言える。
 一方、90年代後半に内分泌攪乱物質(環境ホルモン)の1つとして騒がれ、その後、体内で代謝されるため安全だという見方が強まっていたビスフェノールAに対して、厚労省は、食品安全委員会に改めて安全性の評価を依頼すると発表した(7月8日)。これまでのところ、ビスフェノールAやこれを原料とするポリカーボネイトに明確な危険性があるという報告はない。アメリカ国家毒性プログラムは、主にマウスやラットを用いた実験を元に、「生殖系への有害影響」については「無視できる懸念」、「思春期早発の可能性」は「ごくわずかな懸念」としたものの、胎児や乳幼児における「神経や行動への影響」には「何らかの懸念(some concern)」があると報告した(2007)。欧州食品安全機関は耐容1日摂取量(それ以下の摂取ならば危険性が認められないという量)を体重1kg当たり0.05mgと定めており、ポリカーボネイト製哺乳瓶を利用する生後6ヶ月の乳児でも、この基準値の4分の1程度しか摂取していないために安全だとしている(2007)。
 また、韓国では、李明博大統領が4月の訪米で米国産牛肉の輸入制限撤廃を決めたことに国民が反発、大規模な抗議運動に発展した。6月の追加交渉で生後30ヶ月以上の牛肉の輸入禁止が盛り込まれたものの抗議運動は収まらず、7月7日には農水産品相ら3閣僚を更迭するに至った。BSE感染牛を摂取することで人間が変異型クロイツフェルト・ヤコブ病に罹患する危険性に関しては、肉骨粉を飼料として用いないなどの措置に加えて「特定危険部位の除去」を徹底させれば回避できるとの説が有力だが、安全限界に関する見解は国によって異なっている。米国は危険部位の除去は月齢30ヶ月以上の牛だけで充分だとしており、ヨーロッパでも、特定危険部位の1つである脊柱を除去しなければならない牛の月齢を30ヶ月以上に引き上げる欧州委員会規則が2008年に採択された。これに対して、日本は世界で最も厳しいとされる制限(全ての牛肉における特定危険部位の除去、米国からの輸入牛肉は月齢20ヶ月未満に限る)を維持しており、自治体による自主的なBSE全頭検査も行われている。ただし、月齢20ヶ月未満の牛のBSE検査に対する国庫補助の打ち切りなど、安全基準が見直される動きもあり、状況は流動的である。
 低レベルのリスクを厳密に評価して科学的に妥当な安全基準を設けることは、現実問題としてきわめて難しい。今回の3つのケースは、安全性を巡る議論の難しさを浮き彫りにしたものと言える。
ダビング10がスタート(08/07/04)

 デジタル放送のコピー制限を大幅に緩和する「ダビング10」が、7月4日午前4時に解禁された。著作権団体と機器メーカの対立から6月2日スタートの予定がキャンセルされ、一時は北京五輪前の解禁が危ぶまれる状況だったが、著作権団体側の譲歩もあって何とか実現にこぎ着けることができた。
 コピー制限は地上デジタル放送が始まって間もない2004年から導入されたが、当初からさまざまな問題を抱えていた。「コピーワンス」と呼ばれる従来のコピー制限は、その名に反して1回もコピーができず、HDDに録画した場合に他のメディアへの移動が1回だけ許されるという厳しいものである。編集が制限されて使い勝手がきわめて悪い上に、DVDが不安定なメディアであるにもかかわらずバックアップの作成が許されず、DVDへの書き込みが失敗するとHDD上のデータもろとも記録が全て消失するというリスクを伴っていたため、映像コンテンツ愛好者には圧倒的に不評であり、デジタル放送普及の妨げになっていた。このため、2007年に総務省の諮問機関である情報通信審議会が10回程度コピーできる方式を提言、それを受けて今回の解禁に至った訳である。ただし、ダビング10実施の条件とされていた「クリエータへの適正な対価の還元」に関しては、補償金に関する議論をダビング10実施時期の決定から分離するという形で先送りされた。
 ダビング10になって制限がずいぶん緩和されたとは言え、無料放送にコピー制限のための信号を付け加え、B-CASカードのような強制的な方式で受信システムの製造・販売を制限するという厳しい規制を実施しているのは、世界中で日本だけである。ワンセグ・iPod・YouTubeの人気の高さからも窺えるように、最近の利用者の嗜好は、画質・音質が多少犠牲になってもかまわないから、好きな時に好きな場所で好きなコンテンツを視聴するというものである。携帯機器へのコピーやパソコンでの編集が制約され、「高画質は保てるが利便性には欠ける」という現在のやり方は、利用者側の要望に即しているとは言えない。デジタルデータはダビングによる劣化がないため、海賊版の流通を防ぐ方策を講じなければならないのは確かだが、厳しすぎる規制は放送文化そのものの衰退を招くことになりかねないだろう。
諫早堤防の開門命じる(08/06/27)

 諫早湾干拓事業によって漁業被害を受けたとして漁業者が潮受堤防撤去・排水門開門を国に求めた裁判で、佐賀地裁は、堤防閉め切りと堤防近辺の漁業被害の因果関係を認め、排水門を5年間にわたり常時開放するように命じた。
 諫早湾干拓は、1952年にコメ増産の目的でスタート、その後、都市用水確保、高潮に対する防災機能強化と目的を変えながら続けられた。総事業費は当初計画から大幅に膨れ上がって2500億円に達し、「一度始まったら止められない巨大プロジェクト」の象徴的存在となった。事前の説明では周辺漁業への影響は小さいとされていたが、1997年に潮受堤防が完成してから大規模な赤潮が発生するようになってタイラギ(高級食材となる二枚貝)漁が壊滅、さらに2001年には有明海全体で養殖ノリの色落ち被害が深刻になった。有明海では、筑後大堰の建設や熊本港の拡張といったさまざまな環境改変工事が行われており、家庭や事業所からの排水の流入による富栄養化も進んでいるため、諫早湾干拓事業が有明海全体に見られる漁業被害の主因かどうかははっきりしない。しかし、潮受堤防周辺における潮流の変化が確認されていること、干拓前は300種に上った湾内の底生生物のうち海水浄化能力の高い二枚貝やゴカイがほぼ全滅したことなどから、少なくとも堤防周辺に見られる海洋生態系の激変が諫早湾干拓事業に起因することは確実である。
 ただし、排水門の開放が実際に行われたとしても、問題解決にはほど遠い。すでに底生生物による海水浄化機能が失われている上に、南北2つの排水門を開放するだけでは潮の流れを回復させることは難しい。堤防内部の調整池は水位を海面より1メートル程度低く保つことで高潮被害を防ぐ役割を果たすとされており、排水門の常時開放は防災機能を阻害する。干拓地では一部で営農が始まっているが、淡水化されている調整池に海水が流入して灌漑用水が確保できなくなる可能性もある。ひとたび自然環境を大規模に改変すると、その影響は計り知れない。
五輪でスピード社水着使用へ(08/06/13)

 日本水泳連盟は、北京五輪で代表選手が着用する水着について、どのメーカーの製品でも自由に選択できると決定した。これを受けて、北島康介ら一部の選手は、世界的に新記録ラッシュをもたらしているスピード社製レーザーレーサー(LZR)を使用すると表明している。
 LZRの最大の特徴は、身体を強く締め付けることによって体型そのものを変えてしまう点にある。従来の競泳用水着は、縫製や素材を工夫して摩擦抵抗を減らすものの、選手の動きやすさを重視してあまり強く締め付けないように作られていた。これに対して、LZRは、逆に強い締め付けによって脂肪や体液を移動させ、強制的に「理想の体型」を実現することを目標としている。臀部を締め付けて矯正することで、下半身を浮き上がらせる効果もあるようだ。秒速1〜2メートル程度の一定の流れがある水中に置かれた人間サイズの物体に作用する力は、(流体の振舞いの目安になるレイノルズ数が106程度と大きくなるため)簡単な計算では求められないが、大雑把に言って、物体の断面積が大きく、凸部の背後で複雑な乱れが生じるほど大きな抵抗力となる。したがって、断面積が小さく、丸い前縁から尖った後縁へと滑らかに続く「流線型」にすることで抵抗を小さくできる。人間が泳ぐ場合には体を複雑に動かすので、簡単なモデルに基づく流体力学の結果をそのまま使うことはできないが、スピード社は、世界的なスイマー400人の体型データを集めるとともに、NASAの協力を得て水槽での実験を繰り返し、試行錯誤の末に抵抗を大幅に低減する水着の開発に成功した。プレス発表によると、LZRはスピード社の従前の水着より抵抗が5%少ないという。
 日本の水着メーカーは、縫い目がなく軽量で撥水性の高い素材を開発することにかけてはスピード社に引けを取らないが、身体を締め付けるという基本的なコンセプトの点で遅れを取ったわけである。今後は、同一コンセプトに基づく競泳用水着の開発競争が繰り広げられるかもしれない。ただし、強く締め付ける水着を長時間にわたって着用した場合に血流障害など健康への悪影響が生じないかは、きちんと見定める必要がある。
宇宙基本法が成立(08/05/23)

 宇宙開発の目的を「非軍事」から「非侵略」に拡張する宇宙基本法が、自民・公明・民主などの賛成多数で成立した。日本は、1967年に防衛目的での宇宙利用を容認する宇宙条約を批准したものの、国内で行う宇宙開発は、1969年の国会決議に基づいて平和目的に限定されていた。しかし、アメリカや中国が宇宙軍拡に積極姿勢を示していること、長距離ミサイル攻撃に対する不安が払拭できないことから、高解像度偵察衛星の打ち上げや防衛省によるその所管を可能にする法整備が行われた。
 国際的に見ると、宇宙軍拡の動きが活発になったのはここ1〜2年ほど。2006年10月、ブッシュ大統領が宇宙活動における安全保障原則の重要性を強調した「国家宇宙政策」を採択、その3ヶ月後には、中国が自国の老朽化した気象衛星を撃墜するというアメリカ・ロシアに続く20数年ぶりの衛星破壊実験を行った。中国の示威行動に応えるかのように、アメリカも2008年2月に改めて衛星破壊を実施(米国防省の発表によると、有害物質ヒドラジンを搭載した衛星が制御不能になったため、地上に落下する前に破壊したというもの)、宇宙空間は急速にキナ臭くなりつつある。
 宇宙での軍拡競争がはらむ最大の問題点は、費用が莫大になること。衛星打ち上げに機体1kg当たり数百万円のコストが掛かるほか、メンテナンス費用もかさむ。相手国の対抗策に応じて、頻繁に機材を更新する必要も生じる。しかも、いざ戦時になると、軌道上には隠れる場所がないため、対衛星攻撃兵器や電波妨害システムによって簡単に無力化されてしまう。衛星が物理的に破壊されると、多数の宇宙デブリをまき散らし、あらゆる宇宙船にとって脅威となる。中国による気象衛星の撃墜の際には、高度200〜4000kmの範囲に大きさ数センチ以上のデブリが何千個もばらまかれたと言われる。衛星軌道から得られる気象や地殻変動の情報には有用なものが多いので、自前の衛星を持つことは必要だろうが、無意味で弊害の多いシステムに資金がつぎ込まれないように、監視の目を光らせるべきだろう。
日本人は集団主義でない?(08/04/26)

 周囲に同調する傾向性に日米間で差がないとする実験結果が、東京大学などの研究グループによって報告された(2008年04月26日付け日経新聞)。実験は、同じサークルの学生5〜9人に、1本の線が書いた紙と、長さがはっきりと異なる3本の線が書いた紙を同時に見せ、1本の線と同じ長さの線を3本の中から選んでもらうというもの。実験参加者は、一人を除く他の全員がサクラで、不正解の線を選ぶように指示されていた。サクラに同調して間違った線を選ぶ割合は、日米とも変わらず25%だったという。
 この結果が社会心理学的に何を意味するか、即断することはできない。「アメリカ人は個人主義、日本人は集団主義」という“通説”を覆すという見方もあるが、そもそも、この通説の信憑性自体があまり高くない。個人主義−集団主義という対立的な類型の定義や、類型を適用する方法の妥当性を巡って、社会心理学者の間で意見の対立が見られるからである。たとえ類型の存在を受け容れたとしても、日米での傾向に関して一般的な合意があるわけではない。
 例えば、アメリカ人は意外と集団主義的だという指摘は、以前から何人かの社会心理学者によってなされていた。例えば、リースマンの古典的な著作『孤独な群衆』では、アメリカの若者には周囲に意見を合わせようとする「他者志向的」な性格類型が多く、社会全体に画一主義が拡がっていると論じられている。モハメド・アリのチャンピオン剥奪を例に上げて、禁忌を犯すトリックスター的な存在に対する排斥圧の強さを指摘する論者もいる。一方、日本人に関しても、必ずしも集団主義的でないとする主張が少なくない(山岸俊男著『心でっかちな日本人−集団主義文化という幻想』など)。
 個人主義−集団主義という対立軸に、さらに「他者との差異を重視するか否か」に関する縦型−横型という対立軸を絡めて論じるべきだという意見もある。この観点から、縦型個人主義(「他人よりうまく自分の仕事をすることが重要だ」など)、横型個人主義(「ふだん自分のしたいことをする」など)、縦型集団主義(「自分が好きなことでも家族に反対されたらあきらめる」など)、横型集団主義(「他人と協力すると気分がいい」など)の4パターンに関して、アンケート調査が行われた(R.Ohashi, 放送大学研究年報 22号)。興味深いことに、その結果によると、個人主義−集団主義の軸では日米間の差異はあまりなく、むしろ縦型−横型の軸で「縦型のアメリカと横型の日本」という違いが明確に見られる。
 個人主義−集団主義という類型は、一般に思われているほど明解なものではない。そのことを踏まえた上で、今回の線の選択に関する実験結果の持つ意味を改めて考えてみるのも一興だろう。
住基ネットは合憲(08/03/07)

 住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)は個人のプライバシー権を侵害し違憲だとして住民が起こした訴訟に対し、最高裁は住基ネットの合憲性を認める初判断を下した。これに伴い、住基ネットを違憲とした大阪高裁判決を破棄、合憲とした東京・名古屋両高裁の判決を支持し、大阪など4訴訟に関しては住民側敗訴が確定した。
 住基ネットは、全ての国民に住民票コードを割り当て、これを元に氏名・住所・性別・生年月日の4情報を全国的に一元管理するシステムで、転出・転入などに際しての行政事務が大幅に効率化されるというメリットがある。その一方で、端末から個人情報が大量流出する危険性も無視できない。今回の最高裁判決では、上記4情報が社会生活を営むに当たって一定の範囲で公開されるもので、「秘匿性は高くない」として住基ネットの合憲性を認定した。しかし、この4情報に限られていたとしても、コンピュータからまとまって流出すれば、紙に書かれた台帳とは異なり、データ処理を通じてそこからさまざまな情報を引き出し得ることを看過すべきではないだろう。例えば、特定地域に住む一人暮らしの若い女性のリストを作成することは容易にできる。住基ネットからデータの大量流出が起きないことを保証するためには、端末からはパスワードを入力して1件ずつデータを引き出すことしかできない、窓口のコンピュータはハードディスクを装備しないタイプのものとする−−といったシステム面での安全対策が必要になるが、現在の自治体がそこまで配慮をしているとは思われない。
 ただし、セキュリティが保証されれば、住基ネットに基づいて発行される住基カードは有用性が高いと考えられる。現在、顔写真の入った身分証明書として通用するのは運転免許証とパスポートだが、いずれも所有していないという市民は意外なほど多く、民間サービスを受ける際に不便を来している。住基カードには顔写真入りのもの(様式第2)があるため、これが一般的に通用する(例えば、レンタルDVDの入会申請が受け付けられる)ようになれば、高齢者を中心に多数の人が便益を受けるはずである。
東芝、HD-DVDから撤退へ(08/02/17)

 互換性のない2つの規格の間で繰り広げられてきた次世代 DVD の規格争いは、HD-DVD の主要メーカである東芝が撤退する見通しとなったため、ブルーレイ・ディスク(BD)陣営の勝利で決着が付く模様。現行の DVD より高画質・大容量となる新規格の主導権争いは2002年頃から激しくなり、既存の DVD 生産ラインがそのまま転用できて低価格を見込める HD-DVD と、全く新しい方式で高機能を実現した BD が対立していた。結局、BD を標準規格にすべく多くのメーカとの協力体制を取ったソニー・松下の戦略が功を奏し、先に技術を開発して特許戦略による囲い込みを目指した東芝を敗北に追い込んだ。主要映画会社も BD に一本化してソフト販売を行う見通し。
 メディアの規格を巡る争いとして有名なのが、1970〜80年代の VHS とベータの対立。ソニーが開発したベータ方式が先に商品化されたものの、後を追う VHS 陣営が対ソニー共同戦線を張って市場を味方に付け、最終的に勝利を収めることになった。こうした規格の対立は、“負け組”を購入した消費者の不利益となるため、メーカ側が事前に協議して回避すべきだとの見方もあるが、必ずしも社会全体にとって不利益になるとは限らない。VTR 戦争の際には、VHS 陣営の追撃を受けたソニーがハイファイ・ハイバンドなどの高機能を次々と実現、一方の VHS 陣営は録画時間の延長と低価格化で対抗した。発売当初は数十万円もした VTR が数万円まで急激に値下がりしたのは、規格争いの副産物とも言える。これに対して、開発元のフィリップスが決めた規格がそのまま標準となった録音テープの場合、もともと簡易録音用と見なされ逆回転防止などの基本機能が実装されていなかったため、テープが駆動部に巻き込まれるなどの不具合が多発し、テープ録音に頼っていた音楽ファンを泣かせる結果となった。
 機能向上と低価格化をもたらす適度な競争は消費者にとって好ましいが、かと言って負け組となる製品は購入したくない。また、店側としても、複数の規格を用意するのは在庫が増えて負担となる。このため、普及期に入る前の一部マニアが購入している段階で規格争いが決着するのが、消費者や市場が最も望む形である。今回の次世代 DVD 争いは、結果的に、消費者や市場の望み通りになったとも言える。もっとも、インターネット配信が盛んになりつつある中で、次世代 DVD がかつての VTR や現行 DVD ほど普及するかは微妙なところ。映像の画質は現行 DVD で既に大半の消費者の要求水準に達しているため、それ以外で大きなメリットが提示できなければ、爆発的な売れ行きとはならないだろう。
細菌のゲノムを合成(08/01/25)

 米クレイグ・ベンター研究所は、細菌の一種 Mycoplasma genitalium の58万2970塩基対から成るゲノムを人工的に合成したと発表した。Mycoplasma genitalium は、非淋菌性尿道炎を引き起こす病原体だが、最小のゲノムを持つ生物としても知られる。ヒトゲノム解読に貢献したことで有名なベンター所長に率いられた研究チームは、病原性のブロックと合成遺伝子であることを示す標識の挿入を別にして、全遺伝子を含むDNAの合成に成功した。合成の手順は、(1)まず5〜7千塩基対の小さなDNA断片を化学的に作り、(2)これらをつなぎ合わせてゲノムの1/4程度のDNAにする、(3)この1/4ゲノムをクローン技術で増やし、(4)最終的に4つの1/4ゲノムを酵母菌の内部で1つにまとめる−−というもの。合成されたDNAが正しい塩基配列になっていることも確認された。
 今回の研究ではDNAの合成までしか行われなかったが、このDNAを細胞に挿入すれば、人工細菌を作り上げることも可能となる。ウィルスの人工合成ならば、すでに2002年に米ニューヨーク州立大学の研究チームがポリオ・ウィルスで成功しており、日本でも、東大医科研でインフルエンザ・ウィルスなどの合成の研究が行われている。しかし、細菌はウィルスとはけた外れに巨大で複雑であり、その作出技術はさまざまな応用の可能性を孕んでいる。有害物質を分解したり廃棄物から燃料を合成したりするような有用な細菌を人工的に作ることも、夢ではない。その一方で、強い病原性を持つ細菌の作出を可能にする危険な技術でもある。
 この技術を巡って、研究の促進と規制をどのように進めていくかが大きな課題となる。
サルは先験的に顔を識別(08/01/06)

 産業技術総合研究所の研究チームは、顔を見せないようにして育てた幼いサルでも、顔とそれ以外の物体をはっきり識別できることを明らかにした。さらに、初めて実際の顔を見せたところ、最初に見た顔に関する識別能力が向上し、わずかな変化も捉えられるようになったという。
 実験に用いたのは、飼育者が覆面などで顔を隠し、顔に似た映像も全く見せないようにして6〜24ヶ月育てたサル(ちょっとかわいそう)。このサルの顔識別能力を次のようにして調べた。
1. 実物の「顔」を見せる前に「顔写真」を使って行った実験
(1) サルやヒトの顔写真と顔以外の物体(時計・風鈴・自動車など)の写真を提示すると、顔写真を好んで注視した。これは、顔を見ないで育ったにもかかわらず、顔とそれ以外の物体を識別できることを示している。ただし、顔以外の物体は左右非対称になる角度から撮影されており、単なる対称性に興味を示したのか、より具体的な何か(例えば、左右に並んだ眼)に注目したのかは明らかでない。
(2) ある顔写真を長く見せた後、同じ顔写真と別の新しい顔写真を同時に提示すると、新しい顔写真を好んで注視した。これは、見慣れた顔とそうでない顔を識別したことを示している。また、同じサルやヒトの顔写真でも、口だけを別のサルやヒトの口の写真と入れ替えたり、眼の間隔を変化させたりしたところ、些細な相違も識別できたことから、顔の識別能力はかなり高度であることがわかる。
2. 実物の「顔」を1ヵ月間見せ、その後「顔写真」を見せて行った実験
(1) ヒトの顔だけを見せた後には、サルの顔に対する興味をなくし、見慣れた顔と新しい顔の識別能力も、ヒトの顔に対しては維持されたものの、サルに対する能力は喪失した。
(2) サルの顔だけを見せた後には、(1)と逆の能力変化が生じた。
3. 実験後に通常の飼育室で育てて回復経過を観察
他のサルやヒトの顔を見ることができる飼育室で2年半が経過したが、サルあるいはヒトの顔に対する失われた識別能力が回復することはなかった。この結果は、顔の識別能力の獲得に関して感受性の高い時期が存在することを示唆する。
 人間の場合でも、乳幼児はサルの顔を識別することができるが、大人になるにつれてその能力を喪失すると言われている。人間の認識能力がどこまでが先験的でどこから経験に依存するかは、ギリシャ哲学以来の認識論の大問題だが、科学的方法論に基づいてこれに答えることが可能になりつつあるようだ。
【参考】科学技術振興機構報 第456号
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