◎光速度不変性の原理の地位

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1905年にアインシュタインが提唱した特殊相対論は、2つの原理に基づいている。第1の原理は、全ての慣性系に対して物理学の法則が常に同じ形で成り立つことを要請する『相対性原理』である。物理学に疎い人は、この原理だけで充分だと思うかもしれないが、実は、もう1つの要請を置かなければ、特殊相対論は構築できない。この「もう1つの要請」を何にすべきかについて、若干の任意性があるが、よく知られているように、アインシュタインは『光速度不変の原理』――すなわち、「光は真空中を一定の速さcで伝わり、この速さは光源の運動には依存しない」という要請を置いて、彼の理論を構築した。

 
 『光速度不変の原理』は、直観的に考えるといささか非現実的なところがあるため、相対論を攻撃する人たちにとって格好のターゲットとなってきた。現在に至るまで、「相対論は間違っていた」と主張する際の論拠として、この原理が妥当でないことを指摘するものが少なくない。また、相対論を信奉する論者にも、これを、『相対性原理』と並ぶ根本的な原理とすることに、違和感を覚える人が少なくない。特殊相対論という理論――というよりは、理論を構築するときの基本的な前提――において、『光速度不変性』がどのような地位を占めているかは、かなり慎重な論考が必要となる。


 まず指摘しておかなければならない点は、『光速度不変の原理』が、(しばしば誤解されるように)「運動している観測者から見ても光は同じ速さで伝わる」と主張するものではないことである。原論文にはっきりと記されているように、この原理は、光速が「光源の運動に無関係」だと言っているのであって、「観測者」の運動状態については全く触れていないのだ。アインシュタインのロジックの構成を理解する上で、この点はきわめて重要である。

 そもそも、アインシュタインにとって「観測者」とは、「ある時刻にある場所で何が起こったかを明らかにする」者であり、「物理現象は、各時空点でのイベントとして実現されている」という彼の自然観を端的に反映した概念である。従って、観測できるのはあくまで局所的なイベントの有無だけであり、異なる時刻に光がどこに達しているかという大局的な知識を必要とする光速度の算定は、この「観測者」には不可能なのだ。1905年論文の後半では、「観測者」という日常的な概念は姿を消し、さまざまな慣性座標系の間の関係が問題とされるようになるが、この段階に来て初めて、初学者に馴染み深い「どの慣性系でも光は同じ速さで伝わる」という「光速度不変性」が語られるのである。
 注意していただきたいのは、この意味での「光速度不変性」が、マクスウェル方程式を基本的な物理法則として認めた場合、『相対性原理』の帰結として導かれることである。マクスウェル方程式は、電磁場の振動が波動方程式に従い、その波速が真空に関する物理定数によって定まることを含意している。従って、『相対性』の要請通り、任意の慣性系でマクスウェル方程式が成り立つならば、どの慣性系でも光速が等しくなることは自明である。


 それでは、なぜアインシュタインは、『相対性原理』と並ぶ重要な要請として『光速度不変性の原理』を掲げたのか。その理由は、彼が、マクスウェル方程式が厳密には成立しないことを知っていたからである。黒体輻射の実験結果が理論的予測から大幅にずれていることは、すでに多くの物理学者によって検討されていたが、光を発する固体の内部構造や原子の従う法則が従来の考えとは異なっているという見方が、かなり有力視されていた。そうした中で、アインシュタインは、電磁場そのものが、高振動数側であたかも「光の粒子」の集まりのように振舞うという「光量子仮説」を考案し、特殊相対論を発表する数ヶ月前に論文を提出していた。この仮説は、マクスウェル方程式が厳密に成り立っておらず、高振動数の領域で、実際の現象とのずれが大きくなることを含意している。相対論を構築する際に、アインシュタインが拠り所としたのは、たとえマクスウェル方程式が厳密には成り立たず、光の粒子が光源からボールのように投げ出されるというのが真の姿だった――ただし、アインシュタイン自身は、光量子論をあくまでヒューリスティックな仮説と見なしており、「光の実体が粒子である」と考えていたわけではない――としても、なお、『光速度不変性』は成立するという要請だった。

 こうしたアインシュタインの発想法は、当時、相対論にあと一歩の所まで迫っていたローレンツやポアンカレのそれとは一線を画するものである。ローレンツやポアンカレは、マクスウェル方程式を不変に保つような変換形式(ローレンツ変換)を数学的に求めることに全力を傾注しており、特にポアンカレは、この変換を群論の手法を使って(後にポアンカレ群と呼ばれることになる)エレガントな表現にまとめることに成功していた。このため、数式だけを見ると、アインシュタイン以前に相対論が完成されたかのような印象を受ける(実際、そう主張する科学史家は決して稀ではない)。アインシュタインの偉大さは、(ポアンカレらの論文を読むことなく独力で変換形式を導いたことは別にして)ローレンツ変換に対する不変性が、単にマクスウェル方程式の特徴であるだけではなく、自然界の根本的な原理に由来すると喝破した点である。彼の主張によれば、ニュートンの運動方程式もローレンツ不変な形に書き改めなければならないばかりか、マクスウェル方程式を(光量子仮説を満たすように)改変するときにも、ローレンツ不変性を満たすことが要請されるのである。このように考えると、たとえ数学的な能力でポアンカレに及ばなかったとしても、アインシュタインの方が、自然の本質により深く迫っていたことがわかるだろう。


 もっとも、この点を踏まえた上でも、なぜアインシュタインが『光速度不変の原理』を採用したかは、必ずしも判然としない。高性能の光干渉計によってもエーテルに対する地球の運動を検出できなかったマイケルソンとモーレーの実験結果を重視して、これを理論構築の基盤にしたというのが、最も素直な解釈かもしれない(アインシュタインはこの結果を知らなかったという主張が一部にあるが、(1)1922年に来日した際に京都で行った講演中に「(学生時代に)マイケルソンの実験の不思議な結果と知り」とあること、(2)光速度の1次の範囲でエーテルとの相対運動が検出できないと論じたローレンツの論文を勉強していたこと――などの事実から、彼が、間接的にせよ、マイケルソン=モーレーの実験結果を知っていたのは確実である)。本人の回想を信じるならば、論文を執筆する5週間ほど前から同時性の問題について熟慮していたというから、「離れた2点で同時性を定義するためには何らかの信号のやりとりが必要になるだろう」、「こうした信号としては一定の速さで伝わることが実験的にほぼ確かめられている光を使うのが妥当なはずだ」と考えを進めていって、最終的に『光速度不変の原理』を出発点に据えたとも思われる。

 実は、立論の出発点を巡るこうした曖昧さは、アインシュタインの方法論そのものに由来する。すでに述べたように、彼は、ニュートンの運動方程式はもちろん、マクスウェル方程式に対しても全幅の信頼を置くことなく、これらの(及び爾後に発見される)方程式が従うべき根本的な法則を模索していた。当時の物理学界で信奉されていた二大理論を共に援用しない以上は、全ての科学者に納得されるような確固たる原理を理論の出発点に据えることは、端から望むべくもなかったのである。そもそも、ヒューリスティックな(発見的な)発想を大切にするアインシュタインにとって、『光速度不変の原理』は、厳密な論理展開を行う上での「疑うべからざる」絶対的な原理であるはずがなく、あくまで暫定的な仮定と考えていたに相違ない。すなわち、この原理/仮定は、マクスウェル方程式を前提とせずにローレンツ変換の表式を導くために利用した1つのステップであり、ひとたび変換公式が得られてしまうと、もはや必要とされなくなるのである。実際、1905年論文において、変換公式が確立された後半の議論では、『光速度不変性』が原理として顧みられることはない。

 『光速度不変の原理』をヒューリスティックな議論を行うためのステップと考えると、論文に見られるロジックの微妙な破綻にアインシュタインが拘泥しなかった理由が明らかになる。「光の伝播」という観測可能な物理現象について語る以上、これを記述する方程式の存在が――既知の微分方程式の形で表されるか否かは別にして――当然の前提となる。ところが、『相対性原理』の要請によって、この方程式はあらかじめ形式が座標変換に対して不変であるように制限されてしまう。特に、「光源の運動によらずに光速が一定」という表現を用いた場合は、方程式が発光体や媒質の項を含まないことが含意されるので、「座標系によらずに光速が一定」という一般的な「光速度不変性」が直ちに導かれることになる。「理論の基礎になる原理が2つある」と主張するためには、両者が論理的に独立であるべきだが、これでは、『光速度不変の原理』が『相対性原理』に従属するように見えてしまう。この弊を改めるには、原理を記述するに当たって物理現象を「光速」と特定せず、「相互作用の伝達速度に上限がある」とすれば良い(『相対性原理』を要請すれば、この上限の速度は一定の値になる)。この場合、光が伝達速度の上限で伝播すると原理的に要請されるのではなく、たまたま特殊な方程式に従ったために生じた個別的な事例と見なされる。この「論理的に厳密な」表現は、しかしながら、いかにもわかりづらく、ヒューリスティックな議論をする上であまり有効ではない。アインシュタインが、こうした「些細な」問題を気にしなかったことは、何が本質的かを常に念頭に置いていた科学者としては、当然の態度である。

 歴史の後知恵を用いれば、アインシュタインの提出した2つの「原理」は、時空の幾何学的表現にまとめることができる。物理学の対象として、「時空」という幾何学的実体と、その上に実現される物理現象を考える。このとき、『相対性原理』と『光速度不変の原理」は、それぞれ、
「物理現象がある(グローバルな)変換群に対して不変である」
「この変換群は世界間隔ds2を不変に保つ」
という主張に対応する。後者は、変換群を決定するための必要十分条件であり、これ以外にもさまざまな変換群を想定できることから、前者とは独立の前提であるとわかる。このように考えると、アインシュタインは、結果的に、相対論を数学的に体系化する上で必要な「公理」を正当に指摘していたわけである。しかし、想像するに、本人は、厳密な公理体系に対応した理論構成を案出できたことよりも、ヒューリスティックな議論における物理的センスの良さを自慢したがるのではないだろうか。

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©Nobuo YOSHIDA