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理論の運営



 前節の議論は、モデル化された科学理論をいかにして構築するかに焦点を絞っ ていた。次の段階としては、こうして体系として成立した理論をどのように運営 するかを考察するのが妥当だろう。
 前世紀後半までの科学者は、専門領域に関してなら基礎から応用まで見渡すこ とが可能だったと思われる。しかし、現在のように科学の応用範囲が膨大をもの になると、職業科学者による特定ジャンルごとの分業化が避んで、科学はモれ自 体が複雑な階層を有するレヴィアタン的存在と化し、これを手なずけるために特 殊を科学的方法論が要請されるに到った。この傾向は、科学が隼物体や固体物性 のような複雑系を研究対象の中に取り込むにつれて、さらに顕著なものとなって きている。

 それでは、現代科学が採用している手法とはどのような基盤に立っているのだ ろうか。筆者は、この思想基盤を「機能主義的システム論」という語で表現した い.ここで、機能主義とは、理論の応用という機能的な側面に重きを置く立場で あり、諸現象を概念的に関連づけて解説する「説明カ」よりも、実験データの予 測値を半ぱ自動的に生成する「予言能力」を評価基準の中心に据えるものである。 この件については、次節の評価法の議論の中で触れることにする。また、システ ム論は、理論の階層化を図る際の指導原理として援用され、階層間の相互作用の 形式を決定する役割を果たしている。以下では、こうした手法によって現代科学 がどのように運営されているかを、具体例を交えながら見ていくことにしよう。

 本論に入る前に、上の解説で用いられたいくつかの用語を明確にしておく。
 ▼本節で謂う所の「理論」とは、前節で論じた概念化・理想化。数理化によっ てモデル化された機能モジュールを指し、研究において科学者が実際に操作する 道具を意味する.既に述べたように、ここで用いられている「モデル」とは、研 究において具体例として利用される個別的ツールとしてのモデルより広義の概念 であるため、多くの科学哲学者が採用している、「理論」の中に「モデル」があ るとする見解と矛盾する訳ではない。しかし、筆者がこの用語法を採用した背景 には、現代科学においては理論が特定の機能をもつ道具として使われているとい う認識がある。
 ▼「理論の応用」とは、個々の理論を数理化された法則を使って機能させるこ とを意味する。この用語法によれば、物理学の理論を使って当該理論内部でのみ 通用する定理を導くことも応用の一つになる。理論を機能させた結果は、論文・ 口頭発表・および私信の中で、理論的命題として述べられる。観測・実験と理論 を結びつける日常的な意味での「応用」には、(科学的方法論には含まれない) 理論的命題の翻訳規則が必要となる。
 ▼「理論の運営」とは、個々の理論を応用しながら理論集合全体の発展消長を 図るものである。具体的には、理論間の相互交流と理論の変更(理論の定義条項 の書き換え、理論自体の取捨選択、理論の背後にある基本概念の変更などが含ま れる)を一定の形式に則って実施する。従って、理論の運営法は、元の理論に対 してメタ理論の関係にある。この過程は、現実には科学者の知的活動であり外部 から直接観察することはできないが、その具体的痕跡を論文等の中に残している。
 以上の基本的用語法を踏まえた上で、次に、科学理論の運営法についての議論 に移ることにしよう。

a.理論が機能する環境


 はじめに、理論が機能する環境について考える。
 古典的な科学理論では、そこに現れる諸用語は対応する実体との関係で記述さ れることが一般的だったと思われるが、現在では、理論の基盤となる基本的な概 念や法則の多くは、当該理論を道具として使用する科学者の間での暗黙の了解に 任されている。こうした了解は階層的であリ、その最下層は人間に共通な認知の 方略に依存しているため、説明的記述が困難である〔13〕。しかし、理論運営の実 用上は研究方法の異なる理論との関係を考慮すれば充分なので、各理論間の差異 が明らかになる範囲で基本前提が明文化されていると仮定する(「遺伝子は染色 体上に特定の座位をもつ分割不可能な単位とする」あるいは「場の演算子のフー リエ成分は素粒子の生成・消滅演算子を表す」のように)。
 ここで重要なのは、こうした基本前提は、理論を完全に拘束するものではない という点である。このことは、理論物理学のような演緯的な学問にも該当する。 例えば、場の理論では時空は4次元ミンコウスキー多様体であると前提されてい るが、個々の理論の中には、格子ゲージ理論のように時空点を離散化するものや 超対称性理論のように時空を4次元以上に拡張するものがある。しかし、こうし た理論が従来の枠組みから根本的に逸脱した革新的主張かというと決してそうで はなく、単に、前提となる基本概念に、「近似的にそのように観測される」とい う但し書を付け加えたに過ぎない(前節の概念化および理想化の項参照)。従っ て、ここで謂う所の基本前提とは、理論に含意されている概念・法則の理想化さ れた形式と言っても良い。
 個々の理論を定義するには、上に述べたような前提の下で、さらにいくつかの 条項を設定する必要がある。こうした条項は、典型的には次のような文章で表さ れる〔14〕:
「利き手における“右側偏奇”の有無は1対の対立遺伝子に支配される…… 優性遺伝子Dは右側偏奇を決定するが、劣性の対立遺伝子sはそのような決 定力をもたず、利き手に関して中立の作用をもつとする」

このように、理論(=モデル)の定義では援用される概念・法則が個別的に列挙 されているので、各々の条項を簡単に定義ユニットと呼ぶことにしよう。定義ユ ニットは概念・法則の記述であるが、必ずしも自己完結的ではなく、他の理論の 内容を引用することも多い。しかし、その場合でも、引用するのは理論の全体で はなく、ある限定された機能であるため、ユニット的な性格は変わらない。
 以上のようにして定義される理論に適当なデータ(観測された、または仮説的 を)を入力すれば、理論の法則に則ってある理論的命題が出力される。こうした 状況を模式的に表すと、次のようになる:
fig


b.クラスターの構造


 次に、理論運営の基本単位を明らかにするために、現代科学における理論間構 造(いくつかの理論が集合して形成する構造)の特徴を考察する。
 現代科学の諸理論は、ある理論での定義ユニットが別の理論の基本前提をなす という形で錯綜した構造を形成しているが、その中にあって、ある種の秩序を指 摘することできる。それは、一定の機能をもつ理論の集まりが階層的にクラスタ ー化されているという際だった特徴である。このクラスターの概念について若干 の説明を試みたい。
 はじめに断わっておくが、クラスターは決して独立した存在として定義される ものではなく、その境界も結晶の界面のように明瞭に定まってはいない。科学理 論が織りなす構造の微視的なイメージは、むしろアモルファス状態に近いものが ある。アモルファス状態では、ある原子に着目するとその近傍の原子は整然と並 んでいるように見えるが、そこから遠ざかるにつれて秩序が失われ乱雑さが顕著 になる。これと同様に、研究領域がオーヴァーラップする理論は使用するテクニ ックや論理の組み立てが類似していることが多いが、領域が離れるにつれてはっ きりとした差異が目だつようになる。しかし、科学の現状を適当に粗視化すると、 他と比較して共通の目的意識を有している理論の集合が浮かび上がってくる.具 体的には、現存する学会の分科会がこれに対応すると考えて良いだろう。このよ うな集合を称して、ここでは便宜的にクラスターと呼ぶことにする。
 筆者が想定するクラスターの概念を明確にするために、クラスターの構造およ び機能に関する特徴をそれぞれさらに2点ずつ指摘しておこう。

構造上の特徴 :

機能上の特徴 :

c.バケットの交換


 上に述べてきたクラスターの概念は、単独では余り有用なものではない(科学 はいくつもの分野をもつという当り前の主張に過ぎない)。これが意味を持つの は、次に論じるバケットの概念を援用する場合である〔15〕。
 科学論文が他の方法論による有効な記述と叙述の形式において際だって異なっ ているのは、前者が、理論内部で頻繁に理論的命題を生成して提示するという点 である。電気機器の取り扱いマニュアルや情報収集企業の報告書では、命題は一 般に提示されるだけで理論的に生成されるものではない。また、人文科学の著作 では、議論の展開に多くのスペースが費やされて、命題が提示される頻度は科学 論文に比べて少ない〔16〕。さらに、科学論文の場合、他の論文からの引用がきわ めて多いのも特徴である〔17〕。科学論文の典型的な文体は、次のようなものであ る〔18〕:
「観測された領域でのナトリウムは、主に3つの過程――電子の衝突による イオン化、他の領域への移送、および電荷の交換[l7]――で失われる。…… べキ法則を仮定してフィットすれば、1〜10rの範囲でのナトリウム原子 の総数は約1O30個と計算される……。イオ近傍でイオン化に要する時間は典型的には2時間であり[1]、これから1秒間に失われる原子数が約10 26個と求められる」(翻訳は吉田による)

ここで示されたような叙述形式は、科学における理論運営の特色を反映するもの と考えられる。この点を、以下に説明しよう。
 科学論文における命題提示や引用の多さは、科学がさまざまな研究成果の交流 を通じて発展するという運営上の特色を反映するものだが、その具体的方法には、 科学に固有の性質が見いだされる。すなわち、理論内部または理論相互間で交換 される内容は、小さな単位に分割された独立の命題の形式をとる。上の引用文で は、「イオン化に要する時間が2時間程度」という部分がこれに相当する。こう した命題は、日常的用語で語られることはなく、特定の理論に即した話概念・法 則の枠内で提出される。従って、交換されるのは、「命題」と「命題を解釈すろ ための概念・法則」をセットにしたものとなる。調わば使用説明書つきの道具で あるこのセットを、「機能バケット」、あるいは単に「バケット」と呼ぼう。バ ケットが同一理論内部で交換される場合は、バケットにおける解釈の前提は当該 理論の定義ユニット(および基本前提)である。また、バケットの交換が異なる 理論にわたるときは、理論を包含するクラスターの基本概念・法則がバケットに おける解釈の前提となる。従って、いずれの場合も、バケット自体にはその解釈 法が書き込まれてはいないが、その所属が明らかである限り、これを実際に使用 する科学者が意味を取り違えることは稀にしか起こらない。以上を模式化すれば、 次のように表されるだろう:
fig

 科学理論の運営においてバケットの利用が有益なのは、情報を交換するとき理 論全体に言及せずに特定の機能だけを伝達できるからである。もし筆者が、体系 的認識のセマンティックな構造を調べるために日常的レベルでのシンタクティッ クな操作を中止することを《エポケー》と呼んだとすると、現象学の専門家から 概念の誤用を厳しく指弾されることだろう。哲学的な用語は、一般に、その概念 を採用している学問体系全体の一貫性から逆に規定されるのである。これに対し て、科学的命題は、理論内部での機能さえ保っていれば特定の学説に束縛される ことはない。例えば、ミトコンドリアDNAの変異が分子時計として利用できる という結果が提出当れれば、どの進化学説を支持するかにかかわらず、現在のD NAの塩基配列データからヒトと類人猿の系統樹を推定することが可能である。 このように、さまざまな理論から結果を流用できることが、科学理論の運営にお ける大きな特色となっている.
 バケットの利用は、各理論の自律性を最大限に尊重するものである。既に述べ たように、科学における理論間構造は自然界の階層性を直接に反映しているので はなく、自然の階層で上位に相当する理論が下位の理論を拘束することもない。 実際に行われているのは、各階層間でのバケットによる情報交換であり、これを 除けばそれぞれの理論が事実上独立に機能しているのである。このことは、地球 物理学と地震学のような実例を想起すれば理解できるだろう。
 以上のように、「バケット」は科学の実態を解説すろのに便利な概念ではある が、バケットを厳密に定義することは困難であるのみならず、おそらくは無意味 である。なぜなら、現実の科学的活動で交換される命題は、小は単純な数値デー タから大は特定の理論の機能全般に関わるものまであり、概念画定するための適 当な単位が存在しないからである。実際、理論物理学で数学の技法を援用する場 合、集合や演算の定義の詳細には拘泥せずに応用数学の教科書に掲げられている 「定理」を利用する(「コンパクト性」は有限の拡がりを指すという程度の理解 で方程式系における解の存在定理を主張するように)という点で機能的な引用で あることは間違いないが、その内容の広範さを考えれぱ「バケット」という名称 はふさわしくないように思われる。しかし、これは単に命名法の問題であリ、こ れ以上議論する必要性は感じられない。
 ここまでの議論では、主としてバケットを用いることのメリットを見てきた。 しかし、機能的なバケットの受け渡しが、常に妥当な結果を生むとは限らない。 この点について、科学論からはやや離れるが、身近な例で考えよう。大規模建築 物の耐震性を解析する場合は、数例の典型的な地震波をコンピューターに格子近 似で入力し、各点に加わる応力をシミュレートして建築資材の耐久性と比較する という手法がとられている。ここでは、地震波のパターンや離散化する際の近似 法などに、他の学問分野からモジュール的な知識が提供されている。ところが、 このような知識が集められれば地震の影響が完全に判明するかと言えば、そうと は限らない。なぜなら、建築物と共震するような「典型的」でない、あるいは、 きわめて長周期または短周期で有限の格子近似では再現できない地震に襲われる こともあり得るからである。また、工事の手抜きなどにより各部分で所期の強度 が達成されていないかもしれない。この例が示しているのは、各バケットは有効 な知識を与えるものであっても、それを集積する場の状況によっては妥当な結論 が導かれない可能性があるという事実である。科学の体系の中に、このような例 が現に存在するかどうか、筆者には不明であるが、現代科学の方法論にある種の 限界が存することは心に銘記しておかなければなるまい。
d.理論運営の実際
 最後に、これまでの議論を総合して、科学理論が実際にどのように運営されて いるかを述べたい。ただし、各理論をいかにして評価するかは次節にまわし、本 節では理論の発展・消長の過程に着目することにする。
 上に(実証的な議論は抜きで)示したように、それぞれの科学理論は、一般に あらわには表記されない基本前提の下で、与えられた定義ユニットに従って自律 的に機能しながら理論的命題を生成し、これをバケットの形で他の理論と交換し ている。こうした過程である理論が妥当でないと評価された場合にどのように取 り扱われるかが、科学哲学の観点から特に興味あるところである。
 いわゆる通常科学の範囲では、理論の妥当性が問題になった場合は、その定義 ユニットの点検が行われる。具体的には、いくつかの定義ユニットの修正・追加 ないし削除によって、理論が有効に機能するようになるかを調べることになる。 近年に見られた免疫学の展開は、こうした作業の典型例を提供してくれる〔19〕。 初期の理論では、免疫応答の調節機構が充分に理解できないまま、リンパ球を形 態からB細胞・T細胞に分類して後者に何らかの認識機構が備わっているという 漠とした前提を立てて議論を行っていたが、その後の発展では、この(定義ユニ ットを構成する}諸前提の修正と精緻化が推進されることになる。まず、体液性 免疫と細胞性免疫の区別をもとに、T細胞をヘルパーT細胞・キラーT細胞など いくつかの種類に分類し、また、単なる貪食細胞と思われていたマクロファージ に抗原提示の機能を付与した。さらに、T細胞が同じ生体の細胞(=“自己”) を識別するという半ば目的論的な記述を、MHC産物との結合という分子レベル での明確な現象に置き換えている。ここに見られるような定義ユニットの修正は、 理論が発展していく場合には常に観察される現象である。

 このような定義ユニットの交換による理論の変更は、前提となる基本概念や法 則の訂正が迫られる場合には、通用しない。ここで必要になるのが、こうした基 本前提の書き換え、すなわち、いわゆるパラダイムの転換である〔20〕。ただし、 現代科学においては、こうしたパラダイムの転換は稀であり、従前の基本概念に 単なる但し書を付け加えて済ます場合が多い。その典型的な例は、分子遺伝学に おける遺伝子像が、近年の概念事実の蓄積にともをって、従来の静的なものから 不等交叉やドメインの転移によりダイナミックに変化するものへと変更されなが ら、決して世界観の変革に通じるような巨大なパラダイム転換をもたらさなかっ たことに見いだされろだろう。古典的な方法論では概念枠そのものの変更を余儀 なくされるこうした状況に対しても、現代科学では、単に遺伝子の概念枠の中に ある安定性の項目に「統計的に」という但し書を加えれば充分なのである。
 もちろん、時として、現実にパラダイムの転換が惹起される場合もある。近年 では、素粒子物理学においてこうした「事件」が起きている。すなわち、60年代 には、相互作用をプラックポックスと見なし散乱行列の解析性をもとに理論を構 成する解析的S行列の手法が広く行われていたが、この手法は70年代に入ってか らは急速に衰退し、代わって、相互作用をラグランジアンを使って具体的に書き 下す方式が全盛をきわめている。このパラダイム転換は、見方によれば、物理学 の基本法則が人間にとって未知のものではなくあらわに表記できるという哲学的 な意味をもっている。しかし、実際には、そうした問題についての哲学的論争は (ほとんど)見られないまま、それぞれの手法を利用していた学派の盛衰という 形でパラダイムの転換が成し遂げられたのである。その理由は、S行列やラグラ ンジアンのような基本的手法を共有する理論クラスターの存在が、研究者集団と しての学派を通じて比較的明瞭に意識されていたため、哲学的な視座を導入する ことなく「役に立つ」クラスターに乗り換えるだけでパラダイム転換が可能にな ったためと考えられる。
 以上の議論から明らかなように、現代科学は、理論体系として容易に覆されな い高度な安定性を備えており、たとえパラダイムの転換が起きるとしても、周囲 ヘの影響が最小になるような「静かな革命」に終ることは必至である。こうした 特質は、科学を機能的な道具として利用する社会的要求に合致するものである。

©Nobuo YOSHIDA