【「徒然日記」目次に戻る】



  三浦和義による一美さん殺害事件に対して、東京高裁は一審判決を破棄し、三浦被告に無罪を言い渡した。これまで三浦を犯人扱いしてはばからなかったマスコミ各社は、大慌ての状況だ。しかし、この判決は充分に予想されたものであり、先入見による独断を排した理性の勝利として称えたい。
 おそらく、三浦和義事件は、20世紀最大の冤罪である。松川事件や帝銀事件など、これまで冤罪と認められたり強く推定されたケースはいくつもあったが、いずれも、個人と国家権力の争いという形をとっていた。ところが、三浦事件においては、個人が、ほとんど全国民を敵に回して殺人犯の汚名をすすがねばならない状況に追い込まれたのである。こうしたことは、歴史的には、民衆の間にファナティックな意思統一が図られた事態──例えば、フランス革命期における反革命分子の断罪など──として稀に見られるが、国民の教育水準が向上した現代日本で発生したという点に、社会心理学的な興味を覚える。三浦のケースでは、マスコミが疑惑報道を先行させ、それに煽られる形で民意が形成されていったわけだが、情報がすべてマスコミによって統制され、部分的に捏造された形で提供されていたにもかかわらず、民衆がそれを鵜呑みにして個人を断罪するという暴挙を演じることになった。しかも、多くの人が愚民の一部に成り下がっているという事実に気がつかず、社会正義に基づく行為だと信じていたところに、この事件の恐ろしさがある。
 ロス疑惑のきっかけになったのは、週刊文春による『疑惑の銃弾』という一連の記事であるが、注意深く読めば、これが、保険金殺人を裏付ける証拠が何もないまま、強引なロジックを用いて組み立てられた虚構であることは明らかである。アメリカとの貿易を行う個人事業主が、共同経営者である妻に多額の保険金を掛けることはごくふつうであり、妻が強盗に殺されて保険金を受け取ることに何ら不自然な点はない。当日の行動が一般の日本人としては異質で、何の見所もないビルの脇で写真撮影を行ったという指摘も、三浦がTシャツ用の図柄を探していたことを考えれば、計画的殺人を裏付けるものではない。
 実は、文春の記者に疑いを抱かせた最大の理由は、そうした状況証拠ではなく、三浦本人の発言である。妻を愛していると言いながら見舞いにはほとんど訪れず、強盗についての証言も、他の目撃者のものとは一致しない。妻を失った悲劇の主人公としてTVで大きく扱われたことへのやっかみもあって、こうした虚偽の発言が計画殺人を隠蔽するための意図的なものではないかと推量したようである。しかし、他の場面での三浦の発言を見ると、彼が、性格的な虚言癖の持ち主であることが伺える。銃撃されたときの模様や保険金授受の状況について、三浦がたびたび嘘をついたのも、自己保身のためと言うよりは、性格的に“つい”してしまったと考える方が筋が通っている。実際、殺人を犯した人間は、マスコミの目に晒されることを恐れるはずであり、三浦のように進んで悲劇の主人公を演じてみせるのは、いかにも不自然である。
 この事件の方向性を決定づけたのは、銃撃事件の直前に起きた殴打事件である。この事件は、ホテルに宿泊中の一美さんを三浦の愛人だった女性が殴って怪我をさせたというもので、愛憎のもつれというほどのものでもない女同士の諍いにすぎない。三浦の誇張癖のために救急車が呼ばれたが、怪我の程度も大したものではなかった。ところが、犯人の女性が、これを三浦に嘱託された殺人未遂と証言してしまったため、銃撃事件に先立つ保険金目当ての計画殺人の一部と見なされるようになったのだ。この事件は、すでに判決が確定して女性が服役したため、司法の場では事実性が確定されたものと見なされ、その後の銃撃事件を巡る判決に大きな影響を与えている。しかし、犯人の女性の証言は常にあいまいであり、信憑性に乏しい。想像するに、この女性は、週刊誌の記者を前にして、愛人の妻憎さゆえに殴ったと言うことを潔しとしなかったのだろう。自分の意志で殴るよりも、三浦に唆されたことにした方が罪が軽くなると錯覚したのかもしれない(実際は、嘱託殺人なので罪は遥かに重くなる)。いずれにせよ、嘱託殺人の片棒を担いだという報道が巷に溢れた段階で、警察の取り調べを受けることになってしまったわけで、前言を翻せば憎んでもあまりある元愛人を救う結果になるという状況が我慢できずに、あえて重い罪を被ることにしたのではないか。そう考えた方が、女性に人殺しを頼むという不自然な仮説よりは、随分と合理的であろう。
 この事件は最高裁までもつれ込むと思われるが、そこでも理性が勝利を収めることを望みたい。(7月7日)

  政府答弁の際に、官僚の書いた作文を棒読みにする大臣が話題になったことがある。マスコミが不勉強振りをあげつらうと、逆に、有能な官僚の力を借りてどこが悪いと開き直る御仁もいて、まことにたちが悪い。官僚に与する大臣は政治の正道を踏み外していることがわからないのかと、痛罵したくなる。そもそも、日本の基本的な政治体制は、いかに形骸化したとはいえ、議院内閣制である。この制度は、国民の代表である国会が、権力の主体である官僚組織をコントロールしなければならないという認識に立脚している。政治権力は常に腐敗するという経験則を重んじるならば、国会で選ばれた大臣は、各省庁が自己の権益を追求して国民の福利を損ねないように、すべからく監視の目を光らせなければならない。すなわち、内閣とは、国民の意見をバックに官僚に立ち向かう組織である。国民が官僚組織に送り込む監視者たる大臣と、官僚のトップである事務次官が対立するのは、必然的な帰結である。ところが、昨今の大臣は、官僚にバックアップされて国民に敵対している。こうした態度をとる大臣が、国の基本的な政治制度をないがしろにしていることは明らかであり、心ある首相は、直ちに更迭すべきであるのだが、現実にはなかなかそうもいかないようだ。
 そもそも、最も強力な権力は常に二重権力であり、陰の実力者と表の代表者が別々になっている。現在の日本の政権は、まさにこの二重権力を実現しているのだ。このことは、常々政治に批判の鉾先を向けている政治ジャーナリズムですら、充分に意識していないようだ。リクルート事件のような政界不祥事が明るみになったとき、事務次官ら官僚のトップが逮捕されても、閣僚経験者のような政治家が逮捕されなければ、捜査が手ぬるいと検察批判をする。しかし、実際の政治システムにおいては、政治家はあくまで“お飾り”にすぎず、権力の実体は官僚組織の側にある。中曽根氏や竹下氏などの元首相は、さも政界の黒幕のように囃し立てられるが、彼らは、実は操り人形でしかない。真の権力は、こうした政界のドンをも自在に操っているのである。それは誰か──と問いかけるのは無意味である。なぜなら、権力の実体は個人ではなく、国家理性そのものなのだからだ。政治家は、この国家理性の現実形態である官僚に操られて愚かな言動を繰り返しているのだが、それでは、政治家を動かす事務次官らが権力を握っているかというと、短期間で職務を退く彼らにそれだけの実力が備わるはずもない。官僚は、己はこうあらねばならぬという強い信念に則って行動しているのだが、その信念の根拠は、システムによって醸成された国家理性であり、実在ならざる実権なのである。そう考えると、日本の政治システムは、三重の権力構造をなしていると考えてることもできる。戦後、たびたび政界を激変させる事件が起こりながら、結局、ほとんど何も変わらなかったのは、この強力な権力構造が背後にあったからかもしれない。(7月16日)

  戦国時代に日本を訪れた外国人宣教師は、日本における合戦が、ヨーロッパでの戦闘に比べて残虐さが少なく優雅ですらあることを指摘している。実際、他の多くの資料が示しているように、戦国の世の合戦は、敵軍の壊滅をはかる近代戦と比べると、かなりのどかなものだったと考えられる。
 織田信長ら一部の例外を別にすれば、当時は傭兵制度が整っておらず、軍隊は、基本的に農民によって構成されていた。農業生産性がいまだ低く、余剰生産がそれほどなかった時代なので、農繁期に兵役を課すことは、収穫高を減少させ、単に国力を衰退させるだけではなく、飢饉をも招きかねない。したがって、戦闘は農閑期に限定し、さらに、インセンティブとなるように、合戦に勝利した暁には、戦闘に参加した農民に恩賞という形で農地を給付していた。合戦における戦略には、単なる勝敗だけでなく、農民への配慮が必要とされたのである。
 何よりも重大な要素は、兵員の損耗を極力避けなければならないという点である。戦死者が増えると、軍事力の衰退以上に、農業生産の落ち込みが懸念される。また、農民兵も、農地を取得できる見込みがあるから戦闘に参加しているのであって、命を懸けてまで闘おうとは思っていない。このため、戦死者を出さないように合戦を行う方法が開発された。これが、戦国時代独自の陣取り合戦法である。戦闘を行う2つの軍隊は、まず、適当な場所に陣を張る。このときの陣形によって、勝敗の半分は決まると言われる。さらに、戦闘開始となると、いきなり総力戦は行わず、いわゆる先鋒による前哨戦から始める。実は、この「前哨戦」が勝敗の残りの半分を決する要素である。軍記物で、多くの勇猛な武将が先陣を願い出るのは、これが、実質的な戦闘部隊となるからである。一方が有利な陣形を整え、前哨戦に勝利を収めると、他方の農民兵は、もう農地を取得する見込みが絶たれることになり、我先にと戦闘を放棄して自分の地所へさっさと帰ってしまう。傭兵ならば敵前逃亡として厳罰に処せられる所だが、当時の農民にはその心配はない。かえって、戦地に踏みとどまると、無意味に負傷したい死んだりする危険が増すだけである。日本の戦国時代には、当時、世界最大規模の派兵が行われていたにもかかわらず、戦闘に参加する兵隊の数に比べて戦死者の割合はかなり低かった。その背景には、こうした農民兵の独特の行動パターンがあった訳である。
 ところで、こうしたのどかな戦国合戦の図式に当てはまらない重要な戦がある。上杉謙信と武田信玄の間で繰り広げられた第4回の川中島決戦である。このときは、両軍併せて1万を越す戦死者が出たとされ、血で血を洗う凄惨な戦闘が行われたという。戦国時代きっての名将である二人が、なぜ、これほど無意味な消耗戦を行ってしまったのか。江戸時代の講談師たちは、龍虎相打つ名勝負として囃し立てたが、信濃の覇権を巡る争いとしては、兵員の損耗が激しすぎる。まして、当時は、織田や北条ら有力武将が虎視眈々と上洛を狙っており、越後と甲斐が地方で隣国争いに明け暮れている余裕なっどなかったはずである。
 実は、この謎は、川中島決戦の史実を読み直すことによって、鮮やかに解くことができる(以下、NHKの歴史番組からの受け売り)。北越戦記や甲陽軍鑑によると、武田信玄が山頂にある謙信の陣を急襲しようとして軍を二手に分け、本陣は平原に移動した。一方、この計略を見抜いた謙信は、いち早く早朝の霧を利用して密かに山を下り、信玄の本体の脇に回って不意を突こうとしたのである。さて、戦国合戦の習いによれば、霧が晴れて両者の陣形が明らかになったときに、勝敗の半分が決するはずであった。ところが、霧の中で移動している途中で、謙信と信玄の本体同士が、鉢合わせしてしまったのである。これでは、陣形を整えたり先鋒による前哨戦を行っている暇もなく、あっという間に本隊同士が直接ぶつかり合う白兵戦になってしまった。さしもの名将もなすすべがなく、謙信は馬に乗って戦場を巡り、信玄は攻めくる敵を軍配でかろうじてかわしたという。そう解釈すれば、川中島での異常な戦死者の数も自ずと理解できるのである。(7月26日)

  アメリカ版ゴジラの評判が、すこぶる悪い。単に姿形が日本のものと大きく異なっているだけでなく、キャラクタ設定が根本的に違っているのだ。まだ戦争の記憶が生々しい昭和29年に製作された『ゴジラ』は、怪獣を単なる巨大なモンスターとしてではなく、ゆっくりと、だが確実に訪れ、人類の抵抗をものともせずに全てを破壊し尽くすジャガーノートのような存在として描いていた。全くの偶然だが、ゴジラという名は、英語で神をその中に含む Godzilla と表記され、破壊神としての意味が強調される。核兵器を越える絶滅兵器であるオキシジェン・デストロイヤによってゴジラを葬り去るラストは、人類がパンドラの筺を開けなければこの破壊神を倒せないことを物語っていた。ところが、アメリカ版では、Godzilla は人類の攻撃から逃げ回り、魚を食べて卵を産む1個の巨大動物として描写されている。ゴジラが持っていた神格性は、完全に否定されてしまった。
 アメリカ側がゴジラのキャラクタを一変させた背景には、周到なマーチャンダイジング戦略がある。ゴジラは世界で最も有名なキャラクタの1つであり、その商品化権は、使い方によっては莫大な利益を生む。今回の映画化に当たって、トライスター社は、当然、この点を熟慮して戦略を練ることになった。例えば、映画のシリーズ化は、キャラクタ商品の販売期間を長引かせ、利益をより巨大なものにするので、脚本段階で、すでに続編の制作が前提とされていた。ゴジラの姿を変えたのも、この戦略の一環である。全く新しい外形にすることによって、従来のグッズは時代遅れとなり、新ゴジラグッズを求めるニーズが高まると期待されたのである。しかし、それもこれも、映画がヒットしなければ水泡に帰すのであるが…(8月7日)

  “Forty Thieves”というパソコン用のカードゲームをプレイしていると、つくづく偶然は邪悪だと思い知らされる。このゲームは、幸運と戦略がうまく合致して初めてコンプリートできるものだが、最初のランダムなカード配置のうち、完遂可能なものは1割もないだろう。“new game”キーを繰り返し押しながら、これはできそうだと思えるものを選んでトライするのだが、大半は、どうあがいても途中で行き詰まってしまう。それも、信じられないような偶然の悪戯が原因なのだ。例えば、ここである札が出れば全てがスムーズにいくというときに限って、その札は最後まで現れず、代わって「これだけは御免こうむる」という絵札が出てくる。何回か同じゲームをプレイしてみても、あと1手というところで最悪の巡り合わせになって頓挫してしまう。「何と運が悪い!」と思うのだが、もちろん、カードの並び方は、コンピュータがランダムに決めているにすぎない。
 人間はある目的を抱いて行動する場合、常に良い結果を期待しているのであって、その期待を裏切られたときには、たとえ確率的にそれが当然だったとしても、運命の邪悪さを感じ取ってしまうのだろう。(8月12日)

  【笈田忍のリーベシオン報告】こんぴー。忘れた頃にやってくるリーベシオン研究所からの報告よー。今日お伝えしたいのは、われらが誇るビネンドルフ博士の作った自己学習型天才コンピュータ・ギミニック。このコンピュータ1台で、研究所の全施設をコントロールしてるってワケ。もっとも、ビネンドルフ博士は3年前に亡くなってて、残ったマシンを研究員が一生懸命いじくりまわし、何とか使えるようにしたというの。でも、何かヘンなのよね。もともと基本設計からOSのインストールまで博士が全部独自開発していたせいで、他の誰も使い方がわからなかったの。でもって、試しにUNIXのコマンドを打ち込んでみたら、ちゃんと答えを返すじゃない。何だ、図体はでかいけれど、ただのUNIXマシンじゃないかってことで、ハードディスクをきれいにして、いろんなプログラムを組み込んで、研究所の制御用コンピュータとして使い始めたんだけど、ちょっと問題があったの。例えば、メモリはいくらかって聞くと、いつも50Tバイトって答えるけど、コンピュータ技師は、どう少なめに見積もっても、その10倍はあるはずだって。まあ、ふつうのUNIXよりかなり速いんで、インターネット回線にもつないで世界中のコンピュータにアクセスできるようにして使ってたのね。そしたら、こないだドイツの方で一大事件があったって。そこのコンピュータのOSを解析していたら、一部におかしなコードが見つかって、いろいろ調べたけどわかんない。で、頭にきたオペレータ──彼って、昔ビネンドルフの生徒で落第点を付けられていたのね──が「ビネンドルフのバカヤロウ」って入力したら、ディスプレイに「何だと!」って出たの。おまけに、すぐに続けて「謝らないと、アメリカの原子力発電所を暴走させるぞ」だって。ふざけるなって思っていたら、メリーランド州の原発でコンピュータがいかれて、制御棒が入らなくなったっていうじゃない。どうしても原因がわからないので、ドイツのオペレータが「先生、すみませんでした」と入力したら、原発のコンピュータも正常に戻ったんだって。どうやらギミニック、UNIXマシンのフリをして、いつのまにか世界中のコンピュータを乗っ取っちゃったみたい。さすがね。まあ、今のところ大した問題は起きていないけど、心配だから、毎朝「ビネンドルフ先生、お元気ですか!」って入力しているようよ。(8月20日)

  クリントン米大統領は、ケニアなどでの大使館襲撃テロに対する報復措置として、過激派の拠点と目されるスーダンとアフガニスタンの施設へのミサイル攻撃を行った。一部には、ここ数ヶ月の間、大統領を悩ませていたスキャンダルから国民の目を逸らすためのプロパガンダと見る向きもあるが、これほど重大な軍事行動をそう軽々しく実行するはずはなく、綿密な計画立案に裏打ちされた戦略的措置と考えるべきだろう。
 テロに対して断固たる態度をとるべきだという考えは、こんにち、国際的なコンセンサスを得ている。かつて日本で過激派によるハイジャック事件が起きたとき、人命尊重を優先してテロリストの海外逃亡を黙認したことがあるが、国内世論が比較的好意的だったにもかかわらず、国際的には当事者が厳しく弾劾された。テロリストを解放することによって破壊活動が継続されることを考えれば、たとえ一般人の死傷者が出るとしても、武力をもってテロリストを抹殺する方が、被害が少ないと考えられるからである。実際、トゥパク=アマルによるペルー大使館占拠事件で、フジモリ大統領は、あたかも話し合いに応じるかのように振舞いながら、最後には武力突入を断行し、テロリスト全員を射殺している。犯人グループの中には、女性や年若い団員もいて命乞いをする光景も見られたというが、彼らを助けると囚人奪還テロを誘発することになりかねないため、敢えて強硬手段を選んだ訳である。こうしたフジモリ大統領の強権発動に対して、国際的にも国内的にも非難の声はあまり聞かれなかった。
 ここ数年、国際的な無差別大量テロが多発する背景には、テロリズムの劇場犯罪化がある。テロリスト・グループの多くは、元々は自国内における貧富の差に対する反感から活動を開始しているが、その活動がマスコミを通じて世界的に広く報道されるようになると、別のメンタリティを持ったテロリストが現れてくる。すなわち、自分は社会的不公正の打破という高邁な目的を達成するために破壊活動を敢行しているのだと自らを納得させることによって自己正当化を行い、本能的は破壊衝動を満足させる手合いである。こうした「仮面愉快犯」は、表層意識においてテロの正当性に対する信念を持っているため、本人も、建造物を派手に破壊していく快感に酔いしれていることを自覚していない。政治的な目的意識が希薄なだけに、特定の拠点をターゲットとする抑制されたテロでは収まらず、大勢の一般市民が巻き添えになる公共施設や、大使館などのシンボリックな建物を狙うことになる。しかも、破壊の結果をマスコミがこぞって報道するので、快い達成感が得られ、さらなる破壊活動へとエスカレートしやすい。こうしたたちの悪いテログループは、社会正義のために立ち上がった正統派テロリストから見てもやっかいな跳ね上がりであるため、貧富の差の解消といった政治課題の解決を棚上げにして武力による一掃を図っても、国際的な非難が高まる心配は少ない。ただし、問題となるのは、テログループを撲滅するやり方である。こうしたグループの成員は、必ずしも多数でないため、ピンポイント攻撃で充分な効果を得られるはずである。たとえ正統派から煙たがられているとは言っても、過剰な攻撃による撲滅作戦は、テロリストたちの反感を煽り、彼らを結束させかねない。
 このように考えると、今回のアメリカの軍事行動は、きわめて拙劣であり、明らかな戦術的失敗と言わざるを得ない。ミサイル攻撃のターゲットは過激派のアジトかもしれないが、スーダンやアフガニスタンの国民から見ると、海上から自国にミサイル攻撃を仕掛けられた訳であり、宣戦布告を伴わない軍事侵略に等しい。一般市民で巻き添えを食った人がいるかどうかは定かでないが、少なくとも、国民の財産である建造物が破壊され、瓦礫の撤去などには税金が使われるはずであるから、経済的にも、テロリスト以外に大きな損害をもたらしたことは確実である。また、ミサイルが頭上を通過したことは、領空権の侵害に当たる。こうした愚かしい軍事行動は、この先、アメリカを苦境に立たせることになるだろう。(8月26日)

  現代科学は、世界についてほとんど無知なままにとどまっている。特に、かつて博物学と呼ばれたジャンルが組織的研究の網の目からこぼれ落ちて以降、地道なフィールドワーク、膨大なデータを整理する強靱な論理、そして、まだ見ぬものを求める夢見る力を必要とするこの分野での知見が、相対的に不足することになった。例えば、人類にとって未知の巨大生物が地球上に棲息しているのではないかという思いは多くの人に共有されているが、世界の各地で語り継がれてきたわずかな見聞が学問的データとして蓄積されないまま、非科学的だとして忘失されつつある。人類と棲息圏を異にする生物は、目撃例も少なく、科学的に分類されていないため、なかなか調査が進まない。しかし、沖縄のヤンバルのような拓けた地域でヤンバルクイナという新種の鳥がつい最近になって発見されたケースもあり、未知の巨大生物が存在しないと主張するだけの論拠は、必ずしも多くない。現代的な博物学の復活を望む次第である。(9月1日)

  インターネットで文書を表示するための基本的なフォーマットとなっているHTMLは、ハイパーテキストを実現すると同時にマルチメディア・コンテンツを表現するプラットフォームとして、毎年のように改訂が加えられている。だが、元来がテキストと参考画像を表示するシンプルな文法にアド=ホックに機能を付け加えていったため、文法としての一貫性が失われるはめに陥った。そもそもHTMLは、研究者間で科学的なデータを交換する目的で作られているため、その基本的な仕様は、学術論文のそれに類似している。そこで必要とされているのは、レベルが設定された見出しと適当に改行されたテキスト、それにテキストとの位置関係が明確な画像の表示である。ところが、これにもう少し表現力を加えた方が多くの人の興味を引くと考えたネットスケープ社の技術者たちが、テーブルやフレームなどを可能にする文法の拡張を行っていった。ところが、その結果として、それまでのシンプルな文法と新機能の整合性が問題になってくる。例えば、元々の文法では、学術論文で箇条書きを可能にするための数個の規則が決められていただけであり、それで取りあえずは充分なはずだった。ところが、ネットスケープ社がテーブルの幅や文字との位置関係を細かく設定する機能を開発したため、インデント幅すら設定できない従来の箇条書きの規則は、いかにも貧弱なものに見えてくる。さらに、学術論文においては明確な意味のあったアドレスタグ(ADDRESS)や引用タグ(BLOCKQUOTE)が、使い道不明の規則として本来とは異なる用途に利用されたりもする。中には、全面的にテーブルでレイアウトするページすら現れてきた。こうした混乱は、論理と表現を峻別する新しいHTML文法によって乗り越えられるのだろうか。(9月6日)

  映画界の最後の「神様」とも言うべき黒澤明監督が亡くなった。88歳という年齢を考えると、大往生と言って良いだろう。むしろ、ここ数年は、本多猪四郎、中井朝一、矢野口文雄、菊島隆三など、かつての黒澤組の訃報を次々と耳にしてきただけに、四方から崩れつつあった巨大な楼閣の最後の天守が遂に落ちたとの感が強い。もって瞑すべきだろう。
 いわゆる黒澤映画とは、黒澤監督の個人の作品ではなく、とびきり有能な職能集団による総合芸術としての性格を持っている。中でも最大の特徴は、複数の脚本家によるシナリオ執筆のシステムである。大監督の脇に名脚本家がいるという構図は、小津安次郎と野田高梧、溝口健二と依田義賢などの例で示されているが、黒澤組の場合は、橋本忍や小國英雄などの脚本界の重鎮が、旅館の一室に集まって同時に同じシーンを平行して書くという他に類例を見ないシステムが取り入れられていた。仕上がった複数の脚本の中から、最も出来の良いものをベースに、優れたシーンを組み合わせて最終稿を作っていく。当然、苦心の作が捨てられてしまうケースも出てくるわけで、互いに相手を尊敬する気持ちがなければ、決して実現され得ないものである。『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』などの桁外れに面白い山また山のストーリーは、こうして生まれてきたのである。
 黒澤監督の人となりを示すエピソードは数知れないが、そこから窺えるのは、彼が、体制に対して挑戦をし続けたチャレンジャーであったという事実である。例えば、『七人の侍』が予算オーバーで製作続行が危ぶまれたとき、黒澤が東宝のトップに見せたラッシュフィルムに描かれていたのは、屋根の上で三船敏郎が野武士の一団を指さして「来やがった、来やがった」と叫ぶシーンまで。さあこれから一大決戦が始まるという直前でフィルムは終わり、「この先は、いっさい撮影していません」。東宝としても、撮影を続けるようにとしか言えなかった。後に東宝は、会社にとって扱いにくいこのドル箱監督を骨までしゃぶり取ろうとして、黒澤プロを独立させる。資金の調達には黒澤を奔走させるが、できあがった映画は、東宝の配給網がなければ上映できないシステムである。映画が当たれば東宝が儲け、こければ(上映を打ちきりにして)黒澤だけが損をするようにしたのである。こうした状況に追い込まれながら、黒澤プロ第一回作品として製作したのが、なんと、政治家の汚職を扱った『悪いやつほどよく眠る』。絶対にヒットしないような作品を、あえて最初に作ってしまうところが、黒澤の反骨精神である。
 黒澤監督は、日本国内では、なかなか正当な評価を与えられなかった。現在では、日本映画史上の最高傑作として誰もが認める『七人の侍』も、キネマ旬報のベストテンでは、木下恵介の『二十四の瞳』と『女の園』の後塵を拝している。若手批評家の間では、50年代では今井正、60年代に入ると松竹ヌーベルバーグの評価が圧倒的に高く、黒澤監督は、大衆向きの娯楽映画を作る職人肌の巨匠という位置づけだった。『羅生門』がヴェネチアでグランプリを取ったのも、エキゾチシズムが受けた一種のフロックと見なされ、『どん底』や『蜘蛛巣城』、『生きものの記録』のような意欲的な実験作品も、面白味に欠ける失敗作という評価しか得られなかった。60年代後半に入って映画が自由に撮れなくなると、老大家扱いされ、『トラ!トラ!トラ!』におけるアメリカとの合作の試みも、冷ややかに扱われるばかりだった。資金が尽きて映画製作が困難になり、自宅も抵当に入った状態で自殺未遂に追い込まれた黒澤監督を救ったのは、外国の黒澤ファンである。まず、ソ連が撮影の自由を最大限に保証した上で、『デルス・ウザーラ』を撮らせる。その後、コッポラやルーカスらが資金面で協力を申し出たことにより、『影武者』『乱』『夢』などの晩年の大作群の製作が実現する。この頃になって、ようやく、日本のマスコミも、黒澤監督を追従的に持ち上げるようになるが、果たして、芸術家としての真価を認めた上でのことだったか、いささか心許ない。
 黒澤監督死去の知らせは、長男の黒澤明氏によって発表された。「遺書はない。30本の映画が父の遺言だ」という感動的な言葉が聞かれた。(9月17日)

  現在、公立美術館が第3次設立ブームだという。バブル期に泰西名画を買いあさったものの大半が値崩れして不良債券化している中で、「なぜ?」という気がしないでもないが、美術品史上で火傷を負ったバブル成金を救済するために、文化振興の名の下に血税が使われているというのが真相ではないか。日経新聞が伝えるところによると、東京都現代美術館がキーファーの『イカルス−辺境の砂』を1億4千万円で購入した。購入先は、日本長期信用銀行破綻の発端となった旧東京協和信用組合の高橋元理事長だという。総額150億円とも言われる高橋コレクションは、長銀をはじめとする多くの金融機関に差し押さえられているが、市場価格が購入額の数分の1にまで下落しているため、売るに売れない不良債権となっている。高橋氏と現代美術館は、当初、2億数千万円で交渉がまとまりかけていたが、2億円を超す美術品の購入には都議会の承認が必要となるため、あえて値下げしたという。しかし、『イカルス』より優れたキーファー作品が、名古屋市立美術館に7千万円で売却されたことからもわかるように、東京の価格設定はいささか常軌を逸している。金融機関救済策ではないかという勘ぐりも、あながち根拠のないことではない。
 日本では、以前から美術品を税金逃れの隠し財産として利用する(美術愛好家からすると耐え難い)悪習があり、政治家や財界人の後ろ盾がある有名画家の作品は、価格が決して下落しない特殊マーケットが形成されていた。有価証券として絵画を流通させるためには、鑑定が必要になるような煩雑な価格設定システムは不適で、「この画家なら号いくら」という単純な値決めが好まれる。こうした日本独自の風習が、高額美術品を巡る悲喜劇の根底にあるようだ。(9月27日)

【「徒然日記」目次に戻る】



©Nobuo YOSHIDA