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  我が国の正式国名は「ニホン」か「ニッポン」かという問題がある。上代日本語では、唇を合わせた破裂音としてハ行を発音しており、「日本」と書いて「ニポン」と読んでいた。その後、唇を離した発音が一般化した経緯があるので、どちらでもかまわないとされる(お札の裏には NIPPON GINKO と印刷してあるが、これが政府の公式な見解という訳ではない)。いかにも物事を曖昧なままにしておく日本的な解決策のようだが、ここに民族学的に重要な論点が潜んでいる。それは、民族内部で発音を統一しようとするコンフォーミズムの違いである。日本では、カナと漢字を混合した独特の表記が用いられる。しかも、漢字の本家である中国とも異なって、1つの漢字に何通りもの読みが与えられており、文字の結合や文脈に応じて読み分ける必要がある。マンガやライトノベルでは、本来の読みとは全く異なるフリガナが振られることも少なくない。この結果、アルファベットのような表音文字を用いる民族とは大きく異なった言語観が生み出された。
 日本人にとっては、「日本」という文字が重要なのであって、読み方を統一する必要性を強く感じていない。これに対して、アルファベットを用いるヨーロッパ人は、発音に合わせて文字を表記するため、読みと表記を一体化しようとする意識が強い。学生時分にチョムスキーの文法論を読んだ際、文を音韻系列として捉える方法論に違和感を感じたが、 表記と読みが一体化しているゆえに生まれた理論なのだろう。表音文字を用いることで表記を読みに合わせる手法は、文字の修得を容易にする一方で、言語が変異しやすいという特徴につながる。発音には顕著な地域差があり、場所によってさまざまな方言が生まれるが、それに応じて文字表記も変化する。この変化は、読みから表記という一方的なものとは限らない。両者が相互補完的に作用しあい、その結果として、各地域に定住する民族ごとに表記と読みのコンフォーミティが進行する。例えば、「猫」は英語で "cat"、ドイツ語で"Katze" となり、表記も発音も微妙に異なっている。日本人からすると、同じ表記にして発音だけを変えた方が異民族間でコミュニケーションが取りやすく便利だと思うのだが、そうもいかないのだろう。表意文字(と言うよりは表語文字)である漢字を用いる中国で広範囲にわたる言語の共通化が実現されたのに対して、ヨーロッパで多くの言語が乱立している現状は、表音文字を用いる民族の宿命なのかもしれない。
 こう考えてくると、日本が無理にヨーロピアン・スタンダードに従わなくてもかまわないことが納得されよう。「日本」という漢字表記が我が国の正式国名を表しており、読みが「ニホン」か「ニッポン」かにこだわる必要はないのである。(1月14日)

  古来、ヨーロッパ人は英雄を好み、日本人は二枚目を好む。この趣向の差異は、現在まで脈々と続いている。ヨーロッパ人の英雄好みは、おそらく彼らが好戦的であることと関係する。ゲルマン民族の大移動以後、ヨーロッパ人は好んで戦争を繰り返し、独自のルールを設定して悲惨な消耗線に陥らないようにしてきた(2度の大戦でこのルールが大きく揺らぐことになったが)。戦いのルールを守りながら勝利を重ねていく−−これが典型的な英雄である。古代ギリシャのアキレウスが英雄の理想であり、アレクサンダー大王やジュリアス・シーザーからアーサー王と円卓の騎士、ナポレオンに至るまで、フェアで強い武人が英雄としてもてはやされてきた。一方、日本では、強い武人はあまり人気がない。光源氏や在原業平は文弱の貴族に愛されただけかもしれないが、庶民文化が花開くようになってからも、人々の心を熱くしたのは英雄より二枚目だった。平家物語の一番人気は、何と言っても登場してすぐに殺される平敦盛であり、江戸時代には女と見まがう美少年として描かれた。天才的武人だったはずの源義経も、弁慶に庇護される二枚目に読み替えられて人気を博した。軍事的才能に長けた武将で人気があるのは、楠正成や豊臣秀吉のような知略家である。ヨーロッパ的な英雄と言えるのは真田幸村か上杉謙信だが、どちらも志半ばで倒れた悲劇のヒーローである点が好まれたようだ。日本人好みの二枚目ヒーローは、いまやアニメやゲームの世界における戦闘美少女となり、そのアンバランスな姿で欧米人を惑わし続けている。(1月27日)

  自己の不在を主張する仏教の教義は、現代科学と対立しない希有な宗教的教えである。のどの渇きを感じてジュースのボトルに手を伸ばすシーンを想定していただきたい。常識的には、この過程を「私がボトルを手に取る」と命題化する。しかし、神経科学が明らかにしたように、ボトルに手を伸ばし始める時点では、意識的な意志は必ずしも形成されていない。手が動き出してから、事後的に“私”を措定しただけである。それでは、意志が形成される前に手を動かしている“私”は誰なのか? この疑問は、“私”が実体的な自己ではなく現象(仏の現成)であるとする仏教の教義によって、科学的知見と矛盾することなく解明される。(2月6日)

  八百長問題で相撲界が揺れている。力士間のメールがフォレンジックの手法で暴かれ、八百長の実態が白日の下にさらされたからである。八百長相撲の噂は以前から絶えなかったが、少なくとも幕内に八百長はほとんどないと言われてきた。相撲界は勝ち星1つの違いで番付が上下するが、一枚でも番付があがると給金は大きくアップする。さらに、十両・幕内・役力士では、付き人の数など待遇が全く異なる。勝ち星を重ねれば人気が出て懸賞が増え、そこで勝てば懸賞金を総取りできるので、さらに儲けが大きい。八百長は金をもらって負けを引き受ける力士がいるから成立するのだが、数十万円程度の礼金では、本来は負け甲斐がないはず。にもかかわらず八百長が実際に行われたのは、じり貧で引退間際のロートル力士や出稼ぎ気分の外国人力士が、数十万円でもほしいと八百長を引き受けたせいである。この点をきちんと認識し、待遇や給与体系を再検討することが、再発防止につながるだろう。(2月13日)

  内舘牧子が夕刊のエッセイでいらだたしげに書いていた。街頭インタビューを受けた若者が、「スマートフォンがあるとレストランとか調べて簡単に行けられる」と答えたというのだ。「出れれる」と発言したスポーツ選手もいるとか。正規の文法では、一般の動詞は助動詞「れる」「られる」を付加して可能表現にするが、五段活用の動詞は「ェる」の形で可能動詞に変形できる(「行く」→「行ける」、「書く」→「書ける」のように)。この不規則な規則(!)は日本人にとってもわかりにくい上に、「れる」「られる」が受動態など他のケースでも用いられるため、混乱を生じやすい。そこで、可能態だけは別枠で扱い、「見れる」のような表現も認められるようになってきた。ところが、新しい可能表現が定着するにつれて、可能性があまり強調されなくなり、特に強調したい場合には、さらに「れる」「られる」を付加する人が現れてきた。これが、内舘氏をいらだたせた奇妙な日本語である。この方式でいくと、麻薬でとんでいることを表す「ラリる」の可能表現は、「ラリれられる」になるのだろうか?(2月17日)

  経済ばかりに目が向き、GDPで中国に抜かれたことで落胆している人たちに強く言いたい。現在、日本は戦後最も豊かな状態にあると。60〜70年代、欧米に追いつくために馬車馬のように働いてきた日本人は、世界第2の経済大国になって目的を失ったかに見えた。しかし、心ある人たちはそうではなかった。80年代におけるバブル的狂騒の影でひそかに準備されていたつぼみは、90年代になって一気に花開き、日本に黄金時代をもたらしたのである。優秀な人材が大企業に流れていた以前とは異なり、90年代以降、能力のある若者はクリエイティブなソフト産業へと向かうようになった。その結果、特に大衆文化の分野で、日本は欧米を凌ぐパワーを獲得する。これは、よく言われるマンガ・アニメ・ゲームだけにとどまらない。80年代に「歌が下手な方が人気が出る」と似非アイドルを量産していた音楽業界では、アーチスト主体のムーブメントが起こる。B'zやドリームズ・カム・トゥルーのような実力派、ビジュアル重視の独特なロックバンド、宇多田ヒカルのような演歌に根を持つJ-POPなど、はっきり言って、ビルボードに登場するアメリカのミュージシャンより遥かに魅力ある人々が活躍した。文学でも、日本人には無理という通念に反して、『ナルニア国物語』や『ゲド戦記』に匹敵するハイファンタジーが小野不由美や上橋菜穂子にによって執筆され、ドストエフスキーやフォークナーの傑作のように犯罪と人間性の深奥に迫る高村薫の3部作も登場する。バブル期の威圧的で空疎な巨大建築に代わって機能性と装飾性を併せ持つ建物が建てられ、路上アートとライティングが街の雰囲気を盛り上げる。これだけの文化を享受できる国を、豊かと言わずして何と言おう。(2月27日)

  デジタルコピーの機能が向上した昨今、著作権強化の動きが活発だ。しかし、この権利をあまり重視しすぎると、二次創作を圧迫しかねないため、慎重な態度が必要である。
 芸術では、先行作品をベースにして新たな創作を行うことが、古来からごくふつうに行われてきた。ギリシャ悲劇は、よく知られた神話のサイドストーリーを戯曲化したものだし、シェークスピア作品の大半にも原作がある。絵画や彫刻で、何らかの物語を具象化することは、むしろアカデミックな創作の王道だった。音楽でも、変奏曲や歌曲、オペラなどの大半は、先行作品の上に作られている。20世紀に入ってからは、映画化・アニメ化という形での二次創作が広く行われるようになった。ところが、小説やマンガを原作として映画やアニメを作る場合、原作も二次創作物もストーリーを語るという点で共通しているので、しばしば衝突が生じる。有名なケースとしては、レムの原作小説を映画化したタルコフスキーの『惑星ソラリス』がある。ヒッチコックの作品(『サイコ』や『めまい』など)のように原作が駄作で映画が傑作ならばまだしも、ソラリスの場合は小説も映画もともに傑作であり、しかも、根本的なモチーフが異なっていたため、衝突は激しく、レムがタルコフスキーを罵倒することもあったという。
 こうした衝突を避けるために、映画化する際には、映画に関する全ての権利を原作者から買い取り、原作者はロイヤリティは手にしても口出しはできないようにするのが一般的である(この点に関しては、おそらくディズニーが最初に徹底させた)。しかし、ときには権利関係をはっきりさせないまま映画化・アニメ化が進行することもある(高橋留美子と押井守が衝突した『うる星やつら』のように)。また、口出しする権利がないにもかかわらず、憤懣やるかたない原作者が、別のメディアで発言するケースも稀ではない。二次創作物の権利をどのように守るかは、簡単に答の出せない難問である。(3月6日)

  東日本大震災の報道で奇妙に感じたのは、被害者数に関して、当初は明らかに過少な数字が発表され、次第に増えていくという過程を辿った点だ。阪神大震災のときも同様で、まず、被災地の映像から見てあり得ない「死者2人」という数字から始まった。しばらく2桁のやたらに細かい数字が続いた後、半日以上を掛けて数百人となり、1000人を越えた頃から数値の上昇が早くなっていった。アメリカの災害報道では逆であり、ロマ・プリータ地震や9・11テロのときには、まず大きめの数字(例えば、「ペンタゴンで800人死亡」など)を発表した後、だんだんと減らしていく。どちらの報道姿勢が良いかは一概には言えないが、日本の場合、明らかに非現実的な数字をアナウンサーが細かく読み上げるので、ひどく違和感を覚えてしまう。こうした方法が採られるのは、メディアがパニックを煽らないように自制しているためと考えられるが、もう一つ、言葉の力を恐れる民族性が背後にあるのだろう。日本人は、予想される災厄について口にするのをためらう。恐れていないわけではない。恐れを心に抱きながらも、口にするとかえって災いを招き寄せるように感じてしまうのだ。これは、ガンの告知などとも関係しているが、災いは可能な限り口にしないというのが日本人のメンタリティであり、欧米人には理解しにくい性癖だろう。(3月13日)

  世の中には何千人かに一人の割合で絶対音感を持つ人がいる。この事実をどう解釈したら良いのだろうか?
 色に関しては、大半の人が絶対色感を持ち、赤のような特定の色を直ちに認知でき、提示されたドット絵から「赤のドットを探し出せ」という課題を直ちに遂行できる。これは、光受容タンパク質の吸収帯が立体構造によって決定されているからである。光受容タンパク質は、構造が複雑で生合成のコストが大きいため、大部分の哺乳類では2種類、ヒトを含む霊長類では3種類しかなく、遺伝的変異もあまりない。光受容タンパク質の種類が限られているため、それぞれの構造変化をモニターする神経ネットワークが比較的容易に形成され、その活動によって絶対色感が生み出される。
 一方、音の高さに関しては、蝸牛管内部における気柱の共振をモニターすることで認知されるが、特定の周波数に対して選択的に共振を起こすメカニズムが遺伝的に規定されているわけではないので、一般人は、他の音と比較せずに音の高さを識別することはできない。絶対音感は、共振周波数ごとに異なる神経が興奮するような特殊なネットワークによって実現されるはずである。しかし、絶対音感が生存競争に有利に作用するという証拠はなく、こうした神経ネットワークが進化の過程で形成されたとは考えにくい。それでは、なぜ一部の人が絶対音感を持っているのか? 単なる偶然の所産なのか、何らかの必然性があるのか? いろいろと考えてはいるが、いまだ結論が出せずにいる。(3月27日)

  近年のコンテンツ産業では、メディアミックスという言葉が頻繁に登場する。同一のキャラクターや世界設定に基づいて、漫画・アニメ・ゲームなどさまざまなジャンルでコンテンツを作り出すことだが、実は、こうした手法は、遥か古代から行われていた。例えば、古代ギリシャにおけるギリシャ神話。当時、アポロンやアフロディーテのような神話の登場人物は、貴族の間で人気キャラとなっていたため、彼らを起用する作品が次々に作られた。演劇や彫刻は今に残されているが、紛失した多くの壁画や壺絵があったはずであり、おそらくは歌曲も作られていただろう。近世に入ってからも、キャラクターの使い回しはごく一般的に見られる。多くの人はハムレットというとシェークスピア劇の登場人物を思い起こすだろうが、実は、当時にあっては周知の伝説的人物であり、その行跡は、血なまぐさい復讐劇の格好の題材として好んで取り上げられていた。シェークスピアの作品は、血の気あふれる復讐者とされていたデンマーク王子を内省的な青年として描き出し、その異色な描写が人気を呼んで、ハムレットの決定版とされたのである。近代になると、産業革命と市民革命によって社会情勢が急変する中で強烈な生き様を見せるキャラクターが現実世界に現れ、ドストエフスキー・バルザック・ディケンズらが作家的想像力によってその個性を増幅しながら描き出したため、神話・伝説の助けを借りずにキャラクターを創作する手法がスタンダードとして定着した。だが、20世紀後半になって産業社会が成熟してくると、現実の人物はキャラクターとして物足りない。そこで、本来の創作手法であるキャラクターの使い回しが復活してきたと考えられる。(4月1日)

  15年ほど前から頻りに偏頭痛の発作に襲われるようになった。オリヴァ・サックスの『偏頭痛百科』にもあるように、この病気は症状の多様性で知られている。脳の血管が拡張して血流量が増え、同時に特定の神経細胞が過活動状態になるため、さまざまな知覚異常が生じるからである。偏頭痛の前兆として、人物や物体の周囲に色や光が見えるという報告もあり、いわゆる「オーラ」の正体ではないかとも言われる。私の場合、覚醒−睡眠のパターンがおかしくなる。通常の睡眠は、覚醒状態からいったん深いノンレム睡眠に陥り、次第に眠りが浅くなってレム睡眠に移行する。この「ノンレム睡眠→レム睡眠」というパターンを一晩に数回繰り返す。ところが、偏頭痛の発作時には、しばしば覚醒状態からいきなりレム睡眠に移行する。痛みを紛らわそうと、目を閉じたまま何らかの光景−−例えば、人形が置かれた棚を思い描いているうちに、次第に人形の姿が明瞭となり、しまいには勝手に踊り出したりする。いつのまにか夢を見ていたのである。頭を抱えながら街の雑踏を想像していたときは、ふと気づくと、渋谷のスクランブル交差点で行き交う人々を数メートル上から見下ろしていた……幽体離脱したのかもしれない。(4月8日)

  小学生の頃、ペール・ギュントの音楽は最高だと思っていた。グリーグによる親しみやすい旋律は何度繰り返しても聴き飽きず、哀切感が心を打った。有名な「ソルヴェイグの歌」はもちろん、「朝」や「アニトラの踊り」も好きで、ピアノで弾いてみたこともある。しかし、中学に入った頃から急激に興味を失い、高校生になると、愛すべきポピュラー音楽という位置づけに変わった。この変化は、なぜ生じたのか?
 一般的に言って、幼い子供は、「おもちゃのチャチャチャ」や「黒ネコのタンゴ」のように、明確なリズムを持つ短いフレーズが何度も繰り返される曲を好む。おそらく、楽曲を記憶する能力が充分に発育していないためだろう。楽曲を記憶してさまざまなパッセージを識別できるようになると、複雑な構造を持つ音楽を鑑賞できるようになる。ブルックナーの晩年の交響曲のように、最初に主題が提示されてから数分経ってようやく展開が始まる作品は、音楽を聴く能力がかなり発達していないと良さがわからない(もっとも、ブルックナーのファンでも、録音を何度か聴き返してはじめて作品世界に耽溺できるようになるのだが)。さらに、単純な旋律ではなく対位法的な組み合わせや音色の重なりを聴き分けられるようになると、現代的なオーケストレーションを駆使した作品も楽しめるようになる。もっとも、それに伴ってペール・ギュントが楽しめなるのは、悲しむべきことかもしれないが。(4月15日)

  nikki_003.gif 人間の意識の流れをシミュレートするアルゴリズムを開発することは可能か? この問題は、将来の技術的進歩を予測する上できわめて重要だが、私は否定的な見方をしている。fMRI などのデータを見ると、覚醒状態にある脳は、実にノイズィである。振幅の小さい高周波がバラバラに発生しており、統一のとれた情報処理を行っているようには見えない。ロジカルな情報処理の連鎖があるとしても、ドミナントではなさそうだ。むしろ、同時並行的に数多くの神経活動が励起され、神経系の特性と周囲との相互関係に応じて何らかの安定状態へ収斂していくと推測される。図で描くと右のようになるだろう。こうした同時並行的な情報処理の結果として生まれるいくつかの安定状態が、意識の内容となる。ここに至るまでの過程で相互作用が行われており、意識内容となる安定状態には相互の関連性が含まれるため、意識がロジカルに見えることもあろう。しかし、意識形成の過程を考えれば、意識の連鎖が確固たるロジックに従っているのではないことは明らかである。無意識の領域で行われる状態遷移が意識の流れを決定しており、意識内容を相互に結びつけるロジックはかなり弱い。にもかかわらず、人間は事後的に情報を整理し、そこにアルゴリズムを見いだそうとする。例えば、「相手が私をにらみつけたので不愉快になった」と人が言うとき、これを直ちに真に受けてはならない。多くの場合、必ずしもはっきりしない原因でまず不愉快な状態が形成され、この情動と相手の視線の動きを事後的に結びつけて、「にらみつけた」という原因を捏造する。こうした事後的な情報の整理に基づいて作られたアルゴリズムをいくらひねり回しても、人間の意識の流れを再現することは不可能だろう。(4月20日)

  東日本大震災の影響で品薄になっていた鶏卵が、ようやく(2割ほど値上がりしたものの)以前と同じくらい豊富にスーパーの棚に並ぶようになったが、購入したパッケージを手にしたところ、大半がSサイズだったので新鮮な驚きを覚えた。通常、店頭に置かれている鶏卵パックはLサイズばかりである。これは、資本の論理のなせる業であり、決して消費者がLサイズを望んでいるからではない。購入する側から見ると、LサイズとSサイズでは商品価値に差がある。食べる部分の大きさが明らかに異なるため、同じ価格ならば迷わずLを選択する。当然、Sサイズのものは、Lより低い価格をつけないと売り上げが落ちてしまう。しかし、生産・販売する側にとって、LとSの差はほとんどない。ニワトリの飼育や採卵、パッケージ詰めから運搬・陳列に至るまで、どの段階をとっても、LとSで同じような手間が掛かる。生産・販売のコストは両者でほぼ等しいので、価格の設定は純然たる販売戦略にゆだねられる。ところが、ここで問題が生じる。Lサイズの価格を上げようとすると、Lの販売に特化した業者との価格競争に敗れる。Sサイズの値下げは、採算ラインぎりぎりのところで商売をしているこの業界では難しい。このため、Lサイズの卵を産む系統のニワトリを選抜し、Sサイズは切り捨てていくのが無難なやり方となる。これが、店頭にLサイズの卵ばかり並ぶ理由である(曲がったキュウリや葉つきダイコンは、卵とは逆に、商品価値にほとんど差がなく販売コストに差があるために、店頭から姿を消した)。今回の震災で品薄になって、主要流通ルートからはずれていたSサイズの卵に巡り会えた訳である。(5月6日)

  科学研究は社会情勢に影響を受けるか? 受けるとすればどの程度か? この問いは、科学技術社会学の中心的な論題である。私の見解を言えば、どのような研究が盛んになるかは、社会の動きと密接に関連しており、ときには、後から見てあまりに不当に見える学説が定説として維持されることもある。ここでは、2つの事例を紹介しよう。
 誤った学説が維持されることは、かつての骨相学や優生学のような過去の出来事と思われがちだが、現代日本でも見られる。最も有名なのは、地震予知を巡るすったもんだである。大多数の地震学者は、数時間から数日前の直前予知はほぼ不可能だと考えていた。ところが、東海地震に関して予知が可能だとする学者が現れると、地震対策が手詰まりとなっていた政府・自治体の関係者が飛びつき、あれよあれよという間に地震予知の組織が作られ、静岡県を中心にかなりの予算が投じられることになった。しかし、大地震の前兆とされるプレスリップが起きる蓋然性は、必ずしも高くない。最近になって、ようやく予知が現実問題としてかなり難しいことが認められ、予知に頼らない対策を立てるようになってきた。それでは、多くの地震学者が批判的だった直前予知の学説が、なぜ政府・自治体に受け容れられたのか? それは、この学説が行政にとって好都合だったからである。数十年以内に大地震が起きる確率がかなり高いというだけでは、効果的な対策を立てるのが難しい。防波堤の建設や耐震補強工事を進めるのは、金が掛かりすぎる。だが、直前予知が可能だとなれば、役人が得意とする「住民に対する指導」が地震対策の基本となり、それなりの予算も付く。たとえ予知がはずれても、地震学者に責任を押しつけることができるので、役人は困らない。一方、地震学者からすると、予知できると主張すれば、自治体からの資金提供を受けられる上に、マスコミに取り上げられて時の人となる。学界で日陰者とされてきた身には、嬉しい限りである。こうした役人・学者のもたれあいによって、数十年にわたって不毛な地震予知の研究が続けられることになった。
 社会からの影響によって研究がゆがめられたもう1つの例が、日本の前期旧石器時代に関するものである。学界の通説では、日本には前期旧石器時代は存在しないとされており、この分野の専門家は(研究対象がないので)ほとんどいない。ところが、1980年代にゴッドハンドの持ち主とされる考古学研究者が数十万年前の地層から次々に石器を発掘するや、具体的な証拠によって定説が“反証”されてしまい、日本にも原人がいたという認識が広まった。大学などに在籍する専門家は、発掘された石器の信憑性に懐疑的で、前期旧石器時代の証拠にならないとする論文を発表する者もいた。しかし、発掘地の教育委員会などが石器や遺跡を文化財として認めるケースが相次ぎ、この動きに便乗する形で観光業者が原人の存在をアピールしたため、批判の声はかき消されがちだった。石器の発見が捏造だったことは、結局、学界内部の学術論争では明らかにされず、マスコミによる現場取材によってスクープされた。学問が社会に振り回されたケースとして興味深い(考古学の周辺では、世界一古い縄文土器、山内丸山遺跡に遺構が残る巨大木造建築、出雲大社にあったとされる十六丈の本殿、樹齢5000年とも言われる縄文杉など、かなり怪しげな話がまことしやかに語られている)。(5月19日)

  しばしばアメリカ人は合理的な発想をすると言われるが、実際には疑わしい。例えば、運動。アメリカ人好みの運動はジョギングだが、これは、膝や足首に過大な負担を掛ける上に、一部の筋肉しか使用しておらず、偏った運動である。心肺機能の強化は図れるが、走る距離をきちんとコントロールせず気分に任せていると、ランニングハイの状態になって走りすぎ、突然死の危険が増す。筋肉強化のためにはアスレチックに通うのが良いとされるが、多額の金が掛かるため、一般の労働者の間に普及しているとは思えない。しかも、適切な指導者がいなければ、メニューが偏りがちになる。こうした危うい運動に比べて遥かに合理的なのが、日本で普及しているラジオ体操である。筋肉をほぐす軽い運動から始まり、さまざまな部位の筋肉に適度の負荷を加え、最後はクールダウンまで行う。TV放送も行われており、それに従えば誰もが間違えずに体操できる。ラジオ体操とウォーキングを毎日実行することが、健康維持を図る上で最も有効な方法だろう。しかし、合理的だという理由でアメリカ人が日本流のラジオ体操を積極的に取り入れるとは考えにくい。合理性よりも個人主義を重視するライフスタイルを見て取ることができる。(6月8日)

  日本の民族音楽では、旋律を歌わせることが少ない。芸能として人気のあった能狂言、歌舞伎、浄瑠璃などでは、節を付けて台詞を語る謡いはあっても、オペラのような歌はない。民謡となると、哀愁を帯びた旋律を持つ作品が思い起こされるかもしれないが、それは、近代になって歌い直された・民謡である。戦前に歌われていたソーラン節の録音を聴いたことがあるが、伊藤多喜雄の絶唱とは似ても似つかぬ念仏のようなものだった。民謡のベースは労働歌なので、拍子を取ることが重要であり、メロディは軽んじられたのだろう。宗教の分野でも、せいぜい声明が謡われる程度で、賛美歌やカンタータと比べられるものはない。
 旋律を歌わせることが少ないという日本音楽の特徴は、楽器にも現れている。グリッサンド奏法が可能な弦楽器は、日本には見あたらない。数多くの弦を張って旋律を奏でられるようにした弦楽器は、ヨーロッパにも中国にもあるが、日本の琴は、逆に弦の数を減らして旋律を単純化する方向に進化した。管楽器に関しても、穴の数を増やし、果てはバルブまで取り付けるというヨーロッパ流の改良は施さない。日本の尺八は、大陸のものに比べて穴の数が少なくなっている。こうした事例は、旋律を歌わせないという日本音楽の特性を如実に表している。(7月1日)

  バルテュスの回想録(『バルテュス 自身を語る』(河出書房新社))を読んでいると、20世紀の画家とは思えないほどの敬虔な態度に胸を打たれる。彼の作品に描かれた少女たちは、生々しくやや官能的である。そのせいで、何となく画家の本人も頽廃的な性格を想像していた。ところが、実物は全く異なっていた。マサッチオやピエロ・デラ・フランチェスカを愛し、絵画制作に取りかかる前にまず神に祈るという。抽象絵画を毛嫌いし、モンドリアンが具象から抽象へと作風を転換して眼前に拡がる美しい夕焼け空を眺めようとしなくなったことをひどく残念がる。そうした姿は、現代芸術の周辺から失われて久しい求道的な芸術家を思わせる(7月21日)

  19世紀後半に絵画に対する嗜好が大きく変化し、静謐な作品が愛されるようになった。ルネサンス以降の近代西欧絵画は、いささかかまびすしすぎる。ルーベンスやドラクロワの作品は、まるで大声を張り上げているようで、少々気後れする。ところが、こうした押しの強い作品の人気が低下するとともに、ひっそりと小声で語るような絵画を愛する人が増えてきた。例えば、ピエロ・デラ・フランチェスカ。初期ルレサンスのプリミティブ絵画のようでありながら、画面は安定し揺るぎない。沈黙の力強さとでも言おうか。バロック期のスルバランは、カラヴァッジオのように明暗の対比を強調しているものの、人物はまるで静物のように沈黙し、泰然としてあるべき位置を占めている。同時期のラトゥールも、劇的な場面を題材に選びながら、言葉はほとんど聞こえてこない。静謐さを愛する心が、これらの画家を忘却の淵からすくい上げたのである。(7月27日)

  現代日本が生み出した独特のポップアートにフィギュアがある。もともとは菓子のおまけなどとして提供されていた安価なおもちゃだったが、しだいに精密さを増し、高い芸術性を獲得するに至っている。アニメやPCゲームのキャラクターを表現したものが人気を集めるが、車や建築物などさまざまなタイプがあり、日本土産として外国人環境客にも珍重されているようだ。最近の作品には複雑な凹凸があり、いくつかのパーツを組み合わせていると推測できても、実際にどの部分がどこで接合されているのか、ほとんどわからない。彩色も美しく、おそらく1個1個手作業で塗っていると思われるが、その細密表現は名人技である。私も数点の人物フィギュア(綾波レイ!)を所有している。中には1体1000円足らずのものもあるが、この価格で販売できることが信じられないほどの出来映えである。まだ欧米の美術評論家には充分に認知されていないようで、村上隆のフィギュア程度にやたら高値がつけられて鼻白む。かつて包装紙として使われていた浮世絵がヨーロッパ人を驚嘆させたように、ガチャポンに入ったフィギュアのすごさに美術評論家が気づくのはいつになるのだろうか。(8月4日)

  カラスが奇妙な鳴き声をあげている。「イヤーアウッ、イヤーアウッ、イヤーアウッアウッアウッ」と節を付けて繰り返す。もう30分ほど経ったか。ときどき、「イヤーイヤーイヤー」と叫んでみたり、「アウッアウッ」をリズミカルに反復したり。知能の高いカラスは、警告などのシグナル音を発するし、仲間であることを確認するために鳴き交わしもする。だが、このように単独で鳴き続けることに何か意味があるのだろうか? 縄張りを主張しているのかもしれないが、繁殖期でもないのに。よもや求愛ではあるまい。聞いているうちに、どうしても歌を歌っているように感じてしまう。それほど調子よく楽しそうなのだ。(8月10日)

  アニメの作画技術はとみに向上し、見た目の美しさでは20年前と比較にならない。しかし、肝心のプロットが杜撰で画面とかみ合っていない作品が多いのは、寂しい限りである。例として、現在放映中の『Blood C』を取り上げてみよう。
 この作品は、劇場用アニメ『Blood The Last Vampire』に始まるBloodシリーズの一編とされる。Bloodシリーズの基本プロットは、人類を襲い来る吸血鬼を、彼らと同族である少女・小夜が日本刀で倒していくというもの。ただし、「少女が日本刀で」という設定は画面を華やかにするためのギミックにすぎない。人知れず進化していた吸血鬼の姿に、現代社会にはびこる目に見えない恐怖を体現させることが、原作者の押井守の意図ではないかと思われる。テレビアニメ『Blood +』では、ベトナムと沖縄を舞台に戦争の恐怖が強調され、人間と同じ姿をした吸血鬼によって、恐怖の源がわれわれ自身であることが示唆されていた。ところが、『Blood C』にこうした複層的な描写は見られず、「少女が日本刀で」というギミックだけが前面に押し出されている。それにあわせて吸血鬼も変容し、まさに異形の者としか言いようのない不可思議な姿として描かれた。恐怖の源が掘り下げられることもなく、『ひぐらしの鳴く頃に』などと同じくド田舎で起きる連続スプラッタの物語となっている。これでは、激しいアクションシーンも空回りするばかりで、何とも寂しい限りである。(8月21日)

  幼児に対する本の読み聞かせが、家庭教育において大きな意味を持つことは間違いないが、さて、どのような形で行うのが良いのか? 考えられる方法は2つある。1つは、本を持った親(またはその他の読み手)が子供に相対し、本を読みながら時折目を上げて子供を見る方法。物語を親子が共有しているという実感が高まり、コミュニケーションをはぐくむやり方である。もう1つは、親が子供を抱きかかえるようにして、子供と自分の両方に本を見えるようにする方法。指で字面を追いながら読み上げていくと、読字能力が育成される。どちらか一方を採用すべきだというものではなく、状況に応じて使い分けるのが好ましいのだろう。教育心理学的な根拠があるわけではないが、何となく、前者は2〜3歳児、後者は4〜5歳児に向いているような気がする。もっとも、4〜5歳児を抱きかかえて本を読むのは、かなりの重労働かもしれないが。(9月17日)

  風邪の予防策として、日本では、うがい・手洗い・マスクの3点セットが有効だとされる。ところが、欧米では手洗いだけが推奨されて、マスクに関しては効果なしとする専門家が少なくない。マスクの風邪予防効果に関しては、いくつかの実験が行われているが、日本では有効、欧米では無効という結果が得られることが多い。なぜか?
 マスクといってもいろいろな種類があり、口を覆うだけのガーゼマスクにウィルスを防ぐ効果はあまり期待できない。しかし、鼻から顎まで覆う不織布製のマスクならば、かなりの効果が上がるはずである。風邪は、主に接触感染によって拡がる。保菌者が咳をしてウィルスを含む唾液を飛び散らせたり、鼻や口をいじった手で手すりやドアノブに触れたりすると、あちこちに汚染スポットが生じる。この汚染スポットにさわった手で鼻や口の周辺に触れると、風邪のウィルスが呼吸器に侵入し増殖する。これが、風邪がうつる基本的なプロセスである。マスクは鼻や口をガードしており、汚染スポットに触れた手が粘膜に届かないようにするので、接触感染は充分に防げるはずである。風邪の種類によっては飛沫感染もあり得るが、通常の飛沫粒子は不織布のマスクでくい止められる。さらに、インフルエンザ・ウィルスなどは湿気に弱いが、鼻から顎まで覆うマスクは、その内側に高温・多湿ゾーンを作り出すため、ウィルスの増殖を抑える働きをする。
 これだけの機能があるにもかかわらず、欧米の実験でマスクの効果が否定されるのは、おそらく心理的なバイアスによるのだろう。欧米の知識人は、マスクに風邪予防効果がないと医者から教え込まれているので、実験の際につい効果を否定する気分になってしまい、それがデータに影響を及ぼすと考えられる(同程度の軽い症状でも、マスクをしていなかったときには「風邪を引かなかった」、マスクをしていたときには「風邪を引いた」と答えてしまう)。マスクが高い有効性を持つことを考えると、欧米の医者はずいぶん罪作りである。(10月8日)

  東日本大震災の犠牲者の捜索は、海上を中心に未だに続けられている。発見される遺体の数はずいぶんと減ったが、それでも9月中だけで30体近く見つかっており、誇る4000名の行方不明者を求めて、海上保安庁は作業の手をゆるめない。こうした捜索は、外国人の目には不思議に映るようだ。これから発見される遺体の多くは、長期間海中に沈んでいた後、海が荒れて浮かび上がってくるものなので、傷みも激しく、歯形やDNA鑑定でようやく身元が特定できる状態だという。ここまで捜索を続ける必要があるのか−−というのが外国人の見方のようだが、おそらく、遺体収集を続けるべきだと思う心情にこそ、無宗教だと言われる日本人の宗教心が集約されているのだろう。これは、仏教の信仰ではない。仏教はここまで死体を大切にしない。死を忌み嫌う神道の信仰とは縁遠い。祖先を敬う儒教の教えに似ていなくもないが、誰の遺体であろうと大切にすべきだという点が、直系尊属に対する敬愛をベースとする儒教とは異質である。強いて言えば、身体のあらゆる部分にアニマが宿るという局所的アニミズムの信仰だろうか。日本人の宗教は、もう少し深く研究してみる価値がある(10月17日)

  アメリカ大陸の原住民(先住民という言い方もあるが、明確な後住民のいない地域も多いので、一般的な用語としては原住民の方が適切である)をインディアンやインディオと呼ぶのは差別表現だという主張がある。しかし、「アメリカ原住民(Native American)」という呼び方は適当なのだろうか? この問題は、北米あるいは中南米の民族全体を1つの概念にまとめる習慣が現地人にないことに起因する。日本のケースに置き換えるとわかりやすい。日本と朝鮮は文化的にかなり近く、外見もよく似ているので、欧米から見ると、1つの文化圏として扱いたくなるだろう。では、日本人と朝鮮人を総称して何と呼ぶのが適当だろうか? 総称する必要がないというのが日本人の実感であり、欧米人が極東原住民と呼んだならば、やはりムッとせざるを得ない(ついでに言えば、エスキモーを含むカナダ・アラスカ原住民をイヌイットと呼ぶのは、日本人と朝鮮人を総称して朝鮮人と呼ぶようなものである)。どうしても総称したければ、欧米人の都合で適当に−−マルコ=ポーロにちなんでポーロ人とでも−−呼んでくれた方がマシだろう。私は、北米や中南米の民族をどうしても総称しなければならないときには、アメリカ原住民(あるいはネイティブ・アメリカン)ではなく、インディアン/インディオと呼ぶことにしている。(11月7日)

  現在の家電製品は、ほとんど修理できない。それは「もったいない」から修理できるようにすべきだとの考えもあるが、実はかなり難しい。かつての家電製品が修理可能だった理由はいくつかある。第1に、家内工業的手法で組み立てられていたため、接合部などで不具合が生じたときには、組み立て直すことで容易に修理できた。例えば、古い製品の電気プラグは、導線を巻いてネジで留める方式が一般的だったため、コードを引っ張った際に導線が外れるトラブルが頻発したが、こうした故障は、ネジを留め直すことにですぐに直せる。とは言え、はじめから導線が外れないように作る方が安全であることは明らかである。最近の製品は、導線をプラスチックで固定してあるので、導線が外れることは滅多にない。修理できないと言うデメリットはあるものの、不便さはほとんど感じられない。
 古い家電が修理しやすかった第2の理由は、不具合を起こしやすい部品がはっきりしていたので、その部品が交換できるように設計されていたためである。古いテレビはしょっちゅう故障していたが、その原因の大半は真空管が壊れるためだった。電気屋に修理を依頼すると、テスタを当てて壊れた真空管を探し出し、引っこ抜いて新品と交換していた。その方が、テレビ本体を買い換えるよりもはるかに安価だったからだ。現在では、真空管の代わりに半導体チップが使われており、故障率は真空管よりも大幅に低下したので、交換できないように固定されていても不便ではない。
 現在でも、故障しやすい部品を抱えた製品は少なくない。これらを交換修理できるようにすると、「もったいなさ」は解消されるのだろうか。故障しやすい部品を交換できるように作られた製品の代表格がデスクトップパソコンである。IBMが部品メーカ間の競争を期待して規格をオープンにしたため、修理屋でなくてもユーザが簡単に部品を交換できる。マウスやキーボードの交換はかなり一般的に行われているし、メモリのグレードアップを図る人もいる。しかし、ハードディスクの換装となると、実行する人はわずかだろう。OSをインストールし直して再び使えるようになるまでに、かなりの手間が必要だからだ。中には部品の交換を繰り返して1台のパソコンを何年も使い続ける人もいるが、そうまでするメリットはあまりない。購入して5年もすると、部品の交換では追いつけないほど時代遅れになってしまう。性能の劣るパソコンを使って仕事のストレスをためるよりも、新品に買い換えた方がソフトパワーの無駄遣いを防げるとも考えられる。となると、修理しない方が「もったいなさ」は減るのかもしれない。(11月15日)

  「いっかげつ」という語に対して、「1箇月」「1ヶ月」「1カ月」などの書き方が混在している。「1個月」も間違いではないが、あまり使われない。よく問題にされるのは「1ヶ月」だが、慣習上認められた正しい表記である。この「ヶ」は、「箇」という文字を左上の部分だけで表した略字だと思われる。中国では「箇」に対する略字として「个」が用いられており、「ヶ」は日本で「个」をさらに略したものだと主張されることもあるが、「ヶ」と「个」では画数に差がなく略す意味がない。日本で使われない「个」ではなく、「箇」に由来すると考えた方が素直である。「1ケ月」と書かれることもあるが、これでは「いっけげつ」としか読めず誤り。「ヶ」は「か」(1ヶ、2ヶ…のように助数詞として使うときは「こ」、「関ヶ原」「つつじヶ丘」では「が」)と読み、「介」に由来するカタカナの「ケ」とは全く別の文字(と言うよりは記号)である。「1カ月」は読みをそのままカタカナで表記したもので、「箇条書き」を「カ条書き」と書いてもかまわないのと同じように、容認できる表記である(が、賢く見えない)。「1ヵ月」は、使われる場面が少なくないものの、基本的に誤り。「ヶ」をカタカナの「ケ」と混同し、「1ヶ月」と書くと「いっけげつ」としか読めないと誤解した人が使い始めたのだろうが、そもそも小さな「ヵ」という記号は本来の日本語にはなく、「ヶ」の代字でしかない。ひらがなの「か」を小さく書くのは論外。文字を勝手に創作したことになる。(11月24日)

  古来、悲劇はまじめに描くのが当然とされてきた。ギャグで笑いを取るのが許されるのは、せいぜい社会批判を旨とする悲喜劇までであり、社会や歴史の中で人間が押しつぶされる真の悲劇には、笑いのない粛然とした雰囲気を与えるのが常であった。ゴーゴリの暗い笑いは社会に向けられたもので、人間理性の敗北を冷徹に見つめるドストエフスキーの作品には、笑いの要素がほとんどない。エーコが巧みに書き分けた「薔薇の名前」と「フーコーの振り子」は、悲劇と喜劇の対比が明確に現れており、悲劇的な前者は徹頭徹尾まじめな語りに支配されている。「ハムレット」をはじめとして、笑う場面の多い悲劇も少なくないが、それはあくまでコミックリリーフとして挿入されたもので、本筋に笑いはない(マクベス夫人がダンカン殺しの場で駄洒落を言うのは、救いにならないコミックリリーフ)。特に、英雄が死に至るプロットの場合、笑いを持ち込むのは不謹慎とされる。
 しかし、こうした悲劇からの笑いの排除は、芸術作品における基本原則なのだろうか? そう考えた始めたのは、アニメ『輪るピングドラム』を見てからである。この作品は、馬鹿馬鹿しいギャグを多用し、キッチュな映像の中に狂騒的なストーリーを繰り広げてはいるが、根底にあるのは紛れもない悲劇である。オウム真理教事件をベースに、家庭の崩壊と人間不信をこれでもかと見せつける。ふざけたファース的雰囲気の中に深刻な悲劇を描くという稀有な試みである。私は、この試みは成功を収めたと判断するが、他の批評家はどう見るだろうか?(12月1日)

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©Nobuo YOSHIDA