◎量子力学のわかりにくさとは

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 量子力学は、あらゆる物理現象の基礎に位置する理論であるとされながら、その難解さによって初学者を悩ませる。量子力学がわかりにくいのは、そこで用いられる諸概念が、古典力学の道具立てと著しく異なっているためでもあるが、それとともに、量子力学が理論として多くの未熟さを抱えていることが、大きな要因になっていると考えられる。以下、この点をかいつまんで述べたい。



■非相対論的量子力学は未完成の理論である

 (非相対論的)量子力学は、ボルンやハイゼンベルグによる行列力学と、シュレディンガーの波動力学という2つの流れを統合する形で、1926年に完成したと言われる。しかし、この時点での理論構成は、古典力学の物理量を行列あるいは演算子に置き換えるという形式を取っており、量子力学だけで閉じていない。当時の議論に従うと、まず、古典的な粒子描像に基づいてハミルトニアンなどを書き下し、その上で、対応原理を使って量子化しなければならず、粒子として導入したはずの物理的対象が、途中から、位置や運動量が確定した値を持たない非古典的な対象にすり替えられてしまう。これでは、首尾一貫した描像を構築することが困難である。

 こうしたわかりにくさは、非相対論的量子力学が未完成の理論であることに起因する。1929年にハイゼンベルグ=パウリによって提案された場の量子論(相対論的な量子力学)は、少なくとも、それ以前の量子力学よりも、物理的対象についての一貫したイメージを与えてくれる。何よりも、場の量子論では、理論を構築するベースとして古典的な粒子の概念を必要としていない点が重要である。物理的な対象はあくまで“場”であり、その励起状態の振舞いとして粒子的な性質が現れることになる。場の量子論における素粒子は、物性論に現れるフォノン(量子化された格子振動)などの準粒子に近いものであり、古典力学的な粒子とはほど遠い。同一の物理的対象が「粒子性と波動性を併せ持つ」といったわかりにくさは残るものの、まず古典的な粒子描像から出発し、次いで、それが位置と運動量の確定値を持たないと主張するような概念的混乱はない。

 それでは、場の量子論に基づいて統一した世界観を構築すれば良いかというと、事態はそう単純ではない。無限次元のヒルベルト空間が無限個必要になる場の量子論は、非相対論的量子力学に比べて習得が格段に難しいという問題もあるが、それ以上に重大なのが、場の量子論自体が閉じた体系になっていないという点である。非相対論的量子力学は、物理的な内容はともかく、数学的には、ヒルベルト空間上の演算子に関する理論として公理論的に体系化されている。これに対して、場の量子論は、いわゆる「紫外発散」のために演算子を厳密に定義することができず、ミクロの極限では、より根元的な理論(超ひも理論?)に座を譲らざるを得ない。物理学者からすると、場の量子論を使って中途半端に哲学的な議論をするよりも、単なる実用的な理論として非相対論的量子力学を使い倒すか、根元的な理論を構築してその内実を解明するか、いずれかの方がはるかに有意義な活動なのである。こうして、物理学の進歩の中で、非相対論的量子力学の範囲で何とかして世界を理解しようとする人々は、置き去りにされてしまう。



■波動関数には2つの異なる量がまぜこぜにされている

 波動関数ψ(q)の曖昧さも、量子力学のわかりにくさの淵源となっている。標準的な解釈では、波動関数の絶対値の2乗|ψ(q)|2は、位置qに粒子が観測される確率となる。だが、こうした解釈は、観測される対象が古典的な粒子ならばいざ知らず、運動量に無限大の不確定性を与えない限り位置が確定しないような対象を論じるときには、明確なイメージを結ばない。波動関数は何かの拡がりを表しているのか、単なる確率振幅にすぎないのか、今ひとつ判然としないのである。

ka_fig38.gif  こうした問題が生じる理由は、経路積分法を用いて量子化すると、かなりはっきりとしてくる。1粒子系──話を簡単にするために粒子という古典的な概念を援用する──の場合、経路積分とは、始状態から終状態に至るさまざまな軌道(経路)に、ある重みを付けて足し合わせたもので、例外的なケースを除くと、演算子を用いる通常の量子化と一致するように重みを選ぶことができる。古典力学では、運動方程式の解となるただ1つの軌道だけが現実的なものとなるが、量子力学は、無数の軌道の足し合わせによって運動が表される(右図参照)。波動関数が“拡がり”を持つのは、多くの軌道を足し合わせていることの結果である。

 始状態 |i〉から終状態 |f〉に至る過程を、経路積分によって
  〈f|Σpρ(p)|i〉
と表すことにしよう(規格化や拘束条件などの細かな話は省略する)。ただし、ρ(p)は経路pに対する重み関数であり、Σpは、経路に関する和を意味する。演算子による量子化と等しくなる定式化を採用すると、Σpρ(p) は、全ての経路に対する exp(-iS) (S は作用積分)を何の制限も加えずに足し合わせたる形で表され、形式的に、シュレディンガー方程式を解いて求められる時間発展のユニタリー演算子U の作用と一致する。ここで、経路積分の途中に当たる時刻tに単位演算子 |q〉dq〈q| を挿入して、経路を |i〉→|q〉と |q〉→|f〉の2つの部分に分解してみよう。このとき、 |i〉→ |f〉の量子過程は、
  〈f|Σp1ρ(p1)|q〉dq〈q|Σp2ρ(p2)|i〉
と表される。p1とp2は、それぞれ|i〉→|q〉、 |q〉→|f〉の経路を表す。仮に、経路積分が演算子による量子化と等しいとすると、
  〈q|Σp2ρ(p2)|i〉
は、始状態|i〉に対してシュレディンガー方程式を解いたときの波動関数ψi(q)になる。

 上の式から明らかなように、ψ(q)には、“拡がり”に関して物理的に異なる量が含まれている。量子過程を表すには、
  〈f|Σp1ρ(p1)|q〉 = ψf(q)*
との内積を取らなければならないにもかかわらず、通常の定式化では ψ(q) を単独で扱う。これは、終状態を指定せず、 |i〉を始状態とするあらゆる可能な量子過程を重ね合わせていることを意味する。 さらに、膨大な自由度を含む環境と相互作用するときには、特定の古典解の近傍だけを積分しなければならないケースもあり、シュレディンガー方程式の結果と一致させるために設けた「経路に関して制限を加えない」という条件は、全ての可能な古典解を一緒くたにしてしまっている。ψ(q) が、単一の量子過程における中間状態ではなく、さまざまな終状態が実現される場合の確率振幅を表すのは、このためである。

 ただし、経路についての制限を加えていったとしても、古典力学のように、現実的な経路をただ1つの軌道にまで絞り込める訳ではない。経路積分で表される拡がりの中には、物理的な現実である量子揺らぎが含まれており、揺らぎのない量子状態が実現されとは考えにくいからである。もっとも、現在の定式化では、量子揺らぎの寄与だけを抜き出して表すことは困難であり、ψ(q) には、単なる確率振幅についての情報と、物理的な量子揺らぎについての情報が、明確に区別されることなく含まれることになってしまうのである。



■自由粒子こそ難しい

 物理学的な理論を検証する場合、まず、最も単純なケースから始めるのがふつうである。量子力学の場合には、外場の存在しない自由粒子が、この単純なケースに当たるとされる。しかし、実際に量子力学の応用例をいろいろと扱っていると、自由粒子に関する議論が最もわかりにくいような気がしてくる。

 調和振動子や水素原子のような束縛系では、波動関数が有限の領域に制限されており、その形を元に物理的な状態を直観的にイメージすることは、必ずしも難しくない。エネルギーの固有状態が特殊関数によって表されるような簡単なケースになると、具体的に数式を組み合わせて状態を計算することも可能である。ところが、自由粒子の場合は、波動関数が無限に拡がった単色平面波の重ね合わせとなってしまい、具体的なイメージが湧かない。重ね合わせによって局在波を作ろうとしても、フーリエ級数の収束が悪い上に、すぐに拡散してしまうので、扱いが難しくなる。

 それ以上に深刻なのが、自由粒子にそのまま量子力学を適用することが果たして妥当なのかという根本的な問題である。束縛系の場合、束縛エネルギーが、粒子と環境でやりとりされるエネルギーに比べて充分に大きいと考えられ、環境の影響はほとんど無視することができる。しかし、自由粒子の場合には、環境からの影響を覆い隠してしまうような既知の作用がないため、本来、環境からの影響を無視することができないはずである。二重スリット実験のように、粒子が進入できない領域以外では自由粒子になると仮定して実験結果と合致する計算結果を導いている例はたくさんあるが、これらは、|ψ|2が確率になるという前提の下で計算したものであって、シュレディンガー方程式の解が何らかの物理的な意味を持つことを保証する訳ではない。少なくとも、自由粒子に関する議論を元にして量子力学の特徴を説明しようとする試みに対しては、注意が必要である。



 量子力学がわかりにくい理論であることは間違いないが、それは、必ずしも、自然界が人間の理解力を超越した不思議さを備えているからではあるまい。むしろ、現在の量子力学に内在する理論的な不備に、もう少し目を向けるべきであろう。

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©Nobuo YOSHIDA