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部分と全体

 高次元φ空間において具現化された量子過程 (quantum process realized in high-dimensional φ space)」──表現の簡約化のため、以下では「高次元過程」と呼ぼう──という観点から世界を見つめたとき、新たな世界知とでも言うべきものが生み出される。それは、「空虚な空間の内部で孤立した物質が力を受けて時間とともに運動する」という古典スキームに基づく記述によっては、決して到達できない認識の地平である。

 こうした世界知の転換をもたらすのに、前章で述べた量子論の枠組みの全てが必要とされるわけではない。存在論的な議論を進める上で欠かせないのは、「次元数がきわめて巨大な関数空間において拡がりを持つ状態関数によって世界が記述される」という特徴だけであり、それ以外の点に関しては、大幅な変更を受け入れる余地がある。実際、経路積分によって定義される量子過程は、複素関数を使った表現になっているため、そのままの形で自然界の実態を反映しているわけではない。しかし、(i) 素粒子の散乱実験などを通じて場の理論の有効性が確認されていることから、物理的自由度の総数は(電子の個数などと比較して)きわめて巨大であり、さらに、(ii)物理的自由度に関する不確定性関係は近似的に成り立っている蓋然性が高いので、物理的状態は、確定した値ではなく拡がった関数によって記述される──と推定するに足る充分な根拠がある。したがって、量子過程の表現そのものが実在的ではないとしても、「高次元空間に拡がった状態」をベースにした存在論的な主張が正当性を失うわけではない。

 高次元過程に基づく世界記述は、哲学的・原理的な問題を考察する上で本質的な役割を演じるものの、実用的な諸科学への影響は、きわめて軽微である。その理由は、人類の棲息する時空領域が、高次元での量子過程に固有な性質をあまり表面化させないような状態にあるからである。ビッグバン直後の高温・高密度状態では、場の自由度は至る所でエネルギー量子数の大きな励起状態にあり、「空間の中に物質がある」という直観は通用しない。だが、数十万年が経過して宇宙のエネルギー密度が充分に低下すると、大部分の自由度は基底状態の近くで穏やかな相互作用しか行わなくなる。しかも、この宇宙では、CP対称性(物質と反物質の間の対称性)が破れており、物質粒子の方が反物質粒子よりもわずかに多くなるという特徴があるため、対消滅の相手を失った陽子や電子が集まって、真空中に浮かぶ安定な物質を作り始める。このとき、強く束縛されていない原子や分子(アンモニアや水など)は、異なる自由度の励起状態になっている──φ(x)の引数xが異なっていると考えて良い──ため、一定領域内で量子過程を分離して別個の独立した過程が具現化されていると見なせる。直観的に言えば、それぞれの原子や分子を、異なる位置座標を持つ孤立した粒子としてイメージすることが可能になる。こうした状況は、われわれの身の回りにおける多くの局面で成立しており、さまざまな物理現象古典スキームに当てはめて解釈しても、大きな問題は生じない。もちろん、分子内部の共有電子を問題にして、「この電子は“実際には”どこにあるのか」と疑問を発したときには、素朴な解釈は妥当ではなくなるが、無機化学(abiochemistry)から動物解剖学(zootomy)に至るまでの、原理的な問題意識を持たずに諸現象を記述する通常科学の範囲内では、前章で示した新しい世界記述の方法が、従来の科学的知見に重大な変更を迫ることはない。

 高次元過程への省察が深甚な影響をもたらすのは、哲学の分野である。その範囲は、この論文の主題である世界の構図に関わる問題だけではなく、認識論や意味論の分野にも及ぶと思われる。少なくとも、従来の世界記述に内包されていた二元論的な対立項のいくつかは、新たな世界記述を用いることで、自然に解消される。

 この章では、§1で比較的簡単に解消できる対立項に関して短い解説を行った上で、§2で、最も重要な「部分と全体」という対立項を取り上げる。この対立の解消が、すなわち、世界のアスペクト変換を可能にするものである。



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©Nobuo YOSHIDA