◎オンライン・アーカイブ試案

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 大学や研究所で行われている学術研究の成果は、学術雑誌への投稿を通じて発表されることが多い。これ以外にも、学会・シンポジウムでの口頭発表やプレプリントなどによる研究者間の私的な意見交換も盛んに行われているが、不特定多数の研究者に研究成果を知らせるとともに、その内容を後代に伝えるという点で、学術雑誌の優位性は動かしがたい。

 さらに、学術雑誌は、単に発表の場を提供するだけでなく、研究成果の格付けを行うという役割も果たしている。多くの学術雑誌では、投稿された論文が匿名の査読者によって審査され、掲載の可否が決定される。 Science や Nature のような“一流誌”では、審査基準がかなり厳しく、掲載率は10%程度でしかないため、掲載された段階で優れた業績であると判断できる。類似した研究論文が膨大な量に上り、役立つデータを探し出すのが一苦労となる分野において、こうした選別があらかじめ行われることは、研究者の労力を減らす上で、きわめて有用である。投稿した論文の掲載が拒否されても、より格下の雑誌に再投稿すれば良いので、研究そのものが無駄になることは少ない。

 もっとも、こうしたやり方に問題がないわけではない。思いつくことを列挙していこう。

  1. 査読と印刷を行うため、投稿から出版までにかなりの時間が掛かる。業績の先取権は「投稿日」を基準にするというコンセンサスがあるものの、どうしても、先に出版された論文の方が学界で影響力を持ちやすい。成果が直ちに応用に供される分野では、出版までのタイムロスによって研究の遅滞を招来することは多分にマイナスである。
  2. 小さな研究室の場合、雑誌の購入費が重荷となる。専門的な学術雑誌は、投稿論文に対して原稿料を支払わない(逆に、掲載料を徴収するところが少なくない)こともあって、原稿を集めるまでは安上がりだが、編集費と印刷費(カラー図版が必須となる分野も多い)が高くつくため、部数が少ないときにはかなり高い価格となり、研究室の乏しい予算を圧迫する。
  3. 査読を行うレフェリーが論文の価値を正しく評価できず、掲載が拒否されるケースもある。ノーベル賞授賞対象となったゲルマンのクォーク仮説の論文は、Physical Review のレフェリーに認められず、結局、出版されなかった。レフェリーが書き直しを要求し、発表されるまでにいたずらに時間が費やされることも珍しくない。
  4. 紙媒体の雑誌は、物理的なスペースを必要とする。研究が活発な分野では、1年間に発行される主要雑誌だけでも、積み重ねると数メートルに達する。図書館で調べものをする場合、抄録誌の棚と雑誌の棚を何度も往復し、分厚く合本された雑誌を上げ下ろしすることになって、体力を消耗する。

 このような問題を回避するため、現在では、多くの学術雑誌発行元が、オンライン出版に力を入れている。アクセス用IDを取得している会員は、インターネット上で論文の全文を読むことができる上、キーワードを入力して関連文献を検索できる。研究者にとっては、便利この上ない。ただし、上記の1〜3の問題が解決されたわけではない。オンライン論文の中には、紙媒体による出版に先立って発表されるものもあるが、多くの論文は雑誌の出版まで公開されないため、タイムロスは解消されていない。

 ここでは、論文を発表するための新しい方法として、論文のオンライン・アーカイブの創設を提案したい。学術雑誌を使って研究成果を発表するという現在の方式は、17世紀のイタリアで考案されたもので、多額の費用が掛かる「印刷」に頼らざるを得ないという条件を満たすための便法であった。新しいメディアが利用可能になった現在、これに固執しなければならない理由はない。オンライン・アーカイブで全ての論文を収蔵・公開すれば、少なくとも、印刷するための費用と時間を節約することができる。

 アーカイブには、無審査で論文を収めるべきである。名誉毀損や著作権侵害など法的に問題のある論文を避けるために、投稿時に所属などを含む認証を行い、悪質な内容のものは、管理者の権限で削除できることにする。また、アーカイブの維持費として、投稿者から1万円程度の投稿料を徴収する必要があるだろう。フォーマットはPDF形式などを指定し、図版や表組みなど全てを投稿者に準備させる。リソースが不足しないように、「トータルで200kb以下」といった条件を付けるべきかもしれない。しかし、それ以上の制限はなく、誰もが自由に論文を投稿できる場とする。

 もちろん、これだけでは、UFOや超能力などに関するいかがわしい論文が集まり、ただのゴミ集積所になってしまう。質の高い論文を選別する機能を設ける必要があるが、それには、2つの方法が考えられる。

 第1に、既存のクォリティ誌の助けを借りる方法がある。Science や Nature のような質の高い学術雑誌は、単に投稿された論文を掲載するだけでなく、重要と思われる論文についての簡単な紹介や解説、コメントなどを載せている。こうした記事は、第一線の科学者が執筆することが多く、単独で読む価値がある。そこで、名のある学術雑誌に、アーカイブ収蔵論文の(掲載ではなく)紹介を求める応募枠を開設したらどうか。編集部は、応募された論文を審査に回し、高い水準にあると判断されたものについては、紹介あるいは解説の記事を載せることにする。当初は、応募が殺到するのを避けるために、高めの応募料を設定する必要があるかもしれないが、軌道に乗れば、リーズナブルな価格に引き下げることができるだろう。応募は、論文の著者だけでなく、推薦者が行えるようにすることも考えられる。オンラインの出版物で紹介されている場合は、記事からのリンクによって論文を直ちに読むことができる。こうしたやり方が一般化すると、学術分野でのクォリティ誌は、優秀な論文の紹介誌(一種のアンソロジー)といった趣を呈する。

 第2に、アーカイブに収蔵された論文に直接コメントを付けていくという方法が考えられる。ちょうどネット掲示板のスレッドのように、ある論文に対して後から意見を加えられるというものである。ただし、無責任な発言を避けるために、コメントする者は氏名を公表し、管理者にコメント料を支払うことにすべきだろう。学界には、誰もがその動向に注意するような指導的科学者が何人か存在するが、そうした人物がコメントを付けるようになれば、アーカイブに論文の選別機能が生まれる。基本的には、優秀な科学者がコメントを付けている論文は読む価値のあるものであり、コメントの数が多いものほど学界で受容されていると考えて良い。現在、論文のレベルを判定するのに特定学術雑誌での引用回数が利用されているが、将来は、コメント数が判定基準になることも期待される。

 著作権の点から難しいかもしれないが、こうしたアーカイブは、あるジャンルの全論文が収蔵されていることが望ましい。すでに、一部の学術雑誌では、掲載後1年間経過したものについて、インターネットで全文を無料公開するという試みを始めているが、この方針をより徹底化し、最終的にそのジャンルの論文が1つのアーカイブにまとめられるようになれば、利便性は確実に向上する。例えば、あるキーワードを含み、一定数以上のコメントが付けられている論文をアーカイブ内部で検索すれば、当該分野の研究動向を探ることもできる。

 かつては、図書館が開架式でない、学術雑誌の所蔵数が少ないなど何かと不便な点が多く、論文を読むこと自体が難行であった。こうした障碍はだいぶ解消されたものの、査読と印刷を行う現行の方式では、どうしても費用と時間が嵩み、研究にとってマイナス要因となっている。とは言え、査読のシステムを止めると、膨大なクズ論文の山の中から読むに値するものを探し出さなけらばならず、ほとんどの研究者は、それだけの能力も時間もないため、結果的に、研究水準の低下を招いてしまう。この問題を解決するために考えたのが、上記のアーカイブ方式である。バイオや半導体のように研究の活発な分野では、学術雑誌の出版が巨大な市場規模を獲得しているため、そう簡単に研究発表の方式を改めるわけにはいかないだろうが、研究者の少ないマイナーな学会から、アーカイブ方式を取り入れてみてはどうだろうか。

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©Nobuo YOSHIDA