◎携帯電話による医療機器の誤作動

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 日本で一般的に使われている携帯電話は、基地局との交信用に、周波数900MHz(波長33.3cm)または1.5GHz(波長20cm)付近のマイクロ波を送信している。このマイクロ波が何らかのトラブルを引き起こす可能性は、かなり以前から指摘されていた。かつては、健康被害を心配する声が多かったが、マイクロ波には細胞を傷害する効果はなく、脳を内側から暖める効果も生理的発熱より小さいため、健康に悪影響があるという証拠は今のところない(WHO International EMF Project: Fact Sheet N-193 (revised 2000))。こんにち注目されているのが、周辺の電気機器を誤作動させるという電磁干渉(Electromagnetic Interference; EMI)の問題である。医療機器に干渉する場合、影響は特に深刻なものとなる。1995年には、岡山県の医療機関で輸液中に輸液ポンプが警告音を発して急に停止するという事故が起きており、同じ室内でほかの患者が使用していた携帯電話による電磁干渉が疑われた(厚生省薬務局:医薬品副作用情報No.136,(1996))。ただし、このケース(およびほかの大半の報告例)では、携帯電話が原因だと断定されたわけではなく、機械本体の故障や操作ミスの可能性も否定できない。ここでは、携帯電話による医療機器の誤作動に関して、現時点での知見を簡単にまとめておく。

§1.携帯電話による電磁干渉

 電磁干渉は、電気機器のケーブルや電子部品が電磁波を拾って、機器内部に余分な電圧(ノイズ)を発生させることによって起きる。携帯電話やパソコンのそばに置かれたラジオから聞こえる雑音は、この余分な電圧がそのまま音に変換されたものである。こうした「アナログ的」な雑音は、一般に、電磁波の発生源を近づければ大きくなり、遠ざけると小さくなるので、原因の特定や影響の予測が容易に行える。ところが、マイクロプロセッサを搭載してデジタル制御を行っている機器の場合は、デジタル信号が乱されることによって、より予測の難しい障害が発生することがある。
 デジタル制御では、一定幅の電圧変化が表す0と1の数字の並びによって、各部品に特定の指令を送っている。ところが、ここに電磁波によるノイズが加わると、0と1の数字列が変化して、指令内容そのものが変わってしまうことがある。通常は、自動的なエラーチェックに引っかかるので問題は生じないが、いくつかの偶然が重なって誤作動が引き起こされることも皆無ではない。こうした誤指令は、あるタイミングで特定波形の電磁波が入射されたときに生じるため、電磁波の発生源を近づければいつも起きるというわけではなく、低い確率で偶然に発生する。この偶発性が、電磁干渉によって何が起きるか予測することを難しくしている。
 携帯電話による電磁干渉の発生頻度は、通信方式によって異なると言われ、アナログ方式よりもデジタル方式が、また、デジタル方式の中でも電磁波が(通話時には20ミリ秒ごとに)バースト状に発射されるPDC方式が、電磁干渉を起こしやすいという説もある。しかし、実験結果は必ずしも一定ではなく、通信方式による差は、敢えて問題にしなければならないほど大きくないようだ。
 現在、電磁干渉の発生と明確な相関を持つことが判明しているのは、電磁波の強さ(電磁界の強度)である。電磁波が強いほど大きなノイズを発生させるので、電磁干渉が生じやすい。電磁波の強さは、発生源の出力・距離と方向・遮蔽物などの有無に依存する。
 携帯電話の出力は機種や受信状態によって異なる。最も多く使用されているデジタルPDC方式は、通常出力0.8Wである。旧式のショルダーホンや通信衛星と交信する軍事用携帯電話には、出力が2Wに達するものもあるが、現状では考慮する必要はないだろう。auで使われているcdmaOne方式は0.2W、PHS端末は0.08Wであり、出力が小さい分だけPDC方式に比べて電磁干渉の危険性は小さい。特に、PHS端末は、いくつかの実験データからも、こと電磁干渉に関しては安全性が高いことが判明しており、通常病棟などで使用しても問題ないとされる。
 なお、携帯電話は、通話していないときにも位置を確認するために基地局と交信しているので、マイクロ波の放射を止めるためには、電源スイッチを切らなければならない。また、圏外に出た場合は、交信可能な基地局を探すために最大出力で電磁波を放射し続けるので、電磁干渉を起こす危険性が大きくなる。電磁波を遮蔽している室内に入ったときには、特に注意を要する。
 同一出力の端末から発射される電磁波の強さは、携帯電話(アンテナの先端ではなく筐体を含む全体)からの距離とともに減少する。電磁波が完全な球面状に拡がっていく場合は、電磁界強度は距離の1乗に、電磁波が運ぶエネルギーは2乗に反比例して小さくなる。ただし、実際には、携帯電話から発射される電磁波は特定の方向で強くなるという指向性がある上に、さまざまな物体から反射されてくる電磁波が重なり合うため、電磁波の強さと携帯電話からの距離は、単純な関係にない。
 携帯電話から発射されるマイクロ波に対して、コンクリートやモルタルのような建材は、ほとんど遮蔽効果を持っていない(E.Hanada et al.: Biomed.Instrum.Technol.32(1998) 489-)。厚さ12cmのコンクリート壁でも80%は透過してしまい、事実上、素通しである。したがって、隣室や廊下で使用されている携帯電話が、室内の電気機器を誤作動させることも充分に起こり得る。マイクロ波を遮蔽するには金属が最も効果的であり、厚さ0.5mmのスチール板を両面に貼った仕切り板を使えば、90%以上をカットできる。こうした遮蔽ボードは、いくつかのメーカから市販されている。ただし、金属はマイクロ波の大部分を反射するため、思わぬ場所で電磁干渉を引き起こすこともある。マイクロ波を反射せずに吸収してしまう内装材も販売されており、室内のリフォームによって電磁干渉の危険性を減らすことも可能である。

 携帯電話による電磁干渉を考察する際に注意すべき点を列挙しておこう:
  1. デジタル的な電磁干渉は、低い確率で偶発的に生じるので、数回のチェックで安全だと結論してはならない。
  2. 携帯電話は、電源を切らない限り、通話中でなくてもマイクロ波を放射する。圏外に出たときには、さらに放射が強くなる。
  3. 電磁干渉は、通常は放射源から遠ざかるほど生じにくくなる。ただし、マイクロ波は金属によって反射されやすいため、スチール家具や天井の補強材から反射されてくる電磁波が重なって、ホットスポット状に電磁干渉が起きやすい地点が生じることがある。
  4. コンクリートやモルタルなどの建材はマイクロ波を素通しにする。電磁干渉を防ぐためには、隣室や廊下で使用される携帯電話にも注意しなければならない。


§2.医療機器の誤作動

 携帯電話による電磁干渉が原因と思われる医療機器の誤作動は、1990年代初頭から報告され始めた。1996年に厚生省が「医療用具安全性情報」として注意を喚起したこともあって、機器メーカが独自に対応を進めたため、一般的に言って、新しい製品ほどシールドがしっかりしており、電磁干渉を受けにくくなっている。しかし、5年以上前に作られた製品の中には電磁波によって誤作動しやすいものもあるので、こうした機器を使っている場合は、ユーザ側でも何らかの対策を講じなければならない。

(1)ペースメーカ

 医療機器の中で、電磁干渉についてのデータが最も豊富なのが、ペースメーカである。
 電磁干渉による誤作動を防止する基準として良く知られているのが、不要電波問題対策協議会が1997年に提言した「携帯電話端末を植込み型心臓ペースメーカ装着部位から22cm程度以上離すこと」という指針である(不要電波問題対策協議会:「医用電気機器への電波の影響を防止するための携帯電話端末等の使用に関する指針」(1997))。この指針のベースになっているのは、携帯電話を15cmまで近づけたときに誤作動するペースメーカがあるという複数の実験結果である。NTTドコモが中心となって行った実験(野島俊雄:「電波が医用電気機器に及ぼす影響について」EMMCレポート13号(1997))では、人体の電気的特性に近い装置内に固定し、これに携帯電話(アナログ/デジタル/PHS)を近づけたとき、 が調べられた。その結果、実験対象としたペースメーカ70機種のうち、携帯電話(デジタルPDC方式、周波数900MHz/1.5GHz、出力0.8W)との距離が15cmで影響を受けるものが1機種、10cmで1機種、8cm以下で18機種となり、50機種は全く影響を受けなかった。1995-96年に郵政省(現・総務省)が電波産業会に委託して行った調査では、228機種のペースメーカに携帯電話(周波数900MHz、出力0.8W)を近づけたとき、何ら影響を受けないのは184機種(80.7%)、1機種が15cm、2機種が10cmの距離で影響を受けたと報告されている。2000-01年に行った同様の調査では、影響を受けなかった機種の割合が94%以上に改善されたものの、最大15cmで干渉を受ける機種があることに変わりはなかった(下表)(電波産業会:「電波の医用機器等への影響に関する調査研究報告書」総務省2001年5月15日報道発表資料)
携帯電話
使用周波数
影響なし 影響あり(干渉距離)
1cm〜5cm 5cm〜10cm 10cm〜15cm 15cm〜
900MHz 64 3 0 1 0 68
1.5GHz 52 1 0 0 0 53

 植込み型ペースメーカの電池寿命は長いもので10年以上あり、古い機種を装着している患者も少なくないので、実験的に得られた最大干渉距離15cmに対して50%の安全マージンを見込んで「22cm以上離す」という基準となった。この安全基準は充分なゆとりがあり、また、影響を受けると言っても可逆的(携帯電話を遠ざければ正常に戻る)なので、過剰に神経質になる必要はないだろう。
 実際に人体に植え込まれたペースメーカを使った大規模な実験の結果は、1997年にHayes らが発表している(D.L.Hayes et al.: N.Engl.J.Med., 336(1997)1473-)。この実験では、980人のペースメーカ装着者の協力を得て、最大出力にした携帯電話(5ないし6機種;日本のものとは方式が異なる)を患者の左右の耳およびペースメーカの真上1〜2cmの地点に置いて、総数で5533回のテストを行った。何らかの電磁干渉が生じる頻度は、携帯電話およびペースメーカの機種によって大きく異なるが、平均すると、携帯電話を耳にあてがったときは0.2%、ペースメーカの真上に置いたときは12.9%だった。干渉の種類としては、トラッキングの干渉(tracking interference)が最も多く、非同期ペーシングがこれに続く。こうした電磁干渉によって何らかの臨床症状が現れたのは、ペースメーカの真上に携帯電話を置いたときに限られ、その頻度は7.2%だった。最も多かったのは動悸の4.5%で、以下、めまい1.2%、失神の前駆症状0.2%などとなっている。統計的な推定によると、ペースメーカの真上に携帯電話を置いたときに深刻な事態が生じる確率は、1.3-1.7%となる。こうしたデータをもとに、著者たちは、ペースメーカ装着者が携帯電話を通常の(耳にあてがう)方法で使用しても、重大な臨床症状をもたらす電磁干渉は生じない──一般的に言って、8〜10cm以上離せばほぼ安全である──と結論している。ただし、電源を切らずに胸ポケットに入れるのは危険である。

(2)一般医療機器

 ペースメーカ以外の医療機器についての電磁干渉のデータは、必ずしも多くない。実際にあった事故の報告(輸液ポンプの停止・保育器の設定温度の変化など)はほとんどが逸話的で、ほんとうに電磁干渉が原因なのかはっきりとしない。また、電磁干渉の大半は、計測データのわずかな狂いとして現れるだけなので、現場で見逃されていると言われる(B.Segal et al.: Biomed.Instrum.Technol., 29(1995)350-)
 管理された実験による信頼性の高いデータは、米メイヨクリニックのTriらによって発表された(J.L.Tri et al.: Mayo Clin.Proc.,76(2001)11-)。彼らは、17台の心肺系医療機器(輸液ポンプ・バルーンポンプ・心電計・血圧計・ペースメーカ・除細動器・人工呼吸器など)を特定の実験室に持ち込み、携帯電話(5機種)を電磁干渉に対して最も弱そうな部分に最接近させ、さまざまな向きを取らせたときに異常が生じるかどうかを調べた。異常が生じた場合は、遠くから1インチ(=2.54cm)刻みで携帯電話を近づけ、干渉を起こす最大距離を測定した。
 実験の結果、17台中7台に何らかの異常が見られた。データの解釈を邪魔したり装置の誤作動を引き起こすような「臨床上重要な意味を持つ」異常が発生する確率は、7.4%である。最も多く見られた異常は、心電計などのモニタ機器におけるノイズや基線の移動である。特にひどいケースでは心電計のデータが全く読みとれず、また、ノイズそのものが小さい場合でも不整脈などと混同されかねないという問題がある。最大干渉距離は、機種によって3インチ(7.6cm)から84インチ(213cm)までのばらつきがあった。
 特に重大なのは、実験に用いられた5機種の人工呼吸器のうち、1機種(Veolar-Hamilton ventilator)で、装置の停止・再始動が起きたことである。この現象は複数の携帯電話で生じ、同一機種の別の人工呼吸器でも再現された。機器の背面にある通信ポートのそば4インチ(10.1cm)に携帯電話を近づけたときにだけ異常が発生しているので、通常の電話使用の際に同じ現象が発生するとは考えにくいが、電磁干渉によって重大な医療事故が生じる可能性があることは確かである。

 同様の実験は、日本でも行われている(野島俊雄:前掲論文)。日本医療機器関係団体協議会傘下の機器製造業者が特定の手順書に沿って行った実験によると、調査された138機種の医用電気機器の約60%が、携帯電話(PHSを除く)によって何らかの影響を受けた。ただし、残りの40%の機器は、携帯電話を接触するほど接近させても何ら問題がなかったという。特に深刻なのは、次のようなケースである(カッコ内は、異常が生じた機種数と最大干渉距離): 恒久的な故障を生じた例はなかったが、動作が停止したケースでは、携帯電話を遠ざけただけでは機能は回復せず、装置をリセットすることによって、ようやく正常に動作するようになった。

 このような誤作動の危険は、携帯電話を医療機器から「適正距離」以上に離せば、ほぼ防ぐことができると考えられる。「適正距離」がいくらかを明言するのは難しいが、文献には、1m(D.Adler et al.: Biomed.Instrum.Technol., 32(1998)581-)、1.5m(J.L.Tri et al.: 前掲論文)、2m(野島俊雄:前掲論文)などの数字が上げられている。

§3.リスクと便益の問題

 携帯電話が医療機器にとって「危険物」であることは間違いない。しかし、危険性があるものを100%排除しようとすると、自動車に乗ることもできなくなってしまう。リスク(危険度)と便益を秤に掛けて、「便益が大きければ多少の危険を犯すことも許される」、「巨大なリスクがある場合は役に立つものでも排除する」という態度が必要になる。病院内で携帯電話の使用を認めるかどうかを考える場合も、リスクと便益を適切に評価しなければならない。
 当然のことながら、重大な医療事故を引き起こす危険性がある場合は、これを避けるべきである。手術室・集中治療室(ICU)・冠状動脈疾患監視病室(CCU)には携帯電話を持ち込み禁止にするのが妥当だろう(これは、不要電波問題対策協議会の指針と一致する)。
 一方、病室から離れた待合室やロビーでは、携帯電話が人命にかかわる被害をもたらす確率は小さい。病院を訪れる人は、緊急な通報やプライベートな連絡を必要としていることが多く、携帯電話を使用する便益が大きいので、使用を認めても良いだろう。ただし、患者や見舞客が電源を切らずに携帯電話を病棟に持ち込むと、壁越しに医療機器を誤作動させる危険があるので、その点は告知する必要がある。
 問題となるのは、病棟内での携帯電話の使用を認めるべきかどうかである。長期入院している患者にとって、病床で携帯電話によるコミュニケーションを行うことは大きな安らぎとなり、相当の便益がある。これに対して、リスクの大きさは、使用されている医療機器の種類と位置、患者の病状、電磁波対策の有無などによって異なる。病院の事情に応じて、「医療機器の配置に応じて禁止ゾーン/許可ゾーンに分ける」「医療機器から2m以上離れていることを確認すれば使用可能とする」「電磁干渉を起こしにくいPHSに限って使用を許可する」「患者の理解を得にくいので一律禁止にする」などの対応を考えるべきだろう。

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©Nobuo YOSHIDA