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  各民族の人口の変遷を時間軸に沿ってプロットすると、ミクロな視点からは窺い知れない消長発展を見て取ることができる。例えば、過去500年間のイギリスとフランスの人口を対比すると、海外(主として北米大陸)へ渡った人を含めると、イギリス民族がフランス民族よりも数十倍の勢いで増殖しており、英語が事実上の世界標準語となっている現状の人類学的根拠をなす。また、ロシア民族は、15世紀までは英仏はもちろんウクライナと較べても少数派だが、近代に入って急速にその勢力を拡大し、遂にはウクライナをも飲み込んでしまう大ロシアを形成したことがわかる。日本においても、弥生期から中世に至るまで、人口は数百万人で安定していたが、戦国時代に急上昇する。戦乱の時代に人口が増えるとは奇妙に思われるかもしれないが、この時期は、国力を増すために守護大名が米の増産に励んでおり、それが直接的に人口増加に結びついたと推定される。代表的なのが、織田信長の兵農分離政策で、濃尾平野を沃野に変えるのに力があった。このように、人口の変化だけからでも、社会史の多くを読みとることが可能である。(1月4日)

  岩明均の『寄生獣』がついに大団円を迎えた。常にその展開が気にかかり、最新号のページをめくるたびに胸が高鳴る思いをする──そんな体験は、山岸凉子の『日出る処の天子』以来であり、まさに10年に1本の偉大な傑作と言えよう。おそらく、作者自身、連載を開始した当初は、これほどの大長編になるとは夢にも思っていなかったろう。物語の始まりは、グロテスクなスプラッタSFであり、状況の設定にもいささか無理がある。主人公のシンイチも、さして特徴のない高校生として描かれ、脱線気味のギャグシーンすら挿入される。こうした「ちょっと面白い」といった程度のストーリーが飛躍を遂げるのは、寄生獣の中の天才・田宮良子が登場してからである。はじめはミギーの強力なライバルとしてその破壊力ばかりが強調された存在だったが、ひとがび彼女が「寄生獣はなぜ生まれたのか」と自問し始めるや、『寄生獣』の世界は、異常なまでに張りつめた形而上学的な雰囲気に包まれることになる。生の意義を問う姿勢は、寄生獣である田宮良子だけにとどまるものではない。他と異質な生物となって生きることを余儀なくされたシンイチ自身、己れが社会に生き続ける意義を問い直さねばならない立場に置かれる。不良連中とつるみながら純愛に惹かれる加奈にしても、名探偵ホームズに憧れながら、しがない小市民生活を強いられる倉持にしても、周囲に流されて生きることに深い悩みを抱いている。何よりも、もはや何のためかわからないまま戦い続ける後藤の姿は、どうしようもなく悲しい。
 『寄生獣』は、生きることへの疑問を抱いた人々が感じる人生そのものに対する深い悲哀に満ちている。しかし、決して絶望に陥ることのない強い精神力に根ざした人間同士の信頼関係をも描くことによって、この作品は、われわれに再び生きる意欲を与えてくれるのである。(1月13日)

  阪神大震災で建築関係の専門家を青ざめさせたのが、新幹線や高速の高架部分の倒壊である。今回の地震は、地盤加速度が最大800ガルを越えるという超特大のものであったため、震源地近くでの一般家屋の倒壊はしかたがないかもしれない。だが、道路や鉄道・病院などの施設は、公共性が高く、他よりも厳重な耐震設計を行わなければならない。実際、これまで日本では高速道路や新幹線の高架が落下したという事故は1度もなく、橋桁などの崩壊にたびたび見回れるアメリカに較べて、安全性が高いと言われてきた。にもかかわらず、新幹線では数ヶ所にわたって土台が崩れて線路が中吊り状態になり、高速道路では橋桁の落下のほか、500メートルに及ぶ区間が横倒しになるという信じられないような大被害が発生した。地震が起きたのが列車の始発前だったため、鉄道や自動車の事故による死傷者が少数にとどまったのがわずかな救いである。
 それでは、なぜこのような大規模な破壊に至ったのか。根本的な原因は、やはり予測の甘さにあった。耐震基準を論じるとき、常に引き合いに出されるのが関東大震災であるが、その被害は主として火災に起因するものであり、揺れの大きさ自体は必ずしも日本で起こり得る地震の最大値に達していない。一般家屋はともかく、公共建築の場合は、震度7にも耐えられる設計が望ましい。
 さらに指摘しておかなければならないのは、地震波のパターンである。日本に多発するプレート境界型の地震は、主として海底を震源とするため、陸地では横揺れがドミナントとなる。通常の耐震設計においては、こうした横波対策に主眼が置かれている。ところが、淡路島北端を震源とする今回の地震では、縦揺れが横揺れと同程度か、これを上回るほどになっており、従来の耐震設計では充分にエネルギーを分散させられない。このため、ビルの中途階が押しつぶされるといった直下型特有の被害が多発することになった。実は、この種の被害は、メキシコシティを襲ったメキシコ大地震の際にも報告されていたが、日本の建築家は、その教訓を生かすことができなかったようである。大規模建造物の地震に対する応答を見る場合、スーパーコンピュータを用いたシミュレーションが試みられるが、このとき入力するのはいくつかの既知の地震波のパターンのみであり、縦揺れ主体の今回の地震のように、あらかじめ想定されていないタイプの振動波形に襲われたときは、たとえ加速度の数値で許容範囲内であったとしても、もろくも崩れてしまうのである。
 もう1つの重要なポイントとして、工期短縮のための簡易工法の弊害を挙げておきたい。横倒しになった阪神高速道路の高架は、70年万博の開催に間に合わせるため、それまで用いられたことのない「キノコ工法」というドイツで開発された新工法が使われた。これは、橋脚と橋桁をコンクリートで一体成型するもので、工期が短縮される反面、頭が重くなる欠点を持つ。また、崩壊した新幹線の高架部分も、盛り土をしない簡易工法を採用した箇所に限られており、時間や費用を惜しんで安全対策がおざなりになったと見られる。(1月23日)

  ジョージ・フォアマンが45歳でヘビー級チャンピオンのタイトルを奪還したことは、ボクシング史上の奇跡と言っても良いかもしれない。精神力が肉体の衰えを上回った──などと陳腐な表現を用いざるを得ないほど、それは希有な出来事である。
 私がフォアマンの名前を初めて目にしたのは、ジョー・フレージャを破ってチャンピオンシップを奪取したときだ。すでにオリンピックで金メダルを獲得し、強烈なパンチ力がファンの間では話題になっていたようだが、ボクシングにさほど興味のない私のあずかり知るところではなかった。だが、前年にモハメド・アリと伝説的な死闘を演じたフレージャが僅か2ラウンドでノックアウトされたとあっては、いやでも注目せざるを得ない。フレージャは、兵役忌避によってタイトルを剥奪されたアリが国民的な人気をバックに対戦するに相応しい実力派ボクサーだった。パンチ一つひとつにはそれほど威力がないかもしれないが、正確なガードと鋭いジャブに加え、“機関車”とあだ名される突進力を備えており、早いラウンドであっさりKOされるとはとうてい思われない鉄人である。そのフレージャを葬ったフォアマンのパンチ力が、「象をも倒す」と形容されたのは当然だろう。その後もフォアマンは、当時のヘビー級の“4強”の一角だったケン・ノートンを3ラウンドでKOするなど、全ての対戦相手を早い回でマットに沈め、正に、史上最強のチャンピオンと呼ばれるに値する圧倒的な強さを誇っていた。日本でタイトルマッチを行ったときには、僅かに1ラウンドで勝負を付けてしまい、1時間半の生中継を予定していたTV局を慌てさせた。
 このように超人的な活躍を見せていたフォアマンに対して、フレージャに敗れてからのアリはいささか精彩を欠いていた。ノートン戦ではアゴの骨を骨折して手痛い敗北を喫し、引退を噂される身となった。フレージャとの再戦の直前、会見の席で大ゲンカをして「落ち目の二人が…」と揶揄されたほどである。それでも、強靱な精神力によって奇跡的に復活を遂げ、フレージャ、ノートンを破ってフォアマンとのタイトルマッチを実現させる。場所はアフリカのキンシャサ。もっとも人気は圧倒的にアリに集まっていたものの、大方の予想では早い回でのフォアマンのノックアウト勝ち、賭け率でも7:3から8:2でフォアマンの優勢が伝えられていた。
 アリ−フォアマン戦は、ゴングが鳴って暫くの間、予想通りの展開になった。フォアマンの圧倒的なパンチ力の前にアリはじりじりと後退し、ロープを背に負うことになる。必死に顔をガードするアリに対し、フォアマンは左右からジャブを繰り出し続けた。外見からは、まるでサンドバックを殴るようにフォアマンはアリを打ち続ける。しかし、アリは倒れなかった。腹に力を入れて、“象をも倒す”パンチに耐えながら、僅かなチャンスを待ち続けたのである。そして、機会は10ラウンドに訪れる。いささか疲れが見え、防備がおろそかになった一瞬の隙をついて、アリは蜂が刺すかのごときストレートをアゴに決め、フォアマンをマットに沈めてしまった。
 チャンピオンシップを失ったフォアマンは、(ちょうど日本で敗れた後のタイソンのように)生活がすさんでいく。数段格下の相手に負け、アリとの再戦のキップを手に入れ損ねた後、突然「神の啓示」を受け、リングから去って伝道師に変身する。多くのスポーツファンは、フォアマンの変わり身に負け犬の姿を見た。だが、フォアマン自身は、決して後ろ向きに人生を歩んだ訳ではないようだ。実際、彼の説教に耳傾ける信者は少なくなかったという。そんなフォアマンがリングにカムバックしたのは、カネのためだという。ただし、自分が使うものではなく、神に仕える費用としての。彼は、まさに『聖母の軽業師』のように、自分にできる最善の方法によって信仰を実現しようとしたのである。30歳代も後半になっての復帰に懸念を表明する者も少なくなかった。アメリカ・ボクシング界は、医学的な理由から難色を示した。だが、フォアマンは退かなかった。打たれても打たれても倒れなかったかつてのアリのように、冷笑を無視してリングに向かう。復帰第1戦で判定負けになったものの、まだまだ実力があることを示したフォアマンは、遂にチャンピオンとのタイトルマッチを実現させる。試合直前まで、いやゴングが鳴ってからも、夢見がちな人以外は、フォアマンの勝利を予想しなかった。その通り、無敗のチャンピオンは圧倒的な強さでパンチを繰り出し続ける。たとえ倒れなくても判定負けという雰囲気が濃厚になったとき──奇跡が起こった。それは、かつてアリがフォアマンに対して示したような一瞬の閃きとも言えるパンチだった。(2月13日)

  数年前からインスタレーション作家としての作間敏宏の活躍に注目していたが、今回、ギャラリー日鉱で開催された展観は、新しさと懐かしさが交錯して、妙に居心地の良い不思議な空間を実現していた。飴屋法水らのように時代を切り開いていく大胆さも刺激的だが、こうした穏やかな表現も、芸術のあるべき姿として貴重である。(作間敏宏展“治癒”を見て)(2月17日)

  市川準監督の『東京兄妹』は、「心にしみる」という常套的な表現がかえってピッタリする、切なく哀しく、そして安らぎを与えてくれる作品である。冒頭、青年が寝そべっている和室の奥の戸が開いて少女が姿を現し「浴びちゃおうかな」と呟く。その瞬間、「ああ、良い映画だなあ」と素朴に感動してしまう。そんな不思議な魅力が至る所に漂っている。
 『BUSU』でデビューした市川監督は、卓抜した映像センスを持ちながら、あまりに暗く陰うつな作風が災いして、ファンの心を掴むことができなかった。私自身、『BUSU』や『会社物語』の、期待を逆手に取るようなラストに不快感を覚えたものである。だが、『つぐみ』以降は徐々に作風が変化し、前作の『病院で死ぬということ』になると、死という重いテーマを扱っているにもかかわらず、他者に深く共感する心のゆとりとなって溢れている。その流れが、世界を凝縮させた今回の作品において、最高度の輝きを見せるに至った。
 タイトルの『東京兄妹』は、もちろん小津安二郎を強く意識したものである。平田オリザの傑作『東京ノート』がそうであるように、登場人物たちが低く囁くように交わす言葉が、ドラマティックな静謐さを形作っていく。ただし、市川監督が目指したのは、表現スタイルの面で小津へのオマージュを捧げることではなく、むしろ、この偉大な先人が敢えて作り上げた「現実に存在しない日常」の今日的意義を、スクリーンの上で検証する試みだったように思われる。小津は繰り返し娘を嫁に出す父親の悲哀を描いたが、生涯結婚せず母親と暮らしていた自分が体験すべくもないそうした状況は、完全に理念的に構築されたものであった(この点は、女性との恋愛体験のないプルーストが、花咲く乙女たちに心惑わされるマルセルの心情を巧みに描出したケースを思い起こさせる)。小津作品に見られるややぎこちない台詞廻しや不自然な人物配置も、彼の理念に基づいて作り上げられたものである。『東京兄妹』では、意図的にこの手法に倣って、古風な生活スタイルを墨守する兄妹の衒いのない日々を描くと思わせながら、実は決して存在したことのなかった異形の日常を創造して見せる。時には、小津が踏みとどまった地点を越え、肉体を感じさせなかった原節子と対照的に、主人公の少女の美しい裸身をスクリーンに映し出したりもする。それでも、観る者は(原節子に対すると同様に)欲情することなく、その肉体から滲み出る哀しさに感動するのである。
 なぜ市川監督は、このような手法を採用したのか。例えば、膝をついて客人の靴を揃え直したり、鍋を持参して豆腐を買いに行く少女は、現実には(今も昔も)存在すべくもないのに、なぜ主人公にこうした人物像を演じさせるのか。おそらく、それは、理念的に再構成された虚構の方が、世界の深さをより強く実感させることが可能だからである。深夜、妹が風呂を浴びる水音のかすかに聞こえる寝室で、兄はもはや気にとめることなく本を読みふける。そんな奥深い世界は、虚構によってのみ描き出されるのだ。(2月20日)

  恐ろしい事件が起きた。朝8時頃、日比谷線をはじめいくつかの営団地下鉄の車内で刺激臭を伴ったガスが発生し、乗り合わせた乗客が次々に倒れたという。発生したガスは、当初アセトニトリルと発表されたが、昼前から死者が報告されるにつれて、より強力な毒物が使用されたのではないかとの推測が広まり、警察からサリンの可能性が高いとアナウンスされるにいたって、戦争で用いられる毒ガス兵器を使った無差別テロであることが明らかになった。しかも、セットされた毒物は日比谷・丸の内・千代田の各線で総計5個を越え、複数犯による周到な計画によるもののようだ。最も驚くべきことは、この5本の列車がいずれも8時10分前後に霞ヶ関駅を通過するという点であり、あたかも推理小説を構想するかのような冷淡さで、犯人グループが計画を練ったことが伺える。これまでにも、世界各地で無差別テロ事件が発生しているが、その多くは銃や爆弾を用いており、大量の一般市民を苦悶のうちに殺傷する毒ガスの使用はきわめて異例である。過激派の場合、テロ活動は政治的プロパガンダとしての意味づけを与えられており、毒ガスのような反社会性の強い兵器の使用は、一般市民の反感を買うためにテロとしての効力に乏しい。今回の事件は、むしろ社会に対して強いルサンチマンを持つ者の自己中心的な行動と考えるべきではないか。霞ヶ関で毒ガスを発生させるという犯行は、一見政治的意図があるかのように見えるが、実際に地下鉄に乗り合わせる乗客は一般のサラリーマンであり、マスコミを通じて市民にアピールする度合いが強くなることを考えると、具体的な政治的リアクションを期待してのことではなさそうである。単に欲求不満で独りよがりの人々が、何とかして自分を大きく見せようとした犯罪と推定するのが妥当だろう。(3月21日)

  かつて小劇場のアイドルと言われた美加理のパフォーマンスは、エロティックな仕草や台詞があるにもかかわらず、いかにも中性的であり、それだけにかえって、限られたイメージに閉じこめられることのない心弾まされるステージになっていた。ボーイッシュな顔立ちと意外に豊かな肢体とのアンバランスさが奇妙な魅力と言えるのだが、そうした外見上のチャームを際だたせる人なつこさが、彼女の最も重要な資質なのかもしれない。(『MICARI COLLECTION #4 French Knot』を観て)(3月24日)

  街行く人を見ると、皆どこか視線が定まっていない。まっすぐ前を見て歩いている人は、かえって思い詰めているような異様さを感じさせる。前方からやや下向きに視線を向け、歩を進めるたびに左右を軽く窺う。それが現代人の標準的な体勢のように思われる。数人が話しながら歩くときは、当然、話し手の方に視線を振るが、真正面から相手を見据えることはなく(たまに視線が交叉する場合はすばやく目をそらしてしまう)、見る方向を微妙に動かし続ける。こうした視線の運動に関しては、おそらく文化的な背景があり各国ごとに独自性を見いだすことができると想像されるが、それは文化人類学者のフィールドワークに任せるとして、私としては、視線の持つ慎ましやかな秘密を個人的に楽しみたい。特に、明らかに他の人と異なる視線の動きを示す人が、なぜそのような態度を示すのか推測することは、なかなかに心和む試みである。ちなみに私自身は、いつも視線を上に向けており、そのおかげかUFOを4回も目撃しているが、これも他者から見ると興味をそそられる視線ということになるのだろう。(3月28日)

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©Nobuo YOSHIDA