【「徒然日記」目次に戻る】



  通常、原作のある映画作品の評価は、原作の評価と相容れない。実際、文学史上の傑作といわれる作品の映画化は−−『戦争と平和』にせよ『白鯨』にせよ−−せいぜい“壮大な失敗作”と評される程度である。しかし、ときには、原作も映画も同じように深い感銘を人に与えるケースがある。その多くは、映画が原作から大幅に離れ、ほとんど別個の作品として制作されている(マンとヴィスコンティの『ベニスに死す』のように)が、中には、原作の精神に忠実でありながら、メディアの差異に伴う表現様式の切り替えを実に巧みに行っている傑作もみられる。中原俊監督の『櫻の園』は、こうした稀な成功例の一つであり、映画の表現とは何かを考える上で格好な素材を提供している。
 映画『櫻の園』の原作となっているのは、吉田秋生がLaLaに発表した連作マンガだが、そこでの主題が少女における性の目覚めだったのに対し、映画の方はむしろ性に目覚めないことを主要なテーマとしている。ただし、これは、映画が原作から遊離しているというのではなく、原作が持っていた方向性を発展させた結果であり、きわめて正当な脚色と考えられる。
 具体的に見ていこう。
 吉田秋生のマンガは、女子高に通う少女たちの4つのエピソードから成るが、冒頭から順に肉体性が希薄になる方向に進んでいく。第1話では初体験を契機に人生の感触が大きく変わることを描いているが、第2話になると突っ張っていた少女が素直に唇を許す話となり、第3話では初潮や胸の膨らみがに与える心理的コンプレックスを描いている。さらに、最も感動的な第4話に至っては、男のような少女が同じ学年の女性から「好きだ」と言われて涙するだけの物語になっている。こうした全4話の構成がどこまで意図的なものかははっきりせず、単に肉体関係という重いテーマを最初に描いてしまった関係で、以後のエピソードから肉体的な生臭さを取り除いていっただけかもしれない。しかし、私としては、ここに、青春期における恋愛の本質は肉体性を剥奪してもなお厳として存在し続けるという信念を読みとりたい。初めての肉体関係を描いた第1話にしても、性体験そのものの衝撃よりも、むしろ10年後にその体験がどのように想起されるかに思いを向けており、現実の身体感覚から離れた冷めた意識を描き出している。考えてみれば、高校生の時分の感受性には、肉体に頼らない部分が確実に含まれており、それが、些細な出来事を実際以上に膨らませて見せていた。ところが、いつの間にかさまざまな世間知に曇らされて、即物的な感覚なくしては意識の変容を実現することが困難になり、結果的に、恋愛における肉体の比重を大きなものにしてしまったのである。『櫻の園』は、そうした“大人”の発想に批判的な眼差しを向け、より本質的な恋愛の核を見いだそうとする試みにも思える。特に、第4話で女性的な特性を持たず密かな恋心も満たされなかった中で、単に「好きだ」という一言に感動するそう序のエピソードは、作者が尊重するものの所在を明らかにする。
 そして、映画『櫻の園』は、まさに非肉体的な恋愛の核をスクリーン上に定着させようという試みである。もし、原作の冒頭のエピソードを映画で再現したとすると、脚本の上でどのように工夫しようとも、生身の俳優が演じるベッドシーンは肉体の不可欠性を強く印象づけてしまうはずである。脚本家と監督は、そうした愚に陥ることを避け、あくまで肉体から離れた要素に焦点を絞っている。シナリオだけを読むと、映画『櫻の園』は、人間関係が抽象化されすぎていて面白味に欠けるだろう。しかし、これが映像として具現化されると、適度な精神性と肉体性を備えた芸術作品として輝くのである。
 映画が文学やマンガと質的に異なるメディアであることをふまえた作劇術は、この作品の随所に見られる。例えば、原作では、第4話に登場する二人の少女の関係について、いくつかの“言い訳”をしているが、映画ではそれらをきれいに取り除いている。実際、女の子が女の子に「好きだ」と口にするシーンを描写するとき、実は初恋の青年と面影が似ていたとか、その直前に片思いの男性に振られていたといった“弁解”を加えると、肉体性を否定しようとする意図があらわになりすぎ、かえって鑑賞者に肉体の存在を意識させてしまう。マンガでは描き込みを避けて論理的なつながりを心理的に軽くスキップさせることができるが、実時間の流れに沿って世界の外貌を描写しなければならない映画ではそうもいかない。余分な要素を排除して少女同士の好意をあっさりと肉体の桎梏から解き放ってみせた場面は、スタッフがいかに映画表現の本質を知り抜いているかを示している。(4月8日)

  日本では、ロベルト・ロッセリーニは戦争の現実を冷徹に見つめたネオ・レアリスモの作家と見られがちだが、実は、きわめて多彩な作風を併せ持った複雑な芸術家であった。実際、宗教映画である『神の道化師・フランチェスコ』は、一見素朴な作りながら、聖人フランチェスコの世俗に汚されない魂を淡々と描き出して、『戦火のかなた』に劣らぬ感動を与えてくれる。ただし、ロッセリーニにはフランチェスコを超人的な存在として飾ろうという意図はない。ドライエルなら神秘的な信仰心をもって、ベルイマンなら懐疑主義的な現実認識をもって、ブレッソンならば現実に潜む超俗的な本質への志向をもって描き出すであろう聖人の姿を、まるで子供のように無邪気にスクリーンの上に定着した。それは、偉大な芸術家と言うよりは、真実だけを求める求道家の姿勢に近いと言えよう。(4月10日)

  NHKで1年間にわたって放送してきた『ふしぎの海のナディア』が終了した。最近は夢の多いアニメが少なく、モビルスーツを着た戦士による戦闘シーンを中心とした殺伐たる作品や、現実生活を映した日常的環境の中で満たされない気持ちをぶちまける作品ばかりが目に付く。そうした中で、恋あり戦争ありの冒険活劇としての骨格を持った『ナディア』は、見るたびに夢が膨らむ良質なアニメとして大人も楽しめるものであった。さすがはNHKであり、局にとって最初の連続アニメ『未来少年コナン』で宮崎駿を抜擢した伝統は、今に続いていると言えよう。
 『ナディア』が成功した秘訣は、19世紀末という時代設定にある。この時期にはさまざまな技術的発明が相次ぎ、気球や潜水艦による垂直方向の探検がにわかに現実味を帯びてきていた。そうした中で、フランスのジュール・ヴェルヌは、新しい技術を利用した冒険談を次々と発表していったが、『ふしぎの海のナディア』もヴェルヌの『海底2万マイル』を下敷きにして、19世紀的な未知への好奇心を取り戻そうとしている(もっとも、現代ではもはや海底にヴェルヌの時代ほどの神秘性がないため、古代アトランティスや巨大UFOなどSF世界で馴染みの道具を揃えているが)。こうした古典的な探検物語の面白さに加えて、『ナディア』の魅力は、冒険活劇の基本的な骨格を保っている点だろう。最近では、オーソドックスなドラマよりもいささかひねりを入れた作風が好まれる傾向にあり、ストレートな作劇の面白さが伝わる作品が減ってきているが、『ナディア』は、そうした軽薄な流行に流されることなく、面白いものは類型的であってもかまわないという姿勢で貫かれている。例えば、登場人物がそれぞれに豊かな人間性を感じさせるが、それは(逆説的な言い方だが)人物像が型にはまっているからである。現実に存在しているような矛盾に満ちた曖昧な性格の持ち主としての個人は、一人だけ切り離してみると人間味が感じられるかもしれないが、ドラマのキャラクターとしては存在感が弱くなる。なぜなら、限られた時間・空間の中で人間関係の縮図を見せるドラマにおいては、図式化された関係の中に登場人物を置き、その構図が生み出すストレスに応じてストーリーが進行していくのが自然であり、あまりに複雑な個性は展開の必然性を弱めることに通じる。『ナディア』の場合、女盗賊グランディスとその二人の家来など、かつての海賊映画に登場したような一見悪人風で根は善人というキャラクターの典型である。こうした類型化によって、ストーリーの骨子がはっきりとし、作品全体に構造的な緊張感が生まれることになるのだ。
 骨格がしっかりしている作品では、細部の遊びが有機的な効果を発揮するが、『ナディア』も例外ではない。ここで演出家たちが試みている遊びは、多くの選考作品をパロディ化するというものである。アニメに見られるパロディは、しばしば仲間内だけの“受け”を狙いがちである。しかし、『ナディア』の場合、作品の構造に規定された人間関係を補強する1つの手段としてパロディが利用されているため、瞬間芸的なおかしさにとどまらず、ストーリーを膨らませる機能を果たしている。例えば、ガーゴイルと呼ばれる悪党の一団は、すべて無表情なお面を被っているが、これは、『マグマ大使』や『マリンコング』以来の勧善懲悪番組のパターンを踏襲したもので、さらに遡ると、『戦艦ポチョムキン』やゴヤの作品に見られるように、表情のない圧殺者の恐怖を強調するための手段であり、同時に、悪者たちの画一的な行動パターンを笑い飛ばす優れたパロディになっている。また、ガーフィッシュ〜ノーチラス〜空中戦艦〜N.ノーチラス〜レッドノアと、次々と前の武器を凌駕する強力兵器が登場するのも、『ガンダム』などと同様のストーリー展開だが、現代における限りない軍拡競争を想起させる内容にもなっている。
 『ナディア』を批判する評として、「戦争をカッコよく描いている」というものがある。この指摘自体は当たっているが、それが直ちに作品の価値を貶めることにはならない。第二次世界大戦中から戦後にかけてアメリカでは“好戦的”と呼ばれる戦争映画が多数制作されたが、これらは必ずしも先頭を“カッコよく”描写していない。軍隊生活は規律が行き渡り上官と兵隊の間に信頼関係が確立された楽しいものとして描かれるが、戦闘自体はむしろ悲惨で重要な登場人物が戦死することも稀ではない。にもかかわらず、こうした映画が“好戦的”なのは、かくも悲惨な戦いを通過して兵士は英雄になれるという基本的発想があり、それまでの多くの死をラストで正当化してしまうからである。これに対し、純粋にゲーム的な戦闘の面白さを狙った作品は、『眼下の敵』にせよ『スターウォーズ』にせよ、決して好戦的ではない。この点は『ナディア』も同様である。(4月15日)

  先週は、ゴルバチョフ大統領の来日に伴って、日ソ間の交流を阻害する“のどに刺さった骨”−−北方領土問題について多くのマスコミが取り上げていた。ゴルバチョフ大統領と海部首相の共同声明は、領土問題が政治的な案件であることの確認にとどまり、部分的返還はおろか、56年の共同宣言も認めることなく終わり、多くの日本人を失望させたようである。しかし、現実のソ連の国内情勢を考えると、ゴ大統領の失脚を招かないですむ安全ラインの内側でギリギリの妥協をはかったと結論してもよく、これ以上の歩み寄りは、今後の協議の中で実現させていくべきだろう。
 北方領土問題に関して、私が積極的な返還論を唱えない理由は、主としてソ連側の経済状態に関する遠慮にあるが、これを補強する歴史的根拠が2つある。第1に、北方領土が日本に帰属するようになったのは歴史的にみて最近のことであり、日本固有の領土と主張するだけの基盤に乏しい。実際、アイヌが千島に渡ったのは16世紀に遡るが、江戸幕府は北方の管理を松前藩に任せきりにして、こうした状況を充分に把握できずにいた。日本の中央政府が北方領土の実態を知るのは18世紀末になってからであるが、この時点でも間宮林蔵らによる“探検”という色彩が濃厚である。19世紀半ばまでは択捉島にはロシア系クーリル人が相当数在住しており、日本とロシアが相乗りした格好になっていた。1854年に日露和親条約を締結した時点では、少数のアイヌを別にすると千島には日本人は居住しておらず、国後・択捉を自国の領土としたのは主として国防上の理由からである。漁業拠点として本格的な入植が始まるのは1920年代になってからで、名実ともに日本とに帰属していたのは、終戦までの20数年でしかない。現在に至るまですでに半世紀ほどもロシア系住民が居住していることを考えれば、日本が強引にその中に割り込んでいくのは難しいだろう。
 第2に、北方領土の領有権を主張する条約に、解釈上の疑義が入り込む余地がある。第二次大戦末期にソ連が対日参戦した際、千島列島の領有権を獲得することがヤルタの密約であらかじめ取り決められていたこともあって、戦後に講和会議が始まったときも、条約案の文言にある「クーリル諸島」が国後・択捉を含むことは、ソ連側にとっては当然の前提だった訳である。日本政府自身、終戦時点では千島列島を一括して外地扱いにして居住者に対して内地への引き上げ命令を出しており、国後・択捉を固有の領土と認める意識は乏しかった。政府が北方領土に対する領有権を対外的に主張するようになるのは、1951年のサンフランシスコ条約締結以降であり、諸外国の目には条文の解釈の変更を求めていると映りかねない。サンフランシスコ条約との整合性を論理的に実証することができなければ、国後・択捉の領有権を主張する基盤が揺らぐことになる。
 私としては、この問題に関してあまり性急にならず、時間を重ねて折衝を重ねていくべきだと考える。ここで参考にすべきは、ドイツにおける領土問題処理の方式だろう。これは、領土問題を一次棚上げにして、まずソ連と平和条約を締結し、その後の経済交流を通じて徐々に話し合いを進めていこうというものである。西ドイツは、東ドイツと統合することを国家の根本方針として憲法を制定し、東ドイツを事実上の統制下においていたソ連に対しては軍事配備を含めて厳しい姿勢を崩さなかったが、だからといって平和条約を結ばずに自己主張を続けるほどかたくなではなかった。こうしたやり方は、当初、東ドイツの正当性を事実上追認し分裂を永続化させることになると懸念されたが、ゴルバチョフ大統領のペレストロイカ政策によって東西の融和が急速に進んだため、昨年、誰もが思いも寄らなかったスピードで両独統合が実現されたわけである。アメリカの力をバックに平和条約締結を見送ってきた日本とは、多くの点で対照的である。
 今後、北方領土問題について日本はどのような態度をとるべきだろうか。沖縄返還後、日本国内では、政治的交渉によって戦争で失った国土を回復できるという期待が生まれたように見える。しかし、沖縄と北方領土は、次の2つの点で決定的に異なっている。第1に、沖縄には日本の中央政府に帰属する民衆が長期にわたって定住してきたが、北方領土には、終戦までの数十年間入植者が居住したにすぎない。第2に、沖縄には返還後も引き続き米軍基地が置かれており、東アジアの紛争に際してはきわめて重要な役割を担うことが予定されているのに対し、択捉島に存在するソ連軍基地について日本人はその存続を許容しようとしない。ソ連軍にとってみれば、太平洋の出口に位置しているだけでなく、米軍の動きをカバーするレーダー基地としての役割は欠かすことができない。したがって、沖縄のように政府間交渉で返還されると期待することは止めて、ドイツに習ってまず平和条約の締結を進めるべきであろう。
 具体的には、次のようなシナリオが想定される。まず、サンフランシスコ条約によってもソ連への帰属が認められない歯舞・色丹の両島に関しては、20世紀末を目処とする早期返還を実現する。軍事拠点としても産業拠点としても価値の乏しい両島の返還には、交渉次第でソ連も応じるはずである。この段階で国後・択捉に関してはサスペンドとして平和条約を締結し、経済協力体制の確立に努める。ソ連は、豊かな資源を擁しながら技術力の低下に悩んでおり、日本の技術協力は歓迎されるだろう。特に、効率的な生産技術の導入は、ソ連経済を立て直すきっかけになると期待される。こうして次第に経済関係を密にすることによって、国後・択捉両島の交渉に移行する契機を作り上げればよい。ただし、北方領土に対する日本の領有権は決定的なものではないため、完全に委譲してもらうことは諦めた方が良いだろう。むしろ、現実的な対応策として、両島の共同開発を進める道を選ぶべきである。その付帯条件として、択捉の軍事基地の段階的縮小が実現できれば、日本は満足すべきである。このシナリオに不満を感じる者も多いだろうが、何よりも日本が戦争を起こした当事国であり、北方領土はその結果として失われたことに良心の痛みを感じるべきである。(4月22日)

  最近は、日本でも多くの人が昼食後に歯を磨くようになっている。ある調査では、OLの40%以上が昼食後の歯磨きを励行しているという。これは、そもそも歯磨きを行わなかった人類の祖先からみるときわめて大きな変化であり、彼女たちの潔癖さに感心する前に、むしろ、その習慣の奇妙さをいぶからずにいられない。こうした変化が生じた理由は、おそらく食生活の急変に見いだされるだろう。古代人に比べると、現代日本人は、繊維質が乏しく甘みの強いものを食べている。食物中の繊維は咀嚼の際に歯をしごくため、食べると同時に歯をきれいにする作用がある。ところが、現代人の食べ物には、こうした機能がないばかりか、糖分を多く含む滓が歯の付け根に付着しやすい。この結果、歯垢がたまりやすく、これを放置すると口臭の原因になるばかりか、虫歯や歯槽膿漏をも引き起こす。また、食物が柔らかく咀嚼回数が減っているので、唾液も充分に分泌されない。唾液には、細菌の増殖を押さえる作用があり、その分泌量の低下は歯垢や口臭の増加に直結する。OLがせっせと歯を磨くのは、必ずしも清潔好きだからではなく、そうせざるを得ない事情があるからなのだ。(5月5日)

  ここのところ、貴花田の活躍が契機となって、また相撲人気が高まっている。昨日の夏場所初日には、前頭筆頭に躍進した貴花田が横綱千代の富士を破る大金星をあげており、当分貴花田フィーバーは続きそうな勢いである。かつて若武者貴ノ花が大鵬を負かして引退に追い込んだように、いささか老兵として疲れの見える千代の富士から新たな勢力への世代交代の時期が来たのかもしれない。
 相撲の面白さは、古代からの力比べの醍醐味と、近代的なルールによるスマートさが同居している点にある。力比べの側面は、体重別にクラス分けせず、必然的に大男たちの争いになるところに現れている。欧米生まれのボクシングやレスリングでは、体重の異なる人同士を格闘させるのはアンフェアだとばかりに細かな体重別制度を導入しており、やせた人でもチャンピオンになれるというメリットがあるが、やはり、誰が最も強いかという興味を減殺することになる。それに対して、大相撲では体の大きく力の強い者が勝つという基本原則を見せつけて、かえってすがすがしい。また、小兵力士が意外性を発揮して勝利を収めることがあるのも、また楽しい番狂わせである。
 一方、近代的なルールが相撲を単なる格闘技以上のものにしている点も指摘しておきたい。古代の宮廷で行われた儀式としての相撲では、文字通り相手の息の根を止めるまで死闘が繰り広げられたが、これではとてもスポーツとして楽しめるものではない。あるいは、ボクシングのようにロープで囲った中で殴り合いを続けさせるのも、それほど面白いとは感じられない。ところが、相撲の場合は、たとえ指先が土俵を掃いたりかかとが俵の外をかすっただけで負けとなる。この潔さが相撲の眼目である。こうしたルールがあるために、相撲の勝敗はきわめて短時間で決する。多くは10秒以下であり、20秒も試合が続くと“大相撲”と形容される。大男どうしがリングの上で肉弾相打つ決戦を延々と繰り広げるのも悪くはないが、やはりあまり長く続くと辟易してくるのも事実である。その点、相撲のように一瞬のうちに勝負がつく試合は、息を止めて観戦する緊張感がある。
 さらに、相撲のおもしろさを際だたせている重要な要素として、その儀式性を指摘することを忘れてはならない。一瞬の勝負をつける前に、二人の力士が互いに両手を合わせて祈る仕草をするのは、本来は神に捧げる奉納の儀式だったという相撲の由来を今に伝える。こうした“礼儀正しさ”があるために、潔さが一層引き立つことになる。勝負がついた後、必ず二人の力士が向き合って礼をするが、このとき、勝った方がニコニコしたりガッツポーズを取ったりしたら、顰蹙ものである。相撲はもともと人間の力業を神に見せる儀式であって、勝ち負けにこだわってはいけないのだ。
 もちろん、そうは言っても、現在では相撲はTVで全国中継される立派なスポーツであり、諸外国の格闘技と同様に技術面での改良が進んでいる。特に、北の富士以来、輪島や千代の富士が示した“技相撲”の魅力は大きい。北の富士が右上手をとって相手の一瞬のスキをついて土俵中央で仰向けにするときの快感は格別であった。また、小兵力士がさまざまな技を繰り出して大型力士を征するのも見応えがある。栃赤城や貴ノ花、旭国の相撲がファンを楽しませたのも、単に体の小さい力士ががんばっていたからではなく、技の切れ味が実に冴えていたからである。もっとも、その点で残念なのは、最近の力士に、自分にはコレしかないという“型”が見られなくなったことである。人間起重機と呼ばれた若浪のように愚直なまでにつりにこだわり続けるのも、また一つの技をきわめることに通じるのだが。栄養状態が改善され、やたらに体格が向上したために、体重を利用した寄りが技の中心となり、それ以外の“小技”があまり見られなくなったのは、スポーツとしての面白さをいささか減じるものである。相撲協会の人にも一考を願いたい。(5月13日)

  きのう、ルイス・キャロル的な夢を見た。
 現実と夢の区別はどこにあるのか、突き詰めて考えると決して明瞭な境界があるわけではない。実際、現実においても、とうてい現実とは思えない事件が起きることもある。そう言いながら窓の外を見ると、見渡す限り鬱蒼たる森林の中に巨大なUFOが墜落して炎上している。これほど非現実的なことが現実に起きているのだから、現実的かどうかで夢と現実を峻別することはできない−−そんなことを私が力説している夢である。
 夢の側において境界線が崩れた例としては、高校生の頃に見た夢が鮮烈だった。土曜日の晩に猛烈な睡魔に襲われながら、「どうせ明日は日曜だからゆっくり朝寝すればよい」と深夜まで勉強を続ける−−そんな夢を見たために、翌朝母に起こされたときに、「あれ、今日は日曜じゃなかったのか」とひどく戸惑ってしまった。夢と現実を区別する標識は、夢を見ているときには充分に認識されない。現実において、「これは夢ではない」と判定するのは比較的容易なのに、夢の中では自信を持って「これは現実ではない」と言い切れないのはなぜだろう。おそらく、純粋な思考において、夢か現実かを区別するメカニズムは存在しないのであり、両者を分かつのは、あくまで感覚入力に対するいくつかのチェック機能にすぎない。ここで言うチェック機能とは、運動において小脳が与える目標値と実現された値を比較し、その差をフィードバックするような機能である。こうした機能が働いているとき、大脳皮質に提供される情報はリアルタイムで書き換えられ続ける。この過程をわれわれは現実の証と見なすのである。これに対して、夢は一方的にイメージを変更できるので、チェック機能が無意味になっている。もっとも、チェック機能の欠如は認識対象として画定できないので、夢の中で「これは夢だ」と主張する根拠としては使えない。これが、夢の夢たる所以だろう。(5月22日)

  最近、有名写真家の手になる女優の写真集で、一部アンダーヘアが写っている写真があり、物議を醸している。
 これまでの警察の取り締まりでは、以前のチャタレイ裁判で問題になったような「芸術かワイセツか」という不毛な議論に陥るのを避けるため、即物的な基準によってワイセツ図画か否かを判定してきた。このため、まだ子供が見ている時間帯に半裸の女性が堂々とブラウン管に登場する一方で、マン・レイの“芸術”写真が税関で差し止められるという奇妙な事態が発生することになったが、表現の自由にかかわるややこしい法律論争を回避しながらポルノグラフィを取り締まるという基本的な目標は達成できたと言えよう。こうした基準の中で警察が最も重視してきたのが、陰毛−−いわゆるアンダーヘアが見えるかどうかである。僅かでもアンダーヘアが見えるケースは、ことごとくポルノグラフィ扱いされ、配給業者は、映画のモブシーンに登場する群衆の一人一人にボカシをかけるという作業を余儀なくされた。アダルトビデオの制作者は、この基準を逆手にとって、女優の陰毛を剃ることにより、性器のギリギリのところまで映し出すことができたのである。もちろん、かくも即物的な基準に対して異を唱える論者も多い。芸術の薫り高い巨匠の作品も場末の匂いがふんぷんとする安ビデオも、単に“毛”が見えるかどうかだけで選別することは、文化に対する冒涜にも思える。しかし、芸術性いかんを問わず、あくまで即物的な基準に徹底することが、あらゆる文化を相対化する現在の情報社会の動きに追随するために必要なのかもしれない。いずれにせよ、数年前までこの即物的基準が社会にポルノグラフィを氾濫させないためのハードルとなっていた。
 ところが、近年になって、この基準が揺らぎ始めた。この種の基準を元に取り締まりを行っているのは、税関・映倫・警察などがあるが、この順序で基準は甘くなっている。税関は相変わらず少しでもアンダーヘアが見える著作物に対して厳しい態度をとり続けているが、映倫はやや態度が軟化しており、警察になると多少の露出は許容する方向に動いている。特に、人気が高まりつつある写真芸術に関しては、厳しい取り締まりは野暮だと考えているのか、さして弾圧するという訳でもない。雑誌「カメラ毎日」では、毎回のように男女のオールヌードが掲載され、当然のごとくヘアーや男性性器が写し出されている(もっとも、「カメラ毎日」の編集長がたびたび警察に呼び出されているという噂はあるが)。また、ツァイト・フォト・サロンを嚆矢とする写真専門のギャラリーでも、全裸の男女の写真が展観されることは日常茶飯事である。最近、写真家の五味彬がAV女優をモデルにした展覧会を開催したが、いつもの仕事では艶めかしい姿態を見せながらも局部はモザイクによって隠されている女優が、ここでは無修正のまますっくと立ってこちらを睨み付けており、演技を越えた人間の姿を露わにして感動的ですらあった。アンダーヘアが見える程度の写真展はもはや珍しくなく、大きなデパートの特設会場で堂々と公開されている。先日パルコギャラリーで開かれたロバート・メープルソープの遺作展では、紐で縛られた男性性器のクローズアップ写真が掲げられていて、これを若い女性がじっと見ていたりすると、妙にドギマギさせられてしまう。同性愛者であったメープルソープの男性ヌード写真については、アメリカ本国においてもポルノグラフィーではないかと批判を浴びており、ここらあたりがボーダーラインとなるだろう。芸術作品として公衆の目に曝すことができる露出度の基準がどこにあるかは、NHKの放送がひとつの目安を与えてくれる。NHKは政府から独立した組織ではあるが、公共性を顧慮した放送基準を採用しているからだ。このNHKの基準においても、美術館で展観されるような“芸術的な”写真に対しては、放送を認めている。具体的には、カルティエ・ブレッソンの手になる女性のヌード写真(全裸・前向き)が「日曜美術館」で取り上げられ、評論家がその力強さを賞賛していた。ちなみに、NHKでは、教養番組の場合、内容上必要と認められるものに関しては、女性の胸部の露出も許容しているが、ドラマなど扇情的になりやすいケースでは自主規制するという立場を採用している。こうしてみると、芸術表現の一部としてアンダーヘアを描写することは、こんにちの日本社会ではすでに容認されている段階に至っていると言えよう。
 歴史的にみると、アンダーヘアの表現が芸術作品に登場するのは、比較的近年になってからである。古代ギリシャの壺絵などでは、男性はオールヌードで描かれているのに対し、女性は必ずと言ってよいほど腰のあたりに薄衣をまとっていて局部を隠している。男性の場合ですら、性器は明らかに少年のそれであり、陰毛が描かれることは(サチュロスなど見下されているものを別にすれば)ほとんどない。多くの美術家が、性的に成熟した性器周辺の描写を忌み嫌ってきたことは、多くの作品によって実証できる。特に、女性の体毛を描くのは一種のタブーであった。実際、ルネサンス期においては、ブロンツィーノのビーナスに如実に示されるように、全裸の女性の下腹部を描くときには、そこに何もないかのようにすべすべに表現することが一つのパターンになっていた。この習慣は近代にまで受け継がれており、アングルの「泉」でも同様の表現が見られる。こうした表現法は、芸術に露骨なエロティシズムを持ち込むことを嫌うアカデミックな画家のプライドが取らせたものだろうか。確かに、その事実は無視することはできず、絵画におけるエロティシズムは、せいぜいクラナッハのビーナス程度が限界であり、それ以上に踏み込もうとすると、ゴヤの「裸のマハ」のように一種の秘画として一部の愛好家に隠匿されてしまう“恥ずかしい”ものと見なされていた。ただし、このように性の表現を嫌うのは、単に知性がナイーブな美的感覚を規制していたというよりも、むしろ、心底から出た素直な発想と見なすべきだろう。例えば、女性の美を極限まで追求した画家として知られるルーベンスやルノワールの作品においても、下腹部は隠されたままである。女性の局部をあらわに描くようになるのは、必ずしも女性の美しさに対して賞賛を惜しまなかった画家たちではなく、むしろ、ある種のシニスムを体現していた人々−−モジリアーニやエゴン・シーレなどである。実際、エゴン・シーレが描き出す女性は、官能的であるが、全身に気だるさを漂わせており、かつてのビーナスからは隔たった人生に倦み疲れた姿を見せている。こうした女性だからこそ、アンダーヘアの生々しさが、崇高な存在とはなり得ない人間の宿命を感じさせる小道具として効果的なのである。逆に言えば、オールヌードは必ずしも肉体の美しさを表現するために適切な形態ではないのだ。
 アンダーヘアの描写に寛容になってきた現代日本は、女性に対する見方が、これまで以上にシニカルなものへとなりつつあるのかもしれない。(6月16日)

  青春五月党の『向日葵の柩』(作・柳美里)は、見る者をぐいぐいと引き込む感動的な舞台であった。設定として日本社会に溶け込むことのできない在日韓国人の問題を表に打ち出してはいるが、むしろ家族の切っても切れない絆について描いた家庭劇と考えるのが適切だろう。母親が他の男の元に去っていった家庭で、父親はほとんど自虐的に妻の手紙を読み続け、息子は実力不相応な大学受験に打ち込むという仮設的な状況の中に自分の所在を見いだそうとする。そして、最も感受性豊かな娘は、そうした虚構の世界に安住しようとするが、非情な現実に裏切られ、父に近親相姦を迫りながら自死する。このほとんど古典的な悲劇を前にして、息が詰まりそうになりながら、わずかに華やかな向日葵の思い出を暗示する照明に慰めを見いだすことができたのは、朝鮮民族の力強さ・たくましさが背後に感じられたからだろうか。(6月22日)

【「徒然日記」目次に戻る】



©Nobuo YOSHIDA