◎円周率は3.14か?

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 文部省(現文部科学省)は、2000年11月14日に「2000年度版教育白書」を公表し、2002年度から実施される新指導要領についての見解を示した。そこで、一部のマスコミが「新指導要領では、小学校の算数で円周率を3と教えるようになる」と報道しているのは「誤解」だとし、「原則3.14で計算するのは現行と変わらない」と強調、新指導要領の意味するところは、「おおよその見積もりを出す場合には、3としてもかまわない」というものだと主張した。実際、新しい小学校学習指導要領・算数の該当箇所を読むと、図形に関して「円周率の意味について理解すること」とあり、さらに、内容の取扱いのところで「円周率としては3.14を用いるが,目的に応じて3を用いて処理できるよう配慮するものとする」と明記されている。ちなみに、同様の表現は旧(現行)指導要領にもあり、円周率の扱いが急に変わったわけではない。2002年から「円周率=3」になるというのは、マスコミが作り出した風説と言って良い。
 ただし、小学校の段階で円周率をどのように扱うべきかとなると、問題はもう少し微妙になる。多くの小学生は誤差の概念を理解していないので、「場合によって使い分ける」のは現実問題として難しい。高校生になっても、半径1.3cmの円の面積を求めるような(もちろん高校生向けのもう少しハイレベルな)問題に対して、答案に平気で「5.3066」と書く学生がいるほどで、「1.3×1.3×3.14=5.3066 なのだから 5.3 よりも 5.3066 の方が“正確な”解答だ」という信念を打ち砕くのに苦労させられる。ましてや小学生にとって、同じ円周率を、あるときは3.14、あるときは3として使い分けるのは、至難の業だろう。初めのうちは3.14として機械的に覚えさせておき、誤差を考慮する必要が出てきたところで、「1〜2桁の数値を使って見積もりをする」ことの意味を教えた方がわかりやすいはずである。
 円周率の扱いが混乱しているのは、小学校の算数では、原則的に「小数は小数点以下第1位までしか扱わない」と規定しているせいでもある。円周率もそれに合わせて「3.1」にすると筋が通るが、それではかえって教師が戸惑うので、円周率だけ変則的な扱いにしたものと推察される。しかし、小数点以下の桁数をどこまで取るべきかは、有効数字の概念と密接に結びついており、一律に1/10の位までとする(1/100の位を四捨五入する)のは、小学生でも不自然に思われよう(1辺80cmの正方形の面積は、6400cm2であると同時に0.6m2なのだろうか)。小数の計算に関しては、小学生の段階では、掛け算については全ての桁を求める(小数第1位同士の掛け算は小数第2位まで求める)、割り算については適当な位(通常は小数第2位)で四捨五入するということにしておき、中学に入ってから誤差や有効数字を学べば充分だろう。


 ところで、円周率のπは、職業的に計算を行っている人には馴染み深いものだが、実践の現場ではどのように扱われているのだろうか。実は、一般的な通念とは異なって、「π=3.14」と置いて計算することはまずない。πは電磁気学の公式に頻繁に現れるが、理論的な式変形の場合には、数値を代入せずにπのままで残しておくことがほとんどである。例えば、電流の値がアンペアを単位として与えられているとき、周辺の磁場を求める際には、真空の透磁率μ0を、
  μ0=4π×10-7
という厳密な形のままで表し、数値に直さないのがふつうである。これは、磁場の計算を行う際に係数の分母にπが現れ、μ0のπと打ち消しあって式が簡単になることが多いからである。実際、定電流Iが作る磁場Bについてのビオ=サバールの公式は、
  B = μ0/4π × I∫[dl,r]/r3
となっており、直線電流など多くのケースでπは打ち消されてしまう。最後の式にπが現れる場合もあるが、その際の数値計算は、理論的な計算を全て終えた後に電卓などを使って行うので、「π=3.14159265359」のような値が用いられる。当然のことながら、数値の誤差にπは寄与しない。
 一方、おおよその見積もりをするときには、状況に応じて適当に近似をする。分母にπがあるとき、1桁の近似で良い場合は「π=3」と置くことが多いが、分子が3で割り切れない場合には、「π=4」で計算しておいて、後で答えを3割弱水増しすることもある。もっと粗っぽくなると、
  π2=10
と置くのは当たり前で、宇宙論(なぜか計算中にπが現れる)のように桁の桁さえ合っていれば良いときには、
  π=1
  2π=4π=10
など、小学生が見たら目を丸くしそうな近似が(見積もりのために)使われる。
 こうしたやり方はπだけではない。何日分かのデータをもとに1時間あたりの数値を見積もるときには、「1日=25時間」と仮定して、データを4倍して100で割ってしまう(余裕があれば、さらに5%水増しする)。「1年=π×1千万秒」というのは、長期にわたって素粒子実験を行う研究者が愛用する(割と正確な)近似である。
 一般の人は「π=3.14」という機械的な代入に馴染んでいるが、科学者・技術者による数値計算は遥かに柔軟な発想の下に行われている。この柔軟さを幾分か学校教育に取り入れられたら、数値計算も無味乾燥なものではなくなるかもしれないのだが…

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©Nobuo YOSHIDA