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は じ め に



 現在、日本の原子力政策は岐路に立たされている。
 戦後、原子力は「夢のエネルギー」「第3の火」と呼ばれ、物質文明を支える基盤技術として期待されてきた。1966年に初の商業用原子炉が茨城県東海村で運転を開始して以来、火力・水力と並ぶ重要な電力供給源となり、こんにちでは、総発電量の35%を原子力が占めるに至っている(1997年実績)。また、イオウ酸化物などの排出源となっている火力発電所と異なり、通常運転中は外部に有害物質をほとんど放出せず、地球温暖化の原因となる二酸化炭素の排出量も、石油火力の2〜3%程度でしかないため、電力会社によって「環境にやさしい」エネルギー源だと宣伝されることもある。
 しかし、時代の流れは、確実に原子力に対する批判を増す方向に進んでいる。1979年のスリーマイル島原発事故以来、アメリカでの原子力発電所の新規発注がパタリと止まっているし、1986年にチェルノブイリ原発事故が発生してからは、世界的に反原発運動が盛り上がり、スウェーデンやドイツは原子力からの撤退を表明した。日本は、フランスや旧ソ連(ロシア、ウクライナなど)、東アジア諸国(韓国、中国など)とともに、原発を推進している少数派に属しているが、1997年の高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏れ事故、1999年の東海村核燃料施設での臨界事故と中規模の事故が相次ぎ、次第に原発への風当たりが強くなりつつある。
 この章では、歴史に翻弄された感のある原子力(核エネルギー)の利用について、科学者たちによる初期の研究から最近の事故例に至るまで、歴史の流れに沿って解説していきたい。


©Nobuo YOSHIDA