質問 一般的に、我々が時間と呼び、感じているものは、科学的にはどのように解釈されているのでしょうか。【現代物理】
回答
 「時間」という言葉で一般的に指示されているのは、ある理論で明確に定義されるような物理的実体ではなく、さまざまな階層で見られる異なった性質が、イメージの中で1つに総合されたものと言えます。
 現代物理学で最も基礎的な理論とされる一般相対論では、時間は空間とともに、その上でさまざまな現象が生起する「フレーム」として扱われています。一般相対論の時間は、ニュートン力学に現れるような固定された枠組みではなく、エネルギーの分布に応じて空間と混じりながらゴムのように伸び縮みする可変枠だとされますが、宇宙が始まった直後やブラックホールの周辺のように重力の強い領域を除けば、実質的に、どの時刻も物理的に差のない直線的な(のっぺりとした)時間軸を考えてかまいません。ただし、この場合の時間は、その「流れ」に従ってさまざまな現象が生起するという“変化の要因”ではなく、空間と同様の単なる“拡がり”と見なされます。
 多くの物理学者の努力にもかかわらず、一般相対論を越える理論は、今なお完成されていません。しかし、現代物理学の二本柱である一般相対論と場の量子論が統合された暁には、時間や空間の意味づけがさらに大きく変わると予想されます。現在の理論では、時間・空間という枠組みの上に(物質的現象の実体である)“場”が存在していると見なされていますが、完全な統一理論では、“場”と時空を区別する必要がなくなり、むしろ、時間や空間の方が物質的な現象を通じて生み出されると考えられています。もっとも、こうした新しい時間概念が確立するには、あと数十年かかりそうです。
 “変化の要因”としての時間を扱うのは、「力学系の理論」と総称されるジャンルです。この理論は、物質の振舞いを記述する方程式を解いたときに、(固定された)時間軸に沿ってどのような現象が現れるかを明らかにするもので、最近では、コンピュータを用いて方程式を解く試みが盛んに行われています。ほとんどの物理現象で、大局的に見ればエントロピーと呼ばれる「無秩序さ」を表す物理量が単調に変化すること、そうした中でも、部分的にエントロピーが減少して混沌の中から秩序が生まれる可能性もあることなどが、この理論の枠内で示されます。「時間は逆戻りしない」「この世の中には取り返しのつかない出来事がある」といった時間の性質は、力学系の理論によって明らかにされます。
 日常的に実感される時間には、「過去」はすでに過ぎ去り「未来」は未だ来たらず、ただ「現在」だけが実在しているという決定的な特徴があります。実は、この性質は、物理的なものではなく、人間の認識能力に関係するものです。人間の大脳皮質ではさまざまな情報処理が異なった部位で遂行されており、“意識の座”である前頭葉連合野には異なる時刻の情報が集まって結びつけられています。意識においては、知覚データをメインとする「現在」のイメージに、行動指令と予測という二つの側面を持つ「未来」と記憶としてコードされた「過去」がない交ぜになって現れます。こうした意識の時間構造が、「現在」だけが実在的だという実感を生んでいると想像されます。ただし、この問題に関しては、まだ解明されたというにはほど遠い状況です。
 なお、現代科学における時間に関しては、「科学の回廊」 の「現代科学と時間」でも触れていますので参考にしてください。

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質問 次世代の主力エネルギーのひとつであり、かつ最も現実的な選択肢足り得る原子力エネルギーの応用について、2つ質問があります。【技術論】
1.現在、日本をはじめ世界各国で走っている列車は、そのほとんどを電気エネルギーに依存していますが、近い将来、動力を原子力とする列車が生まれることは有り得ないことなのでしょうか。海外では原子力潜水艦が世界を自由に闊歩しています。しかし、これは軍事技術の粋を集めて作られたもので、民生品への転換は難しいところがあるので、一概には比較できないでしょうが。
2.日本人よりもはるかに優れた面がある、ドイツ・アメリカなどでは、原子力エネルギーをあまりにリスクが大きすぎるということで敬遠する動きがあるようですが、日本は現在のままの方針でいってよいものでしょうか。日本は自国で有効なエネルギーを確保しづらいので、これも一概には比べられないでしょうが。
回答
 1.1950年代の科学読み物には、未来の乗り物として原子力を動力とする高速鉄道が描かれていました。しかし、こうした原子力列車は、主として安全上の理由で実現されそうもありません。
 原子炉の炉心部は、核分裂の際に放出される人体に有害な中性子線が飛び交い、強い放射能を帯びた核分裂生成物が蓄積されるため、環境から厳格に隔離する必要があります。原子力発電所の原子炉では、頑丈な鋼鉄製の圧力容器や分厚いコンクリートでできた格納容器を備えることによって、環境からの隔離を実現しています。こうした容器が安全を保つ上で決定的な役割を果たすことは、炉心が破損しながら放射性物質の飛散が防がれたスリーマイル島原発事故の経験を通じて確認されています。また、炉心部から冷却材が失われると炉心溶融を起こしてしまうので、信頼性の高い冷却材循環装置と、万一のための複数のバックアップ装置(炉心部にポンプで冷却材を送り込む緊急炉心冷却装置など)も必要となります。こうしたことから、原子炉は数多くの装置群に囲まれ、体積・重量が大きくなりすぎるので、列車に搭載するには問題があります。また、振動によって冷却材用パイプの継ぎ目が破損したり、衝突事故などで容器が壊れる危険があることからも、原子力列車は実現が難しいでしょう。
 米ロの海軍には、小型の原子炉を積み込んだ原子力潜水艦が就航していますが、これらは、長期間補給なしに潜水して隠密行動を取るという軍事的な目的のために開発されたもので、安全性は必ずしも万全ではありません。冷却材に発火しやすいナトリウムを利用していることもあって、これまで何度か火災事故や沈没事故を起こしています。当然、同じような原子炉を一般市民が利用する乗り物に転用するわけにはいきません。
 原子炉を搭載した民生用の乗り物としては、巨大な装置群を収容できる・周囲に冷却材として利用できる水がある・高速で衝突することがない・振動が少ない−−などの点から、大型船舶が唯一の候補とされていました。しかし、放射能漏れ事故の際には海洋を汚染する上に逃げ場所のない乗員を危険に晒すことになるため、現実に作られることはないでしょう。

 2.原子力を利用すべきかどうかは、安全性・経済性・代替可能性などを総合的に判断して決定する必要があります。
 1970年代までは、原子力発電は、事故発生確率の計算によれば充分に安全(ラスムッセン報告によれば大事故は10億年に1回程度)で、火力発電に比べて発電コストも安くすみ、また、これ以外に文明社会の需要を満たすエネルギー源はないと考えられてきました。しかし、その後、状況は大きく変化しています。まず、スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故を経て、悲惨な結果をもたらす事故の確率はかなり高いことが明らかになってきました。発電コストも、設備費が嵩むために石油火力発電よりやや高くつくことが判明しています。アメリカで原発の新規発注が1979年以来途絶えたのは、安全性への懸念に加えて、電力自由化で安価に電気を供給する中小電力会社(主に火力発電)が増える中、コスト面で原発が太刀打ちできなくなったからだと言われています。
 ただし、代替エネルギー源の開発(ないしエネルギー消費の削減)がなければ、原子力を放棄することはできません。1980年の国民投票で2010年までに原発を閉鎖する決定を下したスウェーデンでも、電力供給の40%以上を占める原子力に代わるエネルギー源がないため、実際に原発を閉鎖するのは困難だと言われています。原発の新規建設をストップしているドイツでは、太陽光や風力を利用した新しいエネルギー源が開発されつつあります(例えば、1990年代後半の数年間で原発2基分の風力発電所が設置されています)が、全国で20基もある原発の代わりにするには、さらなる技術開発が必要とされています。日本の場合、発電量でドイツの倍ほどの原発がある上に、風力発電の好適地が少なく、国民の電力節減の意欲も乏しいため、当分は原子力に頼らざるを得ないでしょう。しかし、省エネ技術による電力消費量の削減、コジェネレーションによる火力発電の効率化、小規模太陽光発電・風力発電の普及−−などが進めば、リスクの大きい原子力発電から少しずつ撤退していくのが好ましいと考えます。

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質問 Q&Aにある「宇宙に外側はあるのでしょうか?それと、宇宙は1つなんでしょうか?」という質問の回答を読ませていただきました。そこで考えたのですが、もし宇宙が1つ2つと数えられるような物であったとして、その数が有限個でなく無限個である場合、その中の物理法則がこの宇宙と同じだとすると、物理法則上存在不可能でないものは必ずどこかに存在する、という事になってしまわないでしょうか。【現代物理】
回答
 現在の宇宙論では、私たちがその中に住んでいる「この」宇宙以外にも多くの宇宙が生成される可能性が指摘されています。もっとも、そうした宇宙が(本当にあるとして)どれくらい存在しているのか、それぞれの宇宙での状態や物理法則はどうなっているのかは、全くと言って良いほどわかっていません(し、将来的にわかることもないでしょう)。このため、他の宇宙についての話は、多分に憶測に頼らざるを得ないですが、それでも、大半の世界が私たちの宇宙とは似ても似つかぬものだと推測することはできます。
 例えば、「この」宇宙のように生命が発生できる条件が整った宇宙はごくわずかしかなく、ほとんどの宇宙は、(ビッグバンのエネルギーが小さくて)作られて1秒も経たずに潰れてしまうか、(逆に大きすぎて)物質がバラバラになって天体すら形成できないと考えられています。また、私たちの宇宙では陽子は電子の1836倍の質量を持っていますが、この比はビッグバン直後に起きる相転移によって偶然に決まったもので、他のほとんどの宇宙では大幅に違った値になっているはずです。その結果、分子構造が全く異なったものとなり、地球型生命の基本的な素材となっている炭素骨格が形成されない可能性もあります。宇宙の多様性は、おそらく人間の知性によって想像可能な範囲をはるかに越えているように思われます。
 もし宇宙が無限個生成されるとするならば、その中で、物理的に可能なあらゆる事態が実現されているように思えるかもしれません。しかし、どちらも無限大とは言っても、宇宙の個数と可能な事態の数とでは、前者よりも後者の方が圧倒的に“大きい”のです。無限大の “大きさ”を比較するには「濃度」という概念を用い、1,2,…∞のように数えられる「可算無限」よりも、連続的な実数の集合のような「連続無限」の方が「濃度」が高いと言います。生成される宇宙は、物理的自由度の集まりで(たとえ無限個あるとしても)たかだか可算無限である(と思われる)のに対して、可能な状態の総数は、それぞれの物理的自由度が取り得る値の全ての組み合わせになるため(物理的自由度の個数が可算無限ならば)連続無限になるはずです。つまり、たとえ宇宙が無限個あるとしても、自分という人間が現在あるように生きているのは、実現確率が限りなくゼロに近い全くの偶然の所産と言えるのです。

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©Nobuo YOSHIDA