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  巨人の吉村が今季限りで引退する。かつて、駒田(現横浜)や槙原とともに50番トリオとして将来を嘱望された逸材だったが、外野フライを捕球しようとして他の野手と激突、靱帯断裂の重傷を負い、選手生命を断たれたと思われた。しかし、そこから不屈の闘志で甦り、代打要員ながら巨人の切り札的存在として活躍した。怪我がなければ確実にクリーンアップを打っていただろうが、それでも、今の吉村の姿を見ると、人間のすばらしさを感じさせるという点で、幻の4番打者以上のものだという気がする。(10月1日)

  意外と知られていないことだが、本籍地は日本国内ならどこでも自由に選ぶことができる。実際、千代田区1−1、すなわち皇居を本籍にしている人も少なくない。そもそも、本籍の“本”とは謄本の“本”であって、“本当の”という意味ではないのだ。私は、いつか沖の鳥島を本籍地にしたい。だって、カッコ良いじゃないですか、「本籍は沖の鳥島です」なんて。(お前はアホウドリか!)(10月11日)

  パソコンOSを独占しているマイクロソフトが、情報家電の動向にいささか過敏とも思える動きを見せている。もともとマイクロソフトは、ビル・ゲイツの意向を反映してか、業務拡大の意欲が異常に強い企業であり、パソコンOSから各種アプリケーションへ進出したのをきっかけに、オフィス用ワークステーション、小型情報端末、ネットワークビジネスへと膨張を続けてきた。しかし、ハードウェアを生産しているわけではないため、ソフト的に機能を増強せざるを得ず、結果的に、ソフトウェアがきわめて複雑化し、バグに起因するシステムダウンの機会が増えたほか、初心者には操作が難しくなってしまった。マシンを含めたトータルシステムの構築を目指しているアップルが、最近、業績復活の気配を見せているのも、マイクロソフト・ウェイの限界が露呈しつつあることの現れかもしれない。こうした中で、マイクロソフトは、情報家電分野への進出に当たって、家電メーカーが持つ操作性のノウハウを最大限に生かす道を模索しているように見える。携帯電話やインテリジェントTVの場合、OSそのものは機能を絞り込んで安価に制作しなければならない。ソニーや松下は、TVとパソコン間でのデータ交換に利用するOSとして、最初に機種にウィンドウズCEを搭載し、あたかもマイクロソフトの軍門に下ったかと思われる振舞いを見せたが、その後の普及機種には、自社製のOSを使っており、「やり方がわかれば自分でやる」という家電業界のこれまでの慣例に従っている。この分野からは、しばらく目が離せそうにない。(10月14日)

  90年代はじめ頃から、TV受像器としてアスペクト比が16:9のワイド型のものが流行になり、最近では、大型TVの大半が、このタイプのものになってしまった。こうしたワイドTVの流行は、はっきり言って、家電メーカーがいかに良心を無くしているかを如実に表している。
 ワイドTVのルーツは、NHKが開発したハイビジョンである。1960年代に始まる高品位TVの研究において、視覚心理学的なデータに基づき、アスペクト比は従来の4:3よりも横長の方が映像に迫力が増すことが明らかになった。こうして、映画に見られるワイドスクリーンの隆盛を参考にしながら、16:9というアスペクト比が決定される。この値は、その後、多くの高品位TV規格で踏襲されることになる。特に、全ての送信・受信双方にわたる放送機材を一新しなければならないハイビジョンへ移行するまでのつなぎとして、民放各局が採用を決めたのがクリアビジョンという規格である。当初は4:3のアスペクト比で出発し、これが普及した段階で「ワイドクリアビジョン」へと発展する予定であった。ところが、旧型機種でワイド放送を見ると、上下にマスキングがされているため、映像が小さくなっていささか貧弱に見える。視聴者からの苦情を気にした放送局は、ワイドクリアビジョンへの移行になかなか踏み切れないでいた。一方、ハイビジョンやクリアビジョンの開発に技術協力し、ワイド画面のノウハウを蓄積していた家電業界は、ワイドTVによるTV受像器買い換えの需要の喚起を願っていたため、ワイド放送の普及を待ちきれず、見切り発車的に発売を始める。こうなると、「ワイドTV受像器には映像ソフトがない」という決定的な短所を隠したまま、大宣伝によって売り上げを伸ばしていかなければならない。その結果、コマーシャルに乗せられてワイドTVを買ったものの、いざTV番組を見ると、女優の顔がヒラメのように横長になった醜いものを見させられてしまうのである。(10月16日)

  映画『SHOAH』について、何かを語らなければならないと感じるだが、この余りに重い作品については、思い返すだけで胸がつまってしまう。それでも、やはり何かを書き留めておきたい気になるのは、作品の力だろうか。
 この作品は、強制収容所で奇跡的に生き延びたユダヤ人、加害者である元ナチスのメンバー、収容所周辺の村人たちによる証言に基づくドキュメンタリーである。ただし、この種の作品にありがちな、記録フィルムの挿入も感傷的なBGMも存在しない。9時間の上映時間が、すべて当事者の証言と、現在における現場の映像だけで成り立っている。にもかかわらず、退屈さを感じさせることは皆無であり、どの一瞬も異様な緊張感に満ちている。それが、体験した者にしかわからない歴史の重みというものなのだろう。
 興味深いことに、証言する者の多くが、初めは無感動な語り口を見せる。例えば、トレブリンカで収容者の髪を短く切る作業に従事していたユダヤ人理髪師の証言がある。仕事の傍ら当時を振り返る彼は、奇妙なほどに事務的な口調で、何が行われたかを語っている。自分がどのように散髪をしていったか、そうした作業がなぜ行われたか(ガス室の前でパニックを起こさないための予防措置だという)、散髪中にかつて同じ町にいた知り合い(それは、共に仕事をしていた理髪師の妻であった)が現れたこと──そこまで話が進んだとき、突然動きが止まり、目から溢れる涙を拭おうともしないで、「もう話せない」と絞り出すような声で呟く。観る者はそこで初めて、それまでの無感動ぶりが、事態の余りの深刻さ故のことであると了解するのだ。
 私を含めて多くの人が、ナチスによるユダヤ人虐殺を歴史的事実として承知している。しかし、それが現実に起きた史実であるということを実感する機会はそれほどない。この作品は、歴史そのものが動かしがたい実体として現れてくるような体験を、観る者に強いる。歴史はきわめて多面的であるが、その全ての側面が厳然とした事実なのだ。強制収容所に送られたユダヤ人は、駅の周辺にいた村人が、首を絞めるジェスチャで自分たちの運命を示したと証言する。一方、同じ村人が、どのようにして移送されたユダヤ人に危険を知らせたかを語る。両者の証言は、確かに一致はしているものの、立場の違いによって一つの動作がいかに異なったものとして認識されるかを示している。ある者は、野戦病院と名付けられた処刑場へ知人が送られる光景を語り、また別の者は、そこで死体がどのように処理されたかを語る。強制収容所への列車を運転した者が自分がいかに命令に忠実に従ったかを証言するかと思えば、別の人が、列車の運行を指示する命令書の実物を提示して見せる。歴史の多面性は、また、人間の業の深さをも示している。
 なぜ300万人にも及ぶユダヤ人虐殺が、かくも整然と行われたのか。多くの人が指摘するように、その事実が完全に秘密にされ、ガス室で死に直面するまで、自分の身に何が起ころうとしているかわからなかったことが重要なポイントとなる。収容者の反乱計画がなかった訳ではない。アウシュビッツで家族を主体とする収容者が6ヶ月にわたって生活を続けたことがあった。比較的健康で正常な精神状態にある彼らに、自分らがどのような状況に置かれているかについての情報を与えれば、SSに抗して立ち上がるのではないか。そう考えて実行に移したユダヤ人作業者がいた。しかし、打ち明けられた男──彼は、尊敬に値する人物として子供の教育に当たっていた──は、事実の重みに耐えきれずに自殺してしまう。何も知らされないまま、多くのユダヤ人家族がガス室に送られていくのを見送った作業者は、生き残ることが最大の反乱であることを悟る。こうして、彼は、数人の仲間とともにアウシュビッツから脱走する。戦後、アメリカに渡って事業を興し成功する彼を、誰も非難することはできまい。自分の行動について、(他の多くの人と同じく)無感動に語り続ける彼の姿は、生きることの重さを何よりも雄弁に物語っているようだ。(クロード・ランズマン監督『SHOAH』を見て)(11月15日)

  UNIX系のOSの一種であるLINUXがマイクロソフトを脅かしているという。LINUXの最大の特徴は、世界中のソフトエンジニアが開発に協力し、リアルタイムで改良が進められているという点である。このやり方は、かつてUNIXやMS−DOSの世界で展開されたパブリックドメイン・ソフト(PDS)の開発手法と共通するものであり、多数のユーザがさまざまな環境で利用するというコンピュータ文化の創造にふさわしい。小型コンピュータが企業や研究室、一部の家庭に普及し始めた1970年代、多くの技術者は、この「革新的だが実に使いづらい」道具を改良するために、無償の協力を惜しまなかった。こうした協力体制が実現できたのは、使い勝手の良いソフトが手に入るという実益と、その開発に自分が貢献できたという満足感を同時に得られるからであった。日本でも、このPDSの考えが普及し、LHAやFD、WTERMなどの名作がPDSとして提供され、多くの人の手によって改良が加えられていった。しかし、パソコンが爆発的に売れ行きをのばし、ソフト開発能力のない素人ユーザが大半を占めるようになると、PDSという考え方は、さまざまな問題点を露呈する。特に、開発に全く協力しない人が一方的に利益を享受するだけでなく、機能不足の点に対して居丈高にクレームを付けるケースが増え、無償の開発者の意欲を削ぐ結果となった。このため、ここ10年ほどの間に、著作権を前面に押し出し、他の技術者による改良を拒否するオンラインソフトが増加する一方、開発力に勝る大手ソフトメーカが市場を席巻して、一般ユーザには使いにくい「重い、とろい、やばい」の3拍子揃った巨大ソフトがはびこるようになる。LINUXの登場には、あえてPDSの原点に戻って、コンピュータ文化をユーザの手に取り戻そうという心意気が伺える。(12月6日)

  東京都現代美術館で開催されている『マンガの時代』展は、貴重な資料が数多く展観され、なかなかに見応えがある。特に心惹かれたのは、手塚治虫をはじめとする有名マンガ家の原画である。例えば、手塚治虫の作品は、スクリーントーンなどのイラスト用品が利用できるようになる以前のものなので、全てペンや墨で丹念に描かれているが、それが却って絵を味わい深いものにしており、墨の濃淡など原画でしか見ることの出来ない豊かな芸術性が心に迫る。描き直しが多いのも興味深い点で、白い紙を貼った上に新たに描いているコマが頻出する。中には、人体のデッサンを大きく修正しているケースもあり、手塚が作品の完成度を高めるために、いかに腐心していたかが伺える。このほかにも、里中満智子や有吉京子の超絶的技巧を駆使した原画の展示や、赤塚不二夫のメタギャグの紹介など、時間を忘れさせる展覧会だった。(12月12日)

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©Nobuo YOSHIDA