◎歴史に名を残す科学者

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 科学者にとって最大の名誉は、法則や公式に自分の名を残すことだろう。確かに、「〜の法則」「〜の公式」のように研究者の名前を附けて引用することは、業績を顕彰する上で最もわかりやすいやり方である。物理量の単位として「ニュートン」や「ドルトン」などの個人名を使って、過去の大学者の偉業全般を讃えることもあるが、現役の学者にとって気にかかるのは、やはり、実際に研究したジャンルに名前が残るかどうかである。

 ただし、法則などに個人名が用いられるに到るプロセスは、彗星にその発見者の名前が附けられるのとは違って、あまり合理的なものではない。「メンデルの法則」や「フリードマン宇宙」のように、生前に学界から認められなかった先駆者の名前を、後代の科学者が敬意を込めて附ける文句のつけようのないケースもある一方、現役の学者が関わっている場合は、学説を巡る抗争も絡んで話がややこしくなりやすい。「学閥」間の対立が甚だしいときには、それぞれの派閥に属する弟子筋の学者が「先生」の学説にその名前を附けるといった生臭い現実もある(例えば、アメリカでGell-Mann's lawと呼ばれるものは、日本では、中野−西島−ゲルマンの法則となる)。そこまでいかなくても、なぜこの学者の名前なのか、理解に苦しむ場合も少なくない。

 ある学説に関して万人が認める先駆者がいる場合、当人が特別の呼称を与えていなければ、そのまま先駆者の個人名がすんなりと定着することが多い。「シュレディンガー方程式」「カルマン渦」などのたぐいである。しかし、学説の完成までの多くの学者が関与したケースでは、そう簡単にはいかない。個人名を用いない一般的な名称が通用するようになれば問題はないのだが、ときには、影響力のある有名な学者の名前がやや恣意的に用いられることもある。必ずしもフォン=ノイマン個人が開発したのではないにもかかわらず、逐次処理型のコンピュータがしばしば「ノイマン型」と呼ばれるようなケースである。また、統計力学に現れる「ボーズ・アインシュタイン統計」は、実際にはボーズが考案したものだが、アインシュタインが紹介して初めて広く知られるようになったため、この大物理学者の名声にあやかった呼称が一般的になった。

 先駆者が印象的な呼称を考案したくれた場合は、それがそのまま使われることも多い。ゲルマンの「クォーク」やウィーナの「サイバネティクス」は、教養を感じさせるすぐれた呼び名である。しかし、この名付けに失敗するケースもある。南部は、対称性の破れに伴って質量がゼロの粒子が現れることを発見し、これを「ゼロン」と呼んだが、あまりにやぽったい名前のために普及しなかった。代わって、南部の理論をわかりやすく解説した(だけの)ゴールドストーンの方が有名になって、ゴールドストーン粒子、あるいは、(接尾語の-onが粒子を表すことより)ゴールドストンと呼ばれるに到った。

 学者の名前が呼びやすいかどうかも、名を残せるかどうかに大きな影響を及ぼす。フェルミやランダウのように口に馴染む呼び名は、「フェルミ準位」「ランダウゆらぎ」のようにあちこちで使われる(もちろん、フェルミやランダウが偉大な研究者だったこともあるが)。業績は抜群だが名前が長すぎて…というケースも、ないわけではない。炭素がサッカーボールのように結合した巨大分子は、建築家のバックミンスター=フラーのドームに形状が似ていることからバックミンスターフラーレンと呼ばれていたが、いつのまにかフラーレンになったようだ。同じように、ポメランチュックが提唱した粒子も、当初はポメランチュッコンだったはずなのに、面倒くさがり屋の学者たちによってポメロンと縮められてしまった。

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©Nobuo YOSHIDA