産業の振興を最優先する20世紀的な産業主義の観点からすると、マーケットにおけるフローをもたらさない森林は、産業経済に何ら貢献しない未利用地として捉えられることになる。こうして、経済発展を目指す国家においては、膨大な森林が政策的に伐採されていった。19世紀から20世紀にかけては、欧米諸国が、「ただ木が生えているだけ」の無価値な森林を切り開き、近代産業を勃興させる。20世紀半ばからは、こうした「先進諸国」の模範に倣って、「開発途上国」での森林が急速に伐採されつつある。
森林資源の減少は、現在、最も優先度の高い環境問題として、多くの識者が憂えるところとなっている。この問題がここまで深刻化した理由の分析は、産業主義的なものの見方に何が欠落しているかを明らかにしてくれるだろう。
■森林破壊の現状1万年前の地球は62億haに及ぶ森林に覆われていた。しかし、農業や放牧のための開墾、木材資源の伐採により、現在の森林面積は16億haに縮小し、今なお年1500万haの割合で減少している。温帯の工業国では、自然林は19世紀半ば以前に破壊され、残されている森林の大半は、林業を行うために人手が加えられたものである。カリフォルニア州では、経済発展の代償として、かつて全地域を覆っていた鬱蒼たる森林の90%が失われている。近年では、途上国における熱帯林の破壊が著しい。熱帯林は、アジア全体で42%、中南米で37%、アフリカで52%が失われた。
いくつかのケースを列挙しよう。
熱帯林で森林伐採を行う目的は、主に次のようなものである。
熱帯林の破壊が温帯林の場合よりも深刻なのは、跡地が砂漠化して地球環境に重大な影響を与える蓋然性が高いからである。熱帯では、有機物の大半は樹木に蓄えられており、有機物を多量に含む肥沃な表土は数cmの薄い層でしかない。伐採後は、一般に適切な土地管理が行われておらず、植生の被覆がないために表土が大量に流出することに加えて、強い紫外線によりわずかに残された有機物も分解されてしまい、急速に砂漠化が進行する。ひとたび破壊された熱帯林が自然に再生することは、ほとんど期待できない。
ここで、森林が地球環境において果たしている役割を検証してみよう。これらは、環境経済学の手法をもってしても、経済効果が数値的に評価できるとは限らないが、森林の持つ意義を再確認する上で役に立つ。
1980年代に入って森林資源の重要性が広く知られるようになっているにもかかわらず、森林破壊は熱帯地域を中心にむしろ加速されつつある。ブラジル・インド・インドネシア・ミャンマー・タイでは、年間30万ha以上の森林が減少している。こうした国では、土地占有権の付与や長期優遇融資などによって、森林の“開墾”が政策的に支援されていることも少なくない。
こうした政策的な森林破壊が進められる背景には、偏った経済学の知識がある。ケインズ流の近代経済学では、環境資源を経済的なストックとして評価しておらず、森林資源の減少が国家的な損失だという認識がない。為政者から見ると、森林は何の経済的メリットを生むことなく存在しているだけである。むしろ、森林を伐採すれば、木材輸出によって外貨が獲得できる上、開墾された土地を農地や牧草地として利用すれば産業育成にもなる。いずれにしても、外貨不足と雇用不安に悩む国にとっては、良いことづくめに見える。また、伐採を進める事業者からすると、森林破壊のデメリットを被るのは(洪水被害を受ける)地域住民や(地球温暖化に苦しめられる)諸外国の人々であって、自分たちが森林伐採で得た利益を失う危険は小さい。森林そのものは(一部の例外を除いて)所有者のいない公共財であり、その喪失が個人や企業の損害につながることはないのである。資本主義の原則に従えば、森林伐採の推進は当然の帰結と言える。
しかし、森林伐採は、必ずしも国家経済にプラスになるとは限らない。こんにちでは、その経済効果を正確に評価するに当たって、市場経済を中心とする近代経済学の考え方は不適切だと認められている。森林や湿地などの環境資産には、マーケットを介さない経済的効果があるため、これらを考慮した「環境経済学」の視点が必要になるのだ。環境経済学に基づくコスト計算によると、森林伐採は、往々にして、環境資産の減少に伴うマイナスの経済波及効果をもたらすことがわかる。政策的な森林破壊を進める国々は、マーケットでのフローだけを評価した「見かけの経済効果」に欺かれて、経済基盤となるべき環境資産をみすみす手放しているのである。
すでに見たように、森林は多くの環境機能を有しており、その中には、洪水被害のように経済に直接影響を及ぼすものも含まれる。それらをプラス・マイナスに分けて表にしてみよう。ただし、二酸化炭素濃度の増加のような全地球的な問題は、短期的に見て経済的効果が小さいという理由から除外されている。
プラス面 | マイナス面 |
|
|
この表を見る限り、森林伐採が経済的にプラスになるかマイナスになるかは、にわかに判明しない。しかし、マイナス面がいずれも間接的で、マーケットでのフローだけが勘定される市場経済に即座に反映されるタイプのものではないため、経済発展を図ろうとする為政者は、どうしても森林伐採のプラス面だけに目を向けやすい。これに、短期的な利得を狙う事業者の営利活動が相まって、森林伐採が急速に進められる結果を招いている。森林破壊をくい止めるには、単にその中止を開発途上国に訴えるだけでなく、こうした経済的な事情を考慮して適切な対策を高じていかなければならない。
経済発展を目指して森林伐採を進めた結果、逆に国家経済が行き詰まった例として知られるのが、1980年代におけるコスタリカのケースである。当時、なぜコスタリカが経済的危機に立たされたか、明確に説明できる学説はなかった。しかし、その後、環境経済学的な手法をもとに環境コストを評価したところ、森林伐採のマイナス効果が経済を押し下げたことが明らかになってきた。
中米の宝石とたたえられるコスタリカは、かつては豊かな熱帯林を有していたが、第二次大戦前から森林伐採が続けられ、多くの森林資源が失われた(下図)。森林伐採の勢いはとどまらず、1970年から89年の間に森林の30%が焼き払われ、貴重な熱帯林や無数の植物・動物・昆虫が失われた。1989年に破壊された320万m3の樹林は、木材価値にして4億ドル以上に相当する。
コスタリカ政府としては、伐採跡地を農地(バナナ・コーヒーなどの段丘果樹園)か牧草地(輸出用牛肉を得る肉牛の放牧地)として利用することを期待していた。だが、熱帯地方の土地はもともとやせている(有機物の大半は樹木内部にストックされている)上に、直接地表を照射する強烈な紫外線によって無機塩が析出したため作物が根付かず、灌木が点在する荒れ地となってしまった。結局、耕地として持続的に利用された土地はごくわずかであり、牧草地に適した用地も全体の14%にすぎなかった。
森林資源の喪失は、さらにコスタリカの富を奪う結果となった。土地表面から植生の被覆が失われたため、わずかながら有機物を含んでいた表面の薄い地層が少量の降雨でも流出することになり、土地の荒廃に拍車がかかったのである。耕地からは1ha当たり年平均300トン以上、牧草地からは50トン近くの表土が洗い流された。1970年からの20年間で流失した土壌は、コスタリカ全体で22億トンと推定される。失われた土壌の栄養物を肥料の市場価格で評価すると、作物価値の17%に相当する。
一方、流れ出した土は付近の海域を汚濁して漁場を荒らし、高級魚を中心に漁獲高が激減した。1988年には水産資源はマイナスとなり、出漁の費用を回収できなくなって沿岸漁業は事実上壊滅した(下図)。
このほか、水力発電用のダムにも土砂が貯まって、発電事業も影響を受けている。
森林伐採による資産の喪失を、森林(木材資産)・土壌(表土の栄養分)・海産物(漁獲量)に限って評価しても、1970年から89年までの損失額は(84年価格で)41億ドルに上る。実際の資産損耗は、これをかなり上回ると推定されるが、経済学的には算出されていない。これは、1年当たりでみるとコスタリカのGDPの5%に達し、80年代初頭のコスタリカの経済危機の理由を説明する。
1990年代にはいると、森林の破壊が国家経済を揺るがすとの反省から、コスタリカは森林保全の政策に転換する。現在、国土の5分の1を国立公園に指定、自然を生かした観光と生態系復元のための計画用地としている。公園内には、森林を破壊しないようにしながら遊覧施設を建設して、海外からの観光客を受け入れる体制を作り上げた。さらに、きわめて多様な生物種が存在することに基づき、新薬開発などに使える遺伝子資源を国家財産として確保した。こうした努力が実を結び、1990年代には、多数の観光客が落とす外貨によって経済基盤を立て直したばかりでなく、環境先進国として欧米諸国の尊敬を得るに至り、国際的な環境会議の開催地にもなっている。
しかし、すでに失われた膨大な森林は、もはや回復の見込みがない。国家的な植林事業も進められているが、土地がやせている上、背の低い栽培植物が野生化して樹木の定着を阻んでいる。
森林伐採を推進する為政者は、決して目先の利益に目が眩んだ愚昧の徒とは言えないだろう。環境資産をも含めた生産性の評価を行うこと自体が、近代的な学問の方法論の守備範囲を超えるものだからである。近代技術は、確かに人類を豊かにするのに力があったが、同時にあまりに狭い視野で物事を見る方法論を押しつける弊があった。その反省こそが、近代の超克を可能にする。われわれは、先人が何を見て何を見なかったかを明確にすることによって、初めて未来への道程を見晴るかすことができるようになるのだ。
©Nobuo YOSHIDA