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第3章.細菌との闘いの果て


§1.病原体概念の成立

病原体としての微生物
 19世紀のヨーロッパでは、病気の原因として、内因説と外因説が対立していた。ベルナールらによって提唱された内因説では、病気は体内のバランスの乱れに起因するものとされる。一方、パスツールの学説に代表される外因説によると、病気とは、病原体が体内に侵入することによって生じる。現代医学の観点からすると、どちらの学説にも一理あり、これらを相補的に組み合わせることによってさまざまな疾病を総合的に理解できるはずである。しかし、当時の社会で急務とされたのは、社会的施策によって疾病の予防・治療を行うことであり、この目的を実行に移すにあたっては、駆逐すべきターゲットが明確な外因説の立場をとった方が効果を上げやすい。実際、病気が病原体の侵入によって生じることがはっきりすれば、上下水道の整備や沼沢地の干拓、産院や病院での消毒の徹底などを通じて、侵入経路を断つことができる。また、ジェンナーの時代には手探りで実行していた予防接種も、方法論が確立され組織的な実施が可能になる。こうしたことから、西洋医学においては、病原体への対策が第一義的に考えられるようになった。
 病原体概念を学問的に明確にしたのは、結核菌やコレラ菌を発見したコッホである。1882年の『結核の病因論』で、(1)特定の疾病の病変部から常にある細菌が見いだされる、(2)この現象は当該疾病に限られる、(3)その細菌を純粋培養した後に健康な動物に接種すると同じ疾病を再現する−−という3つの条件が満たされるならば、その細菌が当該疾病の原因と見なされることを論じ、この考えに基づいて、結核の病原体が結核菌であるとの結論を導き出した。その後、多くの伝染病で病原微生物が同定されたことは、周知の通りである。
 19世紀の段階では、病原体と目される微生物は、ある種の細菌や寄生虫に限られていたが、こんにちでは、数多くの病原微生物が見いだされている。その一部を表にしておく:
病原体の種類と主な疾病
ウィルス(DNA/RNAウィルス) 天然痘、インフルエンザ、ポリオ、狂犬病、流行性肝炎、エイズなど
リケッチア 発疹チフス、つつがむし病など
細菌(球菌、桿菌、ビブリオ、マイコプラズマ、スピロヘータ) 結核、細菌性赤痢、ペスト、コレラ、梅毒、淋病、破傷風、敗血症、サルモネラ症など
真菌 カンジダ症、放線菌症など
寄生生物(原虫、寄生虫) マラリア、アメーバ赤痢、睡眠病、住血吸虫病など
その他(プリオンなど) 狂牛病、クロイツフェルト=ヤコブ病など

 「病気=病原微生物の侵入」という単純な発想は、今世紀初頭までにかなり一般的なものになっていた。例えば、バーナード・ショーは、1906年に発表した『医師のジレンマ』という戯曲に登場する医師に、「病気とは何か。病原菌が住み着いて増殖することである。では、治療法はどんなものか。菌を見つけて殺すだけだ」と言わせている。この発想は、「個別的な問題点を摘出して技術をもって解決する」という近代的な技術主義の方法論と通底するものであり、医師のみならず一般の人にも受容されていく。さすがに、こんにちでは医学者の間にも批判的な見方が生まれ、「病気の病原微生物説は、生物の相互作用が生存のための闘争であると見なされていた血なまぐさいダーウィン主義の時代に発展した。…それは、病気に罹った個人とその社会からの微生物の一掃を目的とした、微生物に対する一種の攻撃的な戦争を導いた」(ルネ・デュボス『健康という幻想』1960)という記述が現れている。しかし、病原微生物を排除することで病気を治療しようという方法論は、医療の現場では未だに根強く残っている。

抗生物質の開発
 患者の体内に侵入した病原微生物を排除するための医薬品として、これまで最も効果を上げてきたと言われるのが、抗生物質である。
 最初の抗生物質は、1928年、フレミングによって発見された。彼は、アオカビの周囲で細菌が増殖しにくいことを見いだし、抗菌作用のある物質を同定した。これが有名なペニシリンである。ただし、この段階では、化学的に合成して大量生産することが難しく、商品化は行われていない。
 抗生物質の商品化は、1935年、ドイツのファーベン社によるスルホンアミド系抗生物質(サルファ剤)の製造・販売に始まる。同種の薬剤は、肺炎、産褥熱、腸管と尿路の感染症、淋病の治療に用いられたが、アレルギー反応や下痢などの副作用も多く、必ずしも全ての患者にとって福音となったわけではない。
 抗生物質が治療薬として威力を発揮するのは、フローリーとチェインがペニシリンの合成に成功してからである。サルファ剤よりも副作用の少ないペニシリン系抗生物質は、1940年代に抗生物質の主流を占めるようになる。この医薬品は、肺炎、産褥熱、髄膜炎などの多くの感染症に用いられたが、特に、性行為感染症(淋病、梅毒)を防止する目的で出征兵士に与えられたことから、需要が急増した。さらに、1944年になると、不治の病として懼れられていた結核に対して特効的な薬効を持つストレプトマイシンがワクスマンによって開発され、人々に抗生物質の力を印象づけた。

抗生物質の問題点
 第二次大戦後、抗生物質への信頼は高まる一方であったが、それとは裏腹に、こんにち、さまざまな弊害が表面化している。
 弊害を生み出すもとになっているのが、抗生物質に対する過大評価である。抗生物質は、一部の細菌感染症にしか効果がなく、ウィルスや寄生生物の感染症には無力である。にもかかわらず、あたかもあらゆる病原微生物を狙い撃ちする『魔法の弾丸』であるかのように喧伝されている。例えば、あるアメリカの専門医は、「(1938年から)15年の間に、150万人の命が抗生物質によって救われた…抗生物質がなければ、100万人は肺炎とインフルエンザで、7万6千人は産褥熱で、13万6千人が梅毒で、9万人が虫垂炎で死んでいただろう」と述べている。しかし、現実には、抗生物質はインフルエンザには効果がなく、虫垂炎の合併症や産褥熱は患者の健康管理と病棟の衛生改善によって減少したことが知られている。一般に、欧米における感染症の減少は、主として公衆衛生と栄養状態の改善に起因するもので、時期的にも、抗生物質の普及に先立って生じている。また、現代人を苦しめる疾病の多く−−ガン、高血圧、脳血管障害、心臓血管障害、高コレステロール血症、糖尿病、胆石など−−は、そもそも病原体が特定できないことも、忘れてはならない。
 抗生物質は強力な薬理効果を持つ医薬品であり、有害な副作用が必ず存在する。中には、急性毒性を持つものもあり、さまざまなアレルギー反応、発疹、下痢、頭痛などを引き起こす。アナフィラキシー(アレルギー性ショック)などによる死亡例も報告されている。しかし、こうした直接的な毒性よりも深刻なのが、抗生物質の過剰使用による微生物環境の変化である。


§2.細菌は復讐する
 人間は、完全に孤立した個体として生きているわけではない。地球上の到る所に存在する微生物と共存しているのだ。今世紀半ばまでの医学者は、人類と共にあるこの微生物環境に思いを致すことなく、単に人類にとって脅威をもたらす個々の細菌(結核菌やコレラ菌など)を殲滅することに専念していた。その意図に疚しいところはないのだが、現実には、ある細菌を排除しようとすると、微生物環境全体が変化し、場合によっては、人間に好ましからざる影響を及ぼすこともある。

細菌叢の交代
 細菌は人間に害悪をもたらすものばかりではなく、人間と共存共栄しているものも少なくない。例えば、400〜500種いると言われる良性の腸管内細菌(ビフィズス菌など)は、消化吸収を助けるほか、他の菌が体内に侵入するのを防ぐ防護壁の役割も果たしている。抗生物質の中には、こうした良性細菌を殺してしまうものがあり、不用意な使用は、かえって健康を損ねる危険が伴う。少なくとも動物実験では、抗生物質によって食中毒に罹りやすくなることが判明しているほか、最近増えていると言われる過敏性腸症候群の原因の一つだと主張する学者もいる。

耐性菌の増加
 抗生物質の不適切な使用による弊害の中で最も恐れられているのが、抗生物質の効かない細菌−−いわゆる耐性菌の増加である。1930年代、すでに多くの淋菌がスルホンアミド系抗生物質に耐性を示しており、50年代には、ペニシリンをはじめ多くの抗生物質に耐性菌が見られた。最近では、検出される細菌の多くが何らかの薬剤耐性を持っていると言われる。
 耐性菌が生まれるメカニズムは、次のようなものである。ある微生物環境−−例えば人間の腸内−−に抗生物質を投与した場合を考える。このとき、全ての細菌が死滅するわけではなく、中には、抗生物質に対して抵抗力があって生き残る細菌もいる。こうした細菌たちは、(一部の共生関係にあるものを除いて)もともと限られた養分を取り合う生存競争のライバルだった訳で、生き残った細菌にとっては、抗生物質のおかげでライバルたちが死に絶えてしまい、自分の種が増殖できる生活圏が拡がったことになる。このようにして、抗生物質に抵抗力のある細菌が、どんどんと増えてくることになる。
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 こうしてある程度まで増えた耐性菌が、さらに外部の環境中に拡がっていく過程には、細菌特有の遺伝子の振舞いが関与している。耐性菌に抗生物質に対する抵抗力を与えているのは、一般にある遺伝子の機能である。高等動物の場合、こうした耐性遺伝子は、親から子へと垂直的な移動しか行わない。しかし、細菌では、接合の際のプラスミド交換やベクターによる運搬などを通じて、遺伝子が細菌同士の間を水平的に移動することがある。この水平移動によって耐性遺伝子は多くの細菌に伝えられ、複数の抗生物質に対して耐性を持つ多剤耐性菌も生まれてくる。
 こんにち、これほどまでに耐性菌が増加した背景には、抗生物質の乱用や不適切な使用がある。一説によれば、使用される抗生物質の半分は、処方の仕方が不適切だとされる。次のようなものが、その例である:
  1. 細菌感染のリスクを回避するための予防措置として投与。日本では、手術を行う患者に、ほとんど慣習的に抗生物質を処方している。
  2. 非適用疾患(ウィルス感染症、胃腸障害など)への投与。インフルエンザの場合、乳幼児や高齢者のように細菌感染を併発する懼れのある患者以外に抗生物質を処方するのは、無意味である。また、食中毒患者への投与は、腸内の細菌叢を乱すためしばしば危険が伴う。
  3. 過少投与。薬剤耐性は必ずしも完全ではないので、充分な量の抗生物質を投与すれば細菌を駆逐することができるにもかかわらず、中途半端に服用を中断すると耐性菌が生き残ってしまう。貧しい国では患者の自己判断で高価な薬の購入を止めることがある。

感染症の再流行
 耐性菌が増加した結果、一時は撲滅可能かと思われていた細菌感染症が、近年、再び増加傾向を見せている。
 特に懸念されているのが、結核感染者の増加である。こんにち、毎年約800万人が結核を発症、300万人近くが死亡しているが、その多くが、複数の抗生物質が効かない多剤耐性菌によるものである。結核患者は、比較的貧しい国に多いが、欧米や日本でも、ホームレスなどの間で感染率が高まりつつある(日本では、食生活が乱れている若い人が発症することもある)。
 さらに、近年では、黄色ブドウ球菌や緑膿菌などによる院内感染が多発している。一般に、病院は多種類の微生物が棲息する一方、抗生物質もふんだんに使われる環境であり、病院内部で耐性を獲得した細菌が術後の弱った患者などに感染しやすい状況にある。日本では、80年代にMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)による院内感染が連続して発生し、死亡者も出て大問題になった。
 もともと黄色ブドウ球菌は、鼻や喉の粘膜で繁殖しやすい細菌で、健康な人間にとってはほとんど害がないものの、体力が弱っている患者が感染した場合は、しばしば致死的な経過を辿る。これを防ぐために用いられるのが各種の抗生物質であり、人類はこれを武器に黄色ブドウ球菌と半世紀にわたって死闘を繰り広げてきたが、近年は、どうも人類の側が押され気味である。1940年代には、最初の抗生物質であるペニシリンによって、ブドウ球菌を殺すことができた。50年代になると、黄色ブドウ球菌の側がペニシリンへの耐性を獲得するが、
 人類は、テトラサイクリンを開発して応戦する。60年代には、テトラサイクリンに対する耐性菌が生まれてくるものの、人類の側も、メチシリンやバンコマイシンのようなきわめて強力な抗生物質を開発、対細菌戦に勝利を収めたかに見えた。70年代に入って、メチシリン耐性菌が現れ院内感染による死亡事故を引き起こしたときには、「最強の抗生物質」バンコマイシンを増産することにより、危機を乗り切ろうとした。しかし、この増産−乱用が祟ったのか、90年代にはいると、バンコマイシンにも耐性を示す黄色ブドウ球菌が登場したのである。
 人類と耐性菌の抗争は、イタチゴッコのようでありながら、細菌優位の傾向が目立ち始めている。抗生物質は、単に人間にとって有害な細菌を殺すだけではなく、確実に微生物環境を変化させるものである。その使用に際して、このことは肝に銘じておかなければなるまい。

【第3章の参考書】
  J.キャノン著『超細菌の報復』(三田出版会)
  D.メルローズ著『薬に病む第三世界』(勁草書房)
薬の持つ現代的な問題点を警告する。いずれも「個性の強い」本なので、内容をすべて鵜呑みにするのではなく、批評眼を持って読み進むことが必要になる。

《考えてみよう》
 現代の若者には、微生物を忌み嫌って遠ざけようとする人が多い(抗菌グッズが売れているのもその現れ?)ようだが、人類にとって微生物とは悪者なのだろうか。「体内に病原微生物が侵入すると病気になり、薬でこれを死滅させれば健康が回復する」という見方についてはどう思うか。人類と微生物の関係を、もう一度問い直してみよう。
 また、ふだん自分が使っている薬の中に不必要なものは混じっていないか、探してみよう。


©Nobuo YOSHIDA