空間・時間・精神〜序論

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概要

 現在、科学は最も強力な学問の体系および手段として、人類の知的活動の中枢を占めるに到っている。こうした科学の隆盛は、かつて人間が内省をもとに実践してきた哲学の方法を根本から見直す契機になるのではないか−−本書は、こうした問いかけを出発点として執筆されたものである。

 これまで、科学を素材とする哲学的な営為は、学派によって歴史的過程を重視するか、近年の新しい成果に注目するかの違いはあるものの、基本的にはもっぱら科学を既定の事実としてそこに内在する論理の発見を主眼としてきた。しかし、このような方針では、研究の最前線で具体的な問題との格闘を通じて個々の科学者が直面している認識論的な諸問題が、哲学者に看過されることになる。いわば、現在の科学哲学者は、科学研究の残滓にすぎない外壁の堅牢さに幻惑されて、科学の奥舞台にまで足を踏み入れられずにいるのである。このような状況を打破するため、本書では、必ずしも定説となっていない理論を含めて科学の最先端の動向を引用しつつ、その中で科学者が対峙するであろう思弁的問題を主題に据えている。ただし、余りに科学研究と同時進行的な話題を取り上げたため、本書の議論の多くは確固たる結論を導けずに終わることになる。それゆえ、ここで述べられている内容は、決して研究の到達点と言えるたぐいではなく、むしろ今後に歩を進めるための踏み台として提示するものである。

 筆者の専門は素粒子物理学であるが、科学全体の動向に偏りのない視線を向けようとして、専門外の広範な領域から科学理論を援用するように心がけた。そのため、おそらくは多くの誤解を含む記述になったと思われる。読者諸氏は、しばしば疑いの目をもって本書の論述を読まれることを希望する。また、筆者の能力に余るため、科学理論を引用しながらもその解説は怠っている。この点についても、文献表を利用して各人で不足の部分を補って頂きたい。

 本書は、1982年から1987年までの間に断続的に執筆された科学哲学関係の論文に、相当の加筆・訂正を加えてまとめたものである。従って、多くの節は独立に読めるので、興味をそそられる部分から読まれることをお勧めする。
以上の文章は、1988年に筆者が自費出版した論文集『空間・時間・精神 〜科学的認識論の最前線〜』の緒言です。この項目中に、同書の序論と結論部に相当する章を収録しました。また、「論文」のリストで、この「空間・時間・精神  〜序論と結論〜」に続く3本が同書に収録した論文です。


©Nobuo YOSHIDA