◎「クラインの壺」の作り方

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 「クラインの壺」の原型は、19世紀のドイツの数学者フェリックス・クラインが考案した2次元曲面で、境界も表裏の区別もない点に特徴がある。本来は「クラインの面(Flache)」と呼ばれるべきだが、3次元図形として擬似的に描いた図が瓶に似ていたこともあって、いつしか3次元図形の方が「クラインの瓶(Flasche)」として有名になった。日本語では、呪術的なニュアンスがあるせいか「壺」という訳語が定着している。

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 クラインの壺は、良く知られたメビウスの帯を元にしている。細長い帯状の紙の端をねじらないでつなぐと普通のリングが、1回ねじってつなぐとメビウスの帯ができる。リングでは表と裏が区別できるのに対して、メビウスの帯は区別ができない(表と裏は、2次元面内の向き付けによって定義される)。メビウスの帯の上に住む2次元人がいたとすると、世界を1周しただけで自分自身が逆転する(回転しても元の姿に重ねられない異性体になる)ことに驚愕するだろう(図参照)。ただし、3次元世界で実際に作られた模型の帯には必ず厚さがあり、この厚さをすり抜けなければ元の姿の異性体になることはないし、縁を乗り越えて表から裏へと回り込めるので、表裏の区別ができないと言われてもさしたるインパクトはないだろう。3次元世界で見たときのメビウスの帯の不思議さは、あくまで、縁は越えられないという条件付きのものである。そこで、メビウスの帯の両縁を互いにつないでチューブ状にしてしまい、表裏の区別を内外の区別に置き換えて3次元人にとっても不思議に感じられるようにしたのが、クラインの壺(クラインの面を擬似的に3次元図形として表したもの)である。

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 ここでは、チューブからクラインの壺を作る方法を示そう。まず、普通のチューブを用意する。このとき、端(AとB)を閉じたり両端をつないだりすれば、チューブの内部と外部は明確に区別される。しかし、ここでは、Bの側からチューブを裏返しにしてしまおう。裏返しにされた部分では内と外が逆転しているので、裏返されたBと元のままのAをつないでしまえば、メビウスの帯における表と裏の場合と同じように、内部と外部が滑らかに接続されたことになる。しかも、チューブ側面の唯一の縁となる端の部分をつないでしまったので、もはやどこにも縁はない。縁のない滑らかな2次元曲面で3次元空間が区切られているにもかかわらず、内部と外部の区別がない(両者が混淆している)のである。

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 もちろん、現実の3次元世界でクラインの壺を作ることはできない。必ず自分自身と交差してしまい、交差する領域で滑らかさが失われるからである。そこで、クラインの壺の説明をする際には、4番目の次元があるとして、3次元で交差しているように見える領域は、第4次元方向にずれていて実際には交差していないと言ってしまうことが多い。しかし、これは奇妙な説明である。もう1つの次元があるならば、チューブの側壁に遮られている領域へも第4次元を利用して回り込めるので、チューブによって内部と外部が区別されるという前提自体が崩れてしまう。結局、メビウスの帯における縁と同じように、面は「越えられない」という天下り的な条件を付けなければならない。

 クラインの面は、本来、境界も表裏の区別もない2次元の面のことであり、これを3次元で表した壺は、あくまで擬似的な表現にすぎない。クラインの壺において内部と外部の区別ができないというのは、3次元人は第4次元に回り込めないという天下り的な条件−−あるいはゲームの規則−−を守る場合に限られる。そう考えると、クラインの壺の不思議さは、著しく減殺されるだろう。この壺を何かのメタファーとして用いるのはかまわないが、モデルとして使う場合には、こうした事情をきちんと理解しておくことが必要である。

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©Nobuo YOSHIDA