第II章 <創造的秩序>
前章では,認識の様態に適用される普遍的な価値基準としての《範型》とい
う概念を認識論的に構成し,これをもとにして科学的方法論の枠内で<価値>
の問題が詩じられることを示した。ただし,この段階では,単に科学的な価値
誇の「原理的な」可能性が示唆されたにとどまっており,現実問題として《範
型》なる概念の普遍性および有用性が明らかにされた訳ではない。そこで,本
章では<創造的秩序>という具体的な《範型》を取り上げて,より実証的な議
論を展開する手法を採用する。
おそらく,多くの読者は<創造的秩序>なる耳慣れない用語が突然飛び出し
てきたことを不審に思われるだろう。しかし,わたしとしては,「真」や「善」
のように,形而上学者に絶対的な原理として天下り的に導入され,観念論哲学
者によってさんざんに玩弄された挙句,現代に入ると無用の長物として葬り去
られた観念を,したり顔で改めて取り上げて聾壇をかうような真似だけはした
くなかった。むしろ,従来の用語法に含意される形而上学的な“思い込み”を
可能な限り排し,個人的な体験を虚心坦懐に観照する姿勢を徹底させることに
よって,新たな価値基準としての<創造的秩序>に思い到ったのである。実は,
こうした思索を促す動機になったのは,「死とはモ−ツァルトが聞けなくなる
ことだ」というアインシュタインの有名な言葉だった。「神の死」が叫ばれる
現在にあって,われわれが人生を放騨して自殺するのを踏みとどまらせる根拠
は必ずしも明確ではないが,もしそのような根拠があるとすれば,それは<神
への信仰>のように理念的なものではなく,モーツアルトの音楽を楽しいと感
じる心の機構に根ざすものに相違ない。このような「楽しさ」の規範こそが,
あらゆる人間に共通な価値の基準として機能しているのではないか――そう
考えて,これを<創造的秩序>として抽出したのである。したがって,本章の
議論はかなりの部分がわたしの個人的な実感の上に成り立っているものであり,
必ずしも抽象的な思弁のみによって組み立てた空論ではないことを付記してお
きたい。
©Nobuo YOSHIDA