【「徒然日記」目次に戻る】



  丸山健二の小説は、軟弱な者を拒絶する。強靱なリアリズム精神の持ち主だけが、その作品世界と相対峙することができる。とは言っても、モチーフの曖昧なアンチロマンとは、創作のベクトルが正反対である。世界観の貧困を晦渋な表現で覆い隠そうとする試みは、滑稽でも悲惨でもあるが、丸山の小説には、そうした皮相な難解さはない。むしろ、使用される言葉は平易であり、さらに驚くべきことに、人物造形が適度に類型化され、ストーリーラインも明確である。精神の根底に存在するマグマ的なものを表現するためには、その不定型さをなぞるような訳の分からぬ言い回しよりも、明解な観念を用いた方が確実なことを熟知している故の、合理的な小説作法なのである。(『ぶっぽうそうの夜』を読んで)(1月9日)

  若者の乱れた言葉遣いの中でも、特に忌まわしく感じられるのが、「何気に」である。「何気なく」のつもりなのだろうが、文字通りに解釈すると、意味が反対になる(その点では、「ツーショット」と同じだ)。「悲しげに」「寂しげに」といった言葉は、「悲しい」「寂しい」などの心情・情景を表す形容詞の語幹に「〜げ」という接尾語を付けて副詞化したもので、「何い」なる形容詞が存在しない以上、副詞としての「何気に」はおかしい。「健気に」という言い方もあるが、これは「健気」という名詞から派生したのではなく、形容動詞「健気だ」の活用形と解釈すべきだろう。実は、「健気」という語は、「けなりげ」が転じたもので、もともと「異(ケ)なり」という形容動詞があったところに、「健-気」という漢字を無理に当てたものである。「健気に」が許されているのだから「何気に」もかまわないだろうという主張は当たらない。
 とここまで書いてきて、自分が常々使っている表現の由来が気になりだした。例えば、心情を表現するのに便利な「めげる」なる語は、「サボタージュ」に由来する「サボる」と同じように、いかがわしい新造語の雰囲気を漂わせており、「メゲレーション」のような原語があるのではないかと推測して広辞苑をひもといてみたのだが、何と、下二段活用動詞「めぐ」に由来し、日葡辞書にも掲載され、西鶴も使用した由緒正しきまっとうな日本語だった。続いて、いかにも怪しそうな「ふける」「ごねる」「ばらす」などを調べてみると、いずれも江戸時代から用例があるという。若者が捏造した表現のようでありながら、意外なルーツがありそうだ(もっとも、「ぼる」「だれる」は、明治期以降の新造語らしいが…)。(1月18日)

  横綱・貴の花が引退を表明した。兄・若の花とともに国民的人気を呼び、一気に最高位に駆け上がったが、あまりにストイックで寡黙なため、マスコミの扱いは必ずしも好意的ではなく、しばしばバッシングの対象となった。しかし、(私を含めた)相撲ファンは、常に変わらぬ声援を送り続け、やや早すぎる引退に涙している。
 若者の画一化が叫ばれる現代でも、ときに圧倒的な天才が登場する。こうした天才たちには、2つの類型があるらしい。いかにも好青年といった風貌で、相対する人をなごませる将棋の羽生や競馬の武豊、野球の松井など。その一方で、自分を極限にまで高めようとするあまり、ストイックでやや冷徹な感を与えるサッカーの中田や野球のイチローのようなタイプもいる。貴の花は、後者の代表的な存在と言えるだろう。(1月20日)

  韓国で起きた地下鉄火災は、いろいろな点で考えさせられる事件である。
 第1に、犯行の動機。自殺願望が強かったと言われる犯人は、「一人で死ぬのが寂しい」と地下鉄車内にガソリンを撒き、周囲の制止を振り切ってライターで火を点けている。ただし、頭からガソリンをかぶるといった確実な方法を採っておらず、多くの“自称”自殺志願者と同様に、わざと死なないように手段を講じたとしか思えない。むしろ、職を失って自暴自棄になった末の「一人テロ」と言うべきもので、量刑も、この観点から決定するのが妥当だろう。
 第2に、被害を大きくしたヒューマンエラー。この事件では、放火された車輌よりも、後から入線して並んで停車した車輌で死者が多かった点に特徴がある。隣の線路で火を噴き出していたのだから、手前で停止するか、そのまま通過するのが適当だろう。にもかかわらず、予定通りホームで停車させたところ、ショートを防ぐために自動的に電気が遮断されてしまい、車内が暗くなってパニックを誘発してしまった。さらに、運転士がいったん扉を開けたものの、退避する際にマスタキーを抜いたために、全ての扉が自動的に閉ざされたという。これは、運転士個人の責任というよりも、適切な指示を行わなかった会社側の安全管理の問題だろう。
 考えさせられる第3の点は、日本における報道量の膨大さである。韓国で100人程度の死者が出た事故は、これまでにもいくつかあったが、日本での報道は決して大々的なものではなかった。地下鉄サリン事件の体験を通じて密閉空間での惨事に敏感になっていたこともあろうが、ワールドカップや北朝鮮問題を通じて韓国への関心が高まったことが、大量の報道が行われた理由だろう。さらに、韓国の地下鉄システムを日本より進んでいると評し、「日本で同様の事故が起きれば、もっと多くの死者を出したのではないか」というコメントが現れたことも、韓国に対するスタンスの変化を表している。(2月23日)

  「東京に上り坂と下り坂のどちらが多いか」というなぞなぞがある。正答は、もちろん“同数”なのだが、実感は、必ずしもそうではない。江戸時代には、大名や旗本が“山の手”の高台に、庶民が低地の“下町”にと、住み分けていた。したがって、両者を隔てる坂道は、上級武士から見ると下り坂なのに対して、一般人には上り坂として意識される。数の上では下町の住民の方が圧倒的に多いので、統計的には、上り坂と見なされる坂の方が多かったと言えよう。また、坂を歩くとき、労力を要する上り坂ははっきりと意識されるものの、緩やかな下り坂は、それと実感しないまま通り過ぎてしまいがちである。とすれば、少なくとも江戸には「上り坂が多い」というのが正解なのだろうか。(3月3日)

  新文芸坐で観た『火星のカノン』という秀作では、女優の輝きが重要な役割を果たしている。冒頭で2人の主役が登場したとき、久野真紀子が圧倒的な美の輝きを放っているのに対して、中村麻美はボーイッシュでやや地味な感を与えていた。しかし、ストーリーが進行し2人の関係に変化が生じるとともに、その影響が相貌に現れ始める。中村が昂然と顔を上げ前向きに生きる意志を表明すると、男っぽく見えていた肢体までもが変わり、豊かな肉体を持つ美人へと変貌する。一方、久野の方は、以前と同一人物とは思えないほど気の抜けた不細工な女へと落ちていく。それは、単にメーキャップで差を付けただけではなく、オーラそのものの変化に見える。(かつて天才少女と呼ばれた)風間志織ならではの、女性らしい残酷な演出である。(3月20日)

  東京駅の駅舎は、名建築でありながら、不幸な歴史を辿っている。辰野金吾の緻密な設計と国家の威信を懸けた丹念な建設作業により、大正時代に完成したときには、欧米の主要駅舎と比較しても遜色のない壮麗な建築物となった。しかし、戦時中に被災し、ドームや回廊の最上部を大破、貧弱な応急修理がなされたものの、ドームは角屋根に変えられ、大ホールと回廊3階部分が閉鎖されるなど、往時とは較ぶべくもない状態に置かれた。その後、解体して新たな駅舎を建設しようという声と、いや改修して元の姿に復元しようという声が拮抗、結局、何もできないまま今に至っている。都心部に戦災の跡を残した大建築が残されているとは、何とも奇妙なことである。(3月26日)

  「定期的に頭痛に悩まされる人は“頭痛日記”を付けると良い」という記事を見かけたが、あきれたことに、頭痛のランク付けとして最高度のレベル10が「寝込むほどの頭痛」となっていた。これでは、真の頭痛持ちには役に立たない。「寝込む」のはレベル5程度。レベル6が無意識に呻き声をあげる頭痛、レベル7が思わず胎児のポーズを取ってしまう頭痛(本当につらいとき、人は仰向けになど寝ていられない)、レベル8が頭を抱えてのたうち回る頭痛、レベル9が気を失う頭痛、そして、レベル10が死ぬ頭痛である。レベル10は、担当医に記載してもらわなければならない。(4月5日)

  ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、人間の生き方について深く考えさせる疾病である。運動ニューロンが非可逆的に傷害される結果、腕や手指が動きにくくなることから始まり、次第に全身に病状が拡がっていく。食べ物を飲み込めずに流動食ばかりの食事を強いられ、瞬きがうまくできないためドライアイに悩まされる。最終的には、呼吸筋の制御に困難をきたし、人工呼吸器の助けを借りるようになるが、それでも、痰をうまく排出できずに呼吸困難で死亡することが多い。患者の5年生存率は20%程度と低く、介護者に掛ける負担も大きい。原因も治療法も不明の進行性疾患であるため、患者は、自分の肉体が徐々に滅びていく過程を不可避的に体験させられる。人に最も大きな苦悩を与える病気と称される所以であり、安楽死を希望する患者の割合は、ガンに比べてもきわめて高い。しかし、ここで考えなければならないのは、安楽死の合法化に最も強く反対するのも、ALS患者のグループだという点である。多くのALS患者は、限りある人生を完全燃焼させようと懸命に生きている。そのことがまた、われわれに人間の価値を再確認させてくれるのだ。(4月26日)

  イラク戦争の取材を行っていた毎日新聞のカメラマンが、戦争“みやげ”にと爆弾の破片らしきものを拾ってカバンにしまっていたところ、アンマン空港検査官が調べている最中に暴発、1人が死亡、3人が重傷を負うという惨事になった。円筒形ならばともかく、紡錘形の物体だったというから、素人目にも危険物と映るはずである。毎日新聞の上司は、「軽率な行為だ」と謝罪しているが、どうも、そう単純な問題ではなさそうである。戦地に赴いた兵士が独特の心理状態に置かれることは、よく知られている。ベトナム戦争の際、米軍兵士たちが肝試しと称して手榴弾のピンを抜き投げ合っていたところ、爆発して死者が出たという。平時ならば耐えられないほどの危険性を感じるはずだが、戦地では、危機意識が鈍磨してしまうようだ。しかも、自分が生き残っているという事態を客観的に把握できず、「自分だけは特別だ」「自分は決して死なない」という特権意識を持ちがちである。また、持たねば平静を保てないだろう。かくして、戦地では、異常な行動を取る人間が、後を絶たないことになる。(5月3日)

  科学とは方法論である。科学の対象となるジャンルが、あらかじめ定まっているわけではない。
 以前、NHKの番組で、視聴者の女性から送られた「雨の日に足に泥はねが付いて困るので何とかしたい」という投書が紹介された。番組スタッフは、まず泥はねが付く原因を探り始めた。取りあえず、靴が原因ではないかと推測されたので、さまざまなタイプの靴を用意し、泥はねに悩まされている人/いない人に各種の靴を履かせて実験したところ、案に相違して、靴の種類にかかわらず、特定の人だけが泥をはね上げることが判明する。そこで、歩くときの姿勢をビデオに収録し、歩き方の違いを調べてみた。その結果、上体の姿勢にあまり差はないものの、前から見ると、泥をはね上げる人は、足を上げる際に捻るようにしていることがわかり、問題を解決することができた。このやり方は、まさに、科学そのものである。“泥はね学”などという学問ジャンルはないが、科学的方法論は、ジャンル外においても通用するのである。
 科学とは、問題点を整理し、これを演繹的に導くような仮説を考案していく営為である。その作業は、決してスタティックなものではない。多くの学者が頭をひねってさまざまな仮説を案出し、意見をぶつけ合って、最終的に“定説”とすべき仮説をあぶり出していく。一般の人が科学だと思っているのは、科学者が研究を終えた後の抜け殻、応用研究者が道具として使うためのものでしかない。真の科学はダイナミックで、常に人々の息吹に満ちている。逆に、「非科学的」とは、思考を停止して新たな仮説を編み出そうともせず、あるアイデアに固執することである。(5月11日)

  デフレ対策としてインフレターゲットを主張する論者が少なからずいるが、危険な兆候である。日本経済がデフレ・スパイラルに陥り、縮小傾向にあることは疑い得ない。しかし、これを脱するのに必要なのは、生産性の高い分野に積極的に集中投資することである。投資先の選別を伴わない一般的金融政策は、事態を悪化させるだけである。
 そもそも、個々の工業製品に関して価格の下落が進行するのは、当然の成り行きである。生産ラインの整備、原材料調達の効率化など、さまざまな“改善”が原価の圧縮を可能にする。これが直ちに経済の縮小再生産につながらないようにするためには、常に新しい製品を開発し、消費者の目を誘導しなければならない。戦後、数十年にわたって、日本経済は、こうした「新陳代謝による拡大」を続けてきた。ところが、バブルが発生し、投資先を開発力ではなく担保力で選別する動きが生じたため、資金が成長分野へと流れなくなり、経済停滞が深刻化したのである。資金の循環不全が引き起こしている現在の不況は、バブル崩壊ではなく、バブルそのものに由来することを、正しく認識する必要がある。(5月14日)

  九州北部の水田遺構から出土した土器の年代をC14法で測定したところ、紀元前800年という数字が得られたという。これまで弥生時代の始まりとされた紀元前300年を500年も遡る結果である。今後の追試が必要であるが、事実とすれば、歴史の常識を覆す画期的な発見である。
 弥生時代は、縄文時代から古墳時代に至る連続的な発展の過程ではなく、朝鮮半島からの渡来人の訪れに伴い、断続的に変化していった時代である。朝鮮半島と九州はきわめて近く、対馬を経由すれば古代人の丸木船程度でも往来可能なので、朝鮮半島で稲作文化が栄え始めた紀元前千年頃から少しずつ人間の流入があったことは、想像に難くない。まとまった人数で渡来すれば、縄文人の勢力に対抗して定住することも可能である。紀元前800年頃に初期の定住者が現れ、今回発見された土器を残した後に、縄文人に駆逐されたとすれば、遺跡に年代上の非連続性があったとしても、不思議はない。紀元前300年頃から大移動が始まり、まず、北九州から中国地方西部に、渡来朝鮮人および縄文との混血者によるクニが形成され、その後、断続的に、出雲や近畿に渡来人による文化圏が形作られていったと思われる。朝鮮からの渡来人が文化をもたらすという図式は奈良時代まで続き、日本独自の文化が花開くのは、平安時代に入ってからである。(5月21日)

  多重人格と呼ばれる精神医学的症状について考察する。
 DSM−IVにおいて、この症状は、「解離性同一性障害」と呼ばれており、「はっきりと区別される人格状態」が存在し、「反復的に患者の行動を統制」するものとして定義されている。しかし、この定義は、アメリカでの臨床例を中心にしてまとめられたため、アメリカで流行したサイコセラピーの方法論に強く影響されており、より基本的な人格形成のメカニズムへの配慮が足りないように思われる。人格(パーソナリティ)とは、TPOに応じて思考や情動の様式を方向付ける基本枠である。特定の状況下で、人は、この枠に適合するようにさまざまな知覚や記憶を組み上げていき、行動のシナリオを決定する。この基本枠が確立されていないと、行動に統一性が欠けることになりやすい。ただし、現実には、人は常に“確固たる人格”を作り上げられるわけではない。しばしば、俗に言う“魔がさした”状態に陥り、通常の人格とは異質の行動パターンを示す。これは、病的ではない軽度の同一性障害である。
 特に考慮すべきは、記憶を想起する際の人格の役割である。過去の出来事をエピソード記憶として想起する場合、われわれは、知らず知らずのうちに人格を利用している。エピソード記憶というと、過去にあった体験を丸ごと覚えているように誤解されがちだが、そうではない。記憶されているのは、きわめて断片的な事象にすぎないのである。にもかかわらず、統一された連続的な過程として情景が思い起こされるのは、欠けている部分を、自分の通常の人格に適合するように補っているからである。実際の記憶が、友人の顔とブリキの自動車にまつわる断片だけであっても、自分ならば率先しておもちゃを動かしてみせるはずだという前提の下で、まるで過去の情景を再現しているかのような偽りのエピソード記憶が再構成されるのである。逆に、人格を利用して統合することのできないような記憶断片は、エピソード記憶として再構成できないために想起そのものが困難となり、ほとんどの場合、忘却の彼方に追いやられしまう。これが、同一性障害に解離性健忘が伴いやすい理由である。
 解離性健忘や同一性障害は、必ずしも病的ではなく、軽度なものなら誰しもが体験している。これに対して、通常とは全く別個の人格が形成されて行動パターンを決定するような同一性障害は、自然に生じるものとは考えにくく、何らかの外部誘因がなければ発現しないはずである。よく知られているのは、恐山のイタコなどに見られる憑依である。これは、依頼者の願いを実現しようとする意図の下に生じた解離性同一性障害で、文化依存性を示している(臨床的には、同一人格が反復的に現れない点に注意すべきである)。アメリカで数多く見られる“多重人格的”同一性障害も、サイコセラピストの誘導によって派生したものと考えた方がわかりやすい。(6月1日)

  笑ってはいけないのに笑ってしまう事件がアメリカで起きた。あるゲーム会社が運営するオンラインゲームのサーバーにハッカーが侵入し、プログラムを凶暴なものに書き換えてしまったという。本来なら、街中で多くの人と会話しながら謎を解いていくRPGだったはずなのに、街の警備員が突如住民を襲って殺戮を始め、至る所に凶悪なモンスターがはびこって、ひたすらに暴れまくったとか。すぐに運営会社が事態を収拾し、ハッカー侵入前のデータを回復したようだが、実際にゲームしていた人たちの驚きぶりを想像すると、笑いがこみ上げてくる。サーバーテロの前哨戦のようなものなので、笑ってはいけないのだが…(6月7日)

  イスラエルとパレスチナの間で、凄惨な血の報復が繰り広げられている。思えば、わずか10日ほど前に、イスラエル側からパレスチナ国家の存在を容認するという発表があり、和平が実現するのではとの期待が高まっていた。ところが、過激なテロ集団のハマスがイスラエルで無差別テロを敢行、70人の死傷者を出したために事態が紛糾する。イスラエルは、ハマス指導者を狙い撃ちする報復を遂行、死傷者数は先のテロよりは少なかったものの、パレスチナ民族の反感を煽ってしまった。
 ここで、どうしてもわからないのは、ハマスの意図である。無差別テロは、国内での治安を乱すことにより革命を遂行しやすくする、あるいは、対立勢力の一方を弱体化するといった目的で行う。しかし、イスラエルの場合、テロが繰り返されるたびに強硬派が力を増し、パレスチナにとって不利な状況が作られるだけである。かといって、第二次世界大戦末期の沖縄におけるバンザイ突撃のように、絶望のなせるわざとも考えにくい。私は、ハマス指導者が、単に劇場型犯罪を楽しんでいるようにしか思えないのだが。(6月13日)

【「徒然日記」目次に戻る】



©Nobuo YOSHIDA