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第4章.素粒子論

〜究極の理論を求めて〜


 原子模型と量子力学は、技術的な応用を考える限りにおいては、物質の構成要素と基本法則として充分に満足のいくものである。しかし、自然とは何かを常に問いかける哲学的な科学者たちにとっては、まだまだ一里塚でしかない。この世界を記述する究極の理論を追究する試みは、すでに1920年代に始まっていた。それが、素粒子論(場の量子論)と呼ばれる理論体系である。


○力学的概念の統一
 17世紀にニュートンが大成した力学体系においては、世界を記述するために必要な基本的カテゴリーは、空間−時間−物質(原子)−力の4つである。きわめて素朴な言い方をすれば、「空虚な空間の中に物質(原子)が浮かんでおり、互いに力を及ぼしあいながら時間と共に運動する」ということになろう。哲学的には、「その中に何も存在しない空間は存在するのか」という疑問もあり得る(これは、アリストテレスの発した問いであり、これに基づいて、彼は、真空は存在しないという真っ当な結論を導き出している)。また、17世紀当時はまだ原子の存在は立証されておらず、重力以外には力の厳密な定式化が行われていないという難点もあった。だが、少なくとも理論的には、このカテゴリーを用いてあらゆる運動を記述することが可能であり、その数少ない応用例である天体力学の分野でニュートン力学が驚くべき成功を収めたこともあって、長い間、物理学における発想の根底をなしていた。
 ニュートン力学の4つの基本カテゴリーは、今世紀に入ってから、根本的な修正を受けることになる。まず、空間と時間が、1916年に完成されたアインシュタインの一般相対論によって統一され、4次元の時空多様体という概念に置き換えられる(その詳しい説明は、別の機会に譲る)。
 さらに、物質と力という対立的に思える概念も、1930年代には統一される可能性が明らかになる。この歴史的なプロセスを簡単に見てみよう。
 近代科学勃興前には、力が物質に内在するという考え方もあったが、ニュートンはこれを否定し、空虚な空間を遠隔作用として伝わる力という概念を採用した。つまり、運動方程式という形式で、物質に対して非物質的な力が働くことによって物質に加速度が生じると定式化したのである。この考え方は、重力の場合にはうまくいったが、電磁気(ニュートンの時代には実態がほとんど解明されていない)に適用するのは困難であった。電磁気については、マクスウェルが示したように、空間xと時間tを引数とする場の量(電場E(x,t)や磁場B(x,t)、あるいは、こんにちの定式化によれば電磁ポテンシャルA(x,t)など)を用いて表さなければならない。こうして、物質とも力ともつかない「場」という奇妙な概念が、物理学に導入されることになる。19世紀の物理学者たちは、電磁場をエーテルという物質的な存在に置き換えようとしたが、どうしてもうまくいかなかった。
 ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学は、19世紀終わり頃には、危うい関係を保ちながら共存していた。空間内部には、粒子状の物質(原子、電子、イオンなど)と連続的な場が存在しており、物質は電磁場から力を受け、電磁場は物質によって変動する。こうした相互作用がどのようなメカニズムを通じて生じるかは明らかではないが、とりあえず、2種類の存在を仮定することによって、理論的な整合性を保つことができた。
 ところが、量子論が登場すると、事態は一挙に紛糾してくる。まず、アインシュタインが、電磁場の振動が伝わる過程として簡単に解釈されていた光が、時に粒子的な性質を示すことを論じた。次いで、ド・ブロイが、明らかに粒子であると思われていた電子も、波のように振舞うと主張した。こうなると、物質を構成する粒子と電磁気的な現象を引き起こす場を全く別個のものと扱うことの妥当性にも疑いが生じる。理論的な面では、物質粒子の位置を表す座標qと、電磁場に式に現れる空間座標xを他の理論(特に相対性理論)と整合性を持たせたまま関係づけることの難しさが問題になった。
 こうした難問を見事に解決したのが、1929年にハイゼンベルグとパウリによって提唱された場の量子論である。この理論は、一般相対論と共に、基礎物理学の面における20世紀最高の成果であるにもかかわらず、専門家以外にはほとんど理解できないと言われる難解さのため、科学史家からも充分な評価が得られていない。しかし、そこに含まれている物質観は、人間の素朴な直観を根底から覆すほど深遠なものである。
 ハイゼンベルグとパウリが試みたのは、物質粒子を記述する理論の形式を、電磁場と類似した形に書き直すことだった。この目的のため、電磁場がA(x,t)のように空間と時間を引数とする場の量として表されるのと同様に、物質粒子(最初の論文では電子に限定されている)をψ(x,t)という場の量で記述した。ここでψが従う方程式は、あたかも、空間を細かく分割した個々の部分に小さなバネが存在し、その振動が互いに影響を及ぼしあうような形式になっている。こうして、物質粒子も電磁場も、共に空間の到る所に存在する「場」という一元的な概念で表されることになった。
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 もっとも、これだけでは、電子が粒子として振舞うことの意味が理解できない。場の量子論の驚くべき点は、場の量ψから「粒子」の性質を導き出すことが可能なことである。理論的に難しい点を省略して結論だけ述べると、「量子条件」と呼ばれる制約を課すことにより、ψは、ある限られた変動のパターンしか取れなくなる。特に、長い時間が経っても崩れないような振動パターンは「励起状態」(excited state、興奮した状態!)として、(1ないし複数個の)電子の運動を表すことになる。こうして、連続的な場の量が離散的な粒子の運動を表すという表面上の矛盾が、鮮やかに解消されたのである。
 場の量子論は、科学的な物質観に、いくつかの根本的な修正を迫る。まず、「空間の中に浮遊する物質」というイメージを、完全に否定する。物質が存在しないと思われていた領域にも、Aやψのような場の量が存在する。ただ、これらが励起されていない(興奮していない)だけである。実は、何もないと考えられていた真空でも、場の量は僅かに振動しているので、完全な「虚空」は現実には存在しない。アリストテレスが「自然は真空を嫌う」と言ったのは、結果的に正当だった訳である。
 もう1つの重要な修正は、物質と力の二元論の否定である。古典的な考えは、電子のような物質に非物質的な電磁場から力が加わるというものであった。ところが、場の量子論では、物質粒子も電磁場も同じ形式の場の量で表されているので、物質と力に分離して考えることはできない。用語上は、「力」ということばの代わりに「相互作用」という言い回しが一般的になっている。


○場の量子論の展開
 ハイゼンベルグとパウリが取り扱ったのは、電子の場と電磁場だけだったが、場の量子論は、その後、時間を掛けてゆっくりと発展していった。こんにち実験的に確認されている相互作用には、重力、電磁相互作用、強い相互作用(陽子と中性子を原子核の中でつなぎ止める)、弱い相互作用(放射性崩壊の一種であるβ崩壊の時に働く)の4種類がある。このうち、重力を除く3つの相互作用に関して、現在までに定量的に満足のいく場の量子論が構築されている。
 1933〜34年には、強い相互作用を説明する湯川の中間子論(陽子と中性子の間で中間子が交換されて核力が生じると)と、弱い相互作用を説明するフェルミの理論が、相次いで提唱された。ただし、いずれも定性的な振舞いを説明するにとどまり、数値計算の結果が実験とピッタリ一致するということはなかった。しかし、1949年に、場の量子論の計算上のネックとなっていた「発散の困難」(ある積分計算をしようとすると、答えが無限大に発散してしまう)を回避する「くりこみ理論」が朝永、ファインマン、シュヴィンガーらによって独立に開発され、場の量子論の信頼性は一気に高まる。朝永らは、電磁相互作用が場の量子論によって完全に記述できることを示したが、その後の研究で、実験データと理論的な数値計算は5桁以上の精度で一致することが確認され、精密科学としての地位を獲得するに到った。
 強い相互作用を場の量子論で記述する試みは、なかなか成功を収められず、場の量子論に代わる新しい理論が模索された時期もある。しかし、1964年にゲルマンがクォーク仮説(陽子や中性子はクォークと呼ばれる粒子から構成されていることを主張するもの。ちなみに、クォークという印象的な表現は、ジェームズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の一節から採られている)を発表し、陽子や中性子のレベルではなく、クォーク間の相互作用を考えれば良いことが明らかになってから、解決の糸口が見えてきた。1968年頃からゲルマンに率いられたグループが、クォークとグルーオンという2種類の場の相互作用によって核力が生じるという量子色力学(「色」とはクォークの種類を区別するために考案された物理量の“ニックネーム”である)を開発、1970年代半ばにその正当性が実験的に検証されるに到る。この理論によれば、陽子や中性子は3個のクォークから構成されているが、3つのクォークは、紐状に励起されたグルーオンの場によってつなぎとめられており、決してバラバラになって外に飛び出しては来ない。
 一方、弱い相互作用も、1968年に、ワインバーグとサラムによって場の量子論に基づいて定式化される。ただし、弱ボソン場という新たな場を導入しても矛盾のない理論を作ることはできず、結局、電磁相互作用と統一された電磁弱相互作用という形式になっている。この理論では、宇宙の温度が下がると相互作用に変化が生じるという新しい考え方が導入され、ビッグバンで生まれた火の玉宇宙が冷却される過程で、電磁弱相互作用が電磁相互作用と弱い相互作用に分化していったというシナリオが描かれた。
 さまざまな相互作用に関する上記の理論は、70〜80年代を通じて実験的に調べられ、きわめて高い精度で検証されている。現在では、量子色力学+電磁弱統一理論が「標準理論」と呼ばれ、大半の物理学者の支持を集めている。ただし、導入された場の種類が多すぎる、重力相互作用が定式されていない−−などの不満な点がいくつかあり、現在もなお、研究が精力的に進められている。
 「標準理論」を越える理論としてこれまで提唱された理論のいくつかを、並べて紹介しよう:
 大統一理論:クォークとレプトン(電子やニュートリノなどの総称)、グルーオンと弱ボソンは、それぞれ同じ場の異なる状態と解釈する(信じる研究者は多い)。
 超対称理論:クォーク、レプトン、グルーオン、弱ボソンおよび未発見の多数の素粒子は、基本的ないくつかの場の異なる状態と解釈する(信じる人は結構いる)。
 超重力理論:超対称理論と重力理論を組み合わせる(信じる人はごくわずか)。この世界は、時間1次元+空間3次元ではなく、実は10次元空間の一部分と解釈する。
 超ひも理論:この世界に起こるあらゆる物理現象は、究極の実在たる「超ひも」の振動だと解釈する(本当は誰も信じていない?)。
 全く、物理学者の想像力のたくましさには、脱帽せざるを得ない。


○科学は人間に何を教えるか
 現代科学は、「世界とは何か」という問いに対して、一般の人が想像するよりも遙かに多くのことを語っている。「物質」というと、人はしばしば、非人間的な冷徹なものをイメージし、人間の精神とは相容れぬ外界の存在と考えてしまう。しかし、20世紀の科学が明らかにした物質の世界は、そうした素朴な発想を、根本から揺るがすだろう。いわく、空間のあらゆる点が物理的な変化を実現する場であり、これらが興奮したり相互作用しながら、この複雑きわまりない世界を作り上げていくのである。この世界を覆い隠しているベールをほんのわずか持ち上げてみるだけで、そこに、思いも寄らず豊かで奥深い物質の本性が見いだされるのだ。そのことを知れば、われわれ人間が、この物質世界の中に生涯閉じこめられていることも、それほど悲劇的ではないと感じられるのではないだろうか。


【第4章の参考書】
科学的オプティミズムの代表例として、次の著書を紹介しておきたい:
  S.ワインバーグ著『究極理論への夢』(ダイヤモンド社)


©Nobuo YOSHIDA