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第3章.複雑系の科学

〜エントロピー/秩序形成/カオス〜



 1930年代の終わりまでには、人間が通常目にするような物質についての基本的な知識の枠組みが完成していた。物質は原子によって構成されており、原子は原子核と電子から、原子核は陽子と中性子から成り立っている。さらに、陽子や中性子から原子・分子に到る構成要素の振舞いを記述するのは、量子力学と呼ばれる理論であることも、ほぼ合意を得た。こうして、物質の構成要素と基本法則とが明らかになり、科学的な研究の礎が据えられた訳である。
 しかし、だからといって、物質の謎が解明されたことにはならない。むしろ、スタートラインに立ったと言うべきである。なぜなら、現実に存在する物質は、きわめて多数の原子を含んでおり、しかも、複雑に変化する。そうした現実の変化を明らかにするには、人間の知的能力は、あまりに貧弱である。1930年代はもちろんのこと、現在のスーパーコンピュータを使っても、物質の振舞いを理論的に明らかにすることは、きわめて限定された対象でしか可能になっていない。
 一様な組成を持つ静的な物質の場合は、物性を定める方程式が比較的簡単な形になるので、ある程度までは理論的に解明することができる。1940年代から50年代にかけての半導体の理論は、その輝かしい成果である。一般に、工業的な応用を行うとき、素材として使われる物質は、静的なものとして製品化される−−実際、使用中にダイナミックに変形したり化学変化を起こしたりする物質を含んだ工業製品は、なかなか想像できない−−ため、量子力学は、充分に「役に立つ」理論ではあった。だが、化学工業やバイオテクノロジーが発展するにつれて、物質の複雑な振舞いについてのより精密な理論が要請されるようになってきた。こうして登場したのが、多くの構成要素を含む複雑なシステムのダイナミックな変化を記述する理論−−いわゆる複雑系の理論である。
 複雑系の理論は、工業的な応用という面では、必ずしも充分な成果を上げていない。現実に存在するシステムについての議論は、あまりに複雑で手に負えないためである。しかし、この理論が含意する物質像は、古典科学が扱ってきた死体のような物質とは異なって、豊かで生き生きとした姿を示してくれる。ここでは、そうした雰囲気だけでも伝えるべく、いくつかの重要な概念を説明しておきたい。


○物質変化の2つの様相
 複雑系を理解する上で必要となる背景知識として、一般に物質の変化にはどのような様相があるかを述べておきたい。きわめて単純化して言うならば、自然法則に従う変化には、2つの志向性がある。すなわち、混沌への志向性と秩序への志向性である。
混沌への志向性
 少数のパラメータで記述される比較的単純なシステムは、一般に、構造を持たないトリヴィアルな状態へと変化する。いわば、「形あるものは全て滅する」という法則である。熱伝導によって温度分布がならされていく過程、水に落とした1滴のインクが次第に薄く一様に拡がっていく拡散など。
秩序への志向性
 状態記述に多数のパラメータを必要とする複雑なシステムの中には、自律的な秩序形成(形態形成)を行うものがある。こうした秩序形成は、通常、全体として混沌へ向かうシステムの部分系でごく短期間に見られる現象であるが、例外的に、準安定な構造が長期にわたって維持されることもある。銀河系や太陽系、生物個体および生態系など。
 科学史的には、まず、混沌への志向を「エントロピー増大の法則」として一般化し、その後、例外的な秩序形成が生じる過程の分析を行った。


○エントロピー増大の法則
 物質の変化を考えるとき、きわめて有用な概念が、1865年にクラウジウスによって提唱された「エントロピー」である。彼は、「周囲の状態を変化させずに、低温物体から高温物体へと熱が流れることはない」という経験則を一般化して、熱力学的な変化の方向性を示す量としてエントロピーを定義、「外部から操作を加えない過程ではエントロピーは減少しない」というエントロピー増大の法則(熱力学第二法則)を提唱した。
 例えば、高温物体Aと低温物体Bを接触させるとどうなるかを考えてみよう。この場合は、AからBに熱エネルギーが流れ込んで、最終的には、両方の温度が等しい熱平衡状態に達する。エネルギー保存の法則(熱力学第一法則)によれば、Aから流出する熱エネルギーとBに流入する熱エネルギーは等しく、(熱放射によるエネルギーの散逸を別にすれば)この過程でAとBが持つエネルギーをあわせた全エネルギーは一定に保たれている。しかし、エントロピーはそうはならない。クラウジウスは、Aでのエントロピーの減少分よりBでのエントロピーの増加分が多くなるように、エントロピーを定義することに成功した。
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 【注】簡単な式なので、クラウジウスによるエントロピーの定義式を与えておこう。彼によれば、温度Tの物体が短い時間でΔQの熱量を得た場合、エントロピーSの増加分ΔSは、
   ΔS=ΔQ/T
となる。AからBに熱が移動する場合では、Aの温度T1はBの温度T2よりも大きい(T1>T2)ので、Aでのエントロピーの減少ΔQ/T1は、Bでのエントロピーの増加ΔQ/T2よりも必ず小さくなる。
 熱力学を普遍的な理論と考えるならば、クラウジウスが与えたエントロピーは、この世界における一つの方向性を示している。自然な過程では、熱は必ず高温物体から低温物体へと流れ、時間を逆転させない限り、その逆はあり得ない。あるいは、エントロピーをより本質的なものと見なして、「時間はエントロピーが増大する向きに流れる」と言うべきか。ともあれ、エントロピーは、時間とともに生じる変化について定量的に記述するための、基本となる物理量である。クラウジウスは、次のような印象的な言葉を残している:「世界のエネルギーは一定である。そして、エントロピーは最大値に向かって増加している」
 クラウジウスによるエントロピーは、あくまで熱的な変化に関する量である。しかし、この世界には、熱の移動だけではなく、物質の拡散や波の崩壊など、さまざまな変化がある。こうしたさまざまな変化にも適用できるようにエントロピー概念を一般化し、加えて、エントロピー増大の法則の物理学的根拠を示したのが、ボルツマンである。彼の業績は、同時代の学者からは必ずしも評価されず、寧日ない研究生活だったようだ(ボルツマンは、1906年に自殺している)が、現在では、マクスウェルの電磁気学やアインシュタインの相対論に匹敵する近代物理学の金字塔として認められている。
 ボルツマンによると、エントロピーSは、次式で表される:
   S=klogW (k:ボルツマン定数、 W:可能な状態の数)
通常の力学法則に従うシステムでは、エントロピーの大きい状態へ変化する確率が圧倒的に高い。局所的に見ればエントロピーが揺らぐこともあるが、大局的には確実に増大していく。最終的には、エントロピーが最大となる平衡状態に達して、それ以上の変化はしなくなる。
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 【注】これも、きわめて簡単な例で説明しよう。2個のサイコロがどういう状態にあるかを、目の和Jで表すことにしよう。Jは2から12までの値をとり得るが、それぞれのJの値に応じて、可能な状態が定まっている。J=2のとき、可能なのは、2つのサイコロの目がともに1の状態である。一方、J=6のときは、2つのサイコロの目は、(1,5)、(2,4)、(3,3)、(4,2)、(5,1)の5つの状態がある。したがって、ボルツマンの定義によるエントロピーの値は、J=2よりもJ=6の方が大きい。実際、2つとも1の目を出している状態(J=2)にあるサイコロに、でたらめな力を加えると、Jがより大きな値に変化していることが多い。すなわち、エントロピーは、増大する確率が高いということになる。もちろん、2個のサイコロのケースでは、エントロピーが減少することも稀ではない。しかし、仮に、100億個のサイコロをすべて1の目が出た状態にしておいてから、でたらめに力を加えると、目の和は、ほぼ確実に100億より大きな値になる。このように、関与する構成要素が多くなればなるほど、エントロピーは高い確率で増大するようになる。われわれが日常的に目にする物質は、膨大な数の原子・分子から構成されている(コップ一杯の水にも、6万×100億×100億個の水分子が含まれている)ので、現実問題として、エントロピーが減少することはあり得ない。
 ボルツマン流の確率論的なエントロピーは、さまざまな物理的なプロセスに適用できる。例えば、水に1滴のインクを落とすと、次第に拡散して最終的に一様に混じり合うことになるが、これは、インクの分子が液滴内部に限定されているよりも、溶媒全体に拡がった方が可能な状態の数が多くなるので、確率法則に従ってエントロピーが大きい状態に遷移していったものと解釈される。もちろん、確率法則であるから、子細に見れば、エントロピーが減少するような瞬間があるかもしれない。しかし、多くの構成要素から成る孤立したシステムが、はじめにエントロピーが小さな状態にあった場合、ほぼ確実にエントロピーは増大し続け、充分な時間が経過した後には、エントロピー最大の平衡状態に達していると考えられる。
 こうしたエントロピー増大の過程は、「秩序」の喪失と解釈することも可能である。人間が秩序を感じるのは、でたらめには生じ得ないような対称性を持っていたり、物質が特定の場所に集中しているような状態で、一般的に言って、エントロピーの値が小さい。逆に、エントロピーの増大は、こうした対称性が壊れていったり、不均一だった物質分布が均一にならされていく過程であり、多くの場合、秩序が失われていくと感じられていくものである。このように考えれば、物質の世界は、秩序が失われ混沌が増していく方向へと、一方的に進んでいることになる。


○自律的な秩序形成
 多くの構成要素から成る複雑系での変化が、熱伝導や拡散のような単純な過程ばかりでないことに物理学者たちが注意を向けるようになるのは、今世紀半ば以降のことである。最初に注目されたのは、構成要素間の相互作用が協調的に働いて、系全体が集団的な運動を行う現象−−いわゆる協同現象である。
 1928年、ハイゼンベルグは、鉄などの強磁性体で自発的な磁化が生じる簡単なモデルを提唱した。個々の鉄原子は小さな磁石として振舞うが、温度が高いときは、この小磁石がバラバラの向きになるので、全体としては磁化していない。ところが、鉄の温度を徐々に下げていって一定の臨界温度以下にすると、外部から磁場を加えていないにもかかわらず、ある領域内の小磁石が互いに同じ向きになるように協調的に運動するため、その領域全体が一つの磁石となる。こうした物質の状態の突然の変化を、相転移という。強磁性体の場合は、温度という外部パラメータを変化させることによって、小磁石が整列していない無秩序な状態から、小磁石間の協同現象を通じて自発磁化が生じる状態へと相転移した訳である。
 このように、物質の状態には、構成要素がデタラメに運動して混沌へと達するものばかりではなく、協調的な集団運動を通じて自発的にある種の秩序を生み出すものもある。こうした例は、強磁性体の研究以降も、次々と見いだされていった。具体的には、超流動(ランダウ(1941))、超伝導(バーディン/クーパー/シュリーファー(1957))、レーザー発振(ラム(1955))、対流不安定性、自己触媒反応(プリゴジン(1968))などがある(括弧内は代表的な研究例)。こうした現象では、外部パラメータが一定の範囲にあるとき、対象としている系が全体として協調性のある運動を行い、しばしば、時間的・空間的にはっきりしたパターンが形成される。
 こうした自発的な秩序形成は、エントロピーが増大するという一般的な法則に矛盾することはないのだろうか。この問いに対しては、次のような答えが用意されている。
 エントロピーが最大値をとる平衡状態とわずかに異なった状態にある物質は、決して秩序を生み出すことなく、一方的にエントロピーが増大して混沌へと達する。古典的な物質科学では、半導体にせよプラスチックにせよ、一般にこうした状態に置かれている物質だけを理論の対象としているため、どうしても、物質とは一方向的にエントロピーが増大するというイメージを与えやすかった。しかし、平衡状態から遠く隔たった状態にある物質の変化は、それほど単純ではない。水に1滴のインクを落とした場合を思い描いていただきたい。最終的にはインクが水中全体に一様に拡散した平衡状態に到達するものの、インクを落とした直後は、水の中でインクが複雑なパターンを形成しながら少しずつ拡がっていく。このように、遠平衡にあるシステムは、その内部で一時的な秩序形成を行うことが可能になる。システムをいくつかの部分系に分けて見ると、ある部分系で生成されたエントロピーが外部に「捨てられる」ため、その部分系に限って言えば、エントロピーが自然に減少しているように見える訳である。とは言っても、システム全体のエントロピーは間違いなく増大しており、部分系に生まれた秩序は、長い時間を経ると全体の混沌の中に埋没していってしまう。
 エントロピーが減少する部分系として最も特徴的なのが、生物個体である。人間などの多細胞生物は、1個の受精卵から始まって、次第に複雑に組織化されていく。それだけ見ると、あたかもエントロピーが減少しているように見えるのだが、実際には、食物の形で低エントロピーのリソースを吸収し、排泄物や長波長放射の形でエントロピー散逸を行っているので、環境まで含めると全エントロピーは増大していることになる。
 外部へエントロピーを捨てることによって自発的な秩序形成を行っている部分系に着目しよう。こうした部分系は、外部環境と密接に関係しており、温度などの外部パラメータが変化すると、それに応じて内部に形成されていた秩序パターンないし「構造」が変動する。こうした構造変動についての一般論は、1960年代から、プリゴジーン(散逸構造理論)やハーケン(シナジェティクス)、トム(カタストロフィの理論)らによって研究された。その内容は、次のようにまとめられる:
 外部環境の中に埋め込まれている部分系が、ある構造を形成している場合を考える。外部パラメータが一定の範囲内で変化している間は、その構造は維持されている。だが、外部パラメータがある臨界値に近づくにつれて、古い構造の周りで揺らぎが成長し始める。しかも、臨界値から隔たっているときに個々の揺らが互いに無関係でいたのと異なり、臨界状態になると、系のあちこちが協調的に(同じようなパターンで)揺らぐようになり、ついには系全体が不安定になって古い構造が崩壊し、全く別の状態に遷移していく。こうした突然の変化をカタストロフィと呼ぶことがある。系が最終的にどのような状態に到達するかはあらかじめ決まっているとは限らず、形成可能な構造がいくつかあって、さまざまな因子の影響を受けながらそのいずれかに到達すると考えられる。系が最終的に到達する状態は、一般に(系がそこに引きずり込まれていくというイメージから)アトラクタと呼ばれるが、複雑系の場合には、アトラクタの構造がきわめて複雑になる(あまりに複雑なので「奇妙なアトラクタ」と呼称される)ことも稀ではない。
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 このように、ダイナミックに変化する系の一般論が構築されたことにより、科学的な知識に基づいた物質世界のイメージは、従来よりもはるかに豊かなものになった。昔から、自然を語る立場として、還元主義と全体主義が対立的に捉えられてきた。還元主義が、構成要素とそれらが従う基本法則によって世界を語ろうとするのに対し、全体主義は、統一された全体を指示する用語に固執する。ところが、構造変動の一般論は、こうした2つの立場が、必ずしも対立的ではないことを明らかにした。物質的なシステムは、原子(あるいは、その構成要素となる素粒子など)から構成されており、各構成要素は量子力学(ないし、将来に発見されるであろう根本的な理論)のような基本法則に従っている。システムの細部を研究する場合は、構成要素と基本法則を用いた還元主義的な手法が有効である。しかし、同じシステムの構造変動を取り扱うときには、構成要素が協調的な集団運動を行うので、各部分の微細な運動にこだわらず、集団運動の全体的な振舞いを記述し、古い構造がどのようなプロセスを経て新しい構造に変わっていくかに着目する方が、より建設的な議論が可能になる。この方法を採用すると、あたかも系が統一された全体として変動しているかのような記述になる。こうして、還元主義と全体主義は、複雑系の構造変動の理論の中に調和を見いだすのである。
 自発的な秩序形成を伴う構造変動について他に先んじて研究したパイオニアたちは、そこに新しい世界観が含意されていることを、明確に意識していた。それは、次のような言葉の中に窺える:
 「古典物理学は安定性と恒久性を基盤としている。しかし現在、それらの概念はきわめて制限された条件の下でしか適用できないということがわかっている。われわれの目にふれるほとんど総ての事象は、変化し、複雑さを与え、多様性を増していこうとする進化の過程である。これらの物理的世界の進展は、われわれを、進化という新たな展開に興味を向けている物理学と数学の新分野の研究に誘導してくれる」

 (ニコリス/プリゴジン『散逸構造』より)

 「われわれのモデルが、直接に最も興味深い寄与をするのは、疑いもなく哲学的な面においてである。それは、生物の…一元論的なモデルを提供する。それは、精神と身体の二律背反を解消して、両方とも単一な幾何学的本質のものとする」

 (ルネ・トム『構造安定性と形態形成』より)

 ただし、現時点では、こうした理論は、具体的な応用の面で、必ずしもめざましい成果を上げているわけではないことを注意しておくべきだろう。例えば、1個の受精卵が複雑な多細胞生物へと成長していく過程は、形態形成の白眉と言っても良い華麗なプロセスだが、物理学的に記述可能なのは、せいぜい最初の卵割までである。また、さまざまな想念が浮かび上がる人間の思考過程を、脳という複雑きわまりないシステムの秩序形成として理解することができればすばらしいのだが、現在、可能なのは、1本の神経細胞がいかにして興奮するかを説明することだけである(数学的な神経回路理論なら多少はあるが)。この状況を見れば、プリゴジンやトムの発言は、いささか大言壮語めいて聞こえなくもない。だが、理論そのものがまだ揺籃期にあると考えて、将来の発展に希望を託した方が、公平な見方なのであろう。


○カオス理論
 自発的な秩序形成に関する理論が、ある状態から別の状態への構造変動を記述することに主眼を置いているのに対して、特定の状態に収斂することなく、フラフラと変動し続ける過程に注目するのがカオス理論である。もっとも、フラフラとした変動の途中で、暫くの間、ある構造を維持していることもあるので、広い意味でのカオス理論は、秩序形成の理論を含意するとも考えられる。
 カオスという現象に最初に注目したのは、19世紀後半の数学者・ポアンカレである。彼は、いわゆる「3体問題」−−すなわち、3つの天体が互いに重力を及ぼしあいながら運動するとどのような軌道を描くことになるか−−について検討していた。3つの天体が従う運動方程式はきわめて簡単であり、2体問題の解が2次曲線で与えられたように、簡単な数式による解が得られるのではないかと期待したのかもしれない。しかし、1890頃、ポアンカレは、その軌道が、単純な数式では表せないきわめて複雑なものになることを発見した。このことに関して、彼は、次のように述べている:「もしもわれわれが自然の法則と宇宙の最初の瞬間における状態を正確に知り得たなら、われわれは同じ宇宙の任意の瞬間の状態を正確に予測できるだろう。だが実際には、たとえ自然の法則のすべてを明らかにしたとしても、初期状態について知り得るのはあくまで近似値にすぎないのである。…初期の小さな誤差は、後に巨大な誤差を生み出す。こうして予測というものはもはや不可能になり、われわれの前には偶然の現象が残されたことになる」(ポアンカレ『科学と仮説』より)
 3体問題の例に示されるように、カオスとは、あるシステムが確固たる規則に従って変化しているにもかかわらず、非常に複雑で不規則かつ不安定な振舞いをして、遠い将来における状態が全く予測できない現象のことであり、自然界では、ごくふつうに見られる。しかし、人間が科学的に取り扱おうとすると、これほどとらえどころのない現象も珍しい。数学的に厳密な理論を展開することは難しく、ポアンカレも、いくつかの定性的な議論を行っただけで、この方面にあまり深入りはしなかった。こうしたことから、カオスは、比較的最近になるまで、あまり注目されなかった。
 カオスに脚光が当てられるのは、1960年になってからである。当時、コンピュータによる天気予報の可能性に興味を持っていた気象学者のローレンツは、簡単な気象モデルを作り、いろいろな入力値に対してどのような予報が出されるかを調べていた。その過程で、彼は、入力する値をほんのわずか変えただけでも、最終的な結果が全く異なったものになることに気がつく。初めのうちは、コンピュータの誤作動かプログラムのバグだと思っていたが、いくら手直ししても、初期値への鋭敏な依存性は変わらない。こうして、彼は、簡単な数学的モデルがカオス的な振舞いをすることをコンピュータを使って実証した最初の研究者になった。
 ローレンツが発見したカオス特有の振舞いには、「バタフライ効果」という印象的なネーミングがされている。「ある日、1匹の蝶がその羽を羽ばたかせ、大気の状態にわずかな揺らぎを発生させるとしよう。…1ヶ月も経つと、インドネシアの海岸を荒らし回ったはずの竜巻が発生しなかったり、あるいは起こるはずのないことが起こったりするかもしれない」(I.スチュアート『カオス的世界像』より)。初期状態がわずかに変わるだけで世界の様相が全く異なったものになる−−このことだけなら、必ずしも驚くに値しない。重要なのは、そうした効果を、簡単な数学的モデルをコンピュータに計算させることによって、手軽に確認できるという事実である。
 ローレンツの発見は、数理科学者があまり読まない学術誌に掲載されたこともあって、すぐには研究者の関心を呼び覚まさなかった。しかし、1970年代後半に再発見されると、研究機関におけるコンピュータの普及と相まって、カオス研究のブームを引き起こす。研究はいくつかの分野に分かれており、数学的モデルによる原理的な研究から、現実に存在する自然現象の理論的な分析、さらには非線形工学への応用と、幅広い。中には、社会現象にまで理論の適用範囲を拡大しようとする動きもあるが、これは勇み足と言うべきだろう。現時点では、コンピュータ・グラフィックスへの応用が最も華々しい成果であり、自然現象の解明にどの程度有効かは必ずしも明らかではないが、その動向から目を離すことはできない。


【第3章の参考書】
エントロピーや熱力学については、無味乾燥な教科書類が山ほどある。とりあえず入門的な知識だけ仕入れておこうと思うならば、
  小出昭一郎/安孫子誠也『エントロピーとは何だろうか』(岩波書店)
  杉本大一郎『エントロピー入門』(中公新書)
  P.W.アトキンス『エントロピーと秩序』(日経サイエンス)
あたりでも読んでいただきたい。なお、エントロピー理論の社会学への応用と称する本の中には、かなりいかがわしいものも混じっているので、要注意。
協同現象や秩序形成を論じた著作は、近年数多く出版されているが、いずれも専門的な内容で、ほとんどの人にとって歯ごたえがありすぎるだろう。それでも、この分野を開拓したパイオニア達の著書には、チャレンジャー精神が横溢していて読む者を感動させる(私だけかな?)ので、図書館でぱらぱらめくるだけで良いから一度手にとってもらいたい。
  R.トム『構造安定性と形態形成』(岩波書店)
  G.ニコリス/I.プリゴジーヌ『散逸構造』(岩波書店)
  H.ハーケン『協同現象の数理』(東海大学出版会)
もう少し一般向けの本としては、
  M.アイゲン/R.ヴィンクラー『自然と遊戯』(東京化学同人)(少し古くなった)
  H.ハーケン『自然の造形と社会の秩序』(東海大学出版会)
などがある。
近年流行のカオス理論は、いささか過大評価されているきらいもあるが、面白い話題であることは間違いないので、少しはかじっておくことをお勧めする。
  I.スチュアート『カオス的世界像』(白揚社)
  J.グリック『カオス』(新潮文庫)
上の2冊は全くアプローチの仕方が違うので、気に入った方を読んでみたら良いだろう。
ここでは言及しなかったが、複雑系の問題に関連したテーマは多い。特に、生命現象を科学的に解明する方法論を開拓した歴史的な著書として、次の2冊はいわゆる“必読書”である。
  J.モノー『偶然と必然』(みすず書房)
  フォン・ベルタランフィ『一般システム理論』(みすず書房)
また、カオス理論と深い関わりを持つものにフラクタル理論がある。数学的な内容はわからなくとも、この理論を元に描かれる美しいコンピュータ・グラフィックスは一見に値する。
  B.マンデルブロ『フラクタル幾何学』(日経サイエンス)


©Nobuo YOSHIDA