科学者が歴史的事実を軽視する理由
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科学とは、事実を重んじる学問のはずである。にもかかわらず、科学者は、し
ばしば、歴史的事実を無視するような発言を繰り返す。この矛盾は、いったい何
を意味しているのだろうか。
例えば、宇宙論の研究者は、宇宙がダイナミックに膨張することを記述するに
当たって、多くの場合、「宇宙項のない」フリードマン模型を採用する。学術誌
に掲載されるような論文に、この模型の出典を書き記すことはまずないが、教科
書やレビュー記事ともなると、フリードマンの1922年および1924年の論文を参
考文献として挙げることが多い。さらに、「アインシュタインは静止宇宙を信じ
ていたので宇宙項を導入したが、フリードマンは、宇宙項のないオリジナルなア
インシュタイン方程式に基づいて、宇宙が膨張することを導き出した」などとわ
ざわざ書き添えることもある。ところが、上の2つの論文でフリードマンが考察
しているのは、あくまで「宇宙項のある」模型なのだ。しかも、パラメーターの
大小に基づいて宇宙全体の振る舞いを分類すると、多くのケースで宇宙項が支配
的な役割を占めてさえいる。フリードマン自身は、「宇宙項がない宇宙」を議論
したことなど、一度もないのだ。
この例は、宇宙論研究者が特に不勉強であることを意味する訳ではない。現場
で活躍する多くの科学者が、最初に理論を提出した原論文に目を通すことなく、
「ハイゼンベルグ=パウリの場の量子化」や「マクリントックのトランスポゾ
ン」について語っている。ただし、そこで語られるのは、往々にして、後年に練
り上げられた理論形式であり、実にしばしば、原著者の当初のアイデアとは全く
異なったものになっている。興味深いことに、多くの科学者たちは、こうした誤
解を重大な過ちとは考えていない。誰かに訂正されても、3日も経てば、平気で
同じ間違いを口にする。
考えてみれば、社会学者や哲学者が、原論文を読まないまま、ある学説に特定
の学者の名前を冠して議論することは、常識的にあり得ない。『一般理論』を読
んだことのない人が「ケインズの均衡理論」について語ればバカにされるし、
『イデーン』に目を通さずに「フッサールの現象学」を論じようものなら袋叩き
にあう。ところが、自然科学においては、先達に学ぼうという姿勢が、他のどの
分野よりも乏しいのである。
こうした奇妙な現象が生じる理由は、「応用可能な形で定義された模型をもと
に議論する」という方法論が、多くの科学者の間に(意識的か無意識的かを問わ
ず)支持されているからだと思われる。科学の世界では、どんなに天才的な学者
であろうと、そのジャンルの枠組みを独力で作り上げてしまうことは困難であ
る。偉大な先達とは、あくまで、発展性を持った新しい理論模型を提唱できる人
を指す言葉なのであって、何もかも自分でやり遂げてしまう人のことではない。
たとえ、その論文が無駄や誤りに溢れていたとしても、模型自体が応用面で発展
させられるものならば、「××の理論」と名を冠せられる資格は充分にあるの
だ。具体的な理論展開は、後世の学者に任せても良いのだから。もっとも、残る
のは名ばかりであって、オリジナルな論文が読み継がれることはないだろうが。
気をつけなければならないのは、歴史的事実を無視する態度が、科学という限
定された分野からはみ出して、科学史の領域に侵入してきたときである。科学の
現代史は、人文系の出身者が大半を占める科学史家には手に負えない内容が多々
あるため、引退間近の老科学者が引き受けることが稀ではない。ところが、そう
した科学者は、いつもの癖で、原典を調べずに理念的に歴史を再構築してしまう
ことがある。実証を重んじる科学史家なら唾棄すべき不誠実さに思えるかもしれ
ないが、当の本人には、何らやましいことをしているという自覚がないのであ
る。先のフリードマンのケースもその1つだが、ここでは、次の事例を紹介した
い。
量子力学の黎明期におけるアインシュタインとボーアの論争は、古典物理学が
現代物理学へと変貌する過程でのメルクマールとなる事件として知られている。
科学者が書く「理念的な科学史」では、古典を代表するアインシュタインが、革
新的な不確定性原理を理解できず、さまざまな思考実験をもとに量子力学の不備
を指摘する議論をふっかけては、ボーアに代表される新しいタイプの学者たちに
論破されたというストーリーになっている。しかし、本当にそうだろうか。彼ら
の論争の正確な記録は残っていないが、ボーア自身による回想など信頼性の高い
資料はいくつかある。量子力学の歴史に興味のある人は、これらをきちんと読み
直してみてほしい。時間の不確定性をターゲットとしたアインシュタインの議論
に、ボーアがどんな解答を用意したか――このことを調べるだけでも、理念化さ
れた科学史がいかに当てにならないかがわかるだろう。できれば、量子力学に関
して充分な造詣のある科学者が、これらの資料を精査してアインシュタインの名
誉を挽回してほしいのだが・・・やっぱり科学者は歴史的事実についてのこだわ
りがないから、だめかな?
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©Nobuo YOSHIDA