◎科学と数学の間

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 科学と数学の関係について、簡単に考察してみたい。

 デカルトやニュートンの時代には、自然科学(物理学/化学)の研究者が新しい数学的手法を開発し、それが数学の一ジャンルとして発展することは稀ではなかった。ニュートンが、位置や速度の連続的な変化を解析するための手法として、微積分法を自ら考案したことは、よく知られている。興味深いことに、当初のニュートンの議論(1666)では、dy/dxという微分を求めるのに、xy平面上の特定の軌道に沿って動く粒子を考え、速度のx成分(x')、y成分(y')を導いてから、両者の比y'/x'を計算するという手順を取っている。こうしたやり方を、純粋に数学的な代数解析の方法論を展開したライプニッツと比較すると、その背後に、現実に起こり得る事象を元に議論を進める物理学的な発想が色濃く感じられる。このほかにも、振動現象の研究を進める中で曲線論に新たな局面を拓いたホイヘンスや、カルタ遊びを巡る議論から確率論の端緒を見いだしたパスカルなど、具体的な事象についての考察を行いながら、必要に応じて新たな数学的手法を作り上げていった例は、いくつも見いだされる。もちろん、ユークリッド幾何学や整数論など、純粋数学として長年にわたって練り上げられてきた分野が自然科学の導き役を果たしたケースも多々あろうが、やはりこの時代は、科学が数学を従えてきたという感が強い。
 しかし、18世紀から19世紀にかけて、この主従関係は次第に変化してくる。例えば、オイラーやD.ベルヌイ、ラグランジュら多くの数学者は、物理学的な題材を研究テーマとするものの、現実の複雑性・多様性を意図的に捨象し、ややもすれば数学の応用問題であるかのような扱いをしている。すなわち、自然現象を解き明かすために必要な手法を新たに開発するのではなく、既存の数学理論の枠組みの中で、方程式の形や境界条件だけを現象に適合するように調節するのだ。オイラーが流体の運動方程式を導くやり方(1775)などが、その好例であろう。彼は、現実の流体が示す粘性やエネルギー散逸などの複雑な現象をいっさい無視し、流体粒子に働く力と速度変化の関係から、きわめてエレガントにオイラー方程式を導き出す。ただし、この流体は、一様な流れの中に置かれた物体に力を及ぼさないという非現実的な性質を示す数学的なアーティファクトなのである(ダランベールのパラドクス)。また、明確な数学的定式化を目指すあまり、自然科学者が必要性をあまり感じないような一般化/抽象化を押し進めることにもためらいを見せない。ラグランジュが解析力学の教科書(1788)で導入した一般化座標は、後に統計力学や量子力学の分野で重要な導きの糸になるが、18世紀当時においては、自然現象の解明にはさして役に立たない数学の練習問題という趣があった。こうして、数学は自然科学から独立した自立的な学問として発展していく。数学者の側からすると、自然現象の方が数学理論を応用するための素材なのである。
 自然科学を応用部門として持つような純粋数学の研究は、19世紀においてピークを迎える。19世紀前半における最大の数学者・ガウスは、超幾何級数や楕円関数、ポテンシャル論などの研究を行い、その後の数理物理学に不可欠の計算手法を提供した。彼自身、天文学や電磁気学など多くの分野で数学の応用を実践して見せている。自然科学とは無縁の抽象数学に没頭したかに見えるリーマンも、晩年には自然科学に興味を持つようになり、偏微分方程式論を中心に、物理学への応用に関する講義を行っている。世紀後半には、ポアンカレが、天体力学の難題として知られていた3体問題を軌道の分布という数学的概念を使って解き明かしているし、世紀を跨いで活躍したヒルベルトは、有名な「23の問題」(1900年に数学上の未解決の重要課題を列挙したもの)の中に物理学の公理化を掲げ、物理学を数学の中に引きずり込む一つの方法論を示した。このほかにも、コーシーやヤコビ、カルタンなど、純粋数学の分野で卓越した業績を上げ、その一つのコロラリーとして理論物理学の研究をも行った数学者は少なくない。こうした例は、ワイルやノイマンなど、20世紀前半まではかなりの頻度で見いだすことができる。そこに共通しているのは、純粋に数学的な問題意識に則って、実験・観測との整合性を必ずしも気にしない理論的な研究を遂行しながら、結果的に、自然科学を裨益するところが大きかったという点である。

 科学と数学の関係を考える上で興味深いのは、自然科学者が提出した課題を数学者が応用問題として解いただけではなく、純粋数学として研究された成果が、後に科学に役だった例がいくつも見いだされるという事実である。それも、単に計算テクニックを提供するだけではなく、最も本質的な科学的概念が数学者によって「予見されていた」と見なされるケースが、多々あるのだ。
 中でも驚くべきケースは、一般相対論に先立って非ユークリッド幾何学が構築されていたことだろう。「空間が歪んでいる」というアイデアは、アインシュタインの天才的な発想より100年も早く、19世紀初めにすでにロバチェフスキーとボリャイによって提出されていたのである。この新しい幾何学は、リーマンによって微分幾何学として形式が整備され、さらに、ポアンカレやヒルベルトらによって理論的に展開された。ただし、この分野を研究した数学者の多くは、ユークリッド幾何学の平行線公準の独立性に対する疑念から出発して、幾何学における公理系の問題を数学基礎論の観点から考察しており、現実の世界で非ユークリッド幾何学が成立していると主張することはなかった。自然現象への洞察を伴わない純粋に数学的な研究が、宇宙の創成や終末を解き明かす物理理論を先取りしていた訳である。
 ボルツマンによる統計力学の研究が、ラグランジュ流の一般化座標をベースにしていることも、指摘しておきたい。マクスウェルらによるそれ以前の統計理論が、気体分子のような現実に存在すると見なされる粒子の集団的な運動を解析し、そこから特定の分布状態への移行といった統計法則を導き出すという手法を採用していたのに対して、ボルツマンは、具体的なモデルに依存する物理量を用いず、一般化された数学的モデルをもとに統計力学の法則を導こうとした。こうした研究を通じて、エントロピー増大則のような一見現象論的な法則が、実は、軌道密度の分布という力学系の一般的な性質に由来することが明らかとなってくる。数学者が自分たちの研究のために用意していた枠組みが、物理法則の起源を解明したケースと言える。
 量子力学は、数学者の先見性がそこかしこに示されたジャンルである。ボルンとハイゼンベルグは、1924年までに、理論的な根拠が明らかにできないまま、難解で錯綜した議論を通じて、物理量が行列の形で表されることを導き出した。ところが、ヒルベルトが1900年頃から研究していた関数空間論の中では、ボルン/ハイゼンベルグが考察したようなタイプの行列が、ヒルベルト空間上の作用素(演算子)の具体的表現であると、すでに示されていたのである。この点に気がついた何人かの学者によって、行列力学の晦渋な理論体系は、ヒルベルト空間における作用素の理論として明快に公理化されることになった。さらに、物理学者たちがその解釈に悩んだ不確定性原理も、数学的には、基本作用素の非可換性に還元されることになり、理論の見通しがきわめて良くなったのである。ヒルベルト空間自体は、積分変換の理論を統一的に論じるための形式主義的な枠組みとして考案されたもので、これが、量子力学のような物質に関する基礎理論に用いられるとは誰も予想できなかったはずであり、なぜ数学者が物理学者に先立ってその研究を進めていたのかは、謎と言わざるを得ない。
 このほかにも、量子力学で用いられる手法を数学があらかじめ用意していた例として、連続群論や正準変換理論、測度論などが挙げられる。量子力学の研究の中で物理学者が考案し、数学の新たな分野を開拓するきっかけとなった例として、スピノルやδ関数を取り上げることもできるが、影響力という点で評価するならば、数学から科学への働きかけの方が、その逆よりも遥かに巨大である。

 このように、19世紀末から20世紀初頭の科学革命の流れの中で、数学は、科学の導き手の役割を果たしてきた。確率論や偏微分方程式論のように、物理的システムに適用できることが予想できる分野だけでこうした現象が見られたならば、さして不思議ではないだろう。驚くべきは、非ユークリッド幾何学や関数空間論のように、純粋数学についての基礎的・形式的な研究のために開発された理論が、物理学の進歩を先取りしていたという点である。
 なぜ、純粋数学が物理学に先行することができたのか。この問いに正確に答えることは、私の手に余る(し、他の誰かが答えられるとも思わない)。ここでは、次のような素描的見解を述べるにとどめたい。
 20世紀前半までの科学は、「人間が表象できるような事象」を、予言能力を持つモデルによって記述することを目指してきた。ニュートン力学はもとより、マクスウェルの電磁気学もボルツマンの統計力学も、現実に体験される現象の基礎過程を記述する理論であるため、理論は表象可能な事象と密接なつながりを持っている。コイルに磁石を差し込んだときに誘導起電力が誘起されるというような、われわれの身の回りで起こり得る現象が、理論が解き明かすべき対象に含まれるのだ。自然界は、質的に異なる法則が支配する階層でもって構成されていると考えられるが、それでも、隣り合う階層の法則は一般に類似しているはずであり、現実に体験されるような現象の基礎をなす理論は、多くの点で日常的な経験則と共通する振舞いを示す。実際、対称性に由来する保存則や相互作用の近接性などの点で、マクスウェルやボルツマンの理論は、日常世界の直観的な表象と類似している。相対論や量子力学ともなると、そうした類似性はかなり失われるが、光速無限大あるいはプランク定数無限小の極限でニュートン力学と一致しなければならないという制約があるため、表象可能な世界とのつながりが断ち切られたわけではなく、多くの共通部分を指摘することができる。
 一方、数学もまた、表象可能な事象との間に類縁関係がある。人間の思考能力は、もともと外界のデータから生存に有利になる情報を抽出するために進化してきたもので、身の回りの世界が示す法則性を、多分に反映している。世界の構成要素が持つ不定形で非定常的な側面を捨象して(「外敵」や「餌」のような)個体として捉える認知方略は、生存確率を高めるものとして積極的に採用されているが、これは、自然現象が示すさまざまな保存則を強調する作用がある。数学は、こうした思考形式を抽象化・厳密化して得られるものなので、本来の認知方略が数学の枠組みとして残されやすい。個体化の方略は、集合論ないし代数論の枠組みとなっている。表象可能な事象を分析するための思考能力を抽象して構成された純粋数学が、表象可能な事象の基礎過程を記述する科学理論を形式面で先取りすることは、必ずしも不可解なこととは言えないだろう。
 ただし、純粋数学が自然科学の導き手となるのは、科学が表象可能な事象を取り扱っている限りのことではないだろうか。20世紀後半の最先端物理学は、もはや、人間の認識能力では把握しきれないような物理現象を相手にし始めている。例えば、宇宙の始まりを取り扱うホーキングの理論においては、通常の微分方程式論で用いられるコーシー条件とは全く異なる境界条件の可能性が検討されている。また、ミクロの極限を対象とする超弦理論では、これまで数学者が扱ったことのない超対称性を持つ膜についての数学形式が必要となり、数学の得意な物理学者がこの分野でパイオニア的な役割を果たしている(物理学者のウィッテンが、数学界最高の栄誉であるフィールズ賞を受賞するというおまけまでついた)。こうした物理理論は、必ずしも学界で正当性が認められているものではない。しかし、数学が科学をリードする時代はすでに終わり、科学は再び数学を単なる道具として扱うようになっているのではないか、というのが私の密かな感想である。

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©Nobuo YOSHIDA