【「徒然日記」目次に戻る】



  小学校の学級崩壊が社会問題化している。私が子供の頃は、教師は1つの権威であり、たとえ不満があるにしても、その言い付けには従ったものだ。特に低学年の場合、教師の言葉が価値観のベースを形成していたという記憶がある。“先生に褒められた”ということは、それだけで絶対的な意味を持つ。たとえ、数年後にはその考えを一笑に付すようになるにせよ、そうした体験をふまえて、この世界には、自分を第一義的に扱わない他者が存在し、自分がつまらないと感じるものが高く評価されるような状況があり得ることを実感していくのである。ところが、昨今の子供は、閉鎖的な家庭環境の中で、TVやゲームのような一方向的な働きかけしか行えないアイテムに囲まれて生きているためか、異なる価値観が支配する状況に順応できないらしい。授業がつまらないと立ち上がって勝手に歩き回る、私語を交わす、プリントを破り捨てる、ふいに教室から出ていってしまう、叱ると泣き出したり暴れたりする。若手のみならず、ベテラン教師も事態を収拾できないという。これは、かなり深刻な状況である。(4月1日)

  電話が大きく変わりつつある。かつては、電話は遠方の人と1対1で会話するための手段でしかなかった。だが、いまや電話線上を実にさまざまな情報が飛び交っている。従来の音声に加えて、FAX・TV電話・電子メールのデータほか、パソコンを端末としてテキスト・画像・音楽・動画までやり取りされる。こうした新タイプの情報を交換するためには、電電公社による独占事業が行われていた頃の体質を色濃く残しているNTTよりは、新規参入組による新しいサービスの開拓が有効である。例えば、インターネット・プロバイダのリムネットは、インターネット専用回線を利用した通話サービスを始めた。通常の電話の場合、通話を行っているAとBの間の回線は、たとえ会話が途絶えていようと2人のユーザに独占されており、リソースの無駄遣いであるばかりか、余分な回線使用料を支払わされてしまう。これに対して、インターネット電話では、音声情報を圧縮した上で、多数の通話内容を一気に専用回線で送ってしまうので、きわめて効率がよい。また、NTTが最近始めたナンバーディスプレイも、新しい電話の利用法を開拓するものである。今のところ、掛けた側の電話番号がわかることによって、迷惑電話を防止したり、折り返し連絡するのに使われているが、将来的には、電話をマルチメディア端末として利用するための基礎技術となるはずである。とりあえず、FAX専用の番号から掛かってきたときには自動的に切り替える、あるいは、発信元によって異なる留守番メッセージを流すなどの用途が実現されているが、電話がマルチメディア化されるにつれて、こうした自動切り替えは不可欠の機能になっていくだろう。(4月10日)

  テレビ東京は、いまやTV界の別冊少女コミックになりつつある。
 70年代初頭まで、少女マンガ界は、さまざまな規制にがんじがらめにされていた。当時、雑誌の編集者は、(母)親の批判を気にかける一方で読者のウケを狙い、これぞと思う路線を自ら設定してマンガ家に従わせていた。主人公の少女は、大きな目の中にキラキラと星の光を浮かべ、ひねくれることなく前向きに人生に対峙している。錯綜した人間関係は排され、善玉と悪玉は明確に峻別される。途中、善玉が苦況にたたされることもあるが、最終的にはハッピーエンドを迎える。こうした基本的な枠組みの中で、スポ根ものや学園ドラマやホラーやラブコメが展開されていた。ところが、別冊少女コミックの編集者は、(“別冊”という実験の許される場が与えられたこともあって)こうした自主規制をほとんど撤廃したのである。こうして、くびきをはずされ才能を飛翔させることができた萩尾望都・竹宮恵子・大島弓子ら英才たちが、次々と驚くべき傑作を発表していく。そこで採用されたのは、同性愛やベッドシーンなどかつてはタブーとされた題材であり、あるいは、子猫が人間の姿をとるといった“わかりにくい”表現であった。
 今やマンガの世界に内容の自主規制はほとんどなくなったようだが、TVアニメには、いまだ局側の意向による枠が厳然と存在しているようだ。そうした中で、テレビ東京は、作家に対して表現の枠を設けない希有の放送局となっている。だからこそ、『新世紀エヴァンゲリオン』や『少女革命ウテナ』のような“アブナイ”作品が生まれたとも言える。(4月18日)

  早くからある分野で華々しい活躍をしてきたヒーローが、周囲の人がまだまだやれると思っているにもかかわらず、若くしてあっさり引退してしまうことがある。この傾向は、女性のスポーツ選手に強く見られる。最近では、テニスの伊達公子、スケートの伊藤みどり、水泳の千葉すずの名が浮かぶ。彼女たちは、小中学生の頃から天才少女ともてはやされ、世界的に見てもトップクラスの実力を備えていたが、メジャー大会やオリンピックで頂点を極めることなく一線を退いている。外野席からは「もったいない」という声も聞かれる。しかし、おそらく彼女たちはトッププレイヤーであり続けることに疲れてしまったのだろう。
 下積み生活が長く、努力の末にトップの座をかちとった人は、外から見ると苦労の多い人生に思われるかもしれないが、自分の地位が着実に上昇するという喜びを体験している。それだけに、獲得した地位に対する愛着も強い。ところが、幼い頃から天才の名をほしいままにしていた人は、レベルアップの喜びが少ないまま、トップを維持する苦労ばかりを押しつけられてしまう。しかも、地位そのものが与えてくれる栄誉は、長い間当たり前のものとして享受してきただけに、さしてありがたくは感じられない。はじめのうちは地方の小グループで成果を収めていれば良かったのに、次第に県レベル・全国レベル・国際レベルと、越えなければならないハードルが高くなり、地位を保つことが困難になってくる。そうした中で、努力することに疲れ、端から見ると惜しげもなく地位を放り投げてしまうことも起こるのだろう。世間は、むしろ彼女たちの労をねぎらうべきである。(4月27日)

  人気ロックグループ・X−JAPANのギタリストHIDEが33歳の若さで自死し、ファンに衝撃を与えた。X−JAPANはビジュアル系ロックバンドのパイオニア的存在であり、カラフルな長髪と黒を基調にしたファッションで知られている。しかし、こうした外観とは裏腹に、若者の心情を切々と歌い上げる歌詞と、ボーカルの声質を生かしたハイトーンの緩やかな旋律は、リリシズムの極地と言って良いものであり、音楽性の高さという点でも、日本を代表するバンドの1つである。それだけに、表面的なファッションだけを追うにわかファンよりも、精神的な合一感を求める熱狂的なマニアを生んできた。一部で後追い自殺が見られるようだが、これ以上広がらないことを願うばかりである。
 ところで、今回のHIDEの死だが、自殺と報じられているものの、いくつか不可解な点がある。死に方も、ドアノブに掛けた紐を首に回し、尻餅をつくような状態で窒息していたという。遺書がないことから、事件の可能性も指摘されたが、自室内での単独行動ということから、最終的に自殺と断定されたようだ。私の見るところ、これは意志的な自殺ではなく、神経症的な自傷行為の高じたものと推定される。良く知られた自傷行為にリストカットがあり、自殺未遂と見なされることもあるが、実際には死のうという気持ちに乏しく、むしろ自分自身を傷つけたいという欲求が表面化したものである。鬱状態や泥酔時など理性によるコントロールが衰退したときに現れやすい。ビルの屋上から飛び降りるなどの確実に死ねる行為は採らないことが多いが、首を絞めるような一歩誤れば死につながる行為を発作的に行うことがあり、常習者には周囲の気遣いが必要である。(5月7日)

  インドネシアでは経済不安に伴って治安が悪化していると伝えられていたが、数日前から、とうとう暴動騒ぎになっているようだ。スハルト大統領がエジプトに訪問して国を留守にしている間に、学生を中心とする不満分子が結集、これを武力で鎮圧しようとしたため、市民に多くの死者が出る騒乱状態に陥ったという。しかも、日本の安保騒動のような政治運動だけではなく、商店の略奪が相次いでいるというから、事態は相当に深刻である。特に、一般市民が生活財を盗んでいるという報道には、胸が痛む。インドネシア社会は貧富の差が大きく、スハルト一族によって構成される支配階層、スハルトのバックアップを受け地方自治にも大きな発言力を持つ第2支配層の軍部、主として中国系の住人で占められる富裕な商人階層、そして、大多数の豊かでない一般市民から成り立っている。国家経済が好調なときは、勤勉に働けばそれなりの報酬があって生活の向上が図れたために、市民の不満はあまり大きくはなかったが、ひとたび不況になると、日々の生活に苦しむ人々が、安穏と暮らす富裕層へのルサンチマンを募らせるのは、当然の成り行きである。最近のインドネシアでは、企業の半数が倒産の危機にあり、失業率も30%を越える。こうした中で、市民の不満が爆発したのが、今回の騒ぎといえよう。ただし、現地からのレポートを聞くと、どうも組織的な扇動があったようであり、もしかしたら危険分子を一掃するための謀略だったのかもしれない。(5月15日)

  12人を殺害し数千人を傷害した地下鉄サリン事件の実行犯・林郁夫が死刑にならないのはおかしいという見方もある。無期懲役の求刑を行った検察側は、主として林が“自首”したことを減刑の根拠として挙げている。林は、オウム教団の幹部として取り調べを受けていたが、サリン事件で手を汚したとは目されておらず、本人から積極的に事件内容を語ったことで、はじめて捜査の壁が打開できたという。しかし、自ら出頭したわけでもなく、取調中に自白したことが“自首”に該当するという主張は、ロジックとしていささか苦しいものである。むしろ検察としては、林の証言によって教団の全容が解明できたことを評価しており、素直に証言すれば減刑の可能性があることを他のメンバーにも示そうとしたいうところだろう。その点では、アメリカで盛んな司法取引に近いと言える。もっとも、林の場合は改心が顕著で、法廷でも心の底から慟哭していたと報じられているから、検事も情状を酌量したのかもしれない。(5月28日)

  間もなくサッカー・ワールドカップが始まる。スポーツ新聞を見ると、「日本は決勝リーグに進出できる」「第1戦のアルゼンチン戦に勝つ可能性も」などと景気の良い見出しが踊っている。だが、少し待ってもらいたい。2年前のアトランタ・オリンピックの時にも、大会が始まるまでは、「金メダルは2桁になる」「競泳ではメダルラッシュだ」などと前評判を煽っておきながら、金メダルは3個、期待された女子競泳陣もほとんど決勝に進めず、オリンピックが終わった後は「惨敗」「精神面の脆さ露呈」などとさんざんに貶めた。だが、外国のスポーツジャーナリストの評を見ると、もともと予想された日本の金メダル数は4〜5個で、柔道の田村の敗退が番狂わせだった以外は、ほぼ順当な成績、競泳の場合も、オリンピック直前の競技会で日本人が好成績を収めたために過度な期待を集めたが、実際には、外国の有力選手がオリンピックの照準を合わせて調整しており、無理に順位を上げなかったという事情がある。女子マラソンの有森も、多くの日本人が当然メダル候補と思っていたようだが、レース直前の世界ランキングは20位台で、メダルはおろか入賞もできないだろうと予想する向きが多かった。ピピヒやドーレら優勝候補を抑えての銅メダルは、ほとんど番狂わせと言っても良い快挙である。それだけに、「自分で自分を褒めてあげたい」という彼女の言葉には重みがある。日本のスポーツ・ジャーナリズムは、読者の興味を引くために(と言うよりも売れ行きを良くするために)いささか大仰に楽観的な見通しを書き立てるが、これでは、かえって競技が楽しめない。今回のワールドカップも、順当にいけば2敗1分程度のはずであり、そう思って観戦した方が、番狂わせの期待でワクワクできるのではないだろうか。(6月8日)

  学術調査に基づいて答申を行う諮問委員会の人事について。もし、できる限り客観的な答申を引き出そうとするならば、学者として最も有能な人をトップに据えるべきである。一般的に言って、どこの大学でも、助教授から講師クラスの学者が知的にアクティブなので、この人たちを起用する方が信頼できる。ところが、公的な諮問委員会の場合、有能な若手よりもかつて業績のあった年輩の教授を指名することが多い。しばしば国立大学の名誉教授クラスの人が委員長を務めることになる。こうした年輩者は、あまり積極的に頭を使おうとせず、すでに蓄えている知識に問題を当てはめがちである。行政が行ってきた従来の方針に対して住民側から異議申し立てがなされた場合、既存の知識を頼りにする方法論では、どうしても、これまでのやり方を是とする方向で結論がまとめられがちであり、結果的に行政側に有利になりやすい。私は、基本的に、名誉教授が委員長を務める委員会の答申は、真に受けないことにしている。(6月13日)

  水泳の場合、中学生程度の女子選手が驚異的な記録を出して将来を嘱望されながら、高校に入る頃から成績が思うように上がらないという現象がよく見られる。競技にあまり詳しくない人でも、平泳ぎの長崎宏子や自由形の千葉すずの名前が思い浮かぶだろう。特に、4年に1度しかないオリンピックになると、中学生のときは時期尚早ということで代表から外され、次の大会ではもう力が出し切れずにメダルを逃すことがある。こうした「伸び悩み現象」は、なぜ生じるのだろうか。以前、この理由として、肉体が成熟して女性ホルモンが分泌されるようになることを指摘した。女性ホルモンは、皮下脂肪を増加させる一方で、筋肉の増強を妨げる作用がある。体が女らしくなるにつれて、どうしても瞬発力を要求されるスポーツには不向きになっていくのである。しかし、このことは確かに水泳には当てはまるものの、陸上競技や体操などでは、高校生以上でも充分に力を出している女子選手が少なくない。こうしたスポーツ・レディの体を見ると、明らかに筋肉質で皮下脂肪が少なく、女性ホルモンがあまり分泌していないように見受けられる。激しい練習を通じて皮下脂肪が失われると、妊娠には不適当なコンディションだとして女性ホルモンの分泌が抑制される。ここでさらに、タンパク質の摂取と筋肉トレーニングを続けると、筋肉質の肉体が実現されることになる。陸上競技を行う女子選手の筋骨たくましい肉体は、このようにして実現されるのである。
 それでは、水泳の場合、こうしたトレーニングの効果が充分に現れずに肉体が女性化しやすいのはどうしてか。以前の論考では、はっきりした結論が出せないまま、水の冷たさが内臓保護のための皮下脂肪の蓄積を促し、結果的に女性ホルモンを誘導するのではないかと推測するにとどまった。ところが、最近の研究によると、急激な温度変化のような物理的ストレスに対して、女性ホルモンが抵抗性を高めるという結果が見いだされている。サルを使った実験では、冷たい水に浸けたときに胃の粘膜に潰瘍が発生する割合は、雄に比べて雌が有意に低かったという。とすれば、女子水泳選手の肉体では、水のストレスから体を守ろうとして、陸上選手よりも女性ホルモンの分泌が促進されていると考えることが可能である。これが若手女子スイマーに見られる成績伸び悩みの原因だとすると、ずいぶんと皮肉な話である。(6月15日)

  ベストセラーワープロ『一太郎』を主力製品として、日本ベンチャー企業の雄と言われてきたジャストシステムが、経常赤字を出して苦しんでいる。こうした状態に立ち至った理由はいくつかあるが、基本的には、経営戦略に問題があったと考えられる。
 ジャストシステムは、MS-DOSの時代から、良く言えば独立不羈の気風を持つ、悪く言えば夜郎自大的な会社だった。DOSプログラムの基本である「終了したらメモリをきれいにする」という基本を無視した独自の/独善的なソフト設計、多くのワープロが日本語FEPを独立させる中でATOKと一太郎の切り離しをなかなか肯んじなかった孤高の閉鎖性、かと思うと、メモリ拡張のEMS規格が決まるや否や、ほとんどのユーザが所有していないにもかかわらず、いち早く必須周辺機器に指定したユーザ無視の先進性などなど。こうしたジャストシステムの特殊性は次第に加速され、MS-DOS末期に、突如として独自のウィンドウシステム(ジャストウィンドウ)を開発するという向こう見ずな方針を打ち出す。当時、ワークステーションやマッキントッシュで採用され、その使いやすさで人気を呼んでいたのがウィンドウシステムだが、すでにOS分野で圧倒的なシェアを誇っていたマイクロソフトが全ソフトを対象とする統一プラットフォームとして Windows の開発を進めていたのだから、将来的展望に欠けた愚挙と言われても仕方がない。しかも、ロータスやIBMの先例に倣って、自社用ウィンドウシステムに組み込むオフィス用ソフト群(三四郎など)を制作するが、先行する類似ソフトと比べても性能面で見劣りするものだったため、売れ行きは芳しくなかった。結果的に、有能なプログラマの力を分散させた挙げ句、一太郎やATOKといった主力製品の技術開発力を削ぐことになる。
 Windows の時代になると、さすがにジャストウィンドウは引っ込めざるを得なくなったが、一太郎を Windows に対応させるときにも、ロータスなどのように素直にOSが提供するリソースを利用せず、レジストリに膨大なモジュールを登録するというやり方で、影で独自システムの構築を図ろうとする。しかし、Windows だけで異様に重くなっていたパソコンにとって、この仕様はあまりに酷であり、レスポンスの悪い鈍重なソフトに仕上がってしまった。しかも、機能だけはやたらに搭載したためにバグを払拭することができず、重要文書が印刷できないなどの多くの不都合を生み出してしまう。こうして、一太郎はシェアトップの座から転落し、マイクロソフトの WORD に水をあけられることになる。
 ジャストシステムの問題点は、日本語の解析能力において世界最高水準にありながら、その分野に集中投資をせず、オフィス用ソフトの総合企業として発展しようとしたことにある。家電製品ならば、各社とも生産量に限りがあり、系列店で自社製品を優先的に販売できるため、他社と同様のラインアップでも売り上げを伸ばすことが可能である。しかし、ソフトの場合は、操作性の良いソフトに人気が集中する上、好きなだけCD−ROMを増産することができるので、特定の製品がデファクト・スタンダードとなりやすい。間口を広げるよりは、数の限られた有能な技術者を得意分野に結集して、他社の追随を許さない高度な製品を開発すべきだったと言えよう。(6月25日)

【「徒然日記」目次に戻る】



©Nobuo YOSHIDA