◎マンハッタン計画の生産性

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 「戦争は技術を進歩させる」と言われることがあるが、この言葉は額面通り受け取って良いのだろうか。
 歴史的に見ると、南北戦争で銃器が大量使用された際、砲身の内径を一定にするために、工業製品の「規格化」という手法が促進されたことがあるし、第1次世界大戦中のドイツでは、毒ガス兵器の開発のために塩素の研究が進められ、これが、戦後の塩素工業の発展の礎になったと言われる。こうした事例は、「戦争を通じての技術の進歩」を実証するようにも思われる。しかし、20世紀も半ばになると、実戦で使用される軍事技術がきわめて高度かつ特殊なものになり、また、クリティカルな部分が機密扱いされるため、民生用に転用することが困難な「戦争にしか使えない」技術が増え、戦争が技術進歩に貢献する度合いはごく僅かだという指摘もある。
 こうした疑問に答えるため、レーダーとともに第2次世界大戦がもたらした最大の技術的成果とされる原子爆弾を例に取り、原爆開発のためのマンハッタン計画が技術革新のプロセスとして高い生産性を持っていたかどうかを検証してみたい。

 マンハッタン計画は、原子爆弾の製造を目的としたアメリカの国家的プロジェクトで、1941年12月に正式に着手され、1945年7月に3個の原爆を完成したことで所期の目的を達成した。計画全体の指導に当たったのは陸軍准将のグローブスで、これを国務長官のスチムソンが補佐したことから、アメリカの軍と政府が協力して推進したプロジェクトであることがわかる。計画全体に要した費用は当時の金額で20億ドルに上る。また、ノーベル賞受賞者を含む多くの優秀な科学者・技術者が参加した(戦前・戦後のノーベル賞受賞者でマンハッタン計画に参加したのは、コンプトン、ローレンス、ユーレイ、フェルミ、ウィグナー、ベーテ、レビ、アルヴァレら多数、このほか、20世紀最大の数学者と言われるノイマンやアメリカ最高の理論物理学者であったオッペンハイマーも加わった)。
 原爆には、使用する核燃料に応じて、ウラン爆弾(広島型)とプルトニウム爆弾(長崎型)の2種類がある。それぞれについて、解決が容易でない技術的難題が待ちかまえており、計画は難航した。アメリカ以外にも(ドイツ、ソ連など)多くの国が原爆の開発を目指しながら途中で挫折したのは、このハードルが越せなかったからである(ちなみに、日本でも仁科芳雄の指導の下で原爆開発が試みられたが、初期の段階で原爆製造は技術的に不可能だという結論が出されている)。
 原爆開発を目指す科学者・技術者の前に立ちはだかった技術的難題とは、次のようなものである。
ウラン爆弾の核燃料(ウラン235)の分離・濃縮
天然に存在するウランの中には、核分裂を起こすウラン235は0.7%程度しか含まれていないため、大部分を占めるウラン238から分離して濃縮する必要がある。しかし、この2種類のウランは、化学的性質がほとんど同一で、通常の化学工業で用いられている精製法では分離することができない。マンハッタン計画では、ウラン235の分離・濃縮のため、電磁気法、気体拡散法、遠心分離法、熱拡散法の4つの方法が平行して研究されていた。当初はいずれもうまくいかず、原爆開発は不可能とも思われたが、1944年末頃から次第にウラン燃料を濃縮することができるようになった。
プルトニウム爆弾の起爆装置の開発
プルトニウムは1940年5月に発見された核分裂物質で、ウラン235に比べて核燃料の製造が容易なことから、外国に知られないように極秘裏に研究が進められた。プルトニウムの最大の問題点は、あまりに「爆発しやす過ぎる」点である。プルトニウムの密度を一定値以上にすると、直ちに小規模な爆発を起こし、まだ核分裂していない他のプルトニウムをバラバラに飛散させて連鎖反応を終えてしまう。大規模な爆発を起こさせるためには、プルトニウム全体を一瞬のうちに均一に圧縮して超臨界状態を作る必要がある。このプロセスを実現するために、プルトニウム燃料の周囲に火薬を配置し、その爆発力で圧縮する「爆縮(implosion)」の手法が考案された。初めのうちは、プルトニウムが不均一に変形するため大爆発を起こすのは困難だと思われたが、ベーテやノイマンの理論的計算を元に、火薬の爆発による衝撃波をプルトニウムに集める「衝撃波レンズ」の技法が開発され、ウラン爆弾を上回る爆発力を得ることができた。
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 マンハッタン計画は、上のような技術的課題を解決したという点で、確かに技術の進歩をもたらしたものである。ただし、その生産性となると、あまり高く評価することはできない。
 マンハッタン計画の際に開発されたウラン235の分離・濃縮法は、戦後の原子力発電においても、核燃料を生産するための基本技術として用いられているもので、その点だけ考えれば、軍事技術が産業の発展に貢献したと言えるかもしれない。しかし、そのために費やされた20億ドルという巨額な資金を考えると、技術開発のための投資効率としては決して割に合うものではないだろう。実際、マンハッタン計画では、ナチスが原爆を保有する前に合衆国で作る目標故に何よりもスピードが最優先されたために、4つのプロジェクトを平行して進めるというきわめて非効率的な開発手法が採用された。例えば、ローレンスが指導した電磁気法は、巨大な電磁石を用いて(質量分析器の原理により)ウラン235を分離しようとするものだが、電磁石の芯に使う何トンもの銀の購入資金をはじめ、競技場ほどの装置を実作するのに数億ドルを費やしながら、数グラム程度のウランしか得ることができなかった。また、気体拡散法を行うためにオークリッジに建設された工場は、敷地面積が7ヘクタールに及ぶ広大なものとなった。平時ならば、開発の初期段階で最も見込みのありそうな技術を探し出し、そこに集中投資するというやり方が採られるはずだが、タイムリミットにせかされる形で、必ずしもうまくいきそうもないプロジェクトにまで湯水のごとく資金をつぎ込むことになったのである。
 ウラン燃料の分離・濃縮が資金の無駄遣いであったのに対して、プルトニウム爆弾の起爆装置の開発は、人材を浪費するプロジェクトだった。プルトニウムを均一に圧縮するという技術的課題を解決するために、ノイマンやベーテのような20世紀を代表する頭脳が集結し、煩雑な理論計算を繰り返すことになった。こうした開発された「爆縮」の技術は、超高圧状態を実現する手法として民生部門でも利用可能ではあるが、原爆の起爆装置ほど巨大な装置はあまり必要とされていないため、純粋に技術的な観点からすると、“人的投資”に見合うだけの成果が上げられたとは言い難い。そもそも、科学者たちに要求されたのは、火薬をどのように配置し、その衝撃波をいかなる媒質を使って誘導するかという一種の応用問題に対する解答であり、天才の閃きを必要とする創造的な作業ではない。原爆開発のために新しい理論が必要とされず、既存の理論を応用するだけだったということは、核物理学の分野で指導的な立場にあったベーテ自身も認めている(もっとも、IBM製の電気式計算機の性能の悪さにうんざりしたノイマンが、その体験を生かして、戦後に「ノイマン型」のコンピュータを開発するという余禄はあるにはあったが)。所詮は、「起爆装置」という軍事的な応用技術の開発のために、天才たちがこき使われただけなのだ。

 マンハッタン計画は、「巨大科学」が持つ生産性の低さを見事なまでに体現している。政府と軍が計画の頂点に立って全てを取り仕切り、要素技術の開発のために協力した企業にも、いかなる目的で計画を進めているかを知らせなかった。ロスアラモス研究所の初代所長として技術的課題の解決に奔走したオッペンハイマーに対してすら全幅の信頼を置かず、尾行を付けて行動を監視している。このように徹底した軍事的体制作りを押し進めた結果、変更不能な目標が組織を硬直化させ、成果を見極めながら開発のウェイトをシフトしていくという技術開発に必須の柔軟性を喪失していくことになる。マンハッタン計画自体は原爆の完成をもって完了するが、軍事目的の達成ためには他を省みないという(軍人にとってはまことに居心地の良い)マンハッタン体制は戦後しばらく継続され、不必要なまでに大量の核兵器と核燃料を生産するという戦時下さながらの浪費体質を見せつけた。
 「戦争は技術を進歩させるか」という問いには、「特定の技術に関しては」という条件付きで肯定的に答えざるを得ない。しかし、その生産性は、必ずしも投資に見合うほど高くはないという点を強調しておくべきだろう。

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©Nobuo YOSHIDA