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第1章.相対性理論

〜流れる時間への懐疑〜



ニュートン力学の基本概念

 ニュートンによって体系化された古典力学は、それまでの自然学に見られた曖昧な哲学的アイデアを排し、少数の明瞭な基本的概念と全宇宙で遍く成立する普遍法則とによって、力学的諸事象を定量的に記述するものであった。もっとも、錬金術や聖書の予言について研究していた「最後の魔術師」たるニュートンが、力学法則のみが支配する機械仕掛けのような世界の存在を信じていた訳ではあるまい。彼が目指したのは、力学によって記述可能な物質世界の外延を画定することであり、その限りにおいて、概念の厳格な適用を心掛けたのであろう。ともあれ、こうしたニュートンのストイックな態度のおかげで、近代の科学者は、力学における最も本質的な概念の何たるかを論じる共通の基盤を得たのである。
 ニュートン力学の基本概念としては、次の4つを挙げるのが妥当だろう。
  1. 空間:アリストテレスの『自然学』に代表される古代ギリシャの自然観では、月の軌道面を境に、その上を支配する天上の法則と下で成り立つ地上の法則を截然と区別するのが一般的だった。このような思想の背景には、「場所」が自然法則を左右するという考えがある。しかし、ニュートンは、場所による法則の差異を認めない力学体系の樹立を目指していたので、場所は、物体の位置を定める以外には物理的に意味を持たない単なる入れ物に格下げされることになる。こうした空虚な入れ物としての空間が、いわゆる「絶対空間」である。すべての物体は、この空間の中に存在し、その位置は、空間的な3つの座標の組(x,y,z)で表される。
  2. 時間:素朴な考えに従えば、物体の運動は、「ある時刻にその物体がどの位置にあるか」によって定められる。当然、運動について言及する際には、時刻を指定しなければならないはずである。こうした時刻は、すべての物体について共通に与えるのが素直なやり方なので、場所や状況に依存しない時間座標が導入されることになる。これが、絶対時間と呼ばれるものである。質点の運動は、時刻tにおける物体の位置(x,y,z)を与えることで決定される。実は、古典力学の定義には、「時間が流れる」ことはどこにも含まれていない。しかし、(ニュートン自身もそうであったように)日常的な直観に基づいて、「時間は全空間で一様に流れている」と考えるのが一般的である。
  3. 物質:古代からの自然観では、物の性質を定める複数の属性が存在するとされる。例えば、アリストテレスは、「水の属性」「火の属性」などがあって、それぞれの属性が含まれる割合に応じて運動の志向性を含めたさまざまな物性が定まると考えていた(「火の属性を持つ物質は上昇性を有する」というように)。しかし、こうした複雑な属性に言及していたのでは、定量的な普遍法則を確立することは困難である。ニュートンの力学体系では、物性に関与する属性はすべて捨象されており、「一定の質量を持つ物体」のみを論考の対象としている。こうした単純化が可能になったのは、ニュートンが原子論者であり、さまざまな物質の性質は、原子の組み合わせ方で定まると考えていたためだろう。その後の古典力学の発展においても、粘性や電荷などの性質は「力」の中に繰り込まれており、力が与えられたときの物体の運動を左右するのは質量だけだとされている。
  4. 力:歴史的には、力は物質に内在する性質だと考えるのが一般的だった。バネの弾性は、「元の状態の戻ろう」とする物質の本性に基づくという発想である。これに対して、ニュートンは、すべての力を物体の外部に由来するものと考え、物体間に働く力についての作用・反作用の法則を定立した。ただし、力を物体から切り離したことにより、力を伝達する媒質は何かという本質的な問題が残されたことになる。実際、ニュートンによって定式化された万有引力の法則は、一方の物体から他方へと瞬時に作用が伝播する「遠隔相互作用」の形式で表されており、多くの学者から批判された。ニュートン自身は、こうした問題を自覚しながらも、「我、仮説を作らず」の立場から、問題そのものを回避する方法を選んだ。確かに、デカルトのように重力は空間に満ちている媒質の渦動によって生じると見なした方が直観的にはわかりやすいかもしれない。だが、こうした検証不能な「隠された原因(occult cause)」を認めることは、数学的な記述に基づく力学体系の建設を困難にする。直観的なわかりやすさよりも理論の生産性を重んじる方法論は、その後のニュートン力学の発展によって示されるように、結果的に妥当なものだったと言えよう。
 「空間−時間−物質−力」という基本概念を定立した上で、ニュートンは、これらを用いて記述される普遍的な物理法則を提出する。実際、運動の3法則や万有引力の法則は、場所や状況に依存することなく常に成立する。アリストテレスならば、地上付近でリンゴが落下するのは地球の中心に向かう物質の本性に基づく運動であり、月が地球の周りを公転するのは幾何学的な秩序を保つ天上の法則に従ったものだと主張するだろう。しかし、ニュートンは、どちらも万有引力と運動方程式という普遍的な法則に従う運動だと考え、重力定数が両者に共通であることを示そうとした。この努力は、当初は、観測誤差のために必ずしも報いられなかったが、その後の理論の発展は、ニュートン力学の正当性を実証するものだった。


マックスウェルと場の理論

 ニュートン力学が曖昧さなく適用できるのは、「空虚な空間の中に浮かんでいるいくつかの質点が、互いの間に作用する遠隔力を受けて運動する」というケースであり、太陽系における天体力学がその典型的な例である。しかし、19世紀に入ると、こうした単純な枠組みでは記述できないケースが見いだされる。それが電磁現象である。
 点電荷による電気的な相互作用が、万有引力と同様な逆2乗則に従うことは、すでに18世紀後半にクーロンによって発見されていた(ただし、彼が提出した実験結果には捏造があると言われている)が、運動する電荷の相互作用や磁気現象との関係など、解明すべき点が多々残されていた。正規の科学教育を受けなかったファラデーは、こうした未解明の現象を研究するに当たって、電気力線・磁力線という可視的な表現法を利用して、電磁誘導の法則の発見など多くの業績を収めた。この直観的な表現に数学的な基礎を与え、その物理的意味を考察することに全力を傾注したのが、19世紀最大の天才物理学者と言われるマクスウェルである。彼は、当初、電磁現象を伝える媒質を想定し、その振動や渦動が電気的・磁気的現象の実体であると考えた。しかし、まもなく電磁気現象を媒質の力学的な性質に還元することにさまざまな障害が発生したため、もともとは連続媒質の力学的な変位と結びつけて導入したはずの量を、独立した物理量として取り扱うようになった。これが、空間の到るところに偏在し時間と共に変動する電場(x,y,z,t)および磁場(x,y,z,t)である。
 電磁場の導入によって、ニュートン力学に近接相互作用の考えが組み込まれた。物体は、遠隔的な万有引力に加えて、置かれている地点の電磁場からも近接的に力を受けることになる。もっとも、数学的には、これで(ほぼ)無矛盾の体系ができあがるが、電磁場の実体がわからないだけに、物理的にはどうにも据わりが悪い。やはり、電磁場は物質の一形態と考えた方が直観的にはわかりやすいようだ。こうして、マクスウェル自身が葬ったはずの電磁場の媒質−−エーテルが、物理学の基本概念の中に独自の地位を占めるに到る。
 ニュートン力学とマクスウェル電磁気学を組み合わせた物理学体系は、いささか不格好ながらも、それなりに整合性が取れていた。ニュートン流の空虚な入れ物としての絶対空間と一様に流れる絶対時間の概念は、温存される。全空間には、遍く電磁場の担い手たるエーテルが満たされており、その中に、原子から構成される通常の物質が浮かんでいる。エーテルは物質に(ローレンツが定式化した)力を及ぼし、物質はエーテルの状態を(マクスウェル理論に従って)変化させる。エーテルは物質の中にも浸透するのか、物質によって排除されるのかは、19世紀末の難問の一つだった。物質に加わる力には、電磁相互作用の他に遠隔力として定式化される万有引力があったが、この力とエーテルの関係は謎として残されていた。
 20世紀の初頭に到るまで、エーテルと物質の相互作用に関するマクスウェル/ローレンツの理論は華々しい成功を収めるが、その一方で、力学的な媒質としてのエーテルの不思議さが逆に際だってくる。よく知られているように電磁波には横波成分しか存在しないが、どんなに微細な隙間にも瞬時にしみ通るほど希薄なエーテルが、なぜ縦波ではなく横波しか伝えないのか。太陽系の惑星はエーテルの中を突き進んでいるにもかかわらず、なぜ周囲のエーテルをかき乱さないのか(このことは、背後の天体を隠す食の際の観測を通じて確認された)。そして、エーテルが存在せず光すら通さない空間を物理的に想定することがほとんど不可能であるのに、空間とエーテルを峻別する根拠があるのか。こうした問いに、世紀の変わり目の物理学者は、ほとんど答えることができなかった。ローレンツは、エーテルの力学的な性質を論じることを放棄し、現在の場の理論に近い考え方を採用しながらも、そうした態度の正当性を自らに納得させられないでいた。


マイケルソン/モーレーの実験とその波紋

 エーテルの奇妙さを決定づける実験は、1887年にマイケルソンとモーレーによって行われた。すでに、天体観測から、エーテルは(もし存在するなら)宇宙空間に対して静止しており、地球はその中を猛烈なスピードで進んでいることが知られていた。仮に、エーテルに対する地球の速度が太陽の周りの公転速度だとすると秒速30kmとなり、充分に観測可能な値である(当時は、まだ銀河系の回転については知られていなかった)。マイケルソンとモーレーは、干渉計を用いた光学的な測定によって、エーテルに対する地球の速度を求めようとした。
Fig1
 地球に対して静止している観測装置は、地球の速度と同じ大きさのエーテル流の中に置かれている。ここで、図のような干渉計を用い、同一光源からの光を2つにスプリットして、一方はエーテル流に平行に、他方はエーテル流に垂直に伝播させてみよう(平行・垂直でなく任意の向きでかまわないのだが、簡単のためそう仮定する)。静止エーテルに対する光速をc、地球の速度をVとすると、エーテル流に抗して遡る向きに伝播する光の速度はc−V、エーテルの流れに乗って運ばれる光の速度はc+Vになる。また、エーテルに直交する向きの光の伝播速度は、(c2−V21/2となる。この速度の差は、2つの光線の間に一定の位相差をもたらし、両者を重ねたときに、ある干渉パターンを形成する。ここで、装置全体を90°回転させると、今度は、エーテル流に対する向きが2つの光線で逆になり、その差に応じて干渉パターンも変化する。この変化をもとに、地球の速度Vを計算することができる。マイケルソンとモーレーは、水銀の上に浮かべた干渉計全体を静かに回転させて、干渉パターンの変化を測定しようとした。ところが、干渉計を回転させても、干渉パターンに何ら変化は見られなかった。これは、V=0であることを意味する。静止エーテルに対する太陽の運動が地球の公転運動をうち消す向きになっていたというありそうもない可能性を排除するために、地球の公転の向きが逆になる半年後に再び実験が行われたが、結果は同じだった。
 マイケルソンとモーレーの実験結果は、エーテル理論にとって喉に刺さった棘となった。ローレンツは、エーテル流に押されて干渉計を含むあらゆる物体が一定の割合で縮むならば、この実験結果を再現できることを示した。しかし、いかにもアド=ホックなこの仮説は、必ずしも学界で支持を得るには到らなかった。この謎を解明するには、空間や時間という物理学の基本概念を変更することが必要だったのだ。この革新的なアイデアに最初に到達したのは、当時26歳のアマチュア学者だったアインシュタインである。


アインシュタイン登場

 アインシュタインは、チューリヒ工科大学を21歳で卒業した後、しばらく無職の期間を過ごしてから、ベルンの特許局に就職した。彼自身は、大学に残って研究を続けることを希望したのだが、学生時代に自分の好きな勉強ばかりに精を出して授業をさぼっていたのが災いし、教授達の好意を得られなかったのである。アインシュタインが特に興味を持っていたのは、イギリスで発展していたマクスウェル流の場の理論であった。しかし、当時のドイツ語圏の大学では、化学熱力学の伝統が受け継がれており、若き学徒の期待に応える講義はほとんど行われていなかったという。
 ただし、特許局の仕事の傍ら物理学の研究をするという「アマチュア学者」に徹したことは、結果的に、アインシュタインに幸いだったのかもしれない。図書館が早く閉館になるので充分な文献に目を通すことができず、議論を闘わせる専門家もいなかったため、当時の学界の常識に捕らわれることなく、科学的概念の根本を再検討することが可能になったからである。
 いくつかのあまりパッとしない論文を書いた後、アインシュタインは、「奇跡の年」1905年に、憑かれたように科学史上画期的な3つの研究を成し遂げる。原子の実在性を立証し統計的運動学の方法論を切り開いたブラウン運動の理論、光電効果を説明しプランク分布の直観的な理解を可能にした光量子仮説、そして、特殊相対論である。これらはいずれも、あまり高度な数学を用いず、直観的なイメージをもとにして基本的な関係式を導き出しており、研究に際してのアインシュタインの一貫した姿勢が窺える。ただし、はじめの2つの論文が、大陸的な化学熱力学の伝統を踏まえているのに対して、特殊相対論の論文は、イギリス流の場の理論を全く独自の観点から再解釈しようとした点に特色がある。
 アインシュタインの特殊相対論は、数式だけ見ると、それ以前に行われていたローレンツやポアンカレの業績と比べて、格別に目新しい訳ではない。むしろ、数学的なエレガンスという点では、マクスウェル方程式を不変に保つ群を数学的に導いたポアンカレの論文の方がはるかに見事であるし、実験データに基づく論証の緻密さを元に採点すれば、確実にローレンツの側に軍配が上がるだろう(それ故か、この二人は暫くの間、特殊相対論の論文を黙殺した)。にもかかわらず、歴史的な評価ではアインシュタインの名声のみが輝いている。その理由は、ローレンツやポアンカレがニュートン力学の基本概念を前提として議論を進めているのに対し、アインシュタインが、空間や時間のような概念の認識論的な基礎を愚直なまでの真摯さで問い直した点にある。確かに、ローレンツは、式の上では特殊相対論とほぼ等しい「ローレンツ変換」の式をアインシュタインより10年も早く導いているが、彼はこの式を見かけ上の関係を表すものと解釈して、時間概念の変革が必要だとは考えなかった。数学的能力の点でアインシュタインを凌駕する天才的物理学者も、最後の1歩が踏み出せなかったのである。
 アインシュタインは、ローレンツやポアンカレとは反対に、直観に基づくヒューリスティックな(発見的な)方法論によって問題の在処を明らかにすることから始める。この方法論ゆえに、彼の論文は、プロフェッショナルな物理学者なら気恥ずかしく思うような素朴な筆致で執筆されており、良い意味でのアマチュア精神が横溢している。他の論文の引用が全くなく、末尾で物理学者ならぬ市井の友人に謝辞を捧げているところも、論文として型破りである。それまで常識とされてきた概念を根底からひっくり返すためには、こうした「異常さ」が必要なのかもしれない。


特殊相対性理論

 特殊相対論の論文は、次に引用するように、「絶対的な静止状態」があり得ないという指摘から始まる。
 通常の解釈に従えば、マクスウェルの電気力学を運動物体に当てはめた場合、現象の種類によらず、非対称的な議論が導かれる。例として、磁石とコイル(【注】原文には導体とあるがコイルと解釈した方がわかりやすい)のあいだに起こる電磁気的な相互作用を考えてみよう。このとき、観測される事象は、コイルと磁石の相対的な運動だけに依存する。ところが、従来の考えによると、2つの物体のどちらが運動しているかによって、はっきりした差異があることになる。磁石が運動し、コイルが静止しているときには、磁石の周りに一定のエネルギーをもつ電場が生じ、そのために、コイル内部に電流が流れる。その反対に、磁石が静止し、コイルが運動しているときには、磁石の周りに電場は生じない。そのかわり、コイルの中に、最初の場合の電場によって生じたのと等しい電流が流れる。…
 このような例と、さらに“光の媒質”に対する地球の相対運動を発見しようという試みの失敗をあわせて考える(【注】アインシュタインはマイケルソンとモーレーの原論文は読んでおらず、装置の詳細なども知らなかったようだが、実験結果については承知していた)と、電気力学の現象は、力学の現象と同様に、絶対の静止という概念を正当化するような性質をもっていないように見える。むしろ、これらの事実から、力学の方程式が成り立つすべての座標系に対して、電気力学や光学の法則が、いつも同じ形で成り立つと考えられる。…
 このような推測を第一の要請と見なして、相対性原理と呼ぶことにする。
 磁石を止めてコイルを動かしても、コイルを止めて磁石を動かしても、導線には同じ電流が流れる−−ポアンカレのような数学的な学者は、この性質を、理論に内在する対称性の現れと考えるところだが、アインシュタインは、よりストレートに、「一方が静止し他方が運動する」という絶対的な区分が不可能であると解釈した。粒子間の相互位置だけで力が決定する場合は、ニュートンの力学体系でもこうした「静止と運動の区分の不可能性」は存在する(ガリレオの相対性原理)。しかし、電磁気学のような場の波動解を許すような理論では、こうした解釈は困難だと考えられいた。波動の伝播速度の違いを通じて、静止と運動が区別できるはずだからである。例えば、観測される音の速さをもとに、観測者が空気に対して運動しているか否かは判定できる。こうした見かけ上の矛盾があるにもかかわらず、あえて場の理論に相対性原理を課すことが、特殊相対論の出発点である。
 興味深いのは、ここからアインシュタインが示した議論の展開の仕方である。彼は、マクスウェル方程式の正当性を仮定せず、光速度の不変性を原理として措定することによって、時間・空間概念がどのように変革されなければならないかを導いた。マクスウェル方程式を前提とすれば、光速度は物理定数として与えられているので、相対性原理の下で光速度が不変になることは論理的な帰結として導かれる。しかし、すでに光量子仮説の研究を通じてマクスウェル方程式が必ずしも厳密に成り立っているわけではないことを知っていたアインシュタインは、こうした論法を採らず、電磁的現象の中で時間・空間と最も密接に結びついていると思われる光速度を取り上げたのである。特殊相対論の論文で、光速度不変性は、「光は常に真空中を一定の速さcで伝播し、この速さは光源の運動状態には無関係である」と表現されているが、マクスウェル方程式を前提とすれば、光速はもともと光源の運動状態に無関係なので、この言い回しは冗長である(多くの人が誤解しているのでついでに言うと、「観測者」なる概念は特殊相対論を構築する上で本質的な役割を果たしておらず、「光速が観測者の運動状態に無関係」という主張は物理学的に無意味である)。アインシュタインは、マクスウェル方程式のみならず、あり得うべき電磁気学のすべての理論に対して、光速度の不変性を要請しているのだ。特定の方程式系を前提とせず、最も本質的と思われる条件だけを剔抉する−−こうしたヒューリスティックな方法論が、アインシュタインの特徴である。光速度不変性の要請はいささか天下り的なので、相対論に対する批判者の多くがこれを標的としたが、相対論の陣営からすると、これは痛くも痒くもない。光速度不変性は、あくまで時空概念の変革という高みに上るための踏み台であり、ひとたび変革が成し遂げられた暁には、取り去ってもかまわないのである(実際、一般相対論を建設する過程で、この要請は棄却されている)。
Fig2
 相対性原理と光速度不変性は、ちょっと考えると現実には成立しないように思われる。例えば、両端に光源と受光器が取り付けられている長さLの台を考える。 この物体に対して静止している座標系で、時刻t=0に光源から光が発射されt=Tに受光器に到達したとすると、光速はc=L/Tとなる(左図)。 ところが、この物体に対して運動している座標系から見ると、光の伝わる距離が変化するので、光速はL/Tとは異なった値になるはずである(右図)。 単純に考えれば、光源が速度vで(光の伝播方向に)運動しているときには、光速はc±vになると予想される。
 こうした見かけ上の矛盾に対して、アインシュタインは、論文の最初の章で、同時性の概念を再検討すべきだと主張する。
 質点の運動を記述するには、その座標の値は、時間の関数として与えられる。ただし、ここで注意すべきことがある。こうした数学的な記述は、“時間”をどのように考えるかを明確にしない限り、物理的に無意味だという点である。一般に、時間が関与するすべての判断は、常に同時に起こる事件についての判断である。たとえば、私が「あの汽車はここに7時に到着する」というとき、それは、「私の時計の針が7時を指すことと、あの汽車の到着とは、同時に起こる事件である」という意味なのである。
 “時間”の定義にまつわる困難は、“時間”の代わりに、それを“私の時計の針の位置”によって置き換えれば解決できると思われるかもしれない。事実、このような定義は、時計のある場所だけにおいては正しい。しかし、離れた場所で起こる2つの事件を時間を使って表そうとするときには、使えないのである。つまり、上記の定義は、違った場所でつぎつぎと違った時刻に起こる一連の事件を、1つの時間で表すときには、もはや正しくない。あるいは、同じことだが、時計から離れたいくつかの場所で起こるいくつかの事件の時間を計ろうとするときには、この定義は成り立たないのである…
 先の光源と受光器の例で、光源と受光器のすぐそばに時計を置いて考えよう。光が光源から発射されたときと受光器に到着したとき、各地点に置かれた時計の針がそれぞれt=0とt=Tを指していることは、座標系に依存しない。しかし、光が発せられた瞬間に受光器側の時計がt=0を指しているかどうかは、必ずしも明らかでない。アインシュタインの議論によると、台が静止している座標系で両端の時計が同期している場合、台が矢印の向きに運動している座標系では、受光器側の時計が光源側の時計よりも遅れている。このため、光は、受光器側の時計で見ると、t<0からt=Tまでの間にLよりも長い距離を進むことになり、光速度不変性の原理と矛盾しなくなる(右図)。
Fig3
 アインシュタインは、このことを論文の中で次のように明確に主張している。
 同時性という概念には、絶対的な意味を与えることはできない。2つの事件がある座標系から見て同時刻に起こったように見えても、その座標系に対して運動している別の座標系から見ると、もはや同時刻の事件とは言えなくなるのである。……
 同時性の変更という革新的なアイデアを梃子に、アインシュタインは、驚くべき相対論的効果を次々と導いていく。
Fig4

相対論的な効果

 時空概念の変更を要求する相対論的な効果は、大きく分けて、次の3つである。
 
(1)同時性の変更
ある座標系KでLメートル離れた2つの時計A,Bが同期していた(同じ時刻には針が同じ位置を指していた)とする。この時計を、B→A方向に毎秒vメートルの速さで運動する座標系K′で見ると、時計Bは時計Aに較べてvL/c2秒だけ遅れている。ただし、cは真空中の光速度(秒速30万キロメートル)である。
【例】v=30km/s(地球の公転速度)、L=10kmとすると、時計BはAに較べて 0.000000003秒遅れている。
Fig5
(2)時間の遅れ
Kで正確に時を刻んでいる時計は、K′で見ると、1秒分の目盛りだけ針が進むのに
 1/(1−v2/c21/2
秒だけかかる。
【例】30km/sで動く時計は1秒間に0.000000005秒遅れる。
 
(3)空間の短縮(ローレンツ短縮)
Kで正確な目盛りの物差しは、K′で見ると、1メートルの目盛りの間隔が
 (1−v2/c21/2
しかない。30km/sで動く物差しは、1mの目盛りが 0.000000005mだけ短くなる。
Fig6

相対論の解釈

 アインシュタインは、時空概念が大きく変革されねばならないことを示したが、その真の意味を洞察するには到らなかった。相対論が持つ底知れぬ物理的意義を明確にしたのは、大学時代にアインシュタインを教えた(出来の悪い生徒だと思っていた)こともあるミンコフスキである。彼は、特殊相対論が時間を4番目の座標とする4次元世界の幾何学に対応することを示した。時間は、一様に流れて変化の契機となるものではなく、空間と同じく1つの拡がりの次元なのである。
 ミンコフスキの解釈を用いれば、座標系によって同時性が異なることも納得できるだろう。「過去」はすでに過ぎ去り「未来」は未だ来ず、ただ「現在」という瞬間だけが唯一の実在性を担っていると考えると、これが全世界で共通でないという相対論の帰結は、不可解でしかない。しかし、世界が時間的に拡がって存在しているならば、同時刻とは、4次元的な世界を切断するときの1つの切片にほかならず、一意的に定まる必然性はない。また、静止と運動の区分がなくなるという主張も、物体を時間方向に拡がりを持つ4次元的存在だと考えればわかりやすい。宇宙空間に漂う1本の棒が絶対的な意味でまっすぐか斜めかを言うことができないのと同様に、4次元時空の中でまっすぐか斜めか(静止しているか運動しているか)を語ることは意味がないのだ。
 世界が時間的に拡がっているという相対論の解釈は、必ずしも全ての学者に受容されている訳ではない。アインシュタイン自身、こうした4次元時空のアイデアに対して当初は難色を示しており、一般相対論の構築に向かう1912年頃から漸く受け入れるようになった。「現在」という瞬間が何らかの物理的意味を持つはずだという主張は、最近でも、プリゴジンやペンローズのような大物学者によってなされている。しかし、4次元時空のアイデアを越えるような画期的理論はいまだ提出されておらず、今のところ、世界の時間的な拡がりを認めずに物理学的に首尾一貫した議論を行うことは難しい。
 相対論のこうした解釈は、多くの哲学的な含意を持つと考えられる。例えば、人間は、誕生から死に到るまで時間的に拡がって存在することになり、自由意志による行為の選択は不可能となる。いわば時間軸上に投げ出された存在である人間に、どのような価値が認められるのか。ベルグソンら多くの哲学者が相対論に対して激しい反感を示したのも、こうした問題意識があったからかもしれない。興味深いことに、拡がった時間と人間の価値の関係については、道元に代表される仏教哲学が独自の解答を与えている。物理学の話題から逸脱するので、ここでは触れないが、関心のある人は、『正法眼蔵』のような仏教哲学の真髄を示す著書に挑戦していただきたい。


©Nobuo YOSHIDA