◎動物実験の是非

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 医学/科学の研究・試験・教育に動物を使用することの是非を巡る論争が続いている。この問題に関しては、(苦痛に苛まれる動物がかわいそうだ──といった)感情的な意見が提出されることが多い。しかし、客観的に見て妥当な判断を下すためには、現実にどのような動物実験が行われており、そのことにどのようなメリットがあるかを知った上で、メリットとデメリットを秤に載せて判定する態度が必要になる。ここでは、議論を行う上で必要な客観的な資料と、議論をする際に考えなければならない論点を整理して述べることにする。

動物実験の歴史
 基礎医学の研究や医療技術の開発のために組織的に動物実験が行われるようになるのは、19世紀の後半からである。
 例えば、フランスの細菌学者パスツールは、「病原体=微生物」説を証明するために、培養微生物を健康なニワトリやウサギに与えて疾病が生じるかどうかを調べた。さらに、あらかじめ弱毒化した病原菌を投与して免疫を作った実験動物は、改めて新鮮な病原菌を投与したときに病気に対する抵抗性を示すことも観察している。こうした実験結果に基づいて、狂犬病などのワクチンの開発に成功した訳である。
 また、1928年にフレミングによって発見されたペニシリンは、その後、しばらくは実用化されなかったが、1940年になって、フローリーとチェインが、マウスやウサギを使ったテストで抗生物質として著しい効果があること、さらに、大型動物には毒性が小さいことを確かめてから、短時日のうちに医薬品として合成されるに到る。
 ワクチンと抗生物質という現代医療における最重要医薬品の開発に動物実験が決定的な役割を果たしたこともあって、20世紀半ばまでは、医療のために実験動物を利用することに対して、あまり大きな反論は聞かれなかった。
 しかし、20世紀後半になって設立された動物愛護協会が、動物実験の残虐性を広く報じたこともあって、少しずつ風向きが変わってくる。特に、基礎研究の名の下に行われた無意味な実験(例えば、子犬の首を切断して親犬の体に縫合し、短期間だけ生かすことができたという実験など)やサルを用いた実験(サルに母性愛があるかどうかを調べるために、幼猿に苦痛を与えて親猿の反応を見る実験など)に対して、非難が集まる。現在では、動物を用いた実験は、通常は、その正当性について認可を受けた上で行われるため、こうした問題のあるケースはほとんどなくなったはずだが、それでも、動物実験に対する論争は絶えない。

動物実験の現状
 実験のために動物が用いられるケースには、次のようなものがある。
 生理学・医学・薬学の基礎研究 : 代謝系・免疫系・神経系の機能や構造の研究、遺伝子研究(特定遺伝子が機能しない「ノックアウト・マウス」を使って遺伝子の機能を研究するケースなど)、特定疾患の動物モデルなど。
 化学物質の試験 : 医薬品の薬理効果の確認、産業化学物質の毒性(安全性)の試験など。
 医療技術の開発 : 人工臓器の開発、臓器移植や人工透析などの新しい医療技術の有効性・安全性の試験など。

 動物実験の位置づけがきわめて明確な医薬品の開発について、もう少し詳しく見ていこう。
 医薬品産業は、莫大な先行研究投資を必要とするハイリスク産業である。俗に「10年100億(円)」と言われる──最近では「15年200億」になったという声もある──長期の開発期間と多額の資金を費やして、ようやく1つの医薬品が完成する。この先行投資を、高額な薬価に支えられたハイリターン・マーケットで回収しようとする。それだけに、販売後に医薬品の有効性や安全性に疑問が生じると、製薬会社の受けるダメージは大きくなる。動物実験は、開発段階で有効性・安全性を確認するための不可欠なステップとして、明確に位置づけられているのだ。
 膨大な物質の中から薬となる物質を選び出す作業は、一般に、次の順番で行われている:(1)化学的研究(候補物質の基礎的な性質を調べる)→(2)培養細胞を用いた試験→(3)動物実験→(4)臨床試験(人体実験)→(5)申請/承認。この過程で大半の候補はふるい落とされ、医薬品として承認されるのは、数千〜1万分の1である。臨床試験は、さらに3段階に分かれており、それぞれ、第1相(ボランティアを対象とする有効性・安全性の試験)、第2相(少数の患者を対象とする有効性・安全性の試験)、第3相(多数の医療機関における投薬方法や相乗効果に関する試験)と呼ばれる。
 動物実験は、培養細胞による試験と臨床試験の中間に位置づけられ、動物における薬理効果の確認と、人体に用いる場合の安全性のボーダーラインの設定を行う。細胞レベルでの実験では、生体内部での輸送や代謝について充分な知見が得られないため、これを完全に省略することは、現実問題として不可能である。しかし、動物実験が適切に行われているかについては、さまざまな意見が提出されている。

論争のポイント
 動物実験の是非を巡る論争において、主な論点となるのは次の3つである。
 動物の苦痛 : 通常、実験者が愛情を抱くことはないので、実験動物は、しばしば劣悪な環境下に置かれ苦痛を強いられる。特に、医薬品開発の現場では、候補物質が生体にどのような影響を与えるかを正確に調べる必要があるので、最終的な帰結を見ずに途中で実験をうち切ったり、鎮痛薬を与えて痛みを軽減することはできない。例えば、皮膚に炎症をもたらす薬剤の場合、炎症の程度や拡がり、発症のプロセスを見極めるために、結果的に、マウスやウサギに苦痛を与え続けることになる。また、かつては、細胞毒性を調べるために、ウサギの眼に化学物質を投与して、どのような変化が生じるかを調べるのが一般的だった。正確さを期すため、ウサギを狭いケージに固定して頭だけを出した状態にするので、見るからに「残酷な」実験だと言える。最近では、培養細胞を使って細胞毒性の検査が行えるようになったため、ウサギの眼を利用する実験は減少しているが、皆無になった訳ではない。
【参考】実験動物の飼養及び保管に関する基準(昭和55年総理府告示)
(1.一般原則) 管理者等は、実験動物の生理、生態、習性等を理解し、並びに愛情をもって飼養し、及び科学上の利用に供するように努めるとともに、責任をもってこれを保管し、実験動物による人の生命、身体又は財産に対する侵害及び人の生活環境の汚損を防止するように努めること。
(5.実験等の実施上の配慮及び終了後の処置) 2-(1) 実験等に当たっては、その実験等の目的に支障を及ぼさない範囲で麻酔薬等を投与すること等によりできる限り実験動物に苦痛を与えないようにするとともに、保温等適切な処置を採ること。 2-(2) 実験等を終了し、又は中断した実験動物を処分するときは、速やかに致死量以上の麻酔薬の投与、又は頚椎脱臼等によって実験動物にできる限り苦痛を与えないようにすること。

 動物の使用数 : 毒性検査などの場合、統計的に有意な結果を与えるために、きわめて多数の実験動物が使用されることがある。特定の化学物質が発ガン性を持つかどうかを調べるために、数千匹のマウスが使用されることは、ごくふつうである(私が読んだ論文では、複数の研究機関によるトータルな結果として、1万2千匹のマウスが実験に供されたことが記されていた)。致死量の測定の場合は、動物の個体差が大きく、少数の実験例では信頼できる結果を出せない。例えば、5匹のマウスに1mgから5mgまで1mg刻みで化学物質を投与したとき、1,2mgのマウスが生き残って3〜5mgのマウスが死ねば、致死量は2mgと3mgの間だと見当がつけられる。しかし、実際に実験を行うと、なぜか、2mgと4mgのマウスが死んで、1,3,5mgのものが生き残ったりする。こうした個体差による曖昧さを排除するため、ある量の化学物質を数十匹に投与し、そのときの死亡率が何%になるかを調べ、投与量対死亡率のグラフを描いて、死亡率が50%になる量を割り出すという方法が採られている(下図)。このやり方では、当然のことながら、非常に多くの実験動物が犠牲になる。
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 実験の有効性 : 動物種によって生理が異なって薬剤に対する反応が異なるため、動物実験の結果を人間に外挿するのは、さまざまな困難が伴う。安全性の予測の正しさは、マウスだけの実験では7%、イヌだけでは26%、マウスとイヌを組み合わせれば68%になると推定される。マウスなどによる動物実験で安全性が示されたにもかかわらず、人間には強い毒性があったケースは枚挙に暇がない。例えば、1960年代には、タバコ業界が実施した動物実験のデータから、タバコの煙を吸い込んでも肺ガンは生じないという結論が強く示唆されていた。その後、人間を対象とする疫学調査によって、喫煙と肺ガンとの間に疑い得ない因果関係があることが確認され、マウスやラットは例外的にガンから生体を防御する機構が備わっていることが判明した。また、画期的な精神安定剤として利用されたサリドマイドは、マウスによる動物実験では催奇性が見いだされなかったにもかかわらず、妊娠した女性が服用した場合に、四肢短縮の奇形が高頻度で発生し、戦後最大の薬害として社会問題になった。ただし、サリドマイド問題に関しては、動物実験を擁護する科学者の側から反論が出されている。妊娠したサルでは高い確率で胎児に異常が発生したほか、ウサギやマウスを用いた注意深い実験でも、わずかながら催奇性が確認されたのだ。すなわち、サリドマイド発売前に製薬会社が行った実験は、量と質の面で不十分だったことになる。

差し当たっての努力目標
 現在行われている動物実験は、全面的に正当ないし不当という訳ではなく、漸進的に改善していくべきものと考えられる。少なくとも、動物実験の3Rs(動物実験の非動物実験への置換 replacement、実験動物数の削減 reduction、実験動物がこうむる苦痛の軽減 refinement)を差し当たっての努力目標として掲げることに、異議を唱える人はいないだろう。研究・開発という職務に忠実な科学者が、しばしば、一般市民にはおぞましく思えるような実験を平然と行っているという事実は、決して黙認できるものではないことを強調しておきたい。

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©Nobuo YOSHIDA