◎科学者の数学能力

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 現代においては、産業の発展に科学が貢献しているという共通認識があるため、公教育の場で科学者・技術者を組織的に養成する体制が整えられている。特に、物理・化学系の学生に対しては、研究に際して必要になると予想される数学的手法が一通り教えられるので、優秀な学生は、微分方程式論、ベクトル解析、群論、統計数学など応用性の高い数学の諸分野に関して、そこそこに使いこなせるようになる。

 しかし、こうした科学者養成コースが整備されるのは、20世紀前半のことであり、それ以前の科学者は、必ずしも、応用数学全般についての予備知識を持ち合わせてはいなかった。行列力学の建設者の一人であるハイゼンベルグが数学の行列計算を、微分幾何学そのものと言っても良い一般相対論を作り上げたアインシュタインが微分幾何学を、いずれもあまり知らないままに研究に着手し、理論を構築する一方で数学の勉強をしていたというのは、よく知られた話である。

 応用数学の計算手法が、長らく科学に必須の道具と見なされなかった背景には、それなり歴史的なプロセスがある。実際、19世紀の半ばまでは、「技術的に応用されることを前提に基礎研究を行う」という現代的な意味での職業科学者は存在せず、実践的な技術開発を活動の中心に据える一方で片手間に現象の基礎を探求する科学志向の技術者か、さもなくば、自然の謎を解明しようという貴族趣味的なアマチュア研究者、あるいは、伝統的なアカデミズムの枠内で研鑽を積む大学教授たちが、広義の「科学者」に該当していた。こうした「科学者」は、それぞれの属する集団内部で受け継いできた研究の手法を身につけてはいたが、多岐にわたる応用数学の各方面に通暁し、いざというときには、適当な「引き出し」から役に立つ計算方法を取り出してくるといった芸当は、あまり得意ではなかった。

 こうした事情があるため、科学史に名を残すような大学者といえども、必ずしもエレガントな数学を駆使していた訳ではなく、大学で理数系の勉強をした者の目から見ると、いかにも訥々と計算をしたとおぼしきケースが多々ある。

 19世紀の科学者の中で、最も数学的能力に長けていたと思われるのが、電磁気学を大成したマクスウェルである。彼の論文では、冒頭で理論の前提となる諸仮定が明示され、その上で、膨大な数学的計算を通じて諸々の帰結を演繹されている。20世紀の科学論文と比較しても遜色のない模範的な書き方である。

 しかし、このように応用数学を駆使する手法は、当時にあっては、むしろ例外的である。マクスウェルほどには数学的能力を持たない大多数の科学者は、あまり正当性のない近似や直観的手法をもとに、かなりぎこちないやり方で数式と格闘していたようだ。

 統計物理学の基礎を作り上げたボルツマンは、マクスウェルに対して相当のライバル意識を燃やしていたようだが、数学的な側面だけに限れば、その論文はいかにも不細工であり、こんにちでは大学2〜3年で教えるような状態数の計算にもたついている。根源的な構成要素(原子・分子やエーテル)に関する基礎方程式から諸現象を説明するマクスウェル流の還元主義に反発を感じた当時の化学者は、化学量論をもとに反応過程の記述を試みているが、いかんせん多変数解析の手法を会得していないため、理論的な基礎付けができずに晦渋な哲学的議論に逃れてしまう。超音速速度の単位として名を残し、哲学者としても著名なマッハも、新しい電磁気学に興味を持っていたようだが、残されているメモを見ると、流体力学のオイラー方程式から速度ベクトルのローテーションの関係式を求めるという初等的な微分計算を試みながら、何度もミスを犯して結局はうまく答えを出せずに投げ出している。

 こうした事例を見てくると、応用数学を強制的に学ばせる現在の教育システムは、研究を効率的にする上でかなりの威力を発揮していることがわかる。しかし、その一方で、計算にまごつく試行錯誤の過程で、新しいアイデアや哲学的な思弁に到達する道が閉ざされてしまったのではないかという思いも払拭しきれない。

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©Nobuo YOSHIDA