◎宇宙論的赤方偏移はドップラー効果である

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 1929年、ウィルソン山天文台で観測を続けていたハッブルは、銀河のスペクトルが示す赤方偏移(z=Δλ/λ)が、太陽からの距離にほぼ比例するという「ハッブルの法則」を発表した。1910年代にスライファーが渦巻星雲(後に銀河と同定される)のスペクトルについての系統的な観測を始めた頃は、赤方偏移を星雲の運動に起因するドップラー効果によるものと解釈するのが一般的だったが、この解釈をそのまま当てはめると、「ハッブルの法則」は、天の川銀河を中心として、全ての銀河が距離に比例する速度で遠ざかっていることを意味する。ハッブルは、こうした“不自然な”解釈を採らず、おそらく理論家からのアイデア提供に基づくのだろう、論文で次の2つの見方を提出した。

  1. ドジッター模型に現れる相対論的効果 : 遠方ほど時間の経過が遅くなるように見えるため、振動数が小さくなって赤方偏移が起きる。
  2. 光子の消耗 : 光子のエネルギーは、アインシュタインの関係式 E=hνによって振動数νと結びついている。従って、宇宙空間を伝播する過程で未知の理由によりエネルギーが減衰するならば、距離に比例する赤方偏移が生じる。

 このうち、第2の解釈はデータに基づいて否定された。第1の解釈は、ドジッター模型の曖昧さ(物質を含まない真空だけの宇宙模型なので、何が起きているか捉えにくい)によってわかりにくくなっているが、実際には、宇宙全体が膨張する効果と同等である。歴史的には、エディントンが、アインシュタインの宇宙模型が動的に変化する場合を考えれば「ハッブルの法則」を説明できると気づき、「宇宙は風船のように膨らんでいる」という印象的なイメージをアピールしたこともあって、1930年代初頭に宇宙膨張モデルに基づく解釈が一般的になる。

 ハッブル自身は、遠方の銀河が実際に遠ざかっているのではないと考え、ドップラー効果の式に当てはめて求めた後退速度も、あくまで「見かけの速度」として扱っていた。しかし、エディントン以降の定説によれば、銀河は宇宙の膨張によって 実際に われわれからの距離(物質定数を元に定義したもの)が増しており、その結果として赤方偏移が生じている。それでは、この赤方偏移をドップラー効果によるものと呼んで良いのだろうか。

 実は、いくつかの宇宙論の解説書には、銀河の赤方偏移はドップラー効果では ない と明記されている。「授業でドップラー効果を使って赤方偏移を説明するので、初学者が混乱して困る」などと苦言を呈する著者もいる。確かに、赤方偏移が大きい領域になると、特殊相対論の補正を行ったドップラー効果の公式
  z = {(1+v/c)/(1-v/c)}0.5 - 1 (c : 光速)
を使っても、波長の伸びから銀河の後退速度を正しく求めることはできない。この点だけを見れば、宇宙論的赤方偏移は、ドップラー効果とは別物だと言いたくなる。しかし、私はあえて、両者を区別するべきではないと主張したい。

 そもそも、ドップラー効果とは何か。1842年にオーストリアの数学者・物理学者ドップラーが行った研究では、音と光は、それぞれ物質/エーテル中を伝播する(縦)波であるとされ、この媒質に対して音源/光源が運動している場合に、伝播する振動数がどのように変化するかが論じられていた。ドップラー自身は、この効果によって、地球に対して相対運動をする二重星の色が変化して見えるはずだと予言したが、その観測は当時の技術では不可能だった。その後、汽車に乗せた楽器の音がどのように聞こえるかを調べる実験によって、音のドップラー効果が確認された。1846年に、ドップラーは公式を拡張し、観測者が運動している場合も論じている。(*)

(*)ドップラーの原論文が手に入らなかったので、この段落の内容は2次資料に依存している。

 このように、考案された当初のバージョンでは、ドップラー効果は、媒質に対する波源/観測者の運動によって生じるものとされている。しかし、光のドップラー効果に関しては、アインシュタインによって本質的な修正が加えられる。1905年に発表した特殊相対論の論文で、彼は、媒質という概念を捨象し、座標変換だけを使って相対論的なドップラー効果の公式を導いた。これは、光源に対して静止している座標系と相対運動している座標系の間で振動数を相互に変換する公式であり、相対論的電磁気学においては、座標系が媒質の代わりを勤めることを意味する。当然のことながら、光源と観測者に限らず、何であれ、座標系を指定せずに運動を記述することはできない。

 それでは、宇宙の膨張に伴う赤方偏移は、どのように説明されるだろうか。通常の教科書では、宇宙時間 t1 で遠方の銀河が発した光が、時間 t2 に地球で観測される場合の赤方偏移として、
  z = R(t2)/R(t1) - 1
という式を与えている。ただし、R はロバートソン・ウォーカー計量:
  ds2 = c2d2t + R2{dr2/(1-kr2) +r2(dθ2+sin2θdφ2)}
のスケール因子である。この式だけ見ると、いかにも宇宙が大きくなった分だけ波長が引き延ばされたように感じられるため、赤方偏移はドップラー効果と別物という主張も説得力がありそうである。

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 しかし、別の考え方も可能である。座標系の選び方には任意性があるので、それぞれの銀河に固定した座標系で論じてもかまわないはずである(固有運動はしばらく無視する)。さらに、銀河と銀河の間にも、他の銀河と協調して運動するような無数の座標系を取ることができる(上図)。この座標系群で、遠方の銀河が発した光が地球に到達するまでの過程を、微小時間ごとのステップに分けて考えよう(時間は全ての座標系に共通の宇宙時間とする)。ある座標系から見て、時刻 t に位置δr にあった光が、時刻 t'=t+δt に原点に到達したとする。このとき、ホイヘンスの原理に従って、位置δr に光源があったと見なして良い。δの付いた量の2次以上を省略すると、時刻t での光源までの距離は R(t)δr となり、光源と座標系との相対速度は、
  v = δr{R(t+δt)-R(t)}/δt
となる。隔たった銀河に固定した座標系は、互いに慣性系の関係にはないので、直接、ドップラー効果の公式を当てはめることはできないが、微小時間ごとのステップに分けた場合は、特殊相対論で近似してかまわない。したがって、(光の周期がδt より充分小さいとして)ドップラー効果の公式を当てはめると、原点に到達したときの波長λ' は、
  λ' = λ(1+v/c)
で与えられる。一方、Rδr の距離から光が到達するまでの時間は、
  δt = Rδr/c
なので、微小項を落として整理すると、
  λ(t')/λ(t) = R(t')/R(t)
が得られる。この関係は、全ての微小なステップで成り立つので、各ステップの式を掛け合わせれば、結局、時刻 t1 から t2 までの関係として、
  λ(t1)/λ(t2) = R(t1)/R(t2)
を得る。これは、宇宙論的な赤方偏移の関係式と同じものだが、式にスケール因子 R が現れるのは、各ステップでのドップラー効果によると言って良い。

 宇宙論的赤方偏移をドップラー効果だと見なすことには、いろいろな利点がある。われわれの宇宙では、観測可能な範囲で一様等方性が良く成り立っており、銀河たちは整然と運動しているが、これが、宇宙の一般的な姿であるとは限らない。銀河がバラバラに運動して、宇宙膨張と固有運動を区別できない可能性も考えられる。こうしたケースでは、赤方偏移(ないし青方偏移)を宇宙膨張からの寄与と固有運動によるドップラー効果に無理に分けるよりも、初めから座標間の相対運動による波長の変化として統一的に扱った方がわかりやすいだろう。

 何よりも、学生に対して余分な言い訳をしなくて済む。教室で膨張宇宙の話をする場合、歴史的なエピソードも紹介しようとスライファーの観測結果に触れることが多いが、そうすると、アンドロメダのように近づいてくる銀河もあるため、どうしてもドップラー効果の紹介をせざるを得ない。その流れでハッブルの発見に話を進め、さらにエディントンの「風船のように膨張する宇宙」まで来たところで、「赤方偏移は実はドップラー効果ではない」と言い出すと、どうにもややこしくなる。教育的な配慮からわかりやすい議論をしたと言っても、間違った内容を教えた言い訳としては苦しい。それよりも、波長の変化をドップラー効果として統一して論じた上で、「媒質が膨張することによる微小ドップラー効果を積み上げた結果なので、媒質の変化を考慮していない通常の公式では、遠方の銀河に対して近似が悪くなる」と言えば済むことである。

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©Nobuo YOSHIDA