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  気体分子運動論を論じたボルツマンの第1論文を読むと、現在では常識とされている知識がいかに多くの労力の上に獲得されたものであるかを痛感させられる。例えば、水素や酸素が2原子分子気体であることは、いまでは中学生でも知っているが、19世紀半ばの時点では、このことを確認するだけでも、互いに矛盾する膨大な実験データの前で悪戦苦闘していたのである。単純に考えると、水素2と酸素1を反応させると水蒸気2を得るという実験事実は、即座に、各分子に含まれる原子数が、それぞれ2n、2n、3nになることを意味するように思われる。しかし、当時は原子を結合する力が明らかでなかったために、水素分子にしても、2原子分子と1原子分子の混合である可能性が指摘されていた。さらに、(当然のことながら)量子力学的な効果によって振動の自由度が殺されていることが知られていなかったので、比熱比から求められた数値が原子数を表すと誤って仮定されてしまい、これが水素などで1.5に近い値になったことから、混乱に拍車がかかったのである。(7月5日)

  誰にでも笑いを与えてくれる上質なユーモアを提供するのは、きわめて難しい。笑いの背景にあるのは、構造主義的な意味での図式化された関係概念であり、外挿による予測と現実の有様との相違から生じる認識の軋みが笑いの引き金になっている。したがって、共有の概念がなければ他者と同じように笑うことはできない。それどころか、ある人にとって滑稽なことが、他人にとって実に不快なこともある。私がよく引き合いに出すのが、『ドン・キホーテ』の1場面である。些細なことから、サンチョ・パンザと通行人が諍いを始め、激高した挙げ句に殴り合って顔中血だらけになる。ところが、周りの人はそれを見てゲラゲラ笑うばかりだという。現代人の感覚からすればいささか酷薄に見える反応だが、当時の通念に従えば、自分の分際を忘れたおっちょこちょいの下男が痛い目に遭うのは笑われて当然なのである。もっとも、昨今の子供向けコミックには、これに輪をかけた残虐な笑いが横溢しているので、あながち前近代的な封建主義が生んだ笑いと見なすこともできない。
 笑いの土台には、その社会に根ざす一般的な通念がある。とすれば、現代日本人に心豊かになる笑いをもたらすのは、かなり困難な作業になるだろう。何よりも、人々が共通に抱いているはずの社会通念が、多くのマスメディアからの風を受けてフラフラと揺らいでいるという状況が問題である。特定の風俗を題材にしてジョークを作ろうとしても、肝心の風俗がごく短期間で変貌してしまうので、ユーモアを醸しにくい。例えば、一時期流行したティラミスをネタに、最近の若者が本卦返りして離乳食まがいのものを食し始めたと揶揄しようとしても、流行の風向きが変わると、もう誰もティラミスのことなど見向きもしなくなるのだ。
 こうした浮薄な流行とともに、一部の人々の間で、病的なまでの執着心が形成されやすくなっている点も見逃せない。超能力やUFOのように、もともとは非日常的な奇妙なミステリーとして語られてきたものが、今ではある種の信念にまで高められて、実人生を律するに至っている。こうした対象を信じるか否かによって、人々の間に明確なグループ分けが行われる。そして、信者の間では、特定の概念がいわば常識として受け入れられており、門外漢の理解を根底から拒んでいるのである。こうなると、笑いの立脚点となるべき共通の概念など端から求むべくもない。社会に冷静な眼差しを向けた良質の笑いが失われているのは、この辺りに原因があるかもしれない。(7月8日)

  教育テレビで再放送されている『少女コミックを描く』は、講師の里中満智子の温厚な人柄を反映してか、コミックの本質が肩肘張らない実用的な講釈の中に浮かび上がってくる好番組である。そもそも「趣味百科」のシリーズは、人間の創造した数多くの“遊び”を素人に実行させるという観点から制作されており、専門家向けに偏ることなく、遊びの遊びたる所以を明らかにする秀作が多い。特に、ここ数年は、カヌーやパラグライダー、ビリヤードからカラオケに至るまで、新しい流行が起こると見るや進んで取り上げていく貪欲な姿勢を示しており、っまさに、現代ホモルーデンス図鑑といった趣である。そんな中で、『少女コミックを描く』は、読むだけでなくマンガを描いて楽しむ世代の台頭を印象づける。実際、コミック同人誌販売のためのマーケット(いわゆるコミケ)は、中高生、なかんずく女子生徒が売り手側として押し掛けるという微笑ましい状況を呈している。彼女たちは、自己表現の手段としてコミックを利用しており、与えられた作品を受動的に楽しむだけの読者から確実に1歩進んだ地点に立っている。そうした活動を公共放送がバックアップするという光景は、いささかうらやましくもある。(7月22日)

  宮沢首相が靖国神社に参拝することを表明したという。侵略戦争を起こした張本人を祀っている神社に首相が訪れることは、戦争責任を曖昧にし、かつて軍靴で踏みにじった東アジア諸国を侮辱する行為である。憤りを禁じ得ない。
 国民の中には、靖国神社は、日本を守るために従軍して戦死した英霊を祀る施設であり、これに敬意を表するのは当然との考えもある。しかし、これは誤った歴史認識に基づくものである。日中戦争および東南アジアへの軍事進出は、日本が一方的に起こした侵略戦争であり、国を守るという言い訳は成り立たない。しかも、こうした侵略から一転して負け戦になったとき、日本軍が対米強硬路線を変更しようとしなかったため、国民を守るどころか、一般市民が空爆によって甚大な被害を被る結果を招来した。にもかかわらず、靖国神社は、惨禍を招いた軍人のみを合祀し、被災した一般市民には門を閉ざしている。
 もちろん、侵略者であろうとなかろうと、戦争で死んだ人はみな平等に戦争被害者であるという考えも成り立つ。クウェートを侵略したものの湾岸戦争で一敗地にまみれたイラク兵士の墓地に、将来もしアメリカ大統領が足を運ぶことがあれば、これは歓迎しなければならない。日本の首相も、訪露の折りに旧ソ連軍の兵士に花を手向けるだけの心のゆとりがあってほしいものだし、ドイツ首相がナチス兵の墓に参拝したとしても、決して非難されるべきではない。しかし、ドイツの首相が、(もしあったとして)ヒトラーの墓を訪れるとしたら、ヨーロッパ中が蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう。一口に侵略者と言っても、上層部の命令に従って戦地で命を散らした一兵卒と、前線から遠く離れた内地にあって戦争を仕掛けた指導者の立場は、自ずと別物なのである。靖国神社には、自ら銃を手にすることなく、その政治的立場を利用して多くの市民を死地に赴かせ、あまつさえ日本を焦土と化し原爆の洗礼を浴びるきっかけを作った戦争犯罪者が納められている。ここで首を垂れることは、戦争犯罪を(肯定しないまでも)黙認する行為である。戦争が人類全体の悲劇であることは間違いないが、だからといって加害者と被害者の別に目をつぶることが、どうして許されようか。(8月12日)

  本日の新聞に載った“City Road”誌休刊の記事ほど私を悲しませたニュースは少ない。知らない人から見れば、社会の木鐸たるべきオピニオン誌でも作品発表のための文芸誌でもない単なる情報誌の休刊が、なぜこれほど重大か不可解かもしれない。しかし、私には、ライバル誌“ぴあ”との抗争に敗れたこの趣味的な雑誌の消長が、大衆消費主義に対する個人的な貴族主義の敗北を意味するように感じられてならないのである。
 そもそも70年代初頭における“ぴあ”と“City Road”の登場は、それまでの興業情報の提供が資本主義体制下で寡占状態にあったことによる飢餓感を打ち破るものとして、エポックメイキングな事件であった。演劇を例に取ると、それ以前は、新聞に掲載されるのは大劇場で行われる大がかりな公演だけであり、60年代末から圧倒的な人気を誇っていた唐十郎や寺山修治らによる小劇場演劇は、チラシや口コミなどごく限られた伝達手段によって告知されるにとどまっていた。もっとも、スペースさえあればどこにでも設置できるテント公演や、街角で自在に繰り広げられる市民劇に関しては、活字情報はそれほど重要な役割を果たし得なかったに相違ない。だが、70年代に入って小劇場演劇界も安定路線を志向し始めると、コンスタントな情報提供の場が望まれるようになる。さらに、名画座や図書館での映画上映や、ライブハウスでのコンサートも活発化の一途を辿っていたため、資本の大小にとらわれない情報誌の必要性はいっそう高まっていた。そうした潜在需要に応える形で登場した“ぴあ”と“City Road”は、情報デモクラシー──すなわち、キャパが100人であろうと10000人であろうと同様のウェイトで掲示する手法──の担い手として、エンターテイメントのさらなる飛躍を可能にする推進装置となったのである。
 ところが、80年代に入ると、2つの情報誌は大きく明暗を分けることになる。情報を積極的に活用して広い行動半径で動き回る客層が育ってきたと見るや、“ぴあ”が戦略を大きく転換し、興行界全般をカバーするチケットの販売に手を染めたのである。このこと自体は、それまでのチケット入手の困難さに辟易していたファンに歓迎された好企画だった。実際、数少ないチケットを求めてプレイガイドを渡り歩いたり、悪い席のチケットを泣く泣く買わされた経験の持ち主は多く、コンピュータを利用してどの端末からも公平に良い席を入手できるシステムは感涙ものであった。私などは、雑誌に予告された直後に、真っ先にぴあカードの会員に加入したほどである(このため、0がずらりと並ぶ珍しい会員番号を得ることができた)。ところが、副業として始めたはずのチケット販売業が次第に拡大されていく過程で、情報誌の性格が大きく変質していくことになる。
 情報誌としての“ぴあ”の存在意義は情報の民主化にあった。にもかかわらず、チケット販売の業績が上がるにつれて、チケットぴあの販売網に乗る興業の情報を優先的に掲載するようになる。こうした動きは、月刊から隔週刊を経て週刊になる際に、「その週の興業情報」だけでは内容が物足りなくなるのを補うために前売情報のページが大幅に拡充されるという形で、戦略的に押し進められた。もちろん、前売情報の提供も興業を成功させる1つの要素であることは間違いない。だが、チケットぴあの販売網に乗るという条件は、それ自体がある種の選別を行うことに通じる。例えば、専ら小劇場で公演する劇団にとって、チケットぴあに販売を委託する際に徴収される手数料(1割程度)は、かなりの痛手となるが、かと言って、ぴあの前売欄に掲載されないと他の劇団に観客を奪われてしまう。このため、ある程度集客力のある劇団だけが生き残り、他は結果的に淘汰されてしまう。さらに、ステージを特定しないゲリラ的な公演やカンパに頼る公演もぴあのマーケッティング戦略からはずれるため、生き残りが難しくなる。
 このようにして、“ぴあ”の変質(ないし変節)は、文化の画一化を促進し、もともと反社会的であるはずの芸能が消費社会の中に飲み込まれてしまう結果を招来した。その一方で、マイナー文化の灯を守り続けてきた“City Road”が休刊するとは、低きにつく時代の流れを感じざるを得ない。(8月31日)

  黄色舞伎團2の『犬機械』は、、従来の演劇に関する固定観念を打破しようとするものだが、この手の舞台にありがちな非生産的なルサンチマンが感じられず、誰にでも楽しめる作品になったことが何よりも評価できる。今回のステージにおいて最も眼を惹いたのが、犬席の存在である。劇場備え付け座席の背もたれを取り外したこの仕掛けは、入場した瞬間から、何か突飛なことが起きるのではないかという期待を観客に抱かせる。芝居が始まると、この席に目隠しをされた何人かの客が座らされる。彼らは、文字通り犬のように扱われ、自分の意志では舞台を見ることすら許されない。それどころか、アナウンスされる指示によって、鼻に人差し指を突っ込まされたり、左の靴下を脱がされたりする。観客とは受動的に芝居を観る存在だという固定観念が否定されているわけだが、他の観客にとってみると、軽い嗜虐的な楽しみが味わえる上に、犬役の人がうまく役割を果たしてくれるかハラハラすることにもなり、なかなかに楽しい。かつて寺山修治が試みた観客参加の手法よりも、いっそう練られたものと言えよう。
 一方、ステージ上で繰り広げられる芝居においても、従来の枠組みを破ろうとするさまざまな仕掛けがなされている。基本的なストーリーラインは、ルーティン・ワークを続けているサラリーマンが突如家庭の崩壊を自覚し、遂には自己のアイデンティティを喪失していくというどちらかと言えばありきたりなものだが、表現法は考え抜かれている。例えば、男の妻や娘はTVモニターの中の映像として現れ、過剰なメディアによって身体感覚を失いつつある現代人の姿を象徴する。この技法は、おそらく舞台美術を担当した飴屋法水の過去のステージから学んだもので、決して斬新ではないが、繰り返し採用するに足る訴求力を持っている。
 これ以上に興味深かったのは、劇の後半を筒井康隆流の超虚構演劇として構成していた点である。すなわち、途中で観客に台本を配布し、前半のステージが脚本通りであるかどうかをチェックさせた後、後半に関しては、俳優による単純な演技を避け、脚本を読む観客のイメージを舞台に投影させることを試みる。それも、舞台上で観客の予想を裏切ることによって、逆に想像力を広げる手助けをするのである。こうした手法を取ると、通常の演劇が持つある種の「嘘臭さ」をかなりの程度まで払拭することができる。その上で、最後に俳優たちに目一杯叫び声を上げさせ、この舞台が非演劇性を追求していることを主張する。演出家の真壁茂夫の試みが全て成功していたわけではないが、何よりも観て面白いステージであることは間違いなく、小劇場演劇が陥りがちな閉塞性を回避している。(黄色舞伎團2公演『犬機械』(つつじホール))(9月21日)

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©Nobuo YOSHIDA