◎ 物質と力の二元論はいかにして克服されたか

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 近代科学史における力の概念の変遷を語るには、物質−力の二元論が克服される過程を見ていくのが、最もわかりやすいだろう。遠隔力と近接力の議論や、力をポテンシャルから導く方法論の発展は、この過程の中で整理することができる。


 プリンキピアに示されたニュートンの力学体系(これは、彼の自然思想の一部でしかないが、他の面はあえて無視した方がわかりやすい)は、物質−力の二元論を明確に提言するものである。ここで、ニュートンは、力学理論の対象を、空虚な空間の内部に存在する物質が時間経過とともに運動するプロセスに限定している。ところで、彼にとって物質とは、非連続的な原子によって構成されているものなので、原子間の相互作用は非物質的なものと考えなければならない。こうして、物質とは明確に区別された力の概念が与えられ、

  (物質の)運動量変化=(非物質的な)力 
という運動方程式が定立された。ただし、原子論的な発想では力の概念は定義できない――数学的に定式化できない概念を無理に説明しようとしても一種の occult cause を導入するだけだ――という考えから、ニュートンは力を未定義のまま残すことになった(重力は、質量分布から規定される作用だけを与えたため、遠隔力として不明確に定義される)。これが後世、批判を浴びる原因となったようだが、当時の科学的知識の限界を考えれば、ニュートンの態度は、厳密性を重んじる科学的方法論に則ったものとして、高く評価すべきだと思われる。

 ニュートンの力学体系に対する明確なアンチテーゼは、マクスウェルの電磁気学の登場まで待たなければならない(それ以前の連続体力学は、いずれも、物体の微小部分に加わる外部からの力を想定しており、ニュートン力学から逸脱していない)。マクスウェル理論に現れる非物質的なエーテル(=電磁場)は、時空各点で明確に定義された物理的実在であるにもかかわらず、すでに確立されつつあった原子論もニュートンの運動方程式も適用できないものだった。この理論においては、物質に作用する力ではなく、かつては力を導くための単なる数学的な形式にすぎないと考えられることもあったポテンシャル(すなわち、そこに物質があれば力を及ぼす潜在的な状態)の方が、よりリアルな存在として捉えられるようになっている。こうして、(電磁気)力を媒介する非物質的な(電磁)場と、原子論によって説明可能な物質という二元論が成立した訳である。ローレンツに代表される19世紀末の物理学者たちは、この二元論の扱いに困惑したらしく、論文でもひどく晦渋な議論をしている。例えば、エーテルと物質の境界はどうなっているか、エーテルは物質の中にしみこんでいるのか、などなど。

 アインシュタインの一般相対論は、重力の起源を時空の曲率テンソルに求めるもので、ニュートンの occult causeの実態を暴いたと言っても良いだろう。ただし、アインシュタイン方程式は、ニュートンの運動方程式と同じく
  (物質の)エネルギー・運動量=(非物質的な)時空の曲率 
 となっており、物質と力の二元論は温存されている。アインシュタイン自身は「物質が時空を生み、時空が物質を変化させる」というウロボロス的な構造による一元化を期待していたようだが、この考えは、ド・ジッターに批判されている。

 電磁場の理論にせよ、一般相対論にせよ、物質−力の二元性を残しながら力の本性 を解明するものだが、物質と力の概念の間に、ある種の不均衡を呈してもいる。すなわち、エーテルや時空の存在を捨象した(アリストテレス的な意味での)真空の中の物質は想定することすら不可能なのに対して、物質の存在しない nontrivialなエーテルや時空は、電磁波やド・ジッター宇宙という形で存在できる。この不均衡は、場の量子論の完成によって克服されることになる。

 (一般相対論をも含んだ)古典的な場の理論に見られるアンバランスな物質と力の概念を修正する第一歩は、初期量子論によって成し遂げられた。アインシュタインの光量子論とド・ブロイの物質波理論によって、(力を媒介する非物質的な)光も、(物質を構成する要素である)電子も、ともに粒子と波動の二重性を示すことが明らかになり、物質と力は、二元論的に対立するものではない可能性が生まれてきた。もっとも、非相対論的な量子力学では、まだ、二元性の克服には到らない。ボルン=ハイゼンベルグ=ヨルダンの理論において、電子は量子化されているものの、電磁場は相変わらず古典論によって記述されている。

 ハイゼンベルグ=パウリによる場の量子論(相対論的量子力学)は、理論物理学の分野において、一般相対論と並ぶ今世紀最大の成果であるにもかかわらず、その重要性が科学史家に正当に評価されていない憾みがある。場の量子論とは、(電磁場のような)力の場と(電子のような)物質の場を、同一の理論形式で記述するものであり、「物質に力が作用する」という二元論的な発想は、「場の相互作用が生じる」という一元論に還元される。実際、場の理論を記述する方程式では、「これが物質の伝播を表す項で、これが力の作用を表す項」というように物質と力を式の上で区別することが、原理的に困難になっている。

 場の量子論において物質と力が対立的な概念でないことを明確に示した例が、湯川の中間子論である。パイ中間子は、強い相互作用を媒介する力の担い手である一方、霧箱に軌跡を残す物質的な存在でもある(光子は、短波長の場合は光電子増倍管でカウントできるが、一般的には個数が特定されないので、物質的なイメージを描きにくい)。中間子論の成功を経て、場の量子論は、物質と力を記述する正当な理論としての評価を得ていく。 

 1940年代以降、理論物理学者が取り組んでいた課題は、すでに知られていた4つの力を、場の量子論によって実験と合致するように記述することだった。湯川の中間子論は、力の到達範囲についての定性的な評価は正しく与えたものの(実は、湯川が計算間違いをしており、全然正しくなかった)、力の強さを定量的に計算することには失敗した。その後、電磁気力はファインマン=シュヴィンガー=朝永の量子電気力学によって完全に記述できるようになったが、弱い力と強い力はなかなかうまくいかず、60年代には、場の量子論の正当性が疑問視されるようになっていた(チューの靴ひも理論がもてはやされた時期でもある)。しかし、70年代に入ってゲージ理論が完成されると、弱い力は電磁気力と統一されたワインバーグ=サラム理論として、強い力も(ゲルマンらによって礎が築かれた)量子色力学として、非可換ゲージ理論という場の量子論の一形式によって記述できるようになった。

 ゲージ理論には、「フェルミオン(クォーク、電子など)場」「ゲージボソン(光、グルーオンなど)場」「ヒッグス場」という3種類の基本的な場が含まれている。統計的な振舞いの違いから、しばしば、フェルミオンは物質に、ゲージボソンは力に擬せられる(ヒッグスは真空中にベッタリと沈殿している)。このなぞらえ方は、直感的な理解を助けるという点で有用だが、理論形式の上で物質と力を峻別するものではないことに注意していただきたい。

 現在では、重力場の量子論が未完成のまま残されてはいるものの、他の相互作用に関しては、理論と実験は(説明可能な誤差範囲内で)ほぼ完全に一致している。将来の見通しとしては、ワインバーグ=サラム理論と量子色力学が大統一理論の下に統一されるという主張が多くの物理学者に支持されているほか、これらに重力を加えた「超」統一理論(超紐理論をはじめとするいくつかの候補がある)が実現されると考える学者もいる。

 そもそも力とは、世界に変化が存在することを因果的に説明するために措定された概念であり、認識論的には物質概念と峻別することが必当然である。場の量子論の難解さは、物質と力を区別する人間の基本的な認識形式に合致しないことに起因するとも考えらるが、現代の物質像を理解するためには、避けて通れないものだということを肝に銘じてほしい。

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©Nobuo YOSHIDA