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§3.ネット上の悪意


 ネット利用者の増加とともに、犯罪ないしそれに準ずる行為に悩まされる人も急増。多くの場合、加害者は罪の意識に乏しい。また、ネット依存症・携帯依存症のように、新しい心の病も見られるようになった。


電子メールのトラブル


メールの盗み読み

 最近になってインターネットに加入した人の大半が電子メールを利用しているという統計があるが、流行に倣って使い始めた新規ユーザの多くは、電子メールがハガキほどの守秘機能も持っていないことを認識していないらしい。この結果、企業や個人の秘密が、いとも簡単に漏洩してしまうという問題が起きている。

 電子メールの内容は、インターネットに接続されたコンピュータ間をバケツリレー方式で転送されていくため、ルート上のサーバの管理者(および優秀なハッカー)は、たやすくメールの内容を読むことができる(近年は経由するコンピュータが少なくて済むような通信の手順が採用されてはいるが…)。メールを送る際には、他人に読まれる可能性があることを常に認識しておくべきである。

 特に、社内にイントラネットを構築し、社員にメール・アカウントを発行して電子メールが利用できるようにしている企業の場合、社員がやり取りするメールは必ず会社のメール・サーバを経由するので、上司は常に社員のメールを閲読できる立場にある。社内メールの閲読は法律違反になる(信書の秘密を犯す)のではないかという議論もあるが、会社は業務のためのツールとして端末などを与えているので、「私用メールも認める」という社内規定がない限り、メールの閲読も業務管理の一部であり合法的だという見解が一般的である(イギリスでは、企業側が従業員に無断で社内メールを閲読することが、2000年に制定された法律で正式に認められている)。多量のメールがやり取りされているときには、特定のキーワードを含むメールだけを閲読することも可能なので、会社に弱みを握られないためにもプライベートな通信は避けるべきである(ついでに言えば、会社のコンピュータを使ってWWWを閲読した場合も、どのサイトのページを見たかが記録に残るので、私用に使うべきではない)。日本企業の56%が何らかの方法で従業員のメールをチェックしており、私用メールに関しては、2/3が「管理する必要はあるがある程度の自由を認めるべき」と答えている(日本ボルチモアテクノロジーズ調べ;日経エレクトロニクス2001.8.13.)。メール管理が必要な最大の理由は、生産性の低下があるためで、以下、ウィルス感染・機密情報の漏洩・法的責任の発生などの問題が指摘されている。

 2001年に東京地裁では、無断でメールを見た上司をプライバシー侵害で損害賠償を求めた女性に対して、常識を越える範囲で私用メールを行っていたこと、監視の目的や方法が社会通念を逸脱していないなどの理由で請求を却下する判決が出された。ただし、いっさいの私用メールを禁止するのは過度の規制であるとの見方もあり、私用メールをしただけでは職務専念義務違反には当たらないとする判例も出されている。私用メールを規制する場合は、社内ルールを明確にする必要があるだろう

 通信事業者を介した一般的なメールの場合、通信事業者がメールを無断で読むことは電気通信事業法で禁じられているが、メールが転送されるサーバの管理者は、この限りではない。クレジットカード番号を記載した電子商取引のメールや、トレードシークレットの属する商談のメールなど、外部に対して秘匿すべき内容のものは、安全のために暗号化するのが常識である。通販会社など多くの商用メールが送られてくる企業では、公開鍵暗号方式を利用して顧客の秘密を守るようにしている。個人的なメールのやり取りでも、携帯電話の番号など他人に知られると迷惑を被るものは、暗号化するか、メールに記載するのを止めるようにしなければならない。

【参考】公開鍵暗号
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 秘密鍵と公開鍵という2つの鍵(巨大な数字)を利用した暗号方式。送信者は、公開されている公開鍵を使ってメッセージを暗号化する。この暗号は、受信者だけが知っている秘密鍵を使わなければ解読できない──正確に言えば、解読するのに膨大な手間を要する──ため、途中で傍受されてもメールの内容を盗み読みされる心配は小さい。
 公開鍵暗号の解読しにくさは、巨大数の素因数分解が難しいという数学の経験則に基づいている。ただし、近年、素因数分解を短時間で遂行するアルゴリズムが開発されつつあり、安全性は低下している。米政府が標準暗号として採択したDES方式は、1998年にはスーパーコンピュータを3日間動かすことによって解読された。安全性をさらに高めた新しい暗号方式は、米標準化団体やISO(国際標準化機構)で検討中。
迷惑メール(スパム、ジャンクメール)
スパムとは、ある食品会社製の缶詰の名称で、風刺コメディの『モンティ・パイソン』でジョークのネタにされてから、ジャンクフードの代名詞となった。今では、迷惑メールの意味で使われることが多い。

 インターネットでは、しばしば大量の迷惑メールが多数のユーザに送りつけられることがあり、社会問題化している。インターネット白書(1999年版)によれば、35.2%のユーザが迷惑メールの受信経験があるという。迷惑メールには、次のようなものがある:

  1. 出会い系サイトなどからの広告・勧誘メール : 迷惑メールの中で最も多いのがこのタイプのもの。iモードの初期設定である「電話番号@docomo.ne.jp」というアドレスに対して、コンピュータから無作為に送信していることが多い。2001年の調査では、NTTドコモが扱う1日10億通のメールの90%が宛先不明であることから、この手の勧誘メールだと推定される。こうした迷惑メールを1日10通以上受信する利用者は全体の15%に上る。このほか、アダルト・サイトでメール・アドレスを記入したりすると、猥褻ビデオや写真集の勧誘メールが次々に送られてくることがある。「元手なしに毎月100万円稼げます」などの詐欺とおぼしきメールもある。
  2. チェーンメール : 「同じ内容のメールを誰かに送れ」というメッセージが書かれたメールで、これを真に受けて実行する人がいると、ネット上で増殖する。ウイルス情報・芸能人の噂・病気の少女を助けるボランティアの募集などもっともらしい内容のものもあるが、情報の信頼性はない。「電子メールの連鎖をできるだけ伸ばして世界記録を作りギネスブックに申請します」というメールもあるが、サーバに負担をかけて迷惑なだけのチェーンメールの記録がギネスブックに登録されることはあり得ない。
  3. 誹謗中傷・セクハラ・脅迫メール
  4. ウィルス添付メール

 迷惑メールの横行に対処するため、2002年7月に迷惑メール防止法(特定電子メールの送信の適正化等に関する法律)が施行され、不特定多数に向けて送信される広告メールに関して、(1)発信者のメールアドレスの表示義務、(2)受信拒否した消費者への再送信の禁止、(3)架空アドレス((適当な数字)@docomo.ne.jpなど)への送信の禁止──などが定められた。当初、違反者には50万円以下の罰金が科せられていたが、2005年の法改正で、1年以下の懲役または100万円以下の罰金の刑事罰が科せられることになった。ただし、勧誘メールに受信拒否できる旨を記すことが義務づけられたことを逆手に取り、デタラメにメールを送信し、送られてきた受信拒否の通知を利用して「実在アドレス」を収集する業者もいる。このため、2008年にさらに改正が行われ、(1)同意がない限り送信禁止、(2)違反者に3000万円以下の罰金──という厳しい規制となった。ただし、近年増加している海外発の迷惑メールには、この法律は無力である。

 件名に不特定多数向け広告メールであることを表す「未承諾広告※」という表示を義務づける経産省省令も2002年7月から実施されている。ただし、業者側もこうした規制に対抗する方法を編み出している。「未承諾」の代わりに「末承諾」と記入して、迷惑メールをゴミ箱送りにするフィルター機能をかいくぐる知能犯もある。また、最近では、架空アドレスへの送信ではなく、実在アドレスのリストを利用しているケースが多い(インターネットでは、迷惑メール業者向けにアドレスが1件当たり数円程度で闇取引されている)。

 個々のプロバイダ(接続業者)による迷惑メール対策も進んでいる。ただし、プロバイダがメール内容を検閲してスパムと判断したものの送信を止めることは、電気通信事業法で禁止されているため、多くのプロバイダは、受信者からの依頼で特定発信者からのメールの仲介を停止したり、件名に迷惑メールであることを付記するサービスを実施している。NTTドコモの場合、利用者が指定するサイト以外のパソコンから送信された電子メールを受信しない「ドメイン指定受信機能」が2002年1月からiモードに追加された。

 行政も迷惑メール対策に乗り出しており、2003年には、携帯電話の架空アドレスに300万件の宣伝メールを送信した男が、プロバイダのメールサーバをダウンさせた偽計業務妨害の疑いで逮捕された。また、2009年には、未承諾のまま大量の迷惑メールを送信していた業者に業務改善指示の行政処分が出された。

 海外でも、迷惑メールの被害が拡がっている。国連貿易開発会議の2003年版『電子商取引と開発』によれば、迷惑メールが電子メール全体に占める割合は、2003年末に50%を突破し、その対応で企業活動にかかる余分なコストは、最も悲観的な見積もりで200億ドルに達するという。EUでは、広告メールの送信を希望する消費者は登録を行い、それ以外の相手に一方的に広告メールを送信することを禁じるという厳しい規制が2003年10月に発効し、各国でこの規制を実行するための国内法の整備が進められている。インターネットの規制に対して消極的だったアメリカでも、迷惑メールの急増に電子メール利用者の7割が不快感を示すようになって、2003年に規制法が成立した。それによると、迷惑メールの受け取り拒否を希望する消費者は登録を行い、登録された相手に一方的に広告メールを送信した企業は刑事罰の対象になる。EUに比べると穏やかな規制であり、実効性に疑問の声が上がっている。

ネット上での名誉毀損・情報の歪曲


ネット中傷

 多くのウェブサイトで「掲示板」と呼ばれる意見交換の場が用意されているが、ここに個人や企業を誹謗・中傷するメッセージが掲載されることがある。また、いわゆるホームページ(ブラウザで閲覧できるWWW上のページ)に、同様のメッセージが載る場合もある。財団法人インターネット協会の調査(2003)によると、ネットを利用している会社員の3人に1人が「会社や個人がネットで批判された経験がある」と回答、うち15%は「虚偽の情報を流された」という。営業方針への批判や人事情報など、社員が書いたとしか思えないものも多い。

 インターネットでは匿名で発言でき、職種や地位を反映させたパーソナリティの仮面(ペルソナ)を被る必要がないため、社会的な立場によらない「匿名の人格」が形成されやすい。この「匿名の人格」は、社会的な規範に束縛されず、しばしば下品で攻撃的になり、平素からは考えられないような悪口を平然と表現する。不特定多数の目に触れるところでの誹謗・中傷は名誉毀損という刑法犯罪に当たり、民事の損害賠償請求も行える。ただし、企業に対する告発として社会的に効果を発揮するケースもある。

 深刻化するネット中傷に対して、警察や裁判所も対抗し始めている。2009年、自分のホームページにラーメンチェーン店に関して「飲食代の4〜5%がカルト集団の収入になっている」と書き込んだ会社員に対して東京高裁は罰金30万円の有罪判決を出した(一審は無罪、最高裁に控訴中)。また、2009年には、男性タレントのブログに「殺人犯」などと書き込んだ7名が、脅迫や名誉毀損の容疑で書類送検された。

 ここで問題となるのは、メッセージを掲載する場を与えたプロバイダ(インターネット接続業者)やパソコン通信会社の責任である。1994年に、パソコン通信ニフティサーブの掲示板上で中傷された女性会員が、書き込みを行った男性会員とともに、掲示板を提供していたニフティおよび掲示板の運営責任者(シスオペ)を相手取って賠償請求した裁判の場合、一審の東京地裁でニフティと運営責任者が「削除義務を怠った」責任が認められて10万円の損害賠償が言い渡された。しかし、二審の東京高裁判決では、ニフティや運営責任者に削除責任はないとされた(書き込みを行った男性会員は、50万円の賠償が認められた)。掲示板は自由な意見交換の場であり、サーバ(掲示板サービスを行うコンピュータ)の管理者が検閲を行うのは好ましくないという考えも根強い。しかし、インターネットが持つ巨大な影響力を考慮して、明らかに不適切なメッセージに関しては、サーバ管理者が責任をもって削除すべきだという意見もある。欧米でも国や州によって見解が分かれているが、サーバ管理者の法的な責任を認めているところも少なくない。

 こうした曖昧な状況を打破するため、2002年5月にプロバイダ責任法が施行された。この法律によると、掲示板の書き込みなどに関して、他人の権利を不当に侵害しているという相当の理由がある場合(例えば、携帯電話の番号を書き込まれて多数のいたずら電話が掛かってきているケースなど)、プロバイダは発信者の同意なしに削除できる。何が「相当の理由がある場合」に該当するかに関しては、プロバイダ向けのガイドラインが作成されている。また、権利侵害の事実を知っていた(あるいは知ることができたと認められた)にもかかわらず放置した場合、プロバイダが被害者に対する賠償責任を負うこともある。ただし、プロバイダが権利侵害の事実を知り得なかった場合は免責となる。

 プロバイダ責任法によれば、権利を侵害された者は、プロバイダに対して発信者の情報の開示を請求できる。ただし、「(この請求権が)濫用されることのないよう配慮し、発信者の表現の自由の確保および通信の秘密の保護に万全を期すこと」との附帯決議がある。この問題に関しては、被害者救済のために身元開示が必要だという意見と、表現の自由を損ない内部告発などを困難にするため慎重にすべきだという意見があり、いまだコンセンサスは形成されていない。「2ちゃんねる」に「卑怯なまねをする弁護士」と書き込まれた弁護士が発信者の住所・氏名を開示するよう求めた裁判の場合、2003年に東京地裁が「(開示が認められないと)被害者の権利救済の道を閉ざすことになる」として、DDIポケットに発信者情報の開示を命じる判決を下した。

情報の歪曲

 ネット上の情報は玉石混淆で、誤った情報も多い。2005年には、Yahooのニュースページをまねたサイトに「中国軍 沖縄に侵攻」というウソ記事が掲載された。犯人は「偽サイトを作って公開するまでに5分しか掛からなかった」と語った。

 故意に(時には明確な悪意を持って)偏見や差別を助長し憎しみを煽るようなサイトが少なくない。こうしたサイトでは、しばしば「ユダヤ人ホロコーストは虚偽情報である」「南京虐殺はなかった」など、意図的にねじ曲げた情報が掲載されている。2004年に、中国・韓国で反日運動が激化したが、その背景には、こうした運動を煽る反日サイトの存在があると言われている。ただし、マスコミなどでタブー視されている独自の意見を発表する場にもなっているため、その存在価値を一概に否定はできない。また、必ずしも犯罪とは言えないため、一方的に削除するのも難しい。

 こうしたサイトに惑わされないためにも、判断能力に乏しい子供に対しては、「提示された情報を鵜呑みにしない」「データと意見を峻別する」などのネット教育を施すことが必要だろう。




©Nobuo YOSHIDA