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第4章.ビッグバン理論

〜何が空想を科学にするか〜



膨張宇宙の始まり

 ハッブルが星雲の後退運動を発見し、エディントンがそれを「この宇宙が風船のように膨らんでいる証拠」と解釈したことにより、物理学者には、「膨張が始まる最初の瞬間」という新たな謎が突きつけられた。フリードマンによれば、過去のある瞬間に大きさゼロの宇宙が忽然として姿を表すという一般相対論の解が存在しており、創造の瞬間も物理学の射程に収められるはずである。しかし、数式の上では宇宙の始まりが記述できるとは言っても、それはあくまで、単純な一様・等方モデルを使った場合の話であって、多様な存在者を内部に含む「マクロコスモス」の創造を扱おうとすると、さまざまな困難に直面する。例えば、熱力学法則を前提とすると、この世界は無秩序化の度合いを増している(エントロピー増大則)はずだが、それでは「最初の秩序状態」はどのようにして準備されたかと問われると、(最新の場の理論を援用しない限りは)答えようがない。
 こうしたことから、膨張宇宙論のスポークスマン的な立場にあったエディントンですら、「宇宙の始まり」について物理学的に語ることにためらいを示した。1931年1月5日、イギリス数学協会で行った講演で、彼は次のように語っている:「哲学的には、“自然界に見られる秩序の始まり”という概念は、どうしても気にいらない(repugnant)ものです。実際、現在の物理法則が持っている基本的な枠組みをそのまま[過去に向かって]押し進めていくと、あるジレンマに行き着きます。このことをどう考えれば良いか、私にはわかりませんし、将来の科学の発展がうまい回避法を発見するかどうかも予測できません」
 ただし、解答困難と思えるような難問を突きつけられたとき、逆に闘志を燃やすタイプの科学者も少なくない。エディントンが口ごもった問題に対して、(膨張宇宙論の提唱者の一人である)ルメートルは、論文の中でより積極的な立場を表明した:「エディントン卿は“自然界に見られる秩序の始まり”という概念は気にいらないと述べている。だが、私は、現在の自然界の秩序とは全く異なった世界の始まりについて、近年の量子力学が多くを示唆するように思われる」(Nature 127 (1931)706)。彼の議論は、現在の観点からするときわめて素朴で、そのままの形では受け入れられないが、量子力学によって宇宙の始まりについても科学的に語れるようになるという予想は、1970年以降の宇宙論の発展により裏付けられた。
 科学者が挑んだ「始まりの謎」は、しばしば一般の人の想像力をはるかに越えるものである。いくつかの例を列挙してみよう。


ビッグバン宇宙論 vs 定常宇宙論

 宇宙創造の瞬間を科学的に研究する初期の試みは、第二次大戦終了後に始まる。大戦中は、マンハッタン計画に代表される軍事研究が学界を席巻しており、純科学的な見地からも原子核物理が花形で、宇宙論は「まともな」研究者が取り組む対象ではないとの見方が支配的だった。悲惨な戦争が終わり、政治的に悪用されない自由な研究への渇仰が高まって、宇宙論への関心が芽生えたのかもしれない。
 ただし、「宇宙創造の理論」が科学の1ジャンルとして受容されるに到るには、暫くの期間が必要となる。1940年代後半に行われた「宇宙の始まり」に関する研究は、ガモフやホイルのような(いろいろな意味で)突出した学者による融通無碍な思弁の産物であり、必ずしも通常の学者たちに支持された訳ではない。この段階では、宇宙についての新しい見解が認知されるには、科学方法論的に見て重要な手続きが欠けていたのである。以下では、ビッグバン宇宙論と定常宇宙論の争いを振り返りながら、SF的なアイデアが科学理論として受け入れられるための条件を考察したい。
 宇宙の創造の瞬間に迫る理論として最初に提唱されたのが、ガモフ(G.Gamow)のビッグバン宇宙論である。ロシア出身の核物理学者であるガモフは、トリニティでの原爆実験の映像を見て強い印象を受ける。原爆が爆発する瞬間、高温の火球(fire ball)が形成され、そこから衝撃波が周囲に拡がっていく光景は、多くの科学者にある種の終末感を抱かせるものだった。ところが、ガモフは逆に、ここから宇宙創造の瞬間へと思いを飛翔させたのである。1946年に発表された論文で、彼は、宇宙が大爆発の火の玉状態から始まったとする学説を公にする。これが、後にビッグバン宇宙論と呼ばれるものである。
 ビッグバン理論の要諦は、さまざまな元素が合成されるプロセスの分析にある。膨張が始まろうとする最初期に、宇宙は、きわめて高温・高密度の状態にあったと考えられる(ガモフはこの状態を原爆による火球になぞらえたのだが、ビッグバンの場合は、宇宙のどこかに物質が集まっているのではなく、空間そのものが狭くなって全宇宙の物質がぎゅうぎゅうに押し込められた状態になる)。ガモフのアイデアによれば、こうした極端な高温・高密度下では陽子や電子のような通常の物質を構成する素粒子は存在できず、初期宇宙には、中性子だけが存在したという。彼は、中性子から構成された物質を「イーレム(ylem;原物質)」と呼び、あらゆる元素はイーレムから合成されると考えた。具体的には、イーレムの中性子が(β崩壊と同様のメカニズムで)部分的に陽子と電子に変化し、宇宙の膨張によって温度が下がるにつれて、(元々存在していた)中性子と(新たにできた)陽子が結合して、ヘリウムから重金属に到るさまざまな元素の原子核が合成されていったというのだ。元素合成に関するこの突飛なアイデアは、1948年に、アルファ/ベーテ/ガモフの共著論文で展開され、3人の著者の名前をもじって「αβγ理論」と称された(実は、この研究にベーテはほとんど関与していなかったのだが、ジョークのセンスに溢れたガモフがこの洒落を気に入って、原子核研究ですでに名声を博していたベーテの名前だけを借りたらしい)。
 αβγ理論は、その後、いくつかの重大な修正を施される。ガモフがこだわった「イーレム」のアイデアは間もなく否定され、宇宙創造の直後から、陽子、中性子、電子という基本的な構成要素が既に存在していたと考えられるようになる。また、初期宇宙で現存するすべての元素を合成するのは困難であることが判明し、ヘリウム(と重水素)だけがビッグバン直後に合成され、それ以外の(鉄より軽い)元素は、(以前にベーテが考えたように)恒星内部での核融合によって合成されたと解釈し直される。こうして、宇宙が高温・高密度状態から出発し、膨張するにつれて温度が下がって天体・銀河系が形成されたとする(突飛さがかなり低減した)シナリオが、ビッグバン宇宙論の基本的な枠組みと見なされるようになる。
 ビッグバン宇宙論は、40年代に考案された宇宙全体の歴史を語る唯一の理論ではない。1946年、ガモフに劣らぬ怪物科学者ホイル(F.Hoyle)によって、対抗理論の一つである定常宇宙論が提唱される。この理論は、その名の通り、宇宙には始まりも終わりもなく、永遠に変わらぬ定常的な姿を保ち続けるというものである。ただし、多くの星雲が天の川銀河から遠ざかっているという観測事実は否定できないので、星雲たちが遠ざかっているにもかかわらず宇宙の物質密度が希薄化しない理由を説明しなければならない。ホイルらは、絶対零度の真空から(必ずしも明らかでないメカニズムによって)物質が湧き出すように生じて天体を形成すると考えた。
 以下の表で、2つの理論を対照してみよう。
 宇宙の年齢   宇宙の温度   物質の生成   元素合成 
 ビッグバン理論(オリジナル)   20億年  初期:高温
現在:数K
 ビッグバンとともに   全てビッグバン直後に 
 〃 (改訂版)   100〜150億年   ビッグバンの直後に   ヘリウム以外は恒星内部で 
 定常宇宙論   ∞   絶対零度   常に真空から生成   全て恒星内部で 
 ガモフとホイルは、ライバルとして闘争心を燃やしていたようだ。例えば、こんにちでは馴染み深いものになった「ビッグバン」という名称は、もともとホイルが「ガモフたちは宇宙がバーン(擬音語)という大爆発で始まったなどと馬鹿げたことを主張している」という揶揄のために用いた言い回しだが、あまりに語呂が良いのでそのまま理論の呼称として用いられるようになったものだ。それぞれの理論を信奉する科学者による論争は、50年代を通じて続けられる。
 もっとも、ビッグバン理論にせよ定常宇宙論にせよ、正当な科学理論として学界で認知されていた訳ではない。1959年の調査では、天文学者の中で定常宇宙論を信じる人はごく少数、ビッグバン宇宙論を信じる人は1/3程度にすぎなかった。その理由として、次の2点を指摘することができるだろう。
 第一に、いずれの理論も致命的と思われる欠点を持っていて、信憑性が低かったことを挙げなければなるまい。ビッグバン理論の場合、星雲の後退速度から求めた宇宙の年齢が20億年程度となり、地質学的な研究を通じて判明していた地球年齢(30億年以上)よりも若いという困難があった。一方、定常宇宙論の方は、真空から物質が湧き出すという主張が、物理学の根本法則と見なされるエネルギー保存則と真っ向から対立する点が受け入れにくかったようである(もっとも、エネルギー保存則を破るという点では、宇宙がいきなり創造されるというビッグバン理論でも同様だが)。
 第二に、当時の測定技術では、理論の検証を可能とするようなデータを得る手段がなかったため、何ら拠り所のない空想的/SF的な理論と変わりなかった点が指摘できる。科学としての正当性を主張するためには、データの裏付けがなければならないのだ。
 こうしたことから、宇宙論は長らく、ガモフやホイルのような規格はずれの学者にこそ相応しい分野であり、まともな科学理論ではないとする風潮が根強かった。
 流れが変わるのは、60年代に入ってからである。まず、ビッグバン理論の最大の難点と考えられていた宇宙年齢の問題が、観測データの集積によって解消される。ハッブルらが与えたデータには、セファイド(星雲までの距離を測定するのに利用する変光星)に2種類あることを見落としたための系統的誤差があったと判明、ハッブル定数が大幅に修正されて、宇宙の年齢も100〜150億年と地質学的データと矛盾のない値に改められた。また、元素合成のプロセスや宇宙温度の変化についても理論的研究が進められ、ディッケやピーブルスのような理論と実験を橋渡しする科学者によって、具体的なデータによる理論の検証が可能な段階にまでこぎ着けられた。こうして、宇宙論における一大革命の素地が整えられたのである。


科学的方法としての仮説演繹法

 ビッグバン理論と定常宇宙論の間の争いがどのような決着を付けたかを見る前に、科学的方法の一般論について簡単に考察しておこう。
 科学とは何か、科学と非科学を峻別する契機はどこにあるか−−といった問題について、全ての科学者の間でコンセンサスが成立しているわけではない。科学論研究者の中には、科学を他の学問から区別しようという試みは、既得権を守ろうとする守旧派科学者の陰謀であり、科学と非科学を原理的に区別する術はないと主張する者もいる。しかし、現実に研究に携わっている科学者は、自分たちのやっていることが占星術などとは質的に異なっていると自覚しているはずである。だからこそ、(ファイヤアーベンドが科学を批判する目的で指摘したように)多くの科学者が占星術の内容を調べもしないで言下にその主張を否定するのだ。科学者が科学と非科学を峻別する根拠はいくつかあるが、私が最も重要だと考えるのは、そこで用いられている方法論である。科学的方法論に基づいて研究するのが科学であり、方法論が異なる場合は、たとえ研究対象が既存の科学と同一であったとしても科学と見なされない。
 それでは、科学的方法論とはいかなるものか。枝葉を省略して簡単化して言えば、それは、仮説演繹法である。
 論理学で用いられる演繹法は、普遍的な原理から特殊命題を導き出す論法で、ユークリッド幾何学の体系がその典型的な例とされる。しかし、この論法だけを頼りにすると、前提とすべき普遍的原理をどのようにして選ぶか、また、そうした原理の妥当性をどのようにして確かめるか−−などの点で問題が生じる。一方、演繹法と対置される論法である帰納法は、「このカラスは黒い、あのカラスも黒い、…」と個々の具体的事実を集めることによって「カラスは黒い」という一般的な命題や法則を導き出すもので、ベーコンらによってその重要性が強調されてはいるが、たった一つの例外によって議論が根底から覆される危険性を常に孕んでおり、学問の根拠として用いるにはあまりに脆弱である。
fig
 科学で用いられる仮説演繹法とは、演繹と帰納の長所を併せ持つ論法である。まず、議論すべきテーマについて予測を生成することができる仮説を提出する。このとき、可能な全ての仮説を列挙するのが理想的だが、多数の科学者に仮説を次々と提出させることで代用するのが一般的である(このとき、仮説提出を促すために業績評価などの適当なインセンティブが必要になるだろう)。その上で、充分に信頼できる演繹的な論法によって、それぞれの仮説が正当である場合に成り立つ予測を導き出すことが、科学者に要請される課題となる。ここで重要なのは、たとえ当該仮説が正当であると信じていない人にも、予測を導くための演繹的な議論の妥当性が認められなければならない点である。「その仮説は正しいとは思えないが、もし仮に正しいとすれば、こうした予測が成り立つはずだ」という主張ができて、初めて科学的な仮説と言えるのである(超能力やUFOに関する説の中に、こうした演繹的推論が可能なものがあるとは、私には思えない)。 fig こうして仮説ごとに導き出された予測は、実験・観察によって得られた具体的データと比較され、データと合致しない予測を生成した仮説は、正当性を持たないとして棄却されてしまう(これを仮説の反証と言う)。もちろん、予測とデータが合致したとしても、直ちにその仮説が正当だと結論することはできないが、少なくとも段階的に信憑性を高めることにはなる。特に、学界を二分するような2つの対抗仮説があって、特定の現象について対照的な予測を導いている場合は、1つの「決定実験」によって雌雄が決し、勝利を納めた側が一挙に定説として認知されるケースもある(右の例で考えてほしい)。
 ビッグバン理論と定常宇宙論は、当初は、実験・観察データと比較できるような科学的予測がなかったため、正当な科学理論としては認知されなかった。しかし、60年代に入って事情は変わり、科学的方法論に則って勝敗がつけられ、それぞれの学派の消長が生じたのである。


ビッグバン宇宙論の検証

 ビッグバン理論から導かれる予測のうち、観測によって得られるデータと比較可能なものは僅かしかなく、60年代にあっては、ヘリウムの存在比と宇宙の背景放射の2つだけだった。しかし、この2つのデータとの比較を通じて定常宇宙論は敗れ去り、ビッグバン理論が標準的な宇宙論として学界で認められるようになる。これらを順に見ていくことにしよう。
ヘリウムの存在比
 1950年代の観測データによって、宇宙に存在する物質のおよそ75%が水素であり、25%がヘリウムであることが判明していた。すなわち、この2つの元素の存在比が、
  水素:ヘリウム≒3:1
となる(ヘリウムが合成された時期は観測からは決められない)。この比が導けるかどうかが理論の正否を決する1つのポイントになった。
fig  ビッグバン宇宙論によれば、ヘリウムの合成は、初期宇宙における高温・高密度状態で行われる(右図)。陽子と中性子が結合して元素を合成していくときの各粒子の「濃度」は、結合定数が与えられたときの化学反応の場合と同様にして計算することができる。最終的な水素とヘリウムの存在比がいくらになるかは、現在の宇宙の温度に依存するが、この値が絶対温度で5度程度(−268℃程度)のとき「水素:ヘリウム≒3:1」になることが導かれる。
 一方、定常宇宙論の場合、すべての元素は恒星内部での核融合により合成されると仮定されており、計算方法に若干の不定性はあるが、きわめて高温の恒星が多数あると考えない限り、「水素 ≫ ヘリウム」となる。
 このように、ヘリウムの存在比のデータは、定常宇宙論よりもビッグバン理論を支持するが、いずれの計算にも不定性が残るため、決定的とは言い難い。決着を付けるには、宇宙の背景放射のデータが必要だった。
■背景放射(宇宙温度)
 宇宙には天体から放射される電磁波が満ちあふれているが、それ以外にも、宇宙空間に一様に瀰漫する電磁波が存在することが知られている。これは、天体からではないバックグラウンドの電磁波という意味で背景放射と呼ばれており、その強度分布を統計力学の放射公式に当てはめることにより、宇宙空間の固有の温度を求めることができる。背景放射に関しては、ビッグバン理論と定常宇宙論は、対照的な予測を導く。
 ビッグバン理論によれば、宇宙初期はきわめて高温であり、膨張によって宇宙が冷え切った今も、ほんの僅かに「余熱」が残っていて、背景放射の形で宇宙空間を満たしているはずである。現在の宇宙の温度がいくらになるかは、ガモフを初めとする何人かの物理学者によって計算され、絶対温度で数K程度(−270℃前後)になることが確かめられた(厳密に言うと、計算結果は論文によってかなりばらついているが、初期の計算における欠点が指摘されるなどして、しだいにこの値で意見の一致を見るようになったのである)。一方、定常宇宙論によれば、空間そのものを加熱する特別なメカニズムがないため、宇宙空間はほぼ絶対零度になることが示される。従って、背景放射の観測をもとに宇宙の温度を測定すれば、ビッグバン理論と定常宇宙論のどちらが(あるいは両方とも)誤っているかが決められるはずである。こうしたアイデアに基づいて、プリンストン大学のディッケとピーブルスは、宇宙からの電磁波を測定する実験を進めていたが、いかんせん、あまりに雑音が多くて信頼できるデータが得られなかった。
 皮肉なことに、宇宙の背景放射は、宇宙論研究とはかけ離れたところで測定される。AT&T(アメリカ電信電話会社)のベル研究所に所属していたペンジアズ(A.A.Penzias)とウィルソン(R.W.Wilson)は、大陸間テレビ中継を行うときに邪魔になる電磁ノイズにどのようなものがあるかを、通信衛星からの信号受信用アンテナを使って調べていた。浮き世離れした宇宙論研究者とは異なって大資本の恩恵を受けていた彼らは、大規模な測定装置と潤沢な研究資金を利用して、きわめて精密な測定が行える立場にあった。こうして、大型アンテナが受信するさまざまな電磁ノイズの起源を、一つ一つ明らかにしていったのである。例えば、市街地にある人工的な電気機器からさまざまな電磁波が漏れてくるが、これらは、アンテナの向きを上方に向けるにつれて弱くなるので、直ちにそれと分かる。大気中の気体分子が発する電磁波も、アンテナの向きを変化させることによって同定される。一般に、地上付近からやってくる電磁ノイズは、わずかに位置をずらした2つの観測機器がキャッチする電磁波の強度の違いを利用して取り除くことができるので、ペンジアスとウィルソンは、さらに微弱な宇宙からの電磁ノイズの測定に集中することができた。太陽や銀河系中心からも電磁波が放出されているが、これらは、アンテナがその方向を向いたときだけ強度を増すはずである。そこで彼らは、アンテナの方向を固定し、地球が自転してアンテナの向きが宇宙に対して1回転する間に電磁ノイズの強度がどのように変化するかを調べることによって、太陽起源および銀河系起源の電磁波を特定していった。
fig  ところが、驚くべきことに、考えられる限りの電磁波の影響を除いていったにもかかわらず、最後までどうしてもその起源が明らかにできない電磁ノイズが残されたのである。この電磁ノイズは、全く日周変化を示さず、アンテナをどの方向に向けても同じ強度で測定された。したがって、その起源は、宇宙空間そのもの以外には考えられない。測定された強度を放射公式に当てはめると、絶対温度で3.3Kになる(上に、その後数年間に得られたデータと併せて示す)。1965年に発表されたこのデータは、定常宇宙論を完全に反証し、ビッグバン理論を強く支持するものだった。ところで、ペンジアスとウィルソンは、宇宙論について全く知識がなく、ピーブルスらが背景放射についての理論を発表した後になって、漸く自分たちが世紀の大発見をしていたことに気がついたという。彼らの業績に対して、1978年にノーベル賞が授与された。


はじめの3分間

 ビッグバン理論は、必ずしも完全に実証されたわけではないが、ヘリウムの存在比と背景放射という2点に関して、理論から導かれる予測と観測データとが良く一致することから、1960年代後半から、天文学者や宇宙物理学者に幅広く支持されるようになった。こんにちでは、宇宙論の研究は、ビッグバンの存在を前提として進められるのが一般的であり、ホイルら定常宇宙論の研究者が批判を加えてはいるものの、宇宙初期が高温・高密度状態だったという理論の根幹は、まず覆されることはないと考えられている(もっとも、科学の歴史では「常識」の転覆がたびたび起こっているので、ビッグバンが否定されることも決してあり得ないとは言えないのだが…)。
 ビッグバン宇宙論の驚異的な成果は、科学者が創成直後の宇宙の状態について語る術を獲得したことに端的に現れている。
 現在の宇宙は、宇宙初期に偶然に存在していた物質分布の揺らぎが成長して、ほとんど何もない空間の中のごく限られた領域に物質が凝集し、そこで(天体やその上の化合物を含む)きわめて複雑な構造を実現している。しかし、出来てまだ間もない頃は、物質やエネルギーがほぼ一様に全宇宙を満たしていたと推測される−−この推測は誤っているかもしれないが、観測可能な領域から得られるデータと合致するので、信憑性の高い前提として暫定的に採用されている−−ので、宇宙の温度やエネルギー密度など、わずか数個の変数でもって宇宙の状態を表すことが可能になる。しかも、これらの変数が満たす方程式は、宇宙が膨張しながらだんだんと冷えていく際にどのような原子核反応をするかということを表すもので、「原子核反応」を「化学反応」に置き換えれば、溶液の中で完全に混じり合った化合物が、温度変化に伴って次々と化学変化を起こしていくプロセスの式と大差なく、直観的なイメージを作り上げることもそれほど難しくはない。こうして、科学者たちは、宇宙のごく初期の状況を、一般の人にもわかりやすい印象的な語り口で記述することができるようになったのである。
 現代科学が解き明かした「出来立てほやほや」の宇宙の様子は、ワインバーグの名著『宇宙創成はじめの3分間』において、見事に活写されている。ここでは、その一部を簡単に紹介したい。
 もっとも、ワインバーグらが使った理論の範囲では、方程式の「初期条件」となる宇宙創成の瞬間は温度や密度が無限大の特異点になり、少数の熱力学的な状態変数で表すことはできない。宇宙創成後、0.000000000001秒(10-12秒)が経過し、温度が定義不能の無限大から1000兆度にまで下がってきて、漸く、現在知られている素粒子理論が適用できるようになるのだ。
 物理学者が、かなり自信を持って語ることができるようになるのは、創成から1秒が経過してからである。このとき、 宇宙の温度は100億度、光・電子・陽子・中性子などの素粒子がスープ状に混在しており、核開発を経て多くの物理学者に馴染みのものになった陽子・中性子間の核反応がさかんに起きている。
 宇宙創成から14秒後には 温度30億度まで下がってくる。温度が高いうちは、個々の粒子のエネルギーが大きく、衝突しても互いに合体することなく瞬時にばらばらになってしまうが、ここまで温度が下がると、重水素(陽子と中性子の合体物)が合成されるようになる。ただし、寿命は短く、あっという間に壊れてしまうので、量的にはごく僅かしか存在できない。
 初期宇宙においてエポックメイキングな出来事は、創成から3分ちょっとの間に集中して起きる。まず、3分2秒後、温度は10億度を割り込み、トリチウム(陽子1個+中性子2個)やヘリウム3(陽子2個+中性子1個)が存在するようになる。そして、宇宙が始まって3分46秒が経過したとき、遂に、水素と共に宇宙を構成する主要な物質であるヘリウム4(陽子2個+中性子2個)が合成され始め、この合成は、水素とヘリウムの存在比が3:1になるまで進む。ビッグバン理論の生みの親であるガモフは、このまま宇宙に存在するすべての元素が高温・高密度の初期宇宙において合成されてしまうと考えたが、5つの粒子(陽子ないし中性子)から成る原子核が不安定ですぐに壊れてしまうため、5個以上の粒子を含む原子核はなかなか合成されない。そうこうしているうちに、宇宙がどんどん膨張して物質の密度が小さくなってしまい、素粒子同士の衝突による合体が起きにくくなるので、水素とヘリウム以外はほとんど含まない原始物質が、その後に天体を形成する素材となる。
fig  最初の数分が過ぎると、重大な事件だけを記す「宇宙誌」のタイムスケールは、どんどんと引き延ばさざるを得なくなる(右図)。水素とヘリウムの原子核、それに光と電子だけを含んだままに膨張し続ける宇宙は、創成から数十万年を経て、やっと次の段階に入る。宇宙が始まってから30万年後に、水素の原子核に電子が捕まって、中性の水素原子が形成され始めるのだ。さらに、70万年を経て温度が3000度まで下がると、大半の電子が原子核と結合して、宇宙を構成する物質は、ほぼ中性化する。それまでは、電子に散乱されてまっすぐ進めなかった光は、邪魔な電子がいなくなって遠方にまで伝播できるようになる。この現象を「宇宙の晴れ上がり」と言い、こんにち観測可能な最も古い光は、この頃に発せられたものである。
 現代科学が語る創成間もない宇宙の物語は、もしかしたら、『旧約聖書』の創世記などと較べると、いささか即物的な響きを持つかもしれない。しかし、多くの物理学者は、こうした壮大なストーリーにロマンを感じ、さらなる研究へといそしむ動機とする。ここでは、20世紀の創造神話の最良の語り部たるワインバーグの文言を引用して、結びとしたい。

 「ウォルト・ホイットマンの有名な詩の中に、彼が「博識なる天文学者の話を聞いたとき」次々と星図や図表を見せられたので、うんざりしていやになって「完全なる静寂の中にある星々」を見上げようと、あてもなくさまよう様子を語った一節がある。科学者は代々このくだりにいらだたしさを感じてきた。美しさや驚異を感じる心は、ホイットマンがほのめかしたように科学の成果によって萎縮してしまうものではない。夜空は詩人に対すると同様に、天文学者にも変わらない美しさを見せてくれる。自然をよりよく理解するにつれ、科学者の驚きに対する心は減じるどころかより鋭敏になり、残された神秘の部分へと収斂していくのである」(S.ワインバーグ『宇宙の中の生命』(日経サイエンス1994年12月号)冒頭)


©Nobuo YOSHIDA