◎シュヴァルツシルトの勘違い

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 1915年、ドイツの天文学者カール・シュヴァルツシルト(1873-1916)が発見した質点の周りの一般相対論の解(シュヴァルツシルト解)は、最初に求められたアインシュタイン方程式の厳密解であるのみならず、後にブラックホールと呼ばれることになる天体の存在を含意するという点で、歴史的な意義がある。
 この解は、質点の位置を原点とする極座標表現を使って、次のように表すことができる:
  ds2 = -(1-a/r)dt2 + dr2/(1-a/r) + r2(dθ2+sin2θdφ2) …(1)
 この式からわかるように、シュヴァルツシルト解は、質点の置かれた原点(r=0)以外に、r=a で特異性を持っている。例えば、r=a に固定された時計は、上の式の dt の係数がゼロになるので、座標時間 t が経過しても止まったままである(実際には、r=a に物体を固定することはできない)。こうした特異性が現れる半径 a の球面は「シュヴァルツシルト障壁」、a は「シュヴァルツシルト半径」と呼ばれる。
 シュヴァルツシルト障壁は、ブラックホールを特徴づける「事象の地平面」──直感的な言い方をすれば、時空のゆがみによって作られた「ポイント・オブ・ノー・リターン」──そのものである。この面は、そこで時空の滑らかさが失われる“真の特異性”とは異なる。銀河中心にある巨大ブラックホールに宇宙船で突入する飛行士は、事象の地平面を通過する瞬間に、何ら特別な体験をするわけではない。迂闊な飛行士は、後戻りできない危険地帯に踏み込んだことすら気がつかないだろう。重力に引っ張られて落下する人にとって重力そのものは感じられず、場所による重力の違いが生み出す潮汐力だけが実効的な力となるが、巨大ブラックホールの場合、シュヴァルツシルト半径付近での潮汐力はきわめて小さいからである。しかし、たとえ実感されなくとも、事象の地平面の内側は、外部とは全く異なった時空構造になっている。空間は、強大な重力によってねじ曲げられ、どのように進もうとも、中心に近づくルートしかない。したがって、ひとたび地平面を越えると、もはや帰還することは永久に不可能なのである。
 こうしたSF的な状況は、シュヴァルツシルト解を数学的に解析することによって明らかにされる。それゆえ、シュヴァツルシルトをブラックホールを発見した科学者のリストに加えることもある。しかし、興味深いことに、シュヴァルツシルト自身は、シュヴァルツシルト障壁の存在に気がついていなかったのである。
 シュヴァルツシルトがアインシュタイン方程式の厳密解を求める研究に着手したのは、水星の近日点移動を論じた1915年のアインシュタインの論文を読んでからである。この論文でアインシュタインは、太陽(固定された球対称の物体と仮定)の周りの重力場を近似的に計算し、1次近似ではニュートンの重力理論と一致するが、2次の項まで考慮すると、O(1/r2) のズレが生じることを示した。すなわち、惑星に作用する重力ポテンシャルΦは、ニュートン理論では、
  Φ = -α/r
だが、一般相対論の2次の近似でこれに相当する量を求めると、
  Φ = -(1+B/r2)α/r  (B:定数)
になる。ただし、こうした結果は、元になるアインシュタイン方程式を厳密に解くことなく、対称性の考察に基づく簡単な近似計算によって得られたものである。シュヴァツルシルトは、あまりに煩雑なためにアインシュタインが避けた厳密な計算を、最後まできちんと遂行してみようと考えたのだ。
 計算を実際に行っている途中で、シュヴァルツシルトは、1つの問題に直面した。原点からの距離を表す動径座標の定義に曖昧さが含まれるのである。一般相対論は、もともと座標の定義に任意性があるので、「遠方でニュートンの理論に一致する」という条件を満たしていれば、原点近傍でスケールの違いがあってもかまわない。しかし、重力場の値が発散するような特異性に関して、座標の定義による違いがあってはおかしい。そこで、彼は、当時の常識に従い、「特異性は原点にしかない」という条件を課して解を求めた。
 シュヴァルツシルトが得た解は、見かけの上では(1)に等しい。しかし、彼は、ここで現れる r を式を簡単にするための補助変数と見なし、新たに
  R = (r3 - a3)1/3
という変数を導入して、これが原点からの動径座標になると主張した。この変数変換を用いると、r=a で現れる特異性は、原点(R=0)で重力場が発散することを表している。原点には密度無限大の質点が置かれているので、特異性が現れるのは当然であり、物理的な問題はない。こうして彼は、「原点以外には特異性のない滑らかな厳密解を得た」と考えたのである。
 シュヴァルツシルトの勘違いは、当時の状況を考えれば、仕方のないことだ。一般相対論についての参考文献はアインシュタインの原論文しかない(しかも、最も完成度の高い1916年の論文は、まだ出版されていない)。これをもとに、多くの科学者にとって未知の数学であったテンソル解析を駆使して計算を進めるのは、かつて神童と呼ばれたシュヴァルツシルトにしても、至難の業だったろう。厳密解を得るだけでも、たいへんな難業である。まして、質点から隔たった何もない空間に、事象の地平面を生み出す奇妙な特異性があることなど、想像の埒外だったに相違ない。
 とは言うものの、ブラックホール関連の用語に多くその名を残しているシュヴァルツシルトが、自身の得た解の最も重要な性質を見落としていたことに、いくばくかの悲哀を感じざるを得ない。
 シュヴァルツシルトが一般相対論の計算をしたのは、第1次世界大戦のさなか、ドイツ軍の砲兵技術将校としてロシアで従軍していたときである。すでに40歳を越え、天文学者として名声を博していた彼が、祖国のために敢えて戦線に身を投じるに至った心理について、他人が勝手に推し量るべきではないだろう。それでも、銃声の響く前線で高度な数学に没頭する心の内を覗きたいような気もする。彼の論文は、素っ気ないと言えるほど無駄がなく、計算の過程と結果を簡潔にまとめたものだが、その中に1箇所、「単純な形式の厳密解を自在に操れることは常に喜びである」という妙に実感のこもった感想が書かれている。単純で美しい数式は、彼に最後の喜びを与えたのだろうか。
 シュヴァルツシルトは、単純に見えた解の裏側に驚くべき性質が潜んでいることを知らないまま、1916年春、東部戦線で病気を発症し、5月11日に42歳の若さで死去する。論文の原稿はアインシュタインの元に送られ、彼の手でプロイセン科学アカデミー会報に投稿された。

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©Nobuo YOSHIDA