◎20世紀の科学・技術

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 こんにち、日本語では、元々 "Science and Technology" の訳語として導入され「科学技術」を表していたはずの「科学技術」という語を、「科学に基づく技術」ないし「科学的技術」の意味で使用している。これは、単に言葉の上の誤用ではなく、社会における科学と技術のあり方そのものが、大きく変わってきたことを示すものだろう。

■「科学と技術」から「科学技術」へ
 いささかステレオタイプ化して言うならば、19世紀において、科学と技術は、方法論的に全く異なるものであったのに対して、20世紀に入ると、科学と技術が合体して1つの手法として社会に用いられるようになったのである。
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 19世紀において、「科学」とは「自然の謎を解明しようとするアカデミックな学問」としての性格を持っていた。さすがに、18世紀以前のように、貴族趣味的なアマチュア科学者の発言力は低下していたものの、多くの科学者は、産業と密接な関係を持つことなく、大学を中心とする閉鎖的な社会で研究を行っていた。現在では、産学協同による研究が(特にアメリカにおいて)盛んで、企業が資金を提供し、大学が成果を引き渡すという形で企業と大学が協力しあう体制が出来上がっている。だが、かつては、大学人は産業に手を貸すことを潔しとせず、大学の自治を必要以上に重んじる傾向が見られた。その一方で、「技術」は、産業活動の現場で作業する者が経験的に身につける技能(skill)の集積とでも呼ぶべきものであり、必ずしも、科学的な裏付けのあるものではなかった。
 20世紀にはいると、「科学」と「技術」の関係は大きく変貌し、両者が一体化した「科学技術」が成立する。実際、新しい製品や手法を研究・開発(R&D)していく場合、どこまでが科学的な研究で、どこからが技術的な開発かを区別することは意味をなさない。研究・開発の過程は、有用な成果を得るために組織化されており、同一の目的を指向する一連のプロセスを構成している。「科学技術」とは、こうしたプロセスを下支えする一つの手法と考えなければならない。
 それまでになかった新製品を世に送り出すパイオニア的な企業は、すべからく、先行投資の形で科学的な基礎研究を行っている。例えば、コンパクト・ディスク・プレーヤーを開発する場合、レーザー発振や符号理論、材質科学などの分野で、きわめて基礎的な科学研究を行わなければならない。しかし、こうした科学研究は、どんなに基礎的な内容であっても、最終的には製品の実現を念頭に置いた目的指向的な営為であり、自然界の謎を解明しようという19世紀的アカデミズムの精神とはかけ離れたものである。こうした科学研究によって得られたデータは、そのまま製品開発のために技術者が利用するところとなる。こうした科学と技術の連係プレーが行われているのが、20世紀的な「科学技術」の特色である。

■研究・開発の組織化
 急速に発展する科学の成果を産業にすばやく取り込み、市場における自由競争にうち勝つために、先進的な企業は、研究・開発を組織的に行うようになっている。
 研究・開発を組織的に行う方法には、いくつかのパターンがある。大手企業の場合、自社内に科学的研究を行う附設研究所を設置している場合が多い。AT&Tのベル研究所やIBMのチューリッヒ研究所などがその代表例である。これらは、私企業の研究所であるにもかかわらず、ノーベル賞受賞者を輩出しており、研究水準の高さが推し量られる。一方、(特にアメリカにおいては)科学的な基礎研究を大学と協力して行うことも一般的である。協力の仕方には、企業が資金を提供して大学に研究全般を委ねる委託研究や、企業の技術者を大学に派遣して行う共同研究など多様であるが、いずれの場合も、事前に特許などの知的財産権に関わる契約を取り交わし、研究成果を優先的に企業が利用できるようにしてある。基礎研究の成果は、企業内で開発を担当している技術者に供され、そのうちのいくつかは、実際に販売される製品などに利用される。
 こうした研究・開発の流れは、次のような図で表すことができるだろう。
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■「科学技術」成立の契機
 19世紀的な「科学」と「技術」が20世紀的「科学技術」に変貌する過程でメルクマールとなる時期は、1910年代後半から20年代である。この時期に次のような出来事があり、これらがきっかけとなって科学と技術の一体化が促進されたと思われる。
  1. 戦争における軍事研究の成功:第1次世界大戦(1914-18)は、「科学」が戦闘の勝敗を左右した最初の戦争だと言われる。この戦争で、さまざまな近代兵器が実用化されるが、これらの多くは、政府が科学者を動員して組織的に行った研究・開発の成果である。中でも、ドイツ軍が使用した毒ガス(塩素ガス)は、戦前のアカデミックな化学研究のデータを踏まえて、技術者が生産技術を開発した強力な兵器であり、対戦国を震え上がらせた(戦後は人道上許すべからざる兵器と見なされるようになる)。軍事目的での研究・開発は、環境汚染や倫理上の問題を顧慮しない純粋に目的指向的なプロセスであり、これによって短時日のうちに多くの兵器が開発できたという事実は、基礎研究をもとに科学者・技術者を組織して目的指向的な研究・開発を行うことの生産性の高さを実証するものであった。大戦後、こうした研究・開発の手法が、産業界で積極的に取り入れられたことは、きわめて自然な成り行きである。ちなみに、第2次世界大戦では、前にもまして大規模な軍事研究が行われ、レーダーや原爆を生み出している。
  2. アメリカの経済発展:20世紀はアメリカの時代だと言われるほど、この国が政治・経済・文化の各分野で果たした役割は巨大である。しかし、1910年頃までは、ヨーロッパから見ると、アメリカはまだまだ「田舎」であり、見下ろされる存在だった。ところが、第1次大戦でヨーロッパが戦場となって産業が疲弊すると、その間隙を縫うようにアメリカの産業が発展し、経済的な繁栄を謳歌するようになる。開拓者時代に何もないところから生活財を生み出さねばならなかったアメリカの国民性は、アカデミズムを尊重するヨーロッパと異なって、プラグマティズムの伝統が色濃い。1920年代に経済発展を遂げる過程でも、有用なものは積極的に取り入れようという気風の中で、産業が科学・技術を組織的に組み込んでいった訳である。こうしたアメリカ流のやり方(the American way)が成功を収めたのを目にしたヨーロッパや日本の産業界でも、同様の手法を採用する動きが促進される。
  3. 科学・技術水準の全般的な上昇:19世紀後半から20世紀初頭にかけて、科学・技術の分野で革新的な発見や発明が相次ぎ、その成果を産業に取り入れることが利益を上げる段階に達する。この時期に科学・技術が発展した理由は必ずしも明らかではないが、19世紀を通じて産業の生産性が向上して生産に直接携わらない余剰人員が生じ、彼らの中で才能のある者が地道な研究を続けてきた成果が結実したとも考えられる。ただし、1920年代以降の科学・技術の発展は、産業による組織的研究・開発の進展と表裏一体の関係にある。

■組織的な研究・開発の問題点
 科学と技術を一体化して組織的に研究・開発を行うという手法は、産業の驚異的発展を可能にし、われわれの生活を経済的に豊かにするのに大いに貢献した。しかし同時に、この手法はさまざまな問題点を抱えており、その弊害が、近年になって急速に表面化してきたように思われる。
 すでに述べたように、組織的な研究・開発は目的指向的な性格が強く、産業における有用性を重視するあまり、環境や倫理への配慮に欠ける側面がある。工業に役に立つとして利用されたPCBやフロンが環境を破壊し、畜産業や医療に応用できるとされたクローン技術が倫理的反感を買う。こうした状況は、「科学技術」に対する不信感を招き、特に若い人の「科学技術」離れを促す要因にもなっている。
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 われわれは、20世紀における組織化された科学・技術が、有用性を追求するあまり何をしたてきたかを、冷静に回顧する必要がある。

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©Nobuo YOSHIDA