◎データの捏造と研究者のモラル

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 バイオテクノロジーの最先端分野であるクローンES細胞の研究で、発表された研究内容が捏造されたものであったことから、科学者のモラルが改めて問われている。

 問題となっているのは、ソウル大学の黄禹錫教授らが2005年5月に Science に発表した論文。この論文では、1型糖尿病や脊髄損傷など11人の患者の皮膚細胞からクローン胚を作成、これを胚盤胞まで培養し、そこから計11個のES細胞を作ったとされた。これが事実とすれば、拒絶反応のない再生医療や、ES細胞から作成した病理組織を用いた医学研究がにわかに現実味を帯びてくるため、研究者だけではなく、難病に苦しむ患者からも注目を集めていた。しかし、12月にデータの捏造疑惑が浮上。当初は、クローンES細胞は2つしか存在せず、残りの9個のデータは捏造されたものと報じられたが、その後に行われたソウル大学調査委員会の調査で、冷凍保存されていたES細胞は受精卵から作られたものであり、クローン胚由来のES細胞は1つもなかったと判明、研究成果全体が捏造だったことが明らかになった。

 黄教授は、1999年に韓国初のクローン牛を、2005年には哺乳類で最も難しいとされるクローン犬を誕生させたことで知られるクローン研究の第一人者。クローンの作成には、マニピュレータを操る職人芸が要求されるため、卓越した技能を持つ研究者が現れても不思議はない。黄教授のチームは、こうした技能を持つ職能集団だと考えられていた。

 黄教授がなぜ捏造を行ったかは定かでないが、鍵となるのが、2004年に Science に掲載された研究である。ここで、黄教授は、世界で初めて、ヒトのクローン胚からES細胞を作ることに成功したと発表、この分野の最先端に躍り出た。しかし、242個の卵子を使って30個のクローン胚を作り、そこからただ1つのES細胞を取り出したとする成果は、未受精の卵子が女性から有償で提供されていた韓国だからこそ可能だったのであり、人体組織の売買が禁止されている多くの国では、実用化に向けた取り組みが困難である。また、韓国でも、2005年から卵子売買に対する規制が始まり、実験用の卵子を入手することが難しくなると予想された。こうした中で発表された2005年論文では、185個の卵子を使って11個のES細胞を作成したとされており、成功率が10倍以上に向上したことから、実用化に弾みがつく内容になっていた。実際、韓国政府は、2005年10月に「世界幹細胞ハブ」を開設し、クローンES細胞を国際的に提供する計画を進めていた。黄教授は、韓国が世界をリードするクローンES細胞研究を停滞させまいとするあまり、研究成果を捏造したのではないかと推測される。
2006年01月10日、ソウル大学調査委員会は、世界で初めてヒトクローン胚からES細胞を作ったとする2004年論文も完全な捏造だと断定した。ただし、2005年のクローン犬「スナッピー」については、事実だと確認している。この結果、黄教授はクローン作成については卓越した技術を持つものの、ES細胞については格別な技術は持っていなかったことが判明した。


 最近、科学者による研究成果の捏造がたびたび報じられており、モラル・ハザードが見られるとの指摘もある。クローンES細胞に匹敵する大きな事件としては、ベル研究所の研究員だったヤン・ヘンドリック・ショーンのケースがある。ショーンは、数年の間に有機エレクトロニクスやナノテクノロジーの分野で革新的な論文を90本以上も発表し、若き天才と賞賛されていた。しかし、2002年になって、異なる実験の結果が同一のグラフで表されていたことからデータ捏造の疑いがもたれ、調査委員会による調査の結果、疑わしいとされた25本の論文のうち、少なくとも17本でデータの捏造が証拠づけられた。日本でも、阪大や東大の研究者が発表した論文に不正があるとの疑惑が持ち上がり、著者が論文を撤回している。

 科学研究における捏造は、今に始まったことではない。静電気力のクーロンの法則は、1780年代にクーロンがねじり秤を用いた実験で発見したと言われているが、彼が示したデータは、当時の技術から見て不自然なまでに誤差が小さく、捏造された疑いがある。また、ヘッケルは、さまざまな動物が類似した発生過程を示すという観察をもとに、1874年に「個体発生は系統発生の反復である」という有名な命題を提唱したが、ヘッケルによる胎児のイラストは、解像度の向上した現在の顕微鏡写真と比較すると、類似性をことさら強調するために、実際とはかなり異なった姿に描かれていたことがわかる。しかし、こうした歴史的なエピソードと比較して、近年の不正には、より構造的な要因があるように思われる。


 科学の最先端で発表される研究成果は、“正しい”ものばかりではない。むしろ、対立する仮説や矛盾するデータが次々と提出され、多くの科学者による後続研究を通じて、その中から正当なものが選択されていくというのが、一般的な流れである。不正がないにもかかわらず、実験データに誤りがあることも少なくない。研究者が特定の結果を期待している場合、予想に反するデータが得られた場合には測定装置のキャリブレーションや実験条件の見直しを行い、望んだ結果を手にした段階で実験を終了することは自然である。こうして、一見きちんとした実験が行われているにもかかわらず、相反するデータが提出されるといった事態が起こるのである(環境ホルモンのような低レベル汚染物質のリスク評価が研究者によって大幅に異なるのは、このせいではなかろうか)。

 多くの学術誌は、投稿される論文に対してピアレビューと呼ばれる査読制を採用しており、同じ分野の研究者が論文の内容を検討し、掲載の是非を判定している。しかし、実験報告の場合、内容に新規性・有用性があって、得られたデータが不自然でなく、追試可能な形で実験条件が記されていれば、(多少の修正は要求されても)基本的にはそのままの内容で掲載される。また、査読の段階で実験ミスの可能性を指摘することは、科学の進歩を妨げるおそれがある。例えば、金属酸化物がBCSの壁を超えて超伝導状態になることを指摘したベドノルツとミュラーの1986年の論文は、電気伝導度を測定しただけのずさんな内容で、これを読んだ多くの研究者は実験ミスによる誤ったデータだと判断したが、実際には、ノーベル賞の対象となるほど革新的な成果だった。誤りのある論文を徹底的に排除しようとするよりも、多少は門戸を広めにしておいた方が、科学にとってはプラスになるという実例である。

 多くの研究者は、最先端研究には間違いが付き物だと経験的に知っているので、他人のミスに寛大である。学会発表や主要学術誌の論文で、他の研究者が提出したデータの誤りが正面切って指摘されることは、ほとんどない。誤ったデータは、敢えて指摘しなくても、後続研究を通じて次第にふるい落とされていく(引用されなくなる)からである。ただし、こうした過程を通じて誤ったデータが姿を消すには、何年という期間が必要となる。

 発表段階の誤りには寛大で、後続研究を通じて正当なデータを選択していくという科学研究のあり方は、意図的な不正が行われたとき、対応が後手に回りやすいという結果を生じる。発表された時点では内容が厳しくチェックされないため、一時的にせよ学界に受け入れられることが多くなるからである。地位が比較的安定している科学者は、自分の研究成果が最終的に正当化され、長期にわたって評価されることを望む傾向が強いため、いずれは暴露されるリスクを犯して捏造を行うことはあまりない。しかし、短期的な成果が重要視される立場にある研究者は、直ちに糾弾されないという気の緩みから、不正に手を染めるケースも出てくる。

 ここで留意すべきは、近年、研究者に短期的な成果を求める動きが加速していることである。アメリカの研究者は、大学に奉職する者であっても、過去数年間の業績(主要学術誌に掲載された論文数や被引用回数)を査定され、成果が充分でないと評価された場合は、解雇されることもある。企業に在職する研究者の場合、査定はさらに厳しい。こうした業績主義は、アカデミックな研究においては必ずしも実効的ではないが、産業に直結する分野では、国際的な競争に競り勝つ力を生み出す。特許権のように“速さ”が勝者と敗者を分ける最大のファクタである場合、スピードアップのために査定で研究者の“尻を叩く”やり方は、ことのほか有効である。業績主義は、ITやバイオなど先端分野においてアメリカが示す圧倒的な研究開発力の源泉(の1つ)だと言って良い。科学技術力が一国の経済を左右する傾向がますます顕著になりつつある中で、ヨーロッパや日本でも、アメリカ流業績主義の導入を画策する企業や大学が少なくない。こうして、研究者は短期間のうちに一定の業績を上げることを強く要求され、その成果が、研究費の配分や就職・昇進に直ちに反映されるようになってきた。ここに、不正が行われる土壌がある。

 データの捏造を防ぐために、第三者による研究内容のチェックを厳しくすべきだろうか。私はそうは思わない。科学の要諦は衆知を集めることにあり、誤ったデータは研究の集積を通じて正していくのが筋だからである。不正行為の防止は、最終的には研究者のモラルに委ねられる。ただし、極端な業績主義は不正行為を誘発しやすいため、データ捏造などを行った研究者の処遇に関して厳しい規定を設けるなど、大学・企業レベルで防止対策を講じることが必要だろう。

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©Nobuo YOSHIDA