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  中国から輸入された冷凍野菜に、基準値を遥かに超える残留農薬が含まれていたことが判明、大きな波紋を広げている。中国の農家でも、従来はさほど農薬を使用していなかったに相違ない。しかし、日本の商社が買い付ける際に、虫食い野菜は嫌われること、少しでも虫食いの跡があると価格が大幅に下がることを強く言い渡したのだろう、買いたたかれるよりは大量の農薬で害虫を駆逐した方がメリットが大きいと農家に判断され、今回の結果に至ったと思われる。農業の歴史は、害虫(および害獣・雑草)との戦いだった。20世紀初頭には、砒素や水銀を含む殺虫剤が用いられたこともあるが、虫を殺すだけでなく人間にも健康被害をもたらすことが明らかになり、次第に危険な農薬は使われなくなっていった。さらに、DDTのように、急性毒性はないが環境に悪影響のあるものも、長期的に見れば農業生産性を低減させる結果になるため、徐々に追放されるてきた。しかし、中国やインドなどの近代農業(市場価値で計った資本生産性を最大化するための農業)の後発国には、そうした歴史がない。それだけに、「虫を殺せる」という表面的な効果に目を奪われやすいのである。(7月22日)

  科学とは、客観的な研究方法のはずである。にもかかわらず、実験結果はしばしば研究者の心理に左右されてしまう。例えば、近年の再生医療に関するデータ。ES細胞はさまざまな臓器に分化する“万能性”(に近いもの)があるが、移植しても拒絶反応を起こさない“自己の”臓器を作成するためには、禁断のクローン胚を利用しなければならない。患者本人の体性幹細胞から必要な臓器を作れたら……とは、誰もが考えることである。2〜3年前から、その願いが叶ったという実験報告が相次ぎ、研究者たちは色めき立った。うまくいけば、クローン問題を回避して移植用臓器を作り出せるはずである。しかし、話はそれほどうまく進まない。多くの追試によって、脊髄などから採取した体性幹細胞には、ごく限られた分化能力しかないことが明らかになった。どうやら、先の実験結果は、こうなれば良いのにという強い思い入れによって生み出された幻影のようだ。
 慎重な研究者は、条件をいろいろと変えて実験を繰り返す。最先端の研究ともなると、ほんの僅かのミス──サンプル採取の手違い、キャリブレーションの甘さなど──によって、結果が大きく左右されてしまうからだ。しかし、強い思い入れがあるときには、自分の望む結果が出ないときにはどこかにミスがあったのではと条件を変えて再実験を行い、これだというデータを得ると有頂天になって打ち止めにしてしまう。こうして、客観的なはずの科学研究が、主観に影響を受けることになる。(7月28日)

  覚醒状態から睡眠へと移行する間際に、人間(あるいは私だけか?)は実に奇妙な思考をする。言語中枢が目覚めているのでさまざまな単語が想起され、それらを組み合わせようとする意識は働くのだが、明確なロジックを生み出す能力が失われ、全体としては無意味な内容になってしまう。文法的に誤っているという訳ではなく、意味論の観点から見てデタラメなのだ。昨晩、そうした文章の一片を書き留めることに見事に成功した。それは──「マチュピチュの胎内から滴る百葉箱はなぜソーラン節なのか」???(7月30日)

  学習指導要領で各教科の内容が削減され、もともとクソ面白くもない小中学校の教科書は、さらに薄っぺらな“要項集”に成り下がってしまった。これに対抗して、検定外教科書を作ろうという動きも見られる。好都合なことに、インターネットが普及して多くの学校で使用可能なので、Web上に教科書を掲載して閲覧してもらうことができる。掲示板を用意すれば、現場の教師や生徒の声を直接反映させられる。検定済み教科書では1つの考え方しか載せられないが、Web教科書ではクリック1つでさまざまな意見を辿ることも可能だ。うまく使えば、発展的学習のための優れた教材となろう。(8月4日)

  パソコンOSのデファクト・スタンダードとなっているWindowsは、これからどのように変化していくのだろうか。パワーユーザからすると、マシンのメンテナンスやファイル交換などの基本操作を行う本来のOSと、ユーザ・インターフェースとなるプラットフォームを分離してくれた方が、安定して使いやすい。しかし、OSとプラットフォームの一体化によって市場独占に成功したマイクロソフトが、そうした願いを実現してくれるとは考えにくい。画像処理などの重い作業はシングルタスクの方が効率的なのだが、マイクロソフトはあくまでマルチタスクにこだわり続けるだろう。そこで、パワーユーザの希望をぎりぎりまで取り入れたものとして、NTカーネルを利用したマルチタスク機能を持ち、必要最小限のOLE登録(テキスト、画像、および表や図形を表すベクトルデータに関するもの)だけを行ったシンプルなOS──すなわち、Windows Lightを期待したい。(8月9日)

  宮崎駿の大ヒットアニメ『千と千尋の神隠し』がDVD化され、これも好調な売れ行きを示しているが、その一方で、「画質が赤みがかっている」との批判が多数寄せられているようだ。制作元のスタジオ・ジブリでは、「映画版と同一になるように正しく調整を行った」としているが、人気作だけに批判の声は収まりそうもない。ただし、この件に関しては、家電メーカにも責任の一端があると考えられる。市販されているTV受像器は、ニュースといわずドラマといわず、全てが赤みがかって映るように画質がプリセットされている。したがって、TVドラマで人肌がリアルになるように機械を調整し、それにあわせてDVDの色調を決定すると、家庭のTVでは赤すぎる絵柄になってしまうのだ。(9月15日)

  【笈田忍のリーベシオン報告】きょうは、わが研究所にはちょっと珍しい神学の話。リール修道院から派遣されたキルヌイ神父は、科学の力で神とコンタクトできないか興味があったんだって。で、うちではこの分野の専門家がいなかったんで、とりあえず、神秘体験についての論文を書いているピルナップ博士の研究室に案内したの。博士は、神秘体験をさせてくれるという薬を神父に処方したんだって。薬の成分は極秘だけど、あたしはLSDに近いものだとにらんでるわ。薬を飲んだ神父は、「おお神よ、なぜあなたはそんな…」と叫んでぶっ倒れたって。10分ほどして意識を取り戻し、修道院に帰ったそうよ。ピルナップ博士の理論によると、神秘的という気持ちは、脳のある部分が刺激されたときに起きるんだけれど、それが神のイデアと結びつくには、言語的な意味のつながりが必要だとか。今回の実験では、薬を処方したときに神父に何か耳打ちしたらしいんだけど、博士は何も教えてくれないのね。ところで、この間、リール修道院の見習い修道士に出された課題は、「神はなぜエリマキトカゲの姿をしているか」だったんだって。神父〜! いったいどんな体験をしたの?(9月18日)

  もしタイムマシンが手に入ったら、どの時代に行ってみよう。私は、とにかく過去に戻って、思い切り歴史を変えてみたい。自然界は、人間の手で基本的な構造が破壊されるほど脆くはないはずである。あからさまなパラドクスを引き起こそうとしたとき、自然がどのように応答するか、それが見てみたいからだ。もし、その行為によって本当に世界のたががはずれてしまい、全宇宙の生命体が滅びたとしても、自然とは何とだらしないものかと呆れるだけである。(9月29日)

  千代田区で全国初の歩きタバコ禁止令が施行された。歩行者に火傷の被害を与えたり、吸い殻がゴミになることから、歩行禁煙そのものを禁止してしまうというもので、非喫煙者には好評だとか。憩いの場がますます失われていくタバコ愛好家にとっては、苦々しい限りだろう。
 タバコの害は、主に喫煙の際に燃焼反応を進行させることによる。燃焼過程で多様な化学物質が生成されるが、その中には発ガン物質も含まれる。タバコの先端が高温になるため、火事や火傷の原因にもなりやすい。燃えカスは、吸い殻としてゴミになる。こうした欠点を解消するため、人工タバコを開発してほしい。これは、本体内部に取り付けられたヒーターによってニコチン成分を揮発させるというもので、成分と加熱方法をコントロールすれば、有害な物質の生成を抑制することができる。ヒーターの電源として、小型燃料電池を利用すれば、1本のタバコに燃料水素とニコチン成分を注入するだけで、半永久的に使用できる(衛生面を考えれば、カートリッジ交換方式が良いかもしれない)。JTさん、いかがなものだろうか。(10月2日)

  ノーベル賞のパロディ『イグノーベル賞(くだらないで賞)』の大賞に、タカラが発売した犬語翻訳機バウリンガルが選ばれたという。最高度のテクノロジーを駆使して役に立たないものを作り上げた点が評価されたらしい。大人げなく腹を立てるよりも、粋な決定と喜ぶべきだろう。
 動物の鳴き声がシグナルとしての役割を果たすことは以前から知られており、クジラの鳴き声と求愛行動の関係や、カナリヤの囀りパターンにおける遺伝的要素と学習的要素などに関して、興味深い研究が行われている。犬も高度な知能を有する動物であり、鳴き声をシグナルとしてコミュニケーションを行っていることはほぼ確実である。バウリンガルは、一種のおもちゃでありながら、鳴き声のパターン分析を行い、統計的に有意味だと思われる意味づけを行っているのだから、それなりに面白い製品ではある。もちろん、犬の言語を正しく翻訳している訳ではなく、表示された犬の言葉を真に受けるべきではないが、こんな発想もあると感心させられる優れた発明ではある。(11月13日)

  1998年に和歌山市で起きた砒素入りカレー事件には、深い謎がある。林被告が真犯人であることは状況証拠からほぼ間違いないものの、なぜ犯行に及んだか、動機が全くわからないのだ。夏祭りのカレーに毒を混入して67人を中毒させ、4人を死に至らせるという現象だけを見ると、いかにも冷酷無比な大量殺人という様相を呈する。だが、林被告に、こうした大事件を敢行する動機は見あたらない。彼女は、それ以前に4度にわたって砒素による保険金殺人を試みている(いずれも失敗)。こうした金銭目的の犯行ならば納得できるものの、一文の得にもならないテロまがいの犯罪は、彼女のメンタリティから最も縁遠く見える。
 そこで私の仮説だが、林被告は、砒素の毒性を正しく認識していなかったのではないか。確かに、彼女は事前に白アリ駆除業者から「亜ヒ酸は耳掻き一杯程度で人を死に至らせる」ことを聞いている。察するに、この知識に基づいて保険金殺人を試みたが、料理に混ぜた分量が多すぎたため、被害者は短時間で嘔吐してしまい、死を免れたのだろう。ところが、林被告からすると、いくら砒素を入れても死ななかったことから、この毒物はあまり効かないと錯覚したのではないか。夏祭り当日、彼女は、近所の主婦から非難がましいことを言われて気分を害している。そこで、あまり効かない毒を少しばかり鍋に入れれば、体調を崩したり吐いたりする人が出て、夏祭りはメチャクチャになる──ざまあ見ろとばかりに砒素を投入したと推測される。少量の砒素を口にした人は、しかしながら、不味いと思いつつも無理に飲み込んでしまったため、全身に毒が回って重い中毒症状に陥ったわけである。そう考えれば、動機なき無差別大量殺人が起きた理由も納得できる。
 ただし、ここで疑問が生じる。林被告は、なぜこのことを裁判で主張せず、黙秘を通したのか。検察の言い分が通れば、ほぼ確実に死刑になるのに対し、毒に関して無知だったとして傷害致死が認められれば、死刑は免れるはずである。敢えてそうしなかったのは、おそらく、証拠不十分で無罪になる可能性が多分にあると踏んだからだろう。上の主張をするためには、これまで否認してきた保険金殺人に関して罪を認めなければならない。4件の凶悪な殺人未遂と1件の大量傷害致死では、無期より軽い刑はあり得ない。そこで、最も軽い刑で済ます選択肢として一審では黙秘という戦術に出たのだろう。二審以降の林被告の陳述に興味が湧く。(12月10日)

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©Nobuo YOSHIDA