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第2章.平和利用の名の下に


§1.研究室からマーケットへ
§2.マンハッタン計画
 §1と2は、「20世紀の物質像」第1章と重なるので、省略する。

§3.Too Cheap To Meter


アメリカにおける原子力の平和利用
第2次世界大戦が終結すると、アメリカでは、原子力の利用法に対する見直しが始まった。核エネルギーの最初の解放が爆発物だったという忌まわしい記憶を払拭しようとしてか、科学評論家による未来予測として、原子力を利用した高速鉄道や地域暖房などの夢のような話が語られるようになるのも、この頃からである。
制作として最初に行われたのは、原子力の管理を文官に移行することである。戦争終結後も、グローブズ将軍が総指揮に当たったマンハッタン計画と同様に、原子力を軍人がコントロールする体制を維持しようとする勢力が存在した。しかし、軍部に強大な力を管理させることへの懸念は強く、1946年の原子力法の成立と、これに基づく1947年の原子力委員会(AEC)の発足を通じて、体制の変革が実現された。それまで政府と軍の指導の下に企業や大学が委託管理を行っていたマンハッタン計画の軍事生産施設は、文官で構成されたAECによって一元的に管理されることになる。
もっとも、原子力委員会は、その発足時点から多くの矛盾を抱えていた。最大の問題は、軍部に対抗するために、原子力委員会に諸権限が集中しすぎたという点である。文官による管理体制に移行したとはいえ、国内勢力に配慮しつつ、マンハッタン計画の膨大な投資を回収する使命を背負わされた委員会は、戦後しばらくの間、軍事用の核物質の生産、水爆・原子力艦船の開発を推進することになる。原子力委員会は、こうした課題を処理する唯一の公的機関であり、これを牽制する役割を担った第3者的な機関は、アメリカ国内にはそもそも存在しなかった。こうして、オークリッジのウラン生産工場の増強など、53年までに60億ドルの投資を行うことが、決定されている。
原子力の平和利用は、1954年の原子力法改正を経て、重要な政策課題となる。当時のアイゼンハワー大統領は、"Atom for Peace"政策を掲げ、原子力の非軍事利用を訴えた。具体的には、政府の援助の下に民間電力会社による原子力発電が推進されることになる。
ここでも、原子力委員会は、一元化された権限を活用することになる。原子炉で核燃料として使用される濃縮ウランは、原子力委員会が「合理的料金」で供給することが定められていたが、実際には、政策的な観点から、発電コストなどに基づく試算値の1/3程度に抑えた廉価な料金で認可された業者に貸与された。
原子力の「平和利用」の動きは、50年代末に加速される。この時期は、それまで軍事用として生産されてきた核燃料が飽和状態に達していたほか、1954年にソ連が、57年にイギリスがそれぞれ実験的な原子力発電に成功しており、世界的に原子力に注目が集まっていた。アメリカでは、すでに54年に原子力潜水艦ノーチラス号を完成させていたが、発電用原子炉を実働させたのは、57年におけるシッピングポートでの6万kw加圧水型原子炉の運転が最初である。これ以降、原子力委員会は、「発電炉実証計画」を策定し、建設費の助成と燃料賃借料の免除などの優遇措置をとりながら、原子力発電の発展に力を注いでいく。


安全性評価
原子力委員会を中心とする一元的な管理体制によって推進されたことは、原子力発電についての客観的・中立的な評価を曇らせる結果を招いた。いわゆる産官学共同体制において、他の組織から自立した立場にある大学は、科学的・客観的な研究に基づいて安全性や経済性などについての評価を行い、さらに、政府や企業が機密扱いにしたがる研究内容を(契約などで規制されない範囲で)公開する役割を果たすことが要請される。しかし、一元的な管理が行われている体制下では、関連研究を委託された科学者が必ずしも客観的な評価を行えるわけではなく、また、研究内容が公表されるとは限らない。
放射線の許容量についての研究は、主として、広島・長崎の被曝者に対する調査(被曝者たちはアメリカから医療チームが来たと勘違いしたようだが、実際は、人体に対する放射線の影響を測定するものだった)をもとにして行われた。こうした研究を通じて、「放射線被曝には絶対に安全というレベルはない」ことは確認されていたが、被曝線量と健康被害との量的関係を決定するほどのデータを集めるには到らなかった。しかし、原子力開発を押し進める上で必要となる最大許容量の決定を迫られていたアメリカ放射線防護委員会は、1946年に提出された報告書で、明確な医学的根拠のない数値を与えている。なお、広島・長崎のデータは、空気中の水分による放射線の吸収を考慮に入れずに、人体に照射された被曝線量を過大に評価していたため、1980年代になって、放射線がもたらす健康被害の見直しが行われている。
原子力発電所の安全性に関する最初の評価は、1955年にブルックヘブン・チームがまとめた「大規模原発における大事故の理論的可能性と結果」であろう。この時点で、商業的な原子炉は操業されておらず、多くの暫定的な仮定を含む不完全な内容ではあったが、それなりに示唆に富むものであった。この報告では、人口100万人の都市から50kmの地点にある10〜20万kwの原発が想定されており、核分裂生成物が放出される大事故の確率は1基あたり10万〜10億年に1回、最悪のケースでは、死者3400人、障害を受ける者4万3000人、被害総額70億ドルに上るとされている。
スリーマイル島原発やチェルノブイリ原発の事故を経験した現在では、この見積もりも、やや楽観的であるように思われるが、当時としては充分に衝撃的な内容だった。事故確率の最大値である10万年に1回という数字は、かなり低いものに見えるかもしれないが、仮に1000基の原発が稼働しているとすると、多くの人が、一生の間に1度は大規模原発事故に出会うことになるので、決して小さい数字ではない。まして、その経済的な打撃が、アメリカの1つの州の財政を揺るがすほどの金額になれば、なおさらである。原子力委員会にとってあまり好ましくないこの報告内容は、長い間、公表されずにいた。
原子力を推進する立場から見て好ましい安全性評価は、1974年にラスムッセンに率いられたチームによる「原子炉安全性研究」において示された。この報告では、事故が起きる確立を、NASAで用いられた障害樹(fault tree)分析によって計算している。例えば、2つの安全装置が同時に故障しなければ起きないタイプの事故の発生確率は、それぞれの装置が故障する確率の積で与えられる。こうした計算法によると、大規模事故の確率は、原子炉1基あたり10億年に1回となり、ほとんど無視できることになる。この内容は、原子力発電の安全性を示すデータとして利用された。
ラスムッセン報告に対する批判は、1976年のウェッブらの研究など数多くあるが、何よりも、スリーマイル島原発の事故が、見事な反例になっている。このケースでは、原子炉内部で何が起きているかを示す表示がないまま次々と点灯するアラーム信号に動転した運転員が、コンピュータによって自動的に起動された安全装置のスイッチを手動で切ってしまい、事故の拡大を招いている。大事故とは、「ドミノ倒し」のように一連の出来事の連鎖として起きるものであり、2つの出来事が重なる確率がそれぞれの発生確率の積になるような独立事象の集まりではないのだ。


経済性評価
原子力発電の経済性についても、充分に客観的・中立的な評価がなされなかったことを指摘しておきたい。
戦後まもなく原子力発電の可能性が示唆されて頃は、石油火力発電と比較した場合に、同じ電力を作るのに必要な燃料費が遙かに低いことから、"Too Cheap to Meter"(計れないほど安い)と言われたこともあり、「原子力発電は廉価だ」というイメージがアメリカ国内にあった。さらに、1964年にコスト面で原子力が火力に勝るという具体的な報告書が提出されると、一種の原発ブームが到来し、多くの原子炉が発注されることになる。
しかし、電力会社にとっては不幸なことに、原子力発電は決して安くはなかった。70年代には、物価の上昇もあって建設費が異常に高騰する。67年に着工され72年に運転を開始した原子力発電所の建設費が1億3400万ドルだったのに対して、78年着工/88年運転開始のそれは、実に15億ドルにも上る。80年代の見積もりでは、原発の建設コストは、火力発電所のほぼ2倍となる。膨大な放射性物質の処理が必要となる解体の費用を上乗せすると、この差はさらに拡大する。また、放射性物質の管理に費用を取られる運転費の面でも、原子力は石油火力の2倍近くになる。燃料費は、石油の方が原子力の3倍近くかかるものの、トータルでは、原子力発電の方が、石油火力発電よりもコスト的に不利だと試算されている。

発電コストの見積もり(日本、86年度運転開始)
原 子 力 石炭火力 石油火力
資本費
運転費
燃料費
6.27
2.16
2.00
10.43
5.57
2.25
4.13
11.95
3.25
1.07
5.93
10.24


《考えてみよう》
1930年代から40年代にかけてアメリカで原子核研究に携わっていた科学者の多くは、核エネルギーが巨大な力を持つことを知って自ら学問の自立性を放棄し、政府と軍が指導する組織的研究に身を投じることになる。こうした科学者の態度についてどう思うか。現在でも、遺伝子操作やクローニングなど、その成果が人間社会に深甚な影響を及ぼしかねない研究があるが、こうした研究において、科学者は何を規範とすべきだろうか。政府による介入が必要だとすれば、科学者と政府はどのようなスタンスをとるのが好ましいか。


©Nobuo YOSHIDA