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序章.産業社会の持続可能性



 20世紀における大量消費文明は、野放図に資源を簒奪し廃棄物を環境中に排出することによって成立していた。こうした社会体制が成立した背景には、市場経済における利潤拡大の動きがある。
 産業活動を行うために必要なさまざまな天然資源(土壌、水、大気、鉱物など)は、所有者のない「公共財」であるため、その消費は、個々の企業の収支勘定には計上されず、一般に対価の支払いや資源の補填が行われることはない。また、廃棄物の排出に関しても、近年まで環境汚染に対する補償を行う必要がなかった(現在でもごく一部に限られる)。従って、利潤を拡大しようとするならば、無料の天然資源を最大限に利用し、産業活動を圧迫しない範囲で廃棄物を環境中に投棄するのが最も簡便な方途だったと言える。
 市場原理に従って成立した20世紀的な大量生産・大量消費・大量廃棄社会は、しかしながら、いつまでも持続させることが物理的に不可能になっている。都市部の地下水は既に地盤沈下が深刻になるほど減少しているし、化石燃料も(新たな油田の発見などが相次がない限り)21世紀半ばには枯渇することが予想される。また、環境中への廃棄物の放出を続けた結果、水質・土壌・大気の汚染が生態系や人間の健康に悪影響を及ぼす段階に達している。現在の産業社会のあり方を根底から見直さなければ、21世紀中に、現代文明は破局を迎えることも懸念される状況である(下図)。

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 1992年にリオデジャネイロで開催された環境サミットでは、こうした状況に対する危機感から、「持続可能な発展(sustainable development)」という考え方が打ち出された。一方的な資源の簒奪と廃棄物の放出をいつまでも続けることは、物理的に不可能である。持続可能性を実現するためには、地球に降り注ぐ太陽エネルギーと自然界に備わっている環境浄化作用が許容する範囲内で、産業活動を行わなければならない。
 太陽エネルギーは、光合成を通じて植物体にエネルギーを供給し、生態系内部での食物連鎖の端緒を作るほか、海水の蒸発による水資源の淡水化や偏西風やモンスーンなどを含む大気循環の形成なども行っている。こうしたことが可能なのは、太陽光が、低エントロピーの“質の高い”エネルギーだからである(ちなみに、熱は最も“質の低い”エネルギー形態であり、太陽光の質の高さを維持している石油や石炭を燃やして熱に変えてしまうのは、資源の無駄遣いでしかない)。持続的なエネルギー源として利用できるのは、常に供給されている太陽エネルギーとその派生物に限られる。
 一方、バクテリアなどによる自然の浄化作用も、あまり大量の廃棄物を放出しなければ、充分に有効である。例えば、河口付近に形成される干潟では、底生生物やプランクトンが河川に混入した人工の有機物を分解して、水を浄化してくれている。また、土壌に投与される化学肥料も、ある適正量を超えなければ、微生物や植物体が栄養源として吸収して、付近の河川や地下水を汚染することはない。このように、大量の廃棄物を野放図に放出せず、自然浄化力の範囲に抑えておけば、環境の汚染度が増悪することはない。
 ただし、現実問題として、太陽エネルギー(水力・風力・バイオマスを含む)と自然の浄化作用の許容する範囲は、現在の高度産業社会における入出量よりも格段に小さいため、バランスをとるためには、これまで廃棄されていた物の一部を再資源化して利用する必要がある。「持続可能な発展」とは、こうしたリサイクルのルートを生かして、先進国においては従来の大量消費文明が実現した生活水準を低下させず、発展途上国においては環境破壊を伴わない豊かさを生み出すことだと考えられる。
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©Nobuo YOSHIDA