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古代ギリシャの宇宙像


 天空で起きるさまざまな現象について記述する天文学(astronomy)が、人類最古の学問の1つであるのに対して、われわれ自身を含む宇宙全体を統一的な対象として把握する宇宙論(cosomology)が学問的な体系として確立されるのは、今世紀に入ってからである。古代人にとって(あるいは、ほとんどの現代人にとっても)、現実に生きていく上で関心がある「世界」とは、日常的な出来事が起こる身の回りのたかだか数十kmの範囲にすぎず、天界、特に、太陽より彼方の世界は、地上とは法則も事象も異質の隔絶した領域でしかなかった。天と地を束ねる統一的な視座が得られるまでには、地道なデータの収集と、大胆かつ繊細な天才の閃きが必要だったのである。

 現代的な宇宙像と好対照をなすものとして、古代ギリシャにおいて宇宙がどのように捉えられていたかを見ておきたい。

 もちろん、中国やエジプトをはじめ、多くの古代文明圏で、宇宙に関する興味深い記述がなされており、私としても、その科学史的/文明史的な重要性を認めることにやぶさかではないのだが、古代ギリシャの場合、アリストテレスによって集大成された自然哲学的な主張が実に明解であり、現代科学の知見と比較する上で好都合なので、他の宇宙像に目をつぶって古代ギリシャだけを取り上げることにした。

 古代ギリシャの人々は、幾何学を応用して地形や天体を計測することに、相当の技量を持っていた。例えば、彼らは、天の北極(ほぼ北極星の位置に等しい)の方位が緯度によって異なるという観測事実に基づいて、大地が球形であることを認識していた。彼らが求めた地球の半径は、後に正確に測定された値よりも6割ほど大きかったが、この時代の成果としては驚異的である。また、必ずしも主流をなす見解とはならなかったが、ピタゴラス派の哲学者の中には、太陽を初めとする全ての天体が1日1回のペースで天空を周回するのは、地球が自転しているからだと主張する者もあった。
 古代ギリシャで展開された宇宙に関する議論の中で、最も驚くべきものは、後にアルキメデスによって紹介されているサモスのアリスタルコスの説だろう。彼は、三角測量の技法に基づいて、地球から太陽までの距離が月までの距離の19倍になることをつきとめた(実際には、2つの距離の比は 400なのだが、この差は結論を導くまでのロジックを打ち砕くものではない)。これほど離れているにもかかわらず、地球上から太陽と月がほぼ同じ大きさに見えるのは、太陽が月の19倍の直径を持ち、大きさ・質量ともに地球を凌駕する巨大な天体だからだ。そう考えたアリスタルコスは、巨大な太陽が自分よりも小さな地球の回りを周回するのは不自然であり、むしろ地球の方が太陽の周囲を回っているはずだと結論するに到った。これが、おそらく史上初の地動説(地球公転説)である。さらに、地球が大きな円を描いて運動しているのに、恒星の見かけの明るさや方位に季節ごとの変化が観察されない理由として、アリスタルコスは、これらの星が、人々に想像されているよりも遥か遠方にあるからだとも主張している。さすがに、この壮大な説は、アルキメデスですら荒唐無稽として斥けてしまったが、精密な観測機器を持たない時代にあって、人間の知性がいかに物事の本質に迫り得るかを示す好例と言えるだろう。
 このように、古代ギリシャにおいて、すぐれた哲学者たちは、既に、宇宙についての多くの知見を獲得していた。しかしながら、彼らには、ある理念が決定的に欠落しており、そのことが、近代の宇宙像と明確に一線を画する要因となっていた。それは、「法則の普遍性(universality)」という理念である。
 アリストテレスの著書に代表されるように、古代ギリシャにあっては、月軌道以遠を支配する天上の法則と、それより手前で成立する地上の法則は、その様相を全く異にする別個のものだということが、自明の理として納得されていた。地上付近では、物質を構成する(地水火風などの)諸元素の複雑な組み合わせによって、多様で精妙な現象が構成されるのに対して、天空には、整然たる法則が成り立っている。実際、人々の顔ぶれや暮らしは、年々歳々移り変わっていくが、夜空に煌めく星座は、いつの年も、同じ時日になると、同じ方位に同じ姿で現れる。と言うよりも、決して乱れることのない星の運行に基づいて、周期的な暦の概念が成立したのである。
 無常な地上世界とは対照的に、天上世界には、常に変わらぬ秩序が存在する。そう考えた自然哲学者の多くは、天空の秩序を表現する形式として、ごく自然に幾何学を選択した。幾何学とは、もともとは、土地の計測のために必要な実学として発展してきたものだが、古代ギリシャにおいては、定めのない現実に左右されない不変の理念を扱う原理的な学問として、高い地位を与えられていた。例えば、完璧な直角三角形を描くことは現実には不可能だが、ピタゴラスの定理は、理念的な直角三角形の3辺の関係を与える法則として、厳密に成立する。このように不変的な理念を表す幾何学の法則こそ、決して揺らぐことがないと思われた天空の秩序を表すにふさわしい。地上付近にある物体は、物の本性に従って、地球の中心に向かって落ちていくが、その経路は、途中にある障害物などによって微妙に歪められ、決して一様ではない。だが、天空の星々は、こうした地上の法則とは無縁であり、幾何学的な秩序に則って厳密に円軌道を描くのである(歴史的な正確さを期すならば、星がその上に載っている天球が、ある軸の回りに等速回転運動をしていると言うべきだろうか)。これが、アリストテレスによって集大成される古代ギリシャ的宇宙像の基本的な枠組みである。
 幾何学的な宇宙像は、古代ローマの時代になってますます理論的に精緻なものとなり、ついには、プトレマイオスの壮大な体系に到達する。この時点で既に、地球を中心とする単純な円軌道というアイデアは放棄されていた。特に、惑星の複雑な運行を説明するには、導円とか周天円など、現在ではほとんど理解しがたい奇怪な道具立てを用いなければならなかった。しかし、それでも、いくつもの円や球という幾何学的素材を組み合わせて、天体の運行を記述しようという基本的な方針に、変更はなかったのである。プトレマイオスの体系は、その後、千数百年の長きにわたって、アラビアおよびヨーロッパの宇宙論の礎となった。


©Nobuo YOSHIDA