◎EPR相関は相対論に矛盾するか?

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 1935年にアインシュタイン−ポドルスキー−ローゼン(EPR)の3人が連名で発表した論文(*1)は、こんにちなお、量子力学の解釈を巡る多くの論争を生み出している。後にアインシュタイン自身によって改良されたバージョン(*2)によれば、その主張は、次のように単純化することができる:
ka_fig18.gif  相互作用を通じて量子状態Ψに置かれていた量子系が、2つの部分系AとBに分離して、充分に遠ざかる場合を考える。このとき、AとBの間には、初期状態がΨだったことに起因する相関が生じており、セットアップによっては、Aに対して物理量PまたはQの測定を行うと、それぞれの結果に応じてBの状態が確定するようにできる。ここで、PとQが非可換な物理量の場合、Aに対してどちらの測定を行うかによって、Bは物理的に全く異なった状態であることが判明する。ところが、AとBは相互作用を行わないほど離れているのだから、Bが確定した状態に変化することは、物理的な過程ではない。
 この主張に基づいて、アインシュタインは、「量子力学における状態関数は系の物理的な状態を完全に記述していない」と結論したが、この結論そのものは大して重要ではない。状態関数が確率振幅でしかないことは、正統的な量子力学解釈ですでに認められていたからである。問題は、AとBの状態が“どこで”確定したかである。古典力学では、AとBの状態は、測定する前にすでに確定していたと考えて、何の問題もない。例えば、1枚のコインをA,Bどちらか一方の箱に入れて、それぞれを充分に引き離す。その上でAの中身を見て、そこにコインが見いだされれば、Bは空であると瞬間的に確定する。もちろん、これは知識が確定しただけであって、Aに対する測定がBの状態を変化させたわけではない。ところが、量子力学の場合は、Aの何を測定するかが重大な意味を持つ。Bが充分に遠ざかってから、Aに対して物理量PとQのどちらの測定を行うかを決めた場合、どのような状態になるべきかをBはいつ“知った”のだろうか。
 EPRの“思考実験”と、それを現実的に遂行可能にするボームの提案(*3)を詳細に検討したベルは、AとBが分離した時点ですでに状態が確定していたとすると、どんな理論であれ、同じ実験を何度も繰り返したときにAとBの測定結果に見られる統計的な相関は、一定の不等式を満たしていなければならないことを見いだした(*4)。この“ベルの不等式”が成立しているかどうかを検証する実験は、1982年にアスペらによって遂行され、きわめて高い信頼度で否定的な結果を得る(*5)。その後、同様な実験がいくつも行われ、アスペらの結果が追認されている。すなわち、AとBがどのような状態にあると測定されるかは、分離した時点では決まっていないのである。
 アスペらの結果に対する最もナイーブな解釈は、Aを測定した瞬間に、光より速く測定結果に関する情報が伝わって、Bの状態を変化させたというものである。この解釈は、相対性理論と(直ちに矛盾するというわけではないが)しっくりしない。それでも、本気でこのたぐいの主張をする物理学者は、後を絶たない。
 EPR相関を伝える超光速相互作用があるという解釈は、しかしながら、原因と結果についての基本的な考え方を修正しなければならない。相対論では、時刻の先後関係は絶対的なものではない。相互に運動している座標系では、同時刻を表す座標軸は傾いている。したがって、Xという座標系で見ればAがBよりも後に測定され、Yという座標系で見ればBよりもAが後に測定されているという状況を実現することは可能である。さらに、測定装置そのものを運動させれば、それぞれの測定装置から見て、自分が行なった測定の方が相手が行ったものよりも時間的に後になることがあり得る(下図)。「原因は結果より先に起きる」という命題が真理ならば、A,B2つの測定に関して、どちらも相手の測定結果を決める原因にはなっていないということになる。こうした奇妙な状況が実際に起こり得ることが、最近、回転ドラムに取り付けた測定装置を使って実験的に確かめられた(*6)。すなわち、時間的に先行する原因がないにもかかわらず、結果としての相関が現れたのである。これは、相互作用が時間を遡って伝達されることを意味するのだろうか。
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 こうした“spooky”な立場を回避し、なお相対論と矛盾しない解釈は、「どこかで状態が決定された」という考え方を捨て去ることである。ニュートン力学やマクスウェル電磁気学の方程式は、コーシー条件に対して一意的な解を与える。すなわち、ある時刻の状態が決定されれば、それ以降の状態がすべて確定するという「因果律」が成立する。したがって、こうした古典的理論が自然現象を正しく記述しているとすれば、今日の夕食に何を食べるかも“神の最初の一撃”の時点で決まっていたことになり、時間は物理的な座標軸としてとして意味のないものになってしまう(実際、古典力学のハミルトニアン形式では、時間は単なるパラメータとしての役割しか果たしていない)。これに対して、量子力学においては、厳密な因果律は成立しておらず、ある時刻の状態がその後の時間発展を一意的に決めるということはない。それでは、物理的な状態を確定する何らかの契機があるのだろうか。観測(observation)や測定(measurement)をそうした契機だと考える物理学者もいるが、この立場を墨守しようとすると、上に述べたような超光速の相互作用を仮定せざるを得なくなる。こうした無理を重ねて、どこかで状態が確定してその影響が周囲に波及していくと考えるよりは、全時空にわたる状態がそのままの形で与えられていると解釈した方が素直である。古典力学的な見方では、初期条件が世界のあり方を完全に決めていたのに対して、量子力学になると、世界のあり方は全時空に依存しており、どこかに世界全体を決定する特別な場所があるわけではない。言うなれば、時空には(他の領域に完全に決定されてしまうような)無駄な部分がないのである。全時空での状態は、具体的には、全宇宙の量子論的な履歴(history)の1つとして指定される(*7)。
ka_fig19.gif  全時空で状態が与えられているという解釈は、相対論とは矛盾しない。相対論が禁止するのは、ある時空点の状態の影響が光円錐の外に及ぶことであり、(EPRペアのように)光円錐の外にある2つの事象を「原因と結果」と見なす解釈を困難にする。しかし、因果関係ではない単なる相関とするならば、これを相対論で禁止することはできない。相関のある世界が実現されているだけなのだ。なぜこうした相関が生じるかと問われても、厳密な因果律が成立していない以上、「ある地点でこうした状態が実現されたから」と答えることはできない。
 EPR相関については、数多くの論考が執筆されており、その中には、相対論との矛盾や超光速相互作用の存在を強く主張するものもあるが、私の見る限り、いずれも説得力に欠けている。相対論という確固たる検証データを持つ理論に対して疑いの目を向けるよりも、75年も前にハイゼンベルグが主張したとおり、量子力学では因果律が否定されるというよく知られた事実に基づいて解釈する方がはるかに建設的だと思われるが、いかがだろうか。

(*1)A.Einstein, B.Podosky, and N.Rosen, Phys.Rev.47(1935)777.
(*2)A.Einstein, Dialectica 2(1948)320.
(*3)D.Bohm, "Quantum Theory" (Prentice-Hall,1951) Chap.XXII.
(*4)J.S.Bell, Physics 1(1964)195.
(*5)A.Aspect et al., Phys.Rev.Lett.49(1982)1804.
(*6)C.Seife, Science 287(2000)1909, Science 294(2001)1265. ただし、ここで述べられた実験では、2つの系の測定は、いずれも時間的に先になっている。
(*7)M.GellMann and J.B.Hartle, Phys.Rev.D 47(1993)3345.

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©Nobuo YOSHIDA