◎正法眼蔵における時間

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 日本に曹洞宗を伝えた道元禅師は、その壮大な思想体系を『正法眼蔵』全95巻にまとめている。『正法眼蔵』は、1231年(道元32歳)から没年の1253年に至るまで断続的に制作されており、道元が直に書き記した巻と説法を弟子がまとめた巻が入り交じっていることもあって、内容にかなりばらつきがあるが、道元自身が執筆した部分は、日本思想史の頂点を極める偉大な著作である。

 『正法眼蔵』を読む際に注意しなければならないことは、道元が、時代を超越した恐るべき天才であったと同時に、既存の宗教を日本に伝える仲介者としての一面をも備えていたという点である。しばしば『正法眼蔵』は難解だと言われるが、その少なからぬ部分が、この二面性に由来する。道元は、仲介者としてあまたの仏典を引用するが、それは必ずしも先行する思想家の主張を人々に伝えるためではなく、彼自身の独自な思想を展開する上での素材として利用するためである。修証を通じての成仏という基本的な方針に関しては禅宗の本道をはずさないが、議論が存在や時間などの客観的概念検証に及ぶと、彼は、仏典を自在に解釈して自説を正当化しようとする。こうした語り口は、祖述として見るといささか牽強付会の感を免れがたい。しかし、これを明確な思想を語るための方便と見なし、レトリックとしての仏典解釈の背後に見え隠れする本来の主張を見逃さなければ、一見飛躍を重ねるがごとき論法の中に強固なロジックを見て取ることができる。

 道元は、時代の要請を受けて活動した天才であり、彼が生きた時代から引き離して思想を論じることは無意味かもしれない。しかし、仏典を素材として援用するその手法を見ていると、彼に別の──より現代的な──データを与えたときに、それをいかに咀嚼して自らのものにするかと想像を巡らしたくなる。それほど、彼の思想は現代的であり、また、現実を直視する強靱なリアリズム精神に満ちている。

 ここでは、時間について論じた「有時(うじ)」の巻を取り上げて、道元の思想の現代性を示したい。
なお、『正法眼蔵』の引用に際しては、『現代語訳 正法眼蔵 第二巻』(西嶋和夫著、仏教社、1975)を用いた。


 「有時」は1240年に道元自身によって執筆された巻で、存在と時間について触れており、『正法眼蔵』中でも「現成公案」などと並ぶ重要な部分である。

 仏教(特に禅宗)において、時間論はきわめて本質的な意義を持つ。全ての宗教は死の恐怖と対峙すべきであり、死によってあらゆる価値が喪失するのではないことを保証する必要がある。仮に、過去から未来へと長く伸びた時間軸の中で現在と呼ばれる一瞬だけが実在的であり、目まぐるしく推移する現在を過ごした挙げ句に死が人格を完全に無に帰してしまうとするならば、己れの死後にも自分を欠いた世界が延々と存在し続けることになり、個人の限りある生に高い価値を認めるのは難しくなる。この問題を回避するために、一部の仏教思想家は、現世と異なった穢れのない浄土を仮想し、死後になお生を受ける可能性を主張した。しかし、現世における修証を重んじ、現世における真理の体得を目指す禅宗では、その実態があやふやな死後生に信仰の根拠を求めるわけにはいかない。特に、道元は死後生を明確に否定しているだけに、人生が時間的・空間的に限られていながら、なお参禅に意義があることを、強固なロジックによって理論化する必要に迫られていた。そこで彼は、唯識の思想を踏まえて、存在と時間の関係を問い直すことになる。

 「有時」の巻は、先人の言葉を引用することから始める。

 古仏言、有時高高峰頂立、有時深深海底行、有時三頭八臂、有時丈六八尺…

 この言葉は、通常は、「有ル時ハ高高タル峰ノ頂ニ立チ」などと読み、悟達した心性の自在さを表すものと解釈される。ところが、道元は、副詞であるはずの「有時」を「うじ」と読んで概念化し、存在と不離一体の時間の意味に解する。こうして、「ある時は(三頭八臂の)不動明王のように、ある時は(丈六八尺の)釈尊のように」と悠然たる心境を吐露したはずの語句を、時の真実相を表す直喩に読み替えてしまう。

 いはゆる有時は、時すでにこれ有なり。有はみな時なり。丈六金身これ時なり、時なるがゆゑに時の荘厳光明あり。三頭八臂これ時なり、時なるがゆゑにいまの十二時に一如なるべし。

 道元が謂うところの「有時」とは、存在から引き離して目盛りを付けることができる仮想的な時間軸上のある時刻ではなく、常に新たな展開の予兆を孕んでいる存在の様相である。ここで、存在者として想定されているのは、いま現存している諸物に限らない。過去未来を問わず、あらゆる時代と場所における生命・事象が等しく時間的存在として捉えられる。これらの存在者は、それぞれにとってのかけがえのない現在を生きており、それ以外の時間を想定することはできない。こうした個々の現在が総体として全時間・全存在を構成していると考えられる。道元は、こうした状況を次のように力強く表現している。

 正当いんも時(=まさに現在としてあるような時)のみなるがゆゑに、有時みな尽時なり、有艸有象(=事物・事象)ともに時なり。時時の時(=個別的な時間)に尽有尽界(=全存在・全世界)あるなり。

 道元は、全ての存在者が生きている各瞬間を絶対視するので、何らかの統一的主体が時間の中で移り変わっていくとは考えない。先の古仏の言葉を「あるときは三頭八臂となれりき、あるときは丈六八尺となれりき」と解釈するのは「仏法をならはざる凡夫」の発想だという。例えば、山を過ぎて宮殿に到着したとき、山はすでに遠ざかっているけれども、山を登っている自分というものは過去において確実に存在しており、その時節が消滅したわけではない(「われすでにあり、時さるべからず」)。過去の体験は、その時点の存在者にとっての時間的現在として現れる。このことは、端的に「上山の時は有時の而今(にこん;=現在)なり」と表現される。同様に、古仏の言葉も、主体の変化ではなく絶対的時間の諸相であると解釈する。

 三頭八臂は、きのふの時なり、丈六八尺は、けふの時なり。しかあれどもその昨今の道理、ただこれ山の中に直入して千峰万峰をみわたす時節なり、すぎぬるにあらず。三頭八臂も、すなはちわが有時にて一経(=1回限りの出来事として生起)す、彼方にあるににたれども而今なり。丈六八尺も、すなはちわが有時にて一経す、彼処にあるににたれども而今なり。

 ここで、道元は、時間論を展開するときに常に問題になる瞬間と継続の関係について考察する。「有時」について充分に理解していない者は「時間が過ぎ去る」と解釈するが、それでは「消失する過去」と「出現する現在」の間に断絶が生じてしまう。あらゆる存在者は、その時点における現在に実在しており、この実在が相互に時間的な関係性を持って連結されていると考えるべきである。いわく「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時時なり」と。道元は、存在者の時間的つらなりを「経歴」という独自の概念で捉え、「今日より明日に経歴す、今日より昨日に経歴す、昨日より今日に経歴す、今日より今日に経歴す」と詩的に表現する。過去が消えて現在が現れるのではなく、過去・現在・未来がつらなりとして経歴を構成しているのである。この経歴こそが、ある求道者が過去に行った修行・実践(修証)の成果を今に生かすための要件となる。それ故に「有時に経歴の功徳あり」と言われるのである。

 「経歴」という概念は、道元自身明確には捉えがたいものがあったようで、その解説はあまり分析的ではなく、あたかもモラリストの詩人のように言葉を紡いでいく。

 経歴は、たとへば春のごとし、春に許多般の(=種々雑多な)様子あり、これを経歴といふ。外物なきに経歴すると参学すべし。たとへば春の経歴はかならず春を経歴するなり。経歴は春にあらざれども、春の経歴なるがゆゑに、経歴いま春の時に成道せり。

 後段で道元は、再び先人の言を引用して自説の補強を図る。しかし、「有時」なる語句は「あるときに」という意味で頻繁に用いられるものであって、曹洞宗の思想家が時間論のコンテクストで使用することはむしろ稀であり、これを自説に結びつけようとする道元の解釈はいかにもこじつけである。例えば、先人が「有時意到句不到、有時句到意不到…(=あるときは、考えはまとまっていても言葉が出てこないし、あるときは、うまい表現は見つかったが思想が完成していない…)」という経験談を語ったことを引いて、「意句ともに有時なり、到不到ともに有時なり(=思想や表現はともに時間的存在である、完成・未完成はともに時間的存在である)」と一気に飛躍し、そのままレトリックを駆使した独自の時間論を展開していく。ただし、きわめて哲学的ではあるけれども本質は宗教家であった道元を批判する必要はなく、かくも強引な論法を駆使してまで語り尽くしたいと願うその姿勢に瞠目すべきだろう。


 以上で見てきたように、道元は「去来する時間」を否定し、あらゆる時間を存在者と結びつけてその実在性を主張する。実は、こうした時間認識が、死後生を認めないまま人間に永遠の価値を見いだすための鍵となる。なぜなら、たとえ死後の人格が存在しないとしても、かつて生きた自分を含む経歴は常に存在しており、それぞれの瞬間に仏法(=世界に価値を与える根本的な法則)が実現されていると信じて良いからである。こうした時間観は、現代科学の知見と矛盾するものではなく、仏教に対する信仰が衰えた文明社会にも通用するはずである。現代人は、もはや西方浄土への憧憬を抱くべくもないが、禅宗によって救済される道は残されている。



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©Nobuo YOSHIDA