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§1.文明化と生物的多様性の喪失

 人類が文明を発展させるとともに、地球上から多くの生物が失われてきた。産業革命が成し遂げられ、自然界の資源を産業のために利用するようになってからは、その勢いは加速化され、今や地球上の生態系は危機的な状況に陥っていることは誰の目にも明らかになっている。特に深刻なのが、生態系が環境の変動に対する適応性を持つために欠くことのできない生物的多様性(biodiversity)が急激に失われつつあるという点である。本来、生き物たちは、多様な種の間で複雑にして精妙な相互作用を行っており、そのネットワークによって、氷河期の到来や巨大隕石の衝突といった全生物種に及ぶ危機的状況を乗り越えてきた。しかし、現在の地球上には、ホモ・サピエンスという(近隣種のいない)単一種が異常に増殖している一方で、他の多くの種が個体数を激減させ、絶滅への道を歩んでいる。

 都市部における人工的環境の中で生きている住民は、この問題をしばしば第三者的な立場から見てしまいがちである。そうした立場から、絶滅が危惧される野生生物を保護し、都市から離れた地域の一画にその生息域を確保するという安易な方法で解決を図ろうとすることもある。しかし、事態はそれほど単純ではない。人間は、決して自然界の生態系から隔離された特権的なニッチ(生態学的地位)を与えられているわけではなく、全地球的な生物のシステムに組み込まれているのであり、生態系の崩壊は、直接的に人間自身の生存の危機につながる。この危機意識なしに、正当な対処法を案出することは難しいだろう。


■生物的多様性

 現在、生物学でリストアップされている生物種は200万種近くに上り、その過半数を昆虫類が占めている。かつては、生物学者の努力によって地球上の大半の生物が分類学の教科書に記載される日も近いと思われていたが、熱帯林に膨大な種類の生物が生息していることが判明するにつれて、生物種総数の見積もりは、大幅に嵩上げされるに至った。こんにちでは、少なくとも現在記載されている種数の数倍、おそらくは数千万種の生物が地球上に生息していると推測されている。

 最も多様性が大きいのは熱帯林で、地表面積のわずか7%しか占めていないにもかかわらず、50%以上の生物種が存在している。特に、昆虫類は著しくバラエティに富んでおり、ある1本の樹木にしか見られないような昆虫も存在する。こうした昆虫は、その樹が伐採されれば、永遠に地上から失われてしまうわけである。また、珊瑚礁も多様性に富み、オーストラリア東海岸のグレートバリアリーフには、海表面の0.1%の面積の中に、300種のサンゴ、1500種の魚類、4000種の軟体動物、5種のカメが生息している。

 「生物的多様性(biodiversity)」とは、こうした種の多数性をベースとした生態系における相互作用の複雑さを指す用語であり、ミクロレベルでの遺伝子の多様性からマクロレベルでの景観の多様性まで包括する総合的な概念である。もともとはウィルソンとピーターが編集した著書の表題として用いられたものだが、1992年に開催された「地球サミット」(環境と開発に関する国際会議)で脚光を浴び、今では地球環境を論じる上でのキーワードとなっている(「生物多様性」という訳語が当てられることも多い)


■生物的多様性の危機

 地球史的には、これまで自然的要因による5〜6回の“大絶滅”が起きている。最も新しい“大絶滅”は、6500万年前の白亜紀末に起きた恐竜やアンモナイトを含む多くの種の突然の絶滅であり、その原因は、ユカタン半島付近に直径10km程度の隕石が落下して舞い上がった塵が太陽光線を遮り、光合成が困難になって植物に始まる食物連鎖のシステムが崩壊したためだと推定されている。恐竜の絶滅後は哺乳類が繁栄して安定した生態系を形成していたが、近年になって、人為的要因によって多くの種が絶滅するようになった。絶滅の規模は、6500万年前に匹敵すると推定される。

 1600年以降、報告されたものだけで85種の哺乳類と113種の鳥類が絶滅した。その中には、ドードー(1681年絶滅)、ニホンオオカミ(1905年)、リョコウバト(1914年)などが含まれる。しかし、これは、現在進行中の大絶滅のほんの一部にすぎない。
 大絶滅の最大の要因は熱帯林の伐採であり、そこに生息する膨大な生物種の大半は、生物学者によって分類されることもなく、ひっそりと滅びつつある。地上の生物種が1000万種、熱帯林の喪失が年率1%という控えめな仮定を採用すると、毎年2〜3万種(毎日60〜70種)が消滅していることになる。
 特に島嶼部で事態は深刻であり、ガラパゴス諸島固有の植物種の約60%、カナリー諸島固有の植物種の75%が絶滅の危機にある。

 現在、絶滅のおそれのある種の数(括弧内は種の総数に対する割合)は次の通り。

魚類452( 2%)
両生類59( 2%)
爬虫類167( 3%)
鳥類1029(11%)
哺乳類505(11%)
(R.B.プリマック、小堀洋美著『環境保全学のすすめ』(文一総合出版)より)

 また、絶滅原因は、次のように分類される。

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 以下、絶滅原因を簡単に解説していこう。


■生物の多様性に関する条約(Convention on Biological Diversity)

 危機的状況にある生物的多様性を守るために、1992年、リオデジャネイロで開かれた環境サミットで「生物の多様性に関する条約」が提案され、日本を含む176ヶ国(99年11月3日現在)が締結した(アメリカは未締結)。この条約は、「地球上の多様な生物をその生息環境とともに保全し、生物資源を持続可能であるように利用し、および遺伝資源の利用から生ずる利益を公正かつ公平に配分すること」を目的とするもので、日本では1995年に「生物多様性国家戦略」が策定され、条約の実施促進を図っている。


■生態系保護の難しさ

 人為的要因による生態系の破壊が続いている中で、生態系を何とかして保護しようという気運が高まっており、環境団体による活動も行われているが、必ずしもめざましい効果が上がっているわけではない。その理由は、人間がいまだ生態系の全体像を掴みかねていることにあると思われる。

 生態系は、常に一定の状態にとどまっているものではなく、(森林の場合は山火事や土砂崩れなどの)外的な契機によって攪乱され、その後、自律的に平衡状態に向かって遷移する。自然の状態では適度な頻度で攪乱が起きることによって単一種の支配が妨げられ、生物的多様性が保たれている。こうした自然の流れに逆らって、人為的に一定の状態を維持しようとすると、かえって生態系の発展を阻害することになる。例えば、温帯林で火の気を発見するや直ちに消火するという活動を続けていると、光合成をあまり行わず太陽光線を遮るだけの巨木がはびこって、有機物の循環が低下してしまう。また、燃えやすい落ち葉が厚く堆積するため、ひとたび出火すると大火災になりやすい。

 さらに、生態系内部では、共生・寄生・競争などの多様な種間関係が絡み合い、間接効果が複雑に波及している。一般に、こうした効果はカオス的な振舞いを示し、その厳密な予測は不可能だと言ってよい。環境全体の保全を怠って限られた種だけを保護しようとしても、なかなか成功しない。このことを如実に示したのが、気仙沼湾(宮城県)周辺の生態系に関する報告である。気仙沼湾では1970年頃から養殖ノリやカキに異変が見られ、収量が激減した。当初は原因が特定できなかったが、その後の調査で、湾に注ぐ大川上流域での森林相の変化が湾内の栄養状態を変化させたためではないかと推定されるに至った。戦後の林業では、自然林を形成していた広葉樹を伐採し、成長が早く建材として利用できる針葉樹(主にスギ・ヒノキ)の植林が進められた。しかし、海外からの輸入木材が増加するにつれて国内林業は衰退し、それとともに間伐など手入れが行き届かなくなる。こうして十分に生育していない針葉樹ばかりになった森林では腐葉土が減少し、その結果、河川に流入する栄養分も変化した。気仙沼湾におけるノリやカキの不作は、湾内の栄養不足が原因だと考えられる。こうした事態に対処するため、湾周辺の漁民による広葉樹の植林運動が始まり、少しずつだが成果を上げている。

 生態系は、人間にとってまだまだ多くの未知の部分を秘めている。人間は、力で生態系を支配しようとせず、もっと謙虚になるべきだろう。




©Nobuo YOSHIDA