近代文明においては、人間を生態系から切り離して別格扱いし、他の生物を利用する対象として捉える発想が支配的だった。しかし、自然界における生態系は、人間がこれまで想像していた以上に複雑であり、技術による介入によって完全にコントロールしたり、人工的環境の下で再現することの困難さが明らかになってきている。
人間が制御しきれないという生態系の特徴は、次のような点に現れている。
- 開放系 : 生態系は、水・物質・エネルギー・生物自身が出入りする開放系であり、その境界は一般に便宜的に定められる。
- 非定常性と不均一性 : 生態系は一定の状態にとどまるものではなく、(森林の場合は山火事や土砂崩れなどの)外的な契機によって攪乱され、その後、自律的に平衡状態に向かって遷移する。適度な頻度で攪乱が起きることによって単一種の支配が妨げられ、生物的多様性が保たれる。
- 間接効果 : 生態系内部では共生・寄生・競争などの多様な種間関係が絡み合い、間接効果が複雑に波及する。一般に、こうした効果はカオス的な振舞いを示し、そのの厳密な予測は不可能だと言ってよい。
生態系が人間の予想を超えた振舞いを示すという事例は、すでに数多く報告されている。この章の各論で取り上げるものも含めて、そのいくつかを列挙しよう。
- 農業生産は土壌生態系に支えられており、害虫・雑草の駆除を過剰に行うと、生態系が崩壊して永続的な農耕が困難になる。伝統的な複作は生態系を安定した状態に保つが、資本生産性(投入資本財に対する儲け)が低い。
- 漁業においては、海洋生物の生態系が完全に把握できていないため、乱獲による漁獲量の急減が起きることがある。ペルーのカタクチイワシ漁は、乱獲やエルニーニョの影響で、数年おきに壊滅的な打撃を受ける。
- 人工的な環境での作物栽培(人工照明と栄養を添加した水による野菜工場など)や畜産・養殖は、環境の調整に多大なエネルギーを必要とする。海産物の養殖の場合、河川や外洋からの流入物によって収穫量が大幅に変動する。
- 森林・湿地の生態系は、環境を調節する機能を持つ。森林の保水機能や干潟の汚水浄化機能を人工的な施設で代替するには莫大な費用を要する。
- 都市部の植生は気温の調節機能を担っており、その排除はヒートアイランド現象をもたらす。また、人工的環境の下でも、昆虫類などの節足動物の制御は困難である。
生態系がしばしば予測不能な振舞いをすることから、その保全には、そうした特性に応じた方法論が必要となる。近年に提唱されているのが、「順応的管理(adaptive management)」と呼ばれるもので、不規則に変化する事態に柔軟に対応していくために、次のような方法論が考案されている。
- 生態系の振舞いの完全な予測は困難であるので、従来の知見が誤りだったことがわかった場合には柔軟に管理指針を変更しなければならない。
- 生態系の管理は、政府や自治体による一元的なものでなく、多様な分野の研究者の議論を踏まえ、充分な説明にもとづいて関係者が深く理解した上で、望ましい管理の方針・手法・計画について合意を図るべきである。
- 不確実性に備え、具体的な管理が実施された後も監視を続けることが必要となる。監視の結果、一旦決定された方法が不適切だとわかった場合には、速やかにその変更が検討されなければならない。
- こうした順応的管理は、対象に含まれる不確実性の認識にたち、政策の実行を順応的な方法で、また多様な利害関係者の参加のもとに実施するものである。その計画は基本的に仮説であり、監視によって仮説検証を試み、その結果を見ながら新たな仮説を立てて、より良い方法を模索することが必要である。
この章では、具体的なケースをもとに、生態系を外部から制御することの困難さを示し、人間が生態系から切り離された別格的存在ではなく、生態系の中に埋め込まれた存在であることを明らかにする。
【第2章の参考文献】
【生物的多様性の現状】
- E.O.ウィルソン著『生命の多様性』(岩波書店)
- V.シヴァ著『生物多様性の危機』(三一書房)
- 『岩波講座 地球環境学(5) 生物多様性とその保全』(岩波書店)
- 大石 正道著『生態系と地球環境のしくみ』(日本実業出版社)
- 藤本 文弘著『生物多様性と農業』(農山漁村文化協会)
【耐性菌問題】
- J.キャノン著『超細菌の報復』(三田出版会)
- 平松 啓一著『抗生物質が効かない』(集英社)
【生物との共生】
- 松田 裕之著『「共生」とは何か』(現代書館)
- 渡部 重行著『共生の文化人類学』(学陽書房)
- 松永 勝彦著『森が消えれば海も死ぬ』(講談社ブルーバックス)
《考えてみよう》
近代文明は、人間を別格的な存在として生態系から切り離し、他の生物の中で役に立つものを取り出して利用しようとしているが、こうした考え方をどう思うか。漁業という形で野生の魚を捕獲して食べるのは環境破壊に通じるので、牛や豚のような家畜を飼育して食肉として利用するのが良いという主張は妥当だろうか。人工照明の下で野菜を水栽培する「野菜工場」は都市部で最適な農業なのだろうか。都市と生態系を調和させることは現実問題として可能かどうかも考えてみよう。
現代の若者には、微生物を忌み嫌い、抗菌グッズを使って遠ざけようとする人が多いが、人類にとって微生物とは悪者なのだろうか。人類と微生物の関係をもう一度問い直してみてほしい。
©Nobuo YOSHIDA