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この世界についての仮説・概要

吉田 伸夫


 世界について素朴に考えると、主観と客観という2つの対立項が存在するように思われる。しかし、この二元的な世界像を、現実にある世界の適切な表現として認めるわけにはいかない。客観的世界の中には、自分自身の身体も含まれるため、心身二元論のアポリアに陥るからである。整合性を備えた世界像とは、単一の構造を持ちながら、あるアスペクトは客観的世界となり、別のアスペクトは主観的世界になるようなものである。

 当然のことながら、近似的モデルにすぎない世界像で、主観的/客観的世界に含まれる全ての特質を再現することはできない。ここでは、次の3つのポイントに絞って、議論を進めたい。

  1. 構図の問題 : 客観的世界では、あらゆる事物は単一の座標空間の中に“並列的”に配置されているが、主観的世界では、自己との関わり方に応じて、“求心的”に配置されているように見える。例えば、主観的世界において、自分が目の当たりにしている机と遠隔地にある机とでは、道具存在としての現れ方が本質的に異なるが、客観的世界では、全ての机は同一の類に属するものとして平等に扱われる。
  2. 抽象性の問題 : 客観的世界では、複雑な事象は、単純な構成要素が複雑に組み合わされることによって実現されており、複雑性を表現する抽象的な表現には直接的な対応物が存在しないが、主観的世界では、抽象性の高い複合的過程がリアルである。例えば、主観的世界では、音色は直接的与件として現れるが、客観的世界では、より単純な過程(空気振動の周波数分布)に還元され、音色そのものに対応する物理的実在は見いだせない。
  3. 対応性の問題 : 主観的世界における現象の対応物として、客観的世界に存在する脳の活動を措定することがある。しかし、脳の各部位で見られる神経活動には、物理的には単なる電気化学的プロセスであり、主観的世界での質的多様性に対応しているとは考えにくい。例えば、客観的世界では、1次聴覚野と前頭前野での神経活動は、いずれもニューロンの細胞膜を各種のイオンが出入りして膜電位が変化する過程として記述されるが、主観的世界では、前者が加工前の聴覚情報としてほとんど意識されないのに対して、後者は、これと質的に異なる意志的な心理過程として現れる。

 本稿では、以上の3つの問題に論点を絞り、こうした見かけ上の対立を解消するモデルを提案する。



1.構図の問題


 構図の差異を認めるならば、構図をそのままにして、求心的な主観的世界を並列的な客観的世界に埋め込む(すなわち、並列的な客観的世界の中にいくつもの主観的世界が併存すると考える)ことができないのは、明らかである。主観的世界の構図は、われわれにとってきわめてリアルなので、これを否定するのは難しい。従って、客観的世界の構図を考え直す必要がある。

 必ずしも並列的とは言えない構図を持つ客観的世界についてのモデル構築には、理論物理学の分野で知られている場の量子論(量子場の理論)が利用できる。この理論では、世界は、1つの空間内部にさまざまな存在物が併存するという構図を持っていない。物理的な状態を表す変数として、場の量−−ここでは、添字などを付けず、簡略化してφ(x)と書くことにしよう−−が導入されるが、φ(x)は、時空点(場所と時刻が指定された点)xの単なる関数ではない。量子論の特徴として、φには量子ゆらぎが不可避的に現れるので、ゆらぎが存在するための“スペース”が必要となる。こうした“スペース”は、数学的には「関数空間」と呼ばれている。場の量子論では、各時空点に「関数空間」の拡がりがあると考えられる。

 厳密に言えば、時空点ごとに「関数空間」があるという表現は正しくない。関数空間の拡がりは、経路積分を行う範囲として定義されるが、積分は時空点ごとに行うのではなく、適当なコンフィギュレーションについて行うからである。また、実験による検証を通じて正当性が認められている標準的な場の理論(フェルミオンとゲージボソンを含む非可換ゲージ理論)では、積分の範囲を決定する方法論が確立されていない。ただし、標準理論が定量的に見て満足のいく成果を上げている以上、現行の場の量子論が、いつか「量子ゆらぎのない理論」に取って代わられるとは考えにくいので、積分の範囲を具体的に決定する方法論が近い将来に確立されると期待し、ここでは、あたかも関数空間が時空点ごとに存在しているかのように議論を進めることにする。

 客観的世界が「1つの座標空間内部に存在者が併存している」ように記述されるのは、現実の物理的世界がそのようになっているからではなく、人間が採用している認知方略の結果にすぎない。座標空間とは、場の変数同士の相互作用を通じて作り上げられた「関係性のネットワーク」を近似的に表現するものである。

 人間が座標空間をベースにした客観的世界を構成するのは、次のような理由による。われわれが棲んでいる世界は、エネルギー密度が小さく、ほとんどの場の変数が基底状態の近傍にある。この結果、関数空間における場の量子ゆらぎは、場の大局的な変動に比べて小さくなり、巨視的なスケールで見られる物理現象に対して実質的な効果をもたらさない。つまり、巨視的なスケールを持つ生物にとって、関数空間は存在しないに等しいのである。生物が生存する上で必要なのは、相互作用による場の変数のつながりによって形成された物理現象の関係性−−より具体的には、「関係性のネットワーク」の中で、自分と関わりのある現象が“どこに”生起しているか−−である。生物に関わりのあるのは、主に餌や捕食者のように一定の形態が持続する現象なので、存在者として客体化することができる。こうして、「1つの座標空間内部に存在者が併存している」という客観的世界の構図が得られる。

 一般に想定される客観的世界とは異なり、現実の物理的世界は、きわめて多数の関数空間が相互作用を通じて結びあわされた世界である。座標空間の次元は、縦・横・高さの3次元(時間を加えれば4次元)だが、物理的世界では、関数空間の次元を考えなければならないため、その次元数は莫大なものとなる。理論的な予想として、長さにはプランク長と呼ばれる下限があると言われるが、仮に、1立方プランク長の領域に1つの次元が存在すると考えると、1立方センチあたりの次元数は、およそ10100(100億×100億×100億×100億×100億×100億×100億×100億×100億×100億)となる。とてつもない次元数を持つこの世界の中で、さまざまな現象が生起しているのである。

 巨大な次元数を持つ物理的世界には、自律性の高い−−すなわち、外部との相互作用を「安定したシステムに対する入出力」と解釈できるような−−部分的な領域がいくつも形成される場合がある(少なくとも、「この」世界はそうなっている)。こうした部分的な領域は、それ自体が多次元の空間なので、“亜世界”と呼ぶことが許されるだろう。それぞれの“亜世界”は、異なる次元に属しており、単一の座標空間の中に併存するわけではない。単一の座標空間に見えるのは、あくまで相互作用が作り出す「関係性のネットワーク」であり、認知の方略によって構成されたヴァーチャルな(=仮想的でありながら実質的な影響力を持つ)空間である。一方、現実の物理的世界において分節可能な“亜世界”は、リアルな空間である。この2種類の空間の関係は、客観的世界と主観的世界の関係を思い起こさせる。そこで、物理的世界に形成される“亜世界”とも呼べる部分的な領域を主観的世界に同定できるかどうかについて、「抽象性の問題」の観点から議論を進めよう。



2.抽象性の問題


 人間にとってリアルなのは、赤という色彩やバイオリンの音色のような非物理的な存在である。神経科学は、聴覚が成立するプロセスとして、アブミ骨から蝸牛に伝えられた音波が基底膜の振動を引き起こすことに始まり、一連の電気化学的反応を経て後頭葉聴覚野に神経パルスが送られ、そこから大脳の各部位に信号を伝達されるまでの詳細を明らかにした。しかし、客観的世界で見られる具体的なプロセスは、主観的世界のリアリティとは結びつかない。バイオリンの音の知覚には、リンパ液の振動も聴覚神経の興奮も含まれていない。主観的世界のリアリティを生み出しているのは、客観的世界にはない「バイオリンの音」という抽象的な存在である。こうした抽象的存在は、複合的な心理的過程として現れるため、分析的に内省することは可能だが、分析すればするほど、そのリアルさは失われていく。

 抽象的存在がリアルであるという主観的世界の性質は、客観的世界とは異質であり、2つの世界を同一の世界の異なるアスペクトだと説明するのは困難なように見える。しかし、前節で述べたように、物理的世界がきわめて次元数の多い空間であるならば、表面上の矛盾を解消することは可能である。

 ここで、高次元空間における現象がどのように表されるかについて、述べておきたい。粒子系の量子力学では、量子変数q に対して、シュレディンガー方程式の解ψ(q) を考えるのが一般的である。だが、シュレディンガー方程式の解が用いられるのは、これが物質の統計的な性質を調べるのに役に立つからであって、物理的状態を表す最も適切な記述法だからではない。この解は、実現可能性のあるさまざまな状態が重ね合わされたものなので、現実の状態と比べて冗長な表現となっている。(観測のような人為的な手段を用いず)ナチュラルに冗長性を取り除く方法については、今なお最終的な結論が得られているわけではないが、1つの方法として、経路積分で表した遷移行列を互いに干渉しない量子履歴に分割するやり方が提案されている。これを用いれば、ある始状態から出発して何らかの時間的変化を実現する確率1を、互いに干渉しない量子履歴ωが実現される確率Pωの和に分割することができる:
 1 = ΣfTifTfi* = ΣωPω
  (終状態の和は適切に定義されているものとする)
 実際の物理的な過程は、経路積分で表したPωの中に含まれる。
 このとき、適当な空間的超平面上で状態関数Ψ[φ]を求めようとしても、明示的(explicit)には定義できない。ある超平面での経路積分のウェイトは、他の領域での積分に依存するからである。しかし、われわれが棲む「この」世界のように、ほとんどの場の変数が基底状態の近傍にあり、所々に相関の小さい励起が見られるような場合には、大部分の領域からの影響はファクターアウトすることができる。したがって、厳密には陰伏的(implicit)ではあるが、近似的には、明示的(explicit)に定義された状態関数によって状態が表されていると考えてもかまわない。本稿では、こうした状態関数を想定している。

 膨大な次元数を持つ空間内部で定義された状態関数の中には、自律的に階層的な構造を形成するものがある。自律的な構造形成は、量子論的なシステムには一般的に見られる現象だが、階層性が生じるのは、次元が高い場合に限られる。こうした階層化は、統計的なシステムに見られる「秩序変数による構造形成」と類比的に考えることができる。高次元空間における状態関数も、いくつかの変数を組み合わせて作った変数に対して、鋭いピークを形成することがあるが、これは、統計的力学系において、秩序変数の張る相空間にアトラクタが存在するのと同様である。統計的力学系では、さまざまな始状態から出発した変化の終着点として同じ秩序構造が現れることが軌道のω集合の形で表される。これに対して、高次元空間の量子系では、時間的変化の結果として形成された秩序構造が、状態関数のピーク−−正確に言えば、安定したピークが持続的に維持されるこ−−として直接的に示される。

 アトラクタと状態関数のピークは似ているものの、決定的な相違点がある。アトラクタそれ自体は、実在しない。相空間における軌道の振舞いをわかりやすく示すための数学的な手段にすぎない。そもそも、相空間の拡がりが虚構であり、現実の状態と対応するのは、相空間内部に描かれる無数の軌道の中の1つだけである。これに対して、量子系のピークは、現実の状態を表すものである。ピークが現れるのは、量子ゆらぎが生起するスペースとしての現実的な空間であり、人間が便宜的にあつらえた虚構ではない。

 統計的力学系の秩序変数が、全体的な秩序構造を表しているのと同様に、高次元量子系のピークには、全体的性質が集約的に現れている。高次元空間を具体的にイメージすることは人間には難しいので、ここでは、はるかに自由度の少ないベンゼン分子 C6H6 を例にして、「全体的性質」のイメージをつかんでいただきたい。ベンゼンは、6個の炭素原子核、6個の水素原子核、42個の電子によって構成される(原子核の内部構造は無視する)。したがって、非相対論的量子力学の波動関数は、各粒子の3次元的な位置を表す変数の総数: (6+6+42)×3 = 162 の次元数を持つ空間で表される。しかし、全体的特徴が現れるのは、162次元よりもはるかに次元数の少ない部分的な空間に限られる。ベンゼンの特徴は、π電子の共鳴によって、6個の炭素原子核が堅く結合した正六角形のベンゼン核を形成することである。人間がベンゼン核の形成と見なす現象は、物理的には、(6個の炭素原子核の位置座標が張る18次元空間から並進と回転の自由度を除いた)12次元空間における状態関数が、正六角形を表す点でピークを形作ることに対応する。すなわち、「正六角形性」というベンゼン分子の全体的特徴は、次元数の小さい部分的な空間のピークとして実現されるのである。

 この世界における現象は、1立方センチあたり10100次元になるとも考えられる膨大な次元数を持つ空間の中で生起している。しかし、その大部分は、粗放な構造しか示さず、人間にとって興味深いものではない。人間が関心を抱くのは、抽象化して把握できるような全体的な秩序を持つ構造だが、そうした構造のいくつかは、次元数の小さい空間における状態関数のピークとして、物理的な世界に実現されている。こうしたピークが生じるのは、離散的なエネルギー準位を持った状態を自律的に作り出す量子論的な効果である。言うなれば、物理的世界には、自身を自律的に抽象化する機能が備わっているのである。

 生物個体(ここでは地球上の多細胞生物を想定している)は、量子効果によって構造化された高分子を機能的素材として利用しているので、その構造は複雑に階層化されており、入れ子状のピークがいくつも現れるはずである。地球上で知られている生物個体は、いずれも膜構造に覆われた準閉鎖系であり、外部との相互作用は、栄養の摂取と排泄、位相構造を維持したままでの運動、情報の入出力などに限られている。したがって、生物個体は、1つの“亜世界”のように思えるかもしれない。しかし、この世界は、その全体に対応するピークが存在するような統一的なものとは言い難い。多細胞生物は、さまざまなパーツを機械的に組み合わせて動かしており、その機能面でも、代謝系・神経系・免疫系など異質のシステムに分かれているからである。人間の目には統一的な存在として映るとしても、物理的世界において、生物個体は複合的な存在でしかない。物理的に実在すると言える全体的な秩序は、量子効果によって安定化されている高分子構造、および、これらの協調的な相互作用である。

 さまざまな生体現象の中で、高等生物の中枢神経系に見られる協調的な興奮は、統一された“亜世界”と認定できる要素を備えている。神経細胞におけるイオン・チャネルの開閉と膜電位の変化は、少数の秩序変数で全体的な振舞いを記述できるシナジェティックな協同現象であり、その背後には、チャネルの3次構造を支配する量子論的な効果がある。興奮性シナプスを介してループ内を巡回する神経興奮は、反響回路を形成して安定的に維持されるため、これに対応する状態関数の持続的なピークが、関数空間内部の相対的に小さな領域に現れるはずである。

 中枢神経系での協調的な神経興奮は、外部との相互作用が限定された準閉鎖的なシステムの現象である。仮に、この現象によって形作られる“亜世界”が主観的世界であるとすると、「抽象性の問題」に対して、明確な解答が与えられる。主観的世界において抽象的な存在がリアルなのは、それが状態関数のピークという単純な物理的実在だからである。あらゆる現象を1つの座標空間に配置する客観的世界では、複雑な現象は単純な要素が複雑に絡み合うことによってのみ実現されるように見えるが、次元数のきわめて高い世界では、複雑な現象が単純に実現されることがあり得る。これが、抽象的であると同時にリアルだという不思議さが生まれる理由である。

 ただし、中枢神経系の協調的な神経興奮が形作る“亜世界”を主観的世界と同定するには、大きな問題が残されている。中枢神経では、さまざまな情報処理が行われている。主観的世界の構成要素となるのは、その中のごく一部である。こうした差異が生じる機構は何か。素朴な言い方をすれば、脳で起きる現象のある部分だけが意識され、別の部分が無意識の領域に追いやられるのはなぜか−−という問題である。これが、「対応性の問題」である。



3.対応性の問題


 神経興奮の仕組みは、全ての脊椎動物(および一部の無脊椎動物)で共通している。神経細胞の細胞膜にイオンの出入りを制御する膜タンパク質が存在しており、その立体構造が変化する結果として、膜内外のイオン濃度に差が生じ膜電位が発生するのである。こうした電気化学的反応が、神経細胞のさまざまな箇所で独立して生起するならば、状態関数のピークは、異なる次元に分散して現れるだろう。しかし、生体での神経興奮は、イオン濃度が膜タンパク質の構造変化の引き金になるという形で自律的なフィードバック・ループを構成しており、多くのパラメータが連動して変化するため、複数の次元にまたがった構造を持つピークが現れる。中枢神経系ともなると、シナプスを介して接続された他の神経細胞との間に協調的な現象が見られるようになり、ピークの構造はさらに複雑になる。こうした複雑な構造が、“亜世界”の様相を決定すると考えられる。

 生体内において、神経系は際だって複雑な構造を実現している。代謝系や免疫系は、基本的に液性調節因子で制御されており、個々の細胞が調節因子の濃度に応じて特定の仕方で反応する。このため、協調的に連動するパラメータの数は少なく、ピークの構造は比較的単純である。

 ここで、ピークの構造について、きわめて簡単な例で説明しておこう。例えば、
  exp -( x2 + y2 )
という関数は、xとyという2変数によって記述され、そのピークは2次元空間にまたがっているように見えるが、実際には、
  r = ( x2 + y2 )1/2
という変数変換をすれば明らかなように、1つの変数の原点(r=0)に現れる単純なピークでしかない。この関数は、
  exp -x2

  exp -y2
という2つの関数の積になっており、ピークの構造は、それぞれの関数の構造に還元される。これに対して、
  exp -( x - y )2
という関数の場合は、x=y という直線状の構造を持つピークとなり、より単純な関数の積に還元することができない。
 なお、この例では、簡単のために、関数形があらわに書き下される場合を考えているが、実際の状態関数は陰伏的にしか表されないことに注意されたい。

 中枢神経系に見られる一連の神経興奮は、主要な秩序変数のピークだけでも、おそらく数百次元にわたる複雑な構造を持っているだろう。しかし、このピークを含む部分的領域を、そのまま主観的世界と同一視するわけにはいかない。人間の脳で言えば、後頭葉聴覚野でも前頭前野でも、神経細胞が同じように複雑なネットワークを作り上げているが、前者の活動が形作る状態関数の構造は、主観的世界の存在物とはならないと考えられている(直観的に言えば、1次聴覚野で処理された段階での情報は意識されない)。同じような神経系の活動は、いかなる契機に基づいて区別されているのだろうか。

 質的に類似した物理現象を区別する契機となるのは、量的な指標のはずである。現実的な状態関数の構造は、現在の物理学の知見でも明らかでないため、明確な量的指標を定義することは困難だが、1つの仮説として、ピークの構造に見られる複雑さの度合いが、重要な役割を果たしていると考えてみたい。直観的な言い方をすれば、複雑さの度合いが高いほど、意識される度合いが強くなるということである。

 複雑さの度合いを定量化する方法はいくつかある。1例として、次のような方法が考えられる。まず、状態関数の値を何らかの形で規格化した上で数値として表し、それが適当なしきい値以上になる単連結の領域を考える。この領域は、多次元空間の構造物となるので、ハウルドルフ次元のような次元数を定義し、それを、複雑さの度合いを与える指標と見なすことにすれば良い。

 人間の場合、中枢神経系に見られる神経興奮の過程は、必ずしも同程度の複雑さを持っているわけではない。例えば、小脳で行われている情報処理は、コンピュータでシミュレートできるような単純な逐次計算であり、フィードバック・ループを通じて高次の情報に加工しているわけではない。感覚器官から送られてきたシグナルを最初に処理する部位でも、せいぜいパターン・マッチングなどによって特徴を抽出しているだけである。これに対して、前頭前野など一部の皮質では、遥かに複雑な情報処理が行われている。

 最も複雑な情報処理が行われるのは、おそらく、新たな知覚や学習記憶との照合に基づいて、随意筋に与える指令を修正する段階である。知覚情報に直接的に対応するように行動プランを立てる過程では、既存のパターンの中から状況に適合するものを選び出せば良いため、処理すべき情報量はそれほど多くない。例えば、眼前にあるコップと掴もうとするときには、過去に行った「物を掴む動作」のパターンに基づいて筋出力のレベルを設定しており、わざわざシミュレーションを行っているわけではない。しかし、実際に腕を動かし始めた後で、当初の行動プランに比べてコップの位置が遠いといった状況が生じたとき、中枢神経系が行うべき情報処理は、急激に複雑なものになってくる。運動野に指令を発するとき、随伴発射によって行動プランに基づく身体像が構成されるが、この身体像と新たな知覚情報や学習記憶を統合しながら、修正された出力レベルを導かなければならないからだ。この段階では、異なる部位からの入力を結びつけるように神経興奮が行われるため、関与する秩序変数の数も増大し、状態関数のピークも、より多くの次元にまたがるようになる。このような複雑さの度合いに達した構造物が、主観的世界を形作っていると仮定するならば、「対応性の問題」は解決される(ただし、これは程度問題であり、複雑さの度合いが低い場合でも、覚醒レベルの低い意識があると考えるべきだろう)。

 「ピークの構造における複雑さの度合いが充分に高くなった“亜世界”が主観的世界である」という仮説を、直接的に正当化することはできない。しかし、いくつかの傍証を見いだすことはできる。

 以上の点を積極的に受け入れるならば、上のモデルによって、客観的世界と主観的世界を同一の物理的世界の異なるアスペクトとして解釈できることになる。



この論文の内容は、『この世界についての仮説』において、より詳細に展開されています。


©Nobuo YOSHIDA