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  日経新聞のコラムに、興味深いエピソードが紹介されていた。横浜市内の小学校に通うM君は、運動会の徒競走でぶっちぎりの1位となり、本人もビデオを回していた両親も大喜び。だが、これには“からくり”があった。この学校では、子供が劣等意識を持たないようにと、事前にタイムを計測し、同じくらいのスピードの子供を一緒に走らせていた。それならばと考えたM君は、テストの際にわざとゆっくり走り、遅い子の組に入って、本番で1着になることを狙ったという。
 この行為をどう思うか。M君の父親は戦略の1つとしきりに褒め、コラムの筆者はそれに批判的である。私は、父親とともにM君サイドに立ちたい。そもそも、本当の競争をさせずに、同じ脚力の子供をグループ化するのは、トラブルを避けようとする学校側の戦略である。甘やかされて育った子供たちに、誰でも他人より劣る点があるとはっきり認識させるのは、教育の1つの役割であり、これを逃れようとするのは、教師の怠慢に他ならない。そうした学校側の真意を見抜き、戦略に戦略を持って応じるのは、ある意味で優れた処世術と言うべきである。ズルをして1着になったM君が慢心しないかと心配ならば、各グループの勝者を集めて決勝レースをすれば良いだけだ。競争がなければ自分の実力がわからず、必ず高慢の病に蝕まれる人が出てくる。競争が悪いのは、単線的な評価システムが採用され、他に選択の余地がない場合である。学力、表現力、体力、器用さ、その他、多様な分野で競争が行われるならば、各人が自己の才能を正しく認識することが可能になるはずである。(10月25日)

  古来、日本をはじめとする多くの国で、左利きは忌むべきものとされてきたが、昨今は、どうも風向きが変わったようだ。利き腕は遺伝的要因によって決定され、潜在的な左利きの割合は人口の十数%に達すると考えられる。かつては、親が矯正するために、実際に左手で字を書いたり箸を持ったりするのは3-5%程度にとどまっていた。しかし、99年6月に博報堂が行った調査によると、10〜20代の若者では、日常生活での左利き発現率が12%ほどになるという。中には、もともと右利きなのに、「カッコいい」という理由でわざと左手で字を書いたりする人もいるらしい。こうした傾向は、自由教育の流れの中で無理に矯正しようとする親が減ったことに加えて、有名なスポーツ選手や芸術家に左利きが多いことも影響していると言われる。自由に才能を伸ばす教育を受けた人たちは、利き腕を矯正されないので、通常よりも左利きの発現率が高くなると予想されるが、空間的認知の能力と利き腕が相関している可能性もある。(11月20日)

  資本主義がさまざまな環境破壊を生み出した理由は単純である。鉱物や淡水などの各種の資源に関しては、採取のための費用だけが計上され、それを生産するためのコストは顧慮されていない。また、環境は個人・企業の財産ではないため、これを汚染してもバランスシートの悪化を招かない。資本生産性を高めるには、できるだけ安上がりに経済活動を行う必要があるため、不要なコストの掛からない天然資源の搾取と環境中への廃棄物の放出を続けることが、経済的には好ましいことになる。
 しかし、近年になって各種の環境税や賠償制度が導入され、環境悪化を招く経済活動にはさまざまなコストが上乗せされるようになった。こうなると、資本主義の原則に従って、企業活動は環境問題を考慮する方向へ自然とシフトしていく。特に、資本圧力の強いアメリカで、この傾向が著しく、(人為的な資本ではなく)資源生産性を高めようとする研究・開発が目立って活発になってきている。以前は省資源・省エネルギー技術は日本が1歩リードしていたが、現在の勢いを見ると、間もなくアメリカが追い越すことは確実なようだ。(11月3日)

  1999年を代表する言葉として、「リベンジ」(松坂投手)「ブッチホン」(小渕首相)「雑草魂」(上原投手)の3つが流行語大賞に選ばれたそうだが、全く面白くない。今年マスコミを賑わした言葉は、何よりもまず「ミッチー・サッチー」であり、次いで「臨界」ないし「バケツ」だろう。昨年から引き続き人々の口の端に上っているのは、「遺伝子組み換え」と「Y2K」で、「保険金」や「グル」のように繰り返し復活してくる流行語もある。これだけ大賞候補があるにもかかわらず、「リベンジ」以外ほとんど誰も使わなかった言葉が受賞するとは、審査員の見識を疑わざるを得ない。
 流行語大賞は、かつては確実にその年を象徴するような言葉を選び出していた。しかし、オウム真理教と阪神大震災に日本が揺れた1995年、あえて、この関連の語句を候補から外して以降、少しずつ世相と乖離し始める。今では、授賞式に集まる顔ぶれを賑やかなものにするために選んでいるとしか思えない。かつてレコード大賞が、売り上げ枚数をベースに受賞作品を決めるという方針を歪め、大晦日の授賞式を盛り上げられる人たちを優先するようになってから、次第に権威を失い、純粋にデータだけで選定するゴールドディスク大賞に年間代表曲を決める賞としての地位を奪われるに至ったが、これと同様の運命を流行語大賞も辿るのではないか。この賞に代わって、代表的なマスコミでの登場回数やインターネットにおける検索回数で、授賞対象となる流行語を決定することになるかもしれない。もっとも、時代を最も的確に象徴する流行語の選出は、こうした統計に頼るよりも、社会的センスに優れた特定の個人に委ねた方が確かだろうが…(11月4日)

  【笈田忍のリーベシオン報告】ハイホー!忘れた頃にやってくる、リーベシオン研究所のレポートどえーす。私、笈田忍がきょう紹介するのは、キンメル博士の宇宙生命の研究。地球の生き物って、みんなタンパク質やDNAからできているよね。でも、宇宙には、これと全く違った生物がいてもいいんじゃないかってのが博士の主張なの。と言っても、昔NASAの学者が考えたシリコン生物なんて、まだまだ甘い。もう誰も思いつかないぐらい、とんでもない生き物が宇宙にはいるはずでしょ。でも、どこまで常識から離れていいかってのが問題になるワケ。まあ博士もそこそこの常識人で──ショウジョウバエに名前つけて、死んだら1匹1匹に墓を作ってやるって、立派な常識人の証よね──あんまりぶっ飛んだ発想もできないようだけど、思考実験として自分に課したのが、クォーク・マターの中で生命は存在できるかという問い。よく、クォーク・マターは何でもグジャグジャになっちゃうって思われてるけど、実際には、結構ちょこちょことチツジョコーゾーってやつができるらしいの。そんでキンメル博士は、このチツジョコーゾーがつながって生き物と呼べる状態になる確率を計算しようと、3日寝ないで計算し続けたんだって。そしたら、何とこの宇宙がフリードマンの開いた無限宇宙だったら、必ず世界のどっかにクォーク・マター生命がいるはずだっていう結論が出たの(もっとも、0×∞の計算でちょこっと手抜きしたらしいんだけど)。まあ意識が芽生えるのは一瞬だけだって言うから、アチッとか何とか思って、次の瞬間にはまたグジャグジャになっちゃうカワイソーな生き物なのね。(12月9日)

  横山ノック大阪府知事のセクハラ裁判で、府知事に賠償金1100万円を請求する判決が言い渡された。民事訴訟の条理を尽くした名判決と言える。
 事件は、大阪府知事選の選挙運動中に起きた。ノック候補とともにワゴン車に乗せられた女子大生が、毛布を掛けられた中で執拗に下半身を触られたという。女子大生は、ただちに民事訴訟を起こしたが、投票日前ということもあってマスコミの扱いは小さかった。その後、ノック知事が虚偽告訴を理由に女子大生を刑事告発し、両者が相争う形となった。この時点でもまだ、大きく報道されることはなく、非政党知事に対する一種の中傷と見る向きもあった。マスコミが注目し始めるのは、ノック知事が、セクハラ民事訴訟でいっさいの反論を行わず、不戦敗戦術を採ってからである。知事の言い分は「公務に専念するため」だったが、下手に証言すると弁護士に攻められ不利なことをポロポロ喋ってしまうからだと考える人も多く、「知事はクロ」との心証が強まった。しかも、公判に出席しないにもかかわらず、記者会見の場で、「告訴は真っ赤な嘘」とぶちあげたため、とうとう裁判官まで怒らせてしまった。
 今回の民事訴訟で女子大生が当初要求した賠償金額は、1200万円。さらに、知事が名誉を傷つける言を弄したとして、500万円を上乗せした。民事訴訟法によると、証言拒否は相手の言い分をすべて認めたことに相当するので、知事の敗訴は確実だったが、問題は賠償金額である。被告が裁判に出廷していないので、原告の請求通りの満額判決をしてもかまわない。しかし、それでは今回限りの特殊な判決となり、緒についたばかりの反セクハラ運動を導くような判例とはなりにくい。そこで裁判官は、次のように裁定した。セクハラ行為に対する賠償として1200万円を請求する気持ちは良くわかるとしたものの、社会の現状を見るとやや高すぎるため、これを200万円と認定。この損害賠償額は、おそらく、地位を利用として女性の体に執拗に触れた場合のスタンダードとなるものだろう。ただし、これだけでは要求額との間に差がありすぎる。この差を埋めるため、名誉毀損の賠償としてさらに800万円という異例の金額を課すことにしたが、これもアド・ホックに決めた訳ではない。公判に欠席しながら、原告に反論の機会が与えられない記者会見の場で「女子大生側の主張は虚偽だ」と繰り返したことを、裁判制度そのものに対する侮辱として重く見たのである。けだし名判決である。(12月15日)

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©Nobuo YOSHIDA