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2.問題の考察



 本節では、精神について科学的に議論するための準備として、できるだけ科学 的な知見をもとに、意識が成立するための諸条件を考察する。ただし、この議論 は、個人が確証をもって意識。の存在を主張できるのが、自己の精神についてのみ であるという事実によって、大いに制約されてしまう。実際、確固たる基盤を持 たない想像に頼らることなく、具体的な議論を展開することが可能になるには、 従来の科学的知見からは予想されない何らかの新発見が必要となる。そのような 発見の契機としては、例えば、地球外の知的生命との遭遇、あるいは大脳と人工 知能との神経系レベルでの接触が頭に浮かぶが、いずれも近い将来に実現する可 能性は限りなく乏しい。結局、本節の議論は、人間の知識の乏しさを確認すると いう側面を強調せざるを得ない。

(i)局在性


 はじめに、意識が脳の特定部位に局在するものか否かを考えよう。ここで利用 できるのは、脳の一部に損傷/病変があるときに、精神現象がどのように変容す るかを調べる神経心理学の知見である。
 神経心理学的に明らかな事実は、意識の存在を支える局所的な部位を大脳内部 に特定することはできず、脳損傷の程度に応じて意識は段階的に消失していくと いう点である。もちろん、日常的な直観でも、脳の一部に病変があるために、行 動は通常と変わりがないのに意識だけを喪失しているという状況を想像するのは 難しい。脳損傷に対応する精神現象の変化は、より個別的であり、損傷した部位 が担っていた機能に直接的に対応すると考えられる。この点については、以前に は高次脳機能全般の責任部位と見なされたこともあった前頭葉の障害に伴う症状 を検討するのがわかりやすい。前頭葉は、他の部位で分析された知覚情報を統合 して、反応を組織的にプログラムする役割を果たしていると考えられる〔6〕。こ のため、前頭葉損傷患者では、一般に、視覚。聴覚など各モダリティーごとのパ ターン同定のような個別的能力は保たれる反面、自分で一定のプログラムを作っ て目標を遂行することが要求される課題では、有意な障害が観察される。また、 広い意味で組織的な行動の様式と解釈される情動反応も侵され、病後には以前と 変わって気まぐれで傲慢な人格に変容する例も知られている。このように、きわ めて人間的な知的活動を司っていると思われる前頭葉であっても、その損傷は機 能的な障害として現れ、精神現象における「意識性」の選択的崩壊は生じない。
 意識の非局在性に絡む印象的な事例は、離断脳にっいての観察事実に見いだす ことができる。人間の大脳は形態的に左右に分離しており、両者は脳梁と呼ばれ る神経繊維束で結合されているが、難治性てんかんの治療としてこの部分を切断 する手術が施されることがある。このような手術を受けた患者で左右各半球の機 能を別々に検査すると、それぞれが互いに相手からの情報を直接に受け取ること なく独立に稼働しており、単に知的能力のみならず、趣味や嗜好も各半球に特異 的な様相を呈することがわかる〔7〕。この結果から、離断脳では各半球ごとに独 立に意識が成立していると推定される{ただし、言語機能は、通常は左半球が担 当しているために、これから切り離された右脳は言語概念を通じて意識の存在を 表明することができない)。それでは、両半球が結合している正常な脳では、各 半球に付随していた意識はどのように変容するのだろうか。この点については、 各半球が分担する機能――言語運用機能(左脳)と空間認知機能(右脳)のよう な――が一つの意識の中で統一的に作用することより、両意識が融合して一体に なっていると主張して良いだろう。とすれば、意識の担当部位は、少なくとも両 半球に跨るような拡がりをもっているはずである。
 もちろん、意識に拡がりを与えると言っても、その領域を無限定に拡張するこ とはできない。非現実的な例ではあるが、切断した脳梁を取り出していくつかロ 神経束に分割し、それぞれを別の脳半球と結合させれば、脳半球のネットワーク が完成する。ここで、個人の脳において言語優位脳(左脳)がほば全意識を掌握 していることを考慮すれば、こうした脳ネットでも特定の脳半球が他の脳を支配 して、意識の統一を図るものと推定される。しかし、もし脳ネットがきわめて巨 大になれば、互いに情報を交換するのに有意な時間差が生じることになり、各脳 半球を協調きせるのが困難になる。従って、このような場合には、いくつかの部 分ネットごとに独立した意識が成立すると想像される。
 以上をまとめて、次のような結論を与えることができる。
「意識は脳の特定部位に局在するものではなく、選択的に意識を喪失させ るような脳損傷は存在しない。意識を支える大脳の部位は、少なくとも両 半球に跨る程度の拡がりをもつ」


(ii)素材・構造・過程


 人聞に限らず地球上の生物は全て高分子有機化合物から構成されており、分子 レベルでの構造は、生物種によらずきわめて等質的である。具体的には、細胞お よび内部器官の境界は所々に膜タンパク質の埋め込まれた脂質二重層によって画 定されており、その内部に、世代間の情報伝達を担う核酸と、代謝・免疫活動の 実体である選択的な生化学反応を遂行するタンパク質が存在している。このよう な構造の等質性は、地球という閉鎖系で長期間にわたって全生物が生化学的な相 互作用をしながら進化してきた結果であって、地球以外の生命にも当てはまると は考えにくい。そこで、当然、意識を有する精神現象を引き起こすためには、こ の有機素材による諸構造がどこまで必須のものであるかという疑問が生じる。も ちろん、この話題をSF的な発想――例えば、ヴァン=ヴォークトは銀河全体に 瀰漫し、星間物質の流れが形成する「意識」について語っている〔8〕――にまで 拡張しては、収拾がつかなくなる。ここでは、地球上の生物と同様の機能を持つ 知的生命に議論を限定した上で、話を進めることにする。
 精神現象を支える物質的素材の普遍性に関する疑問に答えるために、まず、神 経細胞の構造から考察しよう。神経細胞は、基本的には、電気的な「興奮」を空 間的に伝播させる担体である軸索と、伝播してきた興奮信号に適当な偏情を加え て他の神経細胞に伝達する結合部のシナプスから成る。このほか、神経細胞全体 を外部から支えるグリア細胞が重要な役割を担っているとの見解もある汎 ここ では採用しない。
 神経細胞軸索は、膜構造それ自体は他の細胞膜と同じ脂質二重層から成ってい るが、この膜中にナトリウム,カリウムなどのイオンを膜を通して運搬するタン パク質が埋め込まれており、この《ポンプ》が稼働することによって、膜内外で イオンの濃度勾配が作リ出される。この結果、膜を挟んで電気的な分極が生じる ことになる。神経興奮とは、このようにして生じている膜内外の電位差が何らか の理由で一定の閾値を越えたとき、ナトリウム,カリウムなどのイオンが通過す るチャネルが開閉して膜電位が変動し、これが近接した領域に伝播していく過程 を指す〔9〕。ここで重要なのは、神経興奮における電位変動が、引金となる電位 の上昇のパターンに依存せずに、(ほぼ)一定のスパイク状になる点である。こ の結果、伝達される情報は、連続的な電位変動のパターンというよりも、ある閾 値を越えるか否かという悉無的なものとなる。
 一方、軸索の終端部に相当するシナプスは、伝播してきた神経興奮を他の神経 細胞に伝達する機能を持つ。そのメカニズムは、送信側の神経興奮がシナプスに 到達すると、ここからアセチルコリン,ノルアドレナリンなどの神経伝達物質が 神経細胞の間隙に放出され、この物質が受信側の細胞のリセプターに結合して興 奮または抑制を促進するというものである。このとき、伝達される信号の重み関 数を決定するシナプス強度は、放出される神経伝達物質の量(神経終末内部で伝 達物質を貯蔵する小胞の濃度に依存する)、あるいは有効に機能するリセプター の個数によって調節される。
 ここで考察すべきは、これらの機能がどの程度までその素材や構造に依存して いるかという点である。控え目に言っても、現在までに解明されている機能を実 現するためには、地球上の生物が用いている高分子化合物が素材として必須であ るという根拠はない。実際、軸索における脂質二重層の膜構造は(準)安定な境 界としてイオンを分離するために必要とされるもので、疎水基と親水基を持っリ ン脂質分子の構造そのものが軸索の機能に不可欠な訳ではない。膜タンパク質に ついても、調節された《ポンプ》としてイオンの運搬を実現できれば、疎水性の αヘリックスによって膜内に固定されているという状況はなくても良いはずであ る。シナプス結合についても、事情は同様である。

 この問題は、より積極的に解釈することも可能である。もし、軸索を単に入力 がある闘値を越えたときスパイク状の出力を与える装置と見なすならば、現存す る生化学的構造を墨守する必要すらなくなるだろう。実際、これと同じ機能を示 す装置は、MOSトランジスタを使ってインバーター微分回路を組むだけで実現 される。シナプスについては、結合強度に学習機能があるのでこれほど簡単では ないが、「教師」を通じて強化の水準が与えられている場合は、重み関数の変化 を数値的に計算するLSIを組み込み、閾値を越える「興奮」が伝播してきたと き受信側の神経細胞に適当な重みのついた入力を与えるようにすれば良い。筆者 の信じる所によれば、このようなシリコン・デパイスを組み合わせれば、自意識 を持った知能を実現することは、(現実性は別にして)原理的には不可能でない はずである。むしろ、こうしたシリコン生物こそ、学習によって獲得した情報を 安定した形態で蓄積できるため、自動修復と自己増殖の機構さえ整備されれば、 遠い将来には、有機生物に代わって万物の霊長となる資格があるだろう。
 ただし、このように各組織を機能のみに基づいて再構成することにより、常に 元の生理学的な系に存在していたはずの「意識」が再現できるかについては、疑 問の点が多い。たとえ、ある大脳の神経配線を完全に復元する巨視的な模型を作 成したとしても、その素材がビニールチューブであり、軸索に相当する各部分に モーター駆動のポンプを取り付けてイオンを表す小球を出し入れするものである ならば、この模型を稼働させたとき原型となった生理的神経系と同じ「意識」を 所有するに到るとは、直観的には到底信じられない。そこで、この直観を信頼す ることにして、生理的神経系に存在し、上の「チューブ/ポンプ」模型で喪失き れた性質は何かを考えてみよう。
 明らかに、生理的神経系と「チューブ/ポンプ」模型の差異を、その素材に求 めることはできない。実際、高分子有機化合物ならば意識が発生し無機物はさに あらずと仮定するのは、余りにも安易な発想である。しかも、「チューブ/ポン プ」模型は、情報伝達の機能を再現しているので、意識が発生しない(と想像さ れる)原因を表面に現れた機能に求めることはできない(もし、神経系の機能を 再現するのに「チューブ/ポンプ」模型が余りに貧弱であると感じられるならば、 適当な模型を各自で創作されたい)。従って、意識を成立させる機構として注目 すべきは、機能を発現する物理的な過程そのものだということになる。この観点 から「チューブ/ポンプ」模型を眺めると、ポンプを適切に稼働させるために、 チューブの状態とは独立にポンプを制御するプログラムを用意しなければならな いことに気がつく。換言すれば、「チューブ/ポンプ」模型では、生理的な神経 系とは異なって、情報伝達の機能を発現する部分とこれをコントロールする部分 が、同じ範時に属する過程として協調的に作動していないことになる。牽強付会 と言われるかもしれないが、筆者の見る所では、この点が、二つの系を峻別する 唯一の契機である。
 物理学的な用語法では、ある系が全体として協調的に作動して組織化された反 応を実現するとき、この過程全体は協同現象(cooperative phenomena)と呼ば れる〔10〕。協同現象に際しては、強磁性体への相転移で如実に観察されるように、 空間的に拡がったパターンが実現されることが多く、その性質を局所的な相互作 用に還元することができない。従って、精神現象を示す系での基礎過程として協 同現象を想定することは、きわめて理に適っていると言える。
 以上の議論をまとめて、次のように結論づけよう。
「意識を成立させるために必要不可欠な素材はない。しかし、意識が成立 する契機となるのが情報伝達の過程全体にかかわる協同現象であるため、 こうした現象が実現されるような構造になっている必要がある」


(iii)基礎物理法則


 筆者の見解によれば、精神現象も基本的には自然法則に規定されているはずだ が、それが既知の物理法則の枠内に収まるものかどうかは、議論の余地がある。 この点について、簡単にコメントしてみたい。
 最初に注意しておきたいのは、精神現象と量子力学の関係である。量子力学は、 ある時刻で完全な初期条件を与えても、その後の状態が観測によって弁別可能な いくつかの状態に分解できるという意味で、不確定性を含んだ理論である。この ため、今世紀前半の物理学者の中には、自由意志の根拠をこの不確定性に求める 者も見られた。しかし、現在知られているいかなる神経生理学的な現象も、かか る不確定性に直接的に依存するものではないという厳然たる事実がある。もちろ ん、量子力学は、生体を構成する有機化合物を安定な状態に保ち、短時間での構 造変化や触媒作用を可能にする基礎法則であることは間違いない。しかし、量子 力学が神経生理学的過程に果たす役割はここまでであって、安定な物質と有効な 調節作用が確保されれば、あとは決定論的な方程式で充分に記述可能であると想 定される。従って、量子力学における不確定な要素が、精神現象の基礎になって いる可能性はきわめて乏しい。むしろ、非線型効果による決定系のカオティック な振舞いが、精神現象の予測不能性の根拠であると考えるべきであろう。
 神経系における情報は、情報伝達物質の交換を別にすれば、電気的な過程を通 じて伝達されている。そこで、次に考えなければならないのは、この電気的相互 作用が精神現象とどこまで密接に結びついているかという点である。既に述べた ように、意識を成立させる基礎過程は協同現象であると推定されるが、現在まで に郊られている協同現象は、レーザー発振や強磁性体ヘの相転移など、いずれも 電気的/磁気的な相互作用によっている。これは、電磁相互作用が、構成要素と 同程度以上の作用域をもつ長距離力であり、しかもペクトル同士の多彩な反応が 可能になるため、協調的な相互作用には好都合だからである。実際、素粒子レベ ルで顕著になる《強い/弱い》相互作用は作用域が小さすぎるため、協調的な反 応はせいぜい核反応で見られるだけである。また、重力は万有引力なので、神経 系に見られるような複雑な現象は引き起こしにくい(従って、銀河規模の拡がり をもつ生命の可能性は、余り期待できない)。さらに、電磁相互作用のうち、磁 気は電気に比べて(相対論的な効果になるため)大きさが10桁以上小さくなり、 生理学的反応には重要な役割を演じていない。こうした事情から、既知の相互作 用の中では、電気的過程が精神現象にかかわる唯一の物理的過程となっている。
 それでは、未知なる第5の力が意識を成立きせる重要な基盤となっていると考 えることはできないだろうか。具体的には、超心理学の領域での花形でその存在 を一笑に付すことのできない数少ない現象である「テレパシー」に、きわめて弱 い長距離相互作用が関与している可能性も払拭できないはずである。しかし、も しこのような力が現実に存在するとしても、その大きさには、物理学的な測定に よって上限を与えることができる。現在の測定技術では、相互作用が普遍的であ る{例えば、神経系としか作用しないということがない)限り、低エネルギーの ニュートリノによる《弱い》相互作用よりもさらに数桁小さくない限り、測定に かかるはずである。従って、ニュートリノが精神現象に関与している可能性がほ とんどあり得ない以上に、第5の力が意識を成立させる上で何らかの役割を果た しているとは考えがたい。
 ここでの結論は、次のようなものである。
「意識を支える物理法則は、既知の電気的相互作用のみで充分である。特 に、量子力学の不確定性は直接的な役割を果していない」


(iv)人工知能との比較



 物質と精神の差異を議論する科学哲学者によってしばしば提起される問題とし て、 「人工知能は意識を持ち得るか」という謎がある。この問いは、いくつかの 部分に分解して答える必要がある。既に述べたように、シリコンを用いるか否か という素材の選択は、意識の有無に本質的な役割を果たすものではない。従って、 ここでは情報処理の形式に着目することにしよう。
 現行の計算機に用いられている処理方式は、与えられたデータ列を一定のアル ゴリズムに従って逐次的に変換していくもので、その過程は、仮想的な万能計算 機であるテューリング機械によって完全にシミュレートすることができる。ここ に、テューリング機械とは、0と1の二つの数字の列が書き込まれたテープ、左 右に1ステップずつ移動してテープ上の数字を読み取ったリ書き込んだりできる ヘッド、ヘッドの動作に応じていくつかの離散的状態間で変化する本体から成る 機械である。もちろん、現実には、記憶容量やアクセス時間の限界があるために、 このような機械を実作しても、計算機として大した能力は期待できない。しかし、 仮想的には、テープ長を無限とし、ヘッドの移動および読み取り/書き込みが瞬 間的に実行されると仮定しても良いので、計算に関しては、テューリング機械は 事実上、万能となる。
 ところで、テープとヘッドから成るような機械に意識が生じるとは考えられな いので、この「万能」機械と人間の脳の間に巨大な懸隔を認めない訳にはいかな い。テューリング機械が意識を所有できない理由としては、次のようなものが考 えられる。
  1. そもそも、記憶容量やアクセス時間を理想化するのが非現実的である。こ の見解は、量的な極限をとれば既存の知識では理解できない現象が生じることを 前提としており、科学の枠内で有効な議論を遂行しようという立場からは容認し がたい。
  2. ゲーデルの不完全性定理に示されるように、数学には原理的に計算不可能 な関数のクラスが存在することが知られており、これらをテューリング機械で取 リ扱うことはできない。従って、計算不可能な関数が意識を形成する上で本質的 な役割を果しているならば、テープとヘッドを動かしてこれを模倣することは不 可能になる。この見解は、一見もっともに見えるが、現在までに知られている計 算不可能な関数がいずれも「つまらない」もの(テューリング機械の停止条件を 与える関数のような)であり、精神現象と係わりを持ちそうもない関数ばかりで あることを考慮すれば、にわかには首肯しがたい。実際、こんにち自己組織化の ような複雑な現象が観察される系は、時間発展が初期条件に敏感に依存するため に近似計算の有効性が限られるものの、原理的に計算が不可能である訳ではない。 従って、ここでは、(原理的な)計算不能性は意識の存在には本質的な役割を果 たしていないと(暫定的に)結論しておこう。
  3. 人工的な計算機は、逐次的な計算を遂行するものであり、人間のように異 種感覚からのデータを並列的に処理する場合と質的に異なる〔11〕。この発想は、 テューリング機械の「万能性」を過小評価するものである。情報処理系がとる状 態が離散的な有限個の状態空間内部に限られると仮定し、知覚入力に相当するデ ータ列をあらかじめ確定しておく(すなわち、「夢」が意識の一種であることを 認めて、環境からのフィードバックは意識の成立に本質的でないと見なす)こと にすれば、任意の過程をテューリング機械で再現できるはずである。例えば、パ ーセプトロン(ただし、出力を浮動小数点表示で10桁というように有限状態にし たもの)でパターン認識を行う場合でも、パーセプトロンの各細胞の状態を端か ら一つずつ追跡していけば、判定のためのアルゴリズムが定義されている限り、 並列処理を実行した場合と同じ結果を与えることができる。
  4. テューリング機械では、ヘッドを移動させたりテープに書き込みを行う機 構が本体の状態とは別個に整備されており、機械全体が協調的に作動することが ない。このため、協同現象の現れと想定される「意識」が発生できなくなる。本 節では、この見解を採用しよう。

 このように、仮想的な万能マシンであるテューリング機械が意識を所有できな い理由がその動作原理の非協調性にあるとすれば、計算機能をシミュレートされ る個々の計算機の意識について、この議論だけから積極的な結論を与えることは できない。平たく言えば、テューリング機械が模しているのは表面に現れる計算 機能のみであって、コンピューターの「内面」にまで踏み込んでいる訳ではない のである。既に述べたように、筆者はシリコン・チップによって構成される知的 生命が存在し得ることを信じているが、この見解は、その情報処理系が全体とし て統一され協調的に動作していることを前提としている。たとえ、この「知的生 命』の情報処理を(離散的な近似で)誤らずに真似するテープとへッドからでき た「おもちや」が存在するとしても、この「おもちゃ」が根本的な動作原理に対 して盲目であるならば、類似した機能を示す二者の一方は意識を有し、一方はし からざることを主張できるはずである。
 これと関連した議論として、情報処理系の状態空間が離散的/連続的のいずれ であるべきかという問題があるが、筆者は、この点には余り重要性を認めない。 地球上の高等生物の神経軸索の状態は、レーザー発振の場合と同じように興奮/ 静止のいずれかに(ほぼ)截然と分かたれ、情報伝達という機能から見れば、事 実上、離散的な状態空間を持つ。こうした離散性は、確かに、対象を客体化する という認知の方略には本質的な役割を果たしているが、意識が成立するための必 要条件とは考えられない。確かに、意識は準安定な精神状態に対応するものであ り、神経系の離散的な興奮状態を特定の意識と結びつけることも可能だと思われ る。しかし、準安定状態を実現するには、連続的な位相空間でアトラクターを用 意するだけでも良いはずである。従って、人間の思考とは異なって連続的な状態 を経巡っていく知的活動が、宇宙のどこかに存在してもおかしくはない。
 以上の議論を次のようにまとめてみよう。
「人工知能における意識の有無は、その動作原理によって判定されるべき であり、テューリング機械でシミュレートできるか否かは本質的でない」


©Nobuo YOSHIDA